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2007/10/25

「窓 辺 の 影」

[本稿は創作(旧稿)です。ただ、ふと、今の心境を現していると思えるので、旧稿を温める意味でもここに載せます。]

 何処ともしれない町を歩いていた。出歩くつもりなどなかったのに。
 北の方角の空を見上げると、ビルの屋上を覆うかのように、ボンヤリとした光があった。恐らくはその先に賑やかな繁華街でもあるのだろうと思われた。

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 俺は西に向って歩いていると思われた。背後の空の低いところに月が浮かんでいる。何処か赤っぽい印象を受けた。排気ガスで靄った大気が月を朧にさせている。そうでなかったら、まるで俺を追いかけるようにして何処までも付いて来る月に辟易したことだろう。

 でも、暈しの入った月など、屁でもない。ふん、何処までも、付いて来やがれ、である。

 もう、出来てから何十年も経つだろう黴臭そうなブロック塀に沿った道を歩いていた。街灯がないわけではないが、夏も終わりとなり、鬱蒼と生い茂った桜の葉っぱが光を地上へ届くのを阻んでいる。頭が蕩けそうなほど、蒸し暑い。
 道の先には蒼白いほどに照らし出された一角が望まれた。野球か何かのグラウンドだと思われた。こんな時間にも誰か使っているのだろうか。

 こんな時間…。一体、今は何時なのだろう。

 いや、そもそも時間を俺が何故、知る必要があるのだろうか。俺はただ生きている。宛てもなく歩いている。会う人も居ないし、それどころか会いたいと思う人さえ、いない。行きたいと思う場所もない。
 俺の周りの全てが、光の中にある。つまり、全てが明確な位置を保っている。自分が自分だと確信している。電信柱も、塀も、ゴミ置き場の看板も、飲み捨てられた空き缶も、放置された自転車も、吸殻さえも。

 俺は、晧々とした灯りで溢れかえっている一角になど、行きたくはなかった。その数十メートル手前の狭く暗い路地に入り込んでいった。もしかしたら何処かの民家への入り口なのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。今の自分は光が辛い。

 俺には何もない。というより、何もないとさえ思わない。
 何かがあるらしいのだけど、その何かが分からないだけなのかもしれない。俺には輪郭がない。もしも日の光を浴びたなら、その強烈さに圧倒されるに違いない。
 日の光どころか、街灯でさえ、その水銀灯の白けきった光で俺を凍て付かせるだろう。

 なのに…、路地裏を歩いていると、まるで俺の胸中を見透かしたかのように不意に庭先が光った。俺は慌ててその場を通り過ぎた。すると、しばらくして灯りは消え去ってくれた。

 センサーで光る軒灯りだったのかもしれない。
 センサーだけは俺を分かってくれる。俺にはセンサーに引っ掛かるだけの物質を持っているのだと告げてくれる。そうだ、俺が自分を曖昧だと思っても、物質の次元では、相も変わらず俺は俺なのだ。肉体の次元ではと言い換えてもいいのだろうか。心の次元ではと言い換えたら、図々しいのだろうか。
 そうだよな、心を感知するセンサーなんてものはありゃしない。

 路地を何処までも進んで行った。すると、棕櫚の木の葉っぱの先に窓明かりが見えた。
 灯りが、まるで闇の海へ投じられた救いの手のように思えた。そのつもりなどないのに、小さな木製のベランダの下に立ち尽くしてしまった。あの中に人が居る。誰かが息衝いている。誰かの生活がある。誰かの熱い思いがある。それとも死ぬほどに退屈な夢がある。あるいはアンニュイな放逸があるのかもしれない。
 ああ、その全てが俺には無縁だとは、俺には信じられない。
 何故に俺に繋がる世界が、この世の何処にもないのか。俺は一体、何処に居るのか。ここに居ることを知る奴が誰もいないとは、そんなことがありえるのか。あっていいのか。

 なんだか、無性に腹が立ってきた。石でもあの窓めがけて投げ込まないと気がすまないと思われてきた。そうすれば、その石ころが俺と窓の中の誰かとを固い絆で結び付けてくれるはずだった。

 俺は、周囲を見回した。
 ああ、なんてことだ、まるで誂えたように手頃な石ころが落ちているではないか。
 俺にそんなことをしろというのか。誰も止めないのか。止めてくれないのか。俺は石など投げたくはないのだ。俺が望むのは、ただ、人との関わりだけ。
 違う! 俺が欲しいのは、俺が世界と結びついている証拠。俺が世界の中で幽霊となっているわけじゃないという証明。俺にも人並みに光と影があるのだという実証。俺の影。生きて動いている俺の影。

 気が付いたら、俺は石ころを握っていた。

 本当に俺は投げるのだろうか。そんな悪夢があっていいのだろうか。他に手段はないのか。他に、この世に俺を必要とする誰かが居ることを確かめる方法があるんじゃないか。
 ないなら、せめて何処かの壁に頭をぶつければいいじゃないか。いつかみたいに、指の爪をコンクリートの壁に擦りつけて、そしていつしか爪が跡形もなくなり、やがて血が滲み、ついには桜色の血肉が噴出してくる。肉が抉れて、指先にドクッドクッという脈動を感じる。これが痛みだと感動する。そんな遊びに耽っていれば十分じゃなかったのか。

 俺は数を数え始めていた。あの窓に誰かの人影が現れることを期待していた。百を数えるうちに、誰かの影が蠢いたなら、その時は止める、何もしないで、悄然としてかもしれないとしても、黙って家に帰ることにする。
 俺はそう、決心した。

 まだ90以上ある。ゆっくりと数えている。ゆっくりと、ゆっくりと数えているのだ。なのに…。

 まだ、80以上ある。こんなにもゆっくりと、それこそ数を覚えたたての幼児のように、あるいは数を大きい数から小さい数へ逆に数えていくことを覚えさせられたあの懐かしい日々のように、一つの数と次の数との間に深遠が覗けて見えるほどに、ゆっくりと数えている。なのに…。

 まだ、50以上ある。なんという大きな数ではないか。50からゼロまでは、無限の距離と時間があるように思える。50と49の間でさえ、計り知れない断絶がある。
 どうして人は、そんなに簡単に50から49へと、身も軽やかに移って行けるのか。俺には、背丈よりも段差の大きな石段を飛び降りているように感じられるぞ。そこを乗り越えるのには、まるで我が家の二階の屋根からアスファルトの道路に飛び降りるほどの無謀な勇気が必要だと思われてならない。そうだろう? 
 俺は、あの頃、10から1までを逆に言うことができなかった。クラスで出来ないのは俺だけだった。今にして思えば、俺を教室の後ろに立たせるために、先生はわざとそんな質問をしてみせたのじゃなかったろうか。俺が先生を毛嫌いしていることを先生は気付いていた?!

 ああ、そんなことなどどうでもいい。もう、残りの数は、あと、10だ。
 なんてことだ。俺があの頃の俺だったら、きっと、10から先が言えなくて立ち往生したものだったろうが、今の俺は、いくらなんでも10の次は9であり、9の次は8であり、8の次は7であることを知っているし、口頭で言うことだってできる。
 俺の頭は正常なんだ。そうだろう。これだけのことができるなんて、たいしたものじゃないか。なのに、俺は役立たずなのだって。みんながそういう。分からない。俺は何故に人の役に立たなくてはならないのかが分からない。10から1までを逆に唱えてみせることができなかったガキの頃以上に俺には分からない。

 ああ、今は5だ。5の次は……。

 5の次は…、バカ正直な俺は4だと答えてしまう。誰も見ていないじゃないか。
 ガキの頃の俺に戻って、分からない振りをすればいいじゃないか。誰も咎める人などいないのだ。誰も俺に関心を持つ人が居ないというのに、数だけはクソ真面目に答える、なんて奇妙な光景だろう。

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 ああ、今は4だ。4の次は…、4の次は……。
 俺は手に汗を掻いていた。手に汗するほどに焦っていた。なんだってこんな惨めな思いをするのだろう。こんな愚かしいことをする奴など、この世に一人だって居るはずがない。
 誰か一人ぐらい、通りかかったっていいじゃないか。
 よりによって、こんな時に俺は放置されたままなのか。

 誰も見ていない。間違ったって、誰も文句を言う奴がいるはずがない。この闇の中の深い心の澱みの最中にいて、4の次を6と言ったって、構いはしないじゃないか。

 俺は後悔していた。間違えるなら、あの巨大な数だった95とか83の頃に間違えておけばよかったんだ。そうでなければ50を越えた数のうちに、58の次は、何故か85と言ってしまって、あ、間違ったと内心、思って、それでいて、お前はわざと間違えたなという良心の声に咎められたって、何が問題だったのだ。
 開き直ればいいじゃないか。それを真っ正直に、ここまで来てしまうなんて。

 4の次は……。
 そう、それしかない。脳裏に3という数字が浮かび、ついで、サ、と言いかけたその時だった、窓辺に人影が過ぎった。ああ、天の救いだ。天は我を見放さずだ。俺はその場を一目散に逃げ去った。

 はるかな我が家への道々、内心、あれは本当に人影だったのだろうかと疑っていた。あれは、分厚い葉っぱが揺れて、葉々の塊の舌先が窓の一部をを一瞬、隠したのに過ぎなかったのではなかろうか。
 そんな疑惑に心を苦しめられながら、俺を嘲笑うかのような赤っぽい朝の陽に急きたてられつつ帰り道を急いだのだった。

                       (03/09/11 up済

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