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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

Sdsc007091

← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

(再度、付記しておく。ここのところは記憶が曖昧で、「タイヤチェーンの脱着場」もしくは「チェーン装着場」と表記しているが、あるいは「トンネルに出入りする車両に対して、タイヤチェーンを脱着させることを目的に設置された」「関越トンネルの北(新潟県)側すぐのところに位置する」「土樽パーキングエリア」かもしれない。やたらと広かった、店も何もなかったという印象があるばかり。きっと雪のせいで建物があったとしても見えなかったのだろう。当時の小生の目には、「タイヤチェーンの脱着場」にしか見えなかった!)

 あっ!
 ズルッと滑って、呆気なく転倒。チェーン装着場を抜けて百メートルも走らないうちに早くも一回目の転倒。
 降り積もった雪に半分車体が埋まってしまう。
 ガソリンやオイル、後部のトランク内の荷物を合わせると、装備重量は三百キロは越えているだろう(乾燥重量で265kg)!
 重い。バイクを引き起こすのは要領があれば案外と簡単である。
 が、それは下が固い地面という条件のこと。下が砂場だったり、まして雪面だったりすると、コツは分かっていても、なかなか辛い作業。

 なんとか起こして恐々走り出す。滑っての転倒も怖いが、次から次へとやってくる数珠繋ぎの車たちが怖い(今、思えば車もこちらに神経を使ったろうと推察される…)。
 また、百メートルもいかないうちに転倒。
 何しろ車体重量が重いから、一旦、倒れ始めると人間の脚力では支えきれないのだ。まして、雪のせいで滑る際には勢いが付いていて、尚の事困難なのである。

 一キロも走らないうちに十回は倒してしまった。

 バイクを路肩に止め、空を憎憎しげに眺めるも詮方なし。
 トランクを開けてみる。何か紐がないかと。
 何でもいい、紐があったら、それをチェーン代わりにタイヤに巻くのだ。
 学生時代、雪の日の朝などは、タイヤに針金を巻いてチェーン代わりにし、大学のキャンパスへ向ったものだった。

 こうした難儀に遭遇した時、昔の経験が生きる。

 が、そう都合よく針金などあるはずもない。ガムテープはまさかの用心で常備しているが、他に紐などない…。
 すると、紐ではないが、ズボンのベルトがある。荷物を縛るための紐がある。などに気付き、その都度、タイヤに巻く。
 が、雪の中でそんなに早くは擦り切れたりしないだろうと期待するのだが、呆気なく切れてしまう。
 やはりバイクの重さが相当なものだということだ。自分の体(分厚い防寒着や手袋、合羽、ヘルメット、ブーツ、ブーツの上のゴムカバーなどなど)も合わせると四百キロ近い負荷がタイヤと路面との名刺大の接地面に掛かるわけだから、仕方がないのだが。
 ありったけの紐がぶち切れて、また、一キロを進むのに十回以上の転倒というカタツムリより情けない前進が続く。

 バイクのヨコを低速とはいえ、数珠繋ぎ状態の車がドンドン通り過ぎていく。
 渋滞というより、雪だからみんな慎重に走行しているということなのだろう。
 そして小生は誰よりも慎重に、というより、怖々走り続けている。倒れ続けている。
 
 関越トンネルを出てまだ十キロも進んでいないだろう。あと少なくとも五十キロはこんな走行を続けないといけない。

 雪は降る。あなたは泣きそうにバイクを転がす。滑るのを回避しようとする。
 そのうち、轍に乗り上げたせいで、バイクが路上を斜めに滑って、とんでもないことに片側二車線あるうちの真ん中の追い越し車線に入り、そこでも勢いがあってとまらず、とうとう、中央分離帯のガードレールにぶつかりそうになった。

 否! ぶつからないと止まりそうになかったのだ。
 が、幸い、ぶつからなかった。

 その代わり、中央分離帯付近にある側溝にバイクが突っ込んでいってしまった。
 中央分離帯付近にあるものを側溝というのかどうか分からないが、雪国であり雨水を処理するための溝なのだろう(推測)。
 こんなところに速攻があるなんて、小生は初めて気付いた。

 気付いたはいいが、バイクは立ち往生ならぬ転倒往生状態。溝の中に嵌まって、且つ雪があって滑って、バイクは押しても引いてもびくともしない。
 万事休す。
 もう、終りだと思った。三十代半ば過ぎでまだ体力はあったが、こんな状態ではお手上げだった。
 雪は降り続いていた。午後の二時頃だったろうか。

2005_12260020

→ 05年12月26日、富山にて。こうして見ると雪景色は綺麗なんだけど。

 もう、あとは野となれ山となれ、そんな自棄な気分だった。
 雪は真っ白だし、空だって白々しいほどに明るいのだが、心は沈鬱で真っ暗だった。

 車はドンドン行き過ぎていくばかり。
 誰も助けてくれない。
 
 どれほどの時間、呆然と立ち尽くしていただろう。
 そのうち、車が一台、止まってくれた。家族連れのようだった。中から男の人が出てきて、どうしましたと声を掛けてくれて、そしてバイクを溝から脱出させる手伝いをしてくれた。
 男が二人だと、脱出は呆気ないほどに簡単にできた。
 きっと、誰かの助けを得たことで気力が少し、戻ったのだろう。
 
 けれど、また、一キロについて十回以上の転倒という最悪の走行が延々と続く。
 まだ、五十キロ近く同じことを続けないといけない。途方に暮れる。徒労に泣きたくなる。
 自分はどうしてこんなに愚かな奴なんだろうと、つくづく呪う。
 でも、距離がそれで少しでも減るわけじゃない。

 カフカの「城」は、どこまで行っても辿り着けない話。
 一方、こっちの往生は、終いはあることはある。五十キロほど先のインターチェンジで降りるという目標が。
 でも、あまりにも遠すぎる目標で。昼前後だったかに関越トンネルを抜けて二時間で数キロも進めたかどうかなのだ。

 としたら、あと十数キロは一体、何時間を要するという計算に。
 且つ、体力がドンドン消耗していく。雪の中でのバイク起こしを既に百回以上、やっているのだ。
 この先、下手すると千回は転倒し、起こさないといけない?
 
 気が遠くなる。
 眩暈がしそうだ。


(「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇 」に続く)

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