ラジオ聴き、右の耳から左へと(1)
仕事中、ラジオで聞きかじった話を幾つか脈絡なくメモっていく。
● 11日(木)もそろそろ仕事が終わろうという時間帯だったと思うが、スポーツ放送の実況中継などで有名な、今はフリーアナウンサーの鈴木 文弥(すずき ぶんや、1925年 - )さんへのインタビューを聞いた。
「特にオリンピックでは1964年東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、全日本女子バレーボールチームが金メダルを獲得した試合の実況を担当。「金メダルポイント」、あるいは体操の「ウルトラC」という名言を発したことでも知られた。ほかに1970年・1971年のNHK紅白歌合戦で総合司会と実況を務めた」という人物である。
← 「円谷プロダクション公式Webサイト Tsuburaya Station Web」参照
我々の世代だと同氏はとても懐かしい存在でもある。
今、またオリンピックを東京に招致しようと都知事らが頑張っているらしい。
でも、せめて今世紀の後半くらいまではオリンピックは日本に来なくていいと思う。発展途上国でこそ、開催して欲しいと思う。
そう、思わせるのは、1964年東京オリンピックがあまりに素晴らしかったという印象が今も鮮やかだからだ。
その印象の一端を鈴木 文弥さんの実況が担っていたと思う。
さて、いろいろあった中で、ちょっと、おやっと思ったのは、「ウルトラC」の話。
「鈴木文弥 - Wikipedia」の[逸話]にも載っているので転記する:
東京オリンピック体操男子の実況で「ウルトラC」を使ったところ、ある人から電話があった。曰く「ウルトラCを貸して欲しい」と言う依頼で、鈴木アナは「別に特許ではないからいいですよ」と返事をした。それが人気特撮番組に繋がった。電話をした主は円谷英二、番組名は「ウルトラQ」である。「ウルトラC」がなければ、ウルトラシリーズ誕生はなかったとも言える。
そうか! 「「ウルトラC」がなければ、ウルトラシリーズ誕生はなかった」のか!
多分、同じ放送を聴いていただろう方が先にブログで採り上げておられる:
「12345・・・無限大 一粒の砂 ウルトラマンと鬼の大松」
(鈴木 文弥さんが「ラジオ深夜便」でどんな話をされたのか、もっと知りたい方は上掲のブログをどうぞ!)
関連する話題に「燃えつきたウルトラマン」(多分、「明治大学図書館」がホームページ)がある。面白い!
↑ 「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第9番、第10番&第25番」(「仲道郁代Official Website」参照)
● 同日、仲道郁代さんのピアノ演奏でショパン作曲の「夜想曲」を聴くことができた。痺れた。
(この方のお話もラジオで聞いたことは、このブログでも書いたはず。→「車内はラジオ三昧です!」参照)
翌日、早速図書館へ足を運んだけれど、同じものは見つからなかった。
代わりに、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集の中の、vol.4「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第9番、第10番&第25番」を借りてきた。
今もこのCDを流しつつ、ブログを書いている。
● やはり11日(木)の昼過ぎ、千住明氏の話を聞けた。なかなか面白かったのだが、話の内容はすっかり忘れてしまった。

→ 福岡 伸一著『もう牛を食べても安心か』(文春新書) (「文藝春秋|本の話より|私はこう読んだ 狂牛病と呼び続ける意味 最相葉月」参照)
● やはり11日(木)に、ふと、「The Shadow of Your Smile」という曲である閃きが。
いい曲だ。映画「いそしぎ」のテーマ曲として、夙に有名。せっかくなので、「The 車道 of Your 住まい」って駄洒落を作ってみた。
← 10月11日の夜。新国立美術館前の交差点で信号待ち。
● これも11日(木)のこと。夜半近くだったろうか、「ラジオ深夜便」という番組だったと思うが、分子生物学が専門の福岡伸一氏の話を聞きかじった。先週はずっと、同番組で話をされていたような。
「爆笑問題のニッポンの教養」(2007年10月2日)に出演していたというから、お茶の間でもお馴染みの学者かもしれない(小生はこの番組は見ていない)。
この夜は、シェーンハイマーという学者の研究内容を紹介しつつ話をされていて、食べることの意義を再認識させられ、話がいつも以上に面白かった。
食べることを、単に栄養を摂取するとか、カロリーを摂る、なんて思い込んでいる(小生も含めた)世の常識は覆るかもしれない。
この辺りのことは、改めて触れる機会があると思う(持ちたい)。
なので、今はメモだけしておく。
(「文藝春秋|本の話より|私はこう読んだ 狂牛病と呼び続ける意味 最相葉月」なる頁がシェーンハイマーの説を知る(イメージする)に、手っ取り早いかも。「私たちは物を食べると、大半は体内で燃やされ、あとは排出されると思っている。だが、実際は違うらしい。シェーンハイマーが、体内に食べ物が取り込まれてからの道順と変化を食べ物を構成する分子に目印(窒素原子の安定同位体)をつけて追跡したところ、瞬時に分子レベルに解体されて体を構成する分子の中に高速度で入り込み、逆に体内の分子が高速度で分解されて外に出ていくことがわかったのである。「代謝は回転している」と表現するが、つまり、昨日も今日も変わりないと思いこんでいる私たちの体は、分子レベルでは常に激しく入れ替わっているということだ。これが「動的平衡」である」…これは栄養学などでは既に常識なのだろうか。食べることの意味について、再考を迫られる説だ!)
→ 都内某所の公園にて。丑三つ時も過ぎた頃。お花さんたちも夢の中かな。
(「エッセイ寄稿論文福岡伸一(分子生物学者) 環境と生命の動的な関係」なる頁も、福岡伸一氏によるより詳しい説明があり、参考になる。「食べた標識アミノ酸は瞬く間に全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となっていました。しかし、標識アミノ酸はそこにとどまることなくしばらくすると分解されて体外に排出されていったのです。つまり私たちの細胞を構成しているタンパク質は、アミノ酸のレベルで見ると、絶え間のない分解と再構成を繰り返しているということです。自動車のエンジンにたとえられた私たち生命体は、エンジンのようにパーツが機械的に組み合わさってできているのではなく、エンジンそのものがミクロなレベルで絶え間なく更新されている、そのようなダイナミズムの中にあるのです」だって。)
あああ、これじゃ、13日(土)のメモ書きまで手が回らない。
後は大急ぎでメモだけ。
…と思ったけれど、13日(土)の分は別記する!
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コメント
第8番「悲愴」、第9番、第10番&第25
良いものを聴かれてますね。最初のものは先日来の「情念もの」で、宇津井健の音大教授と曰くありの弟子百恵の「赤い情念」とかで弾かれそうですね。ベートーヴェン得意のハ短調であり、モーツァルトの先のソナタにも比較されるものです。その分、命名されて名曲の道を歩む運命にあった訳です。そして客観化の表現とその音楽的解決法が、創作の中期に至っては作曲家の主観として苦悩からの解放として物語を生むようになっていくのですね。
それに比べると次ぎの二曲は、ユーモアに溢れ、その素材から抽象に留められて、文学的な解釈を許さず、より味わい深い作曲になっています。そのためかこの二曲は、特に過去50年ほどは大ピアニストによって競って演奏されているような気がします。
諸井氏の解説はどんなものでしょう?
投稿 pfaelzerwein | 2007/10/16 01:14
pfaelzerwein さん
コメント、ありがとう。
小生は、過日のラジオでの仲道郁代さんの話を聴き、彼女のベートーヴェン・ピアノ全曲集を棚で目が付いたものを何枚か借りました。
その中で、今の所、このCDがお気に入り。この数日、聴きっ放しです。
個々の曲の内容に付いては何も言うことはありません。pfaelzerwein さんのさすがの説明、勉強になります。
ところで、ショパンの「悲愴」、彼女ではなく、他の方のピアノ演奏のCDを借りていたことが分かりました。
今度は、彼女の演奏で聞いてみたいものです。
投稿 やいっち | 2007/10/16 09:37