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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

 疲れは体の芯を突き抜け、全身の感覚が麻痺していたんじゃなかろうか。
 あるいは自らの神経を麻痺させ感覚を鈍らせることで状況の過酷さを幾分なりとも緩和しようとしているのだろうか。
 
 気がつけば日が暮れ始めている。
 そして、ようやく次の降り口への案内標識が出た。
 けれど、それはあと十数キロと表示されている。
 この瞬間が一番、辛かったような気がする…。

料金所通過が難関でした

 けれど、試練はまだまだ待っていたのだった。

 この後、自分を待っていた試練からすると、今までのはほんの序の口だったったのである。

 先に進む前に、小生が雪に難儀した関越自動車道の「湯沢IC~塩沢石打IC」間の距離を数字で示しておく。
「湯沢IC~塩沢石打IC」というが、実際には、下りの関越自動車道の、(少なくとも感性当時は)日本最長と言われた関越トンネル(全長:約11km) を抜け出た直後から降雪と積雪の道を走るという困難が始まったわけである。

 自分でも分からないのだが、下りの関越トンネルを抜けると「チェーン装着場」(あるいは「土樽パーキングエリア」)があり、そこは高速道路から降りられないとして(バイクを置き去りにすれば別だろうが))があり、次には湯沢IC/BSが当時もあったはずなのに、何故に降りなかったのかということだ。

 降りられなかった? 
 それとも、一般道に下りたほうが雪の中のバイク走行には辛いと判断した?
 まさか、雪のせいで、IC(高速からの出入り口)に気付かなかった?!
 この点が記憶が曖昧なのである。

 ただ、降りられなかったという可能性は、十分にありえる。

 自分の中の記憶では、塩沢石打ICの出口で降りたはず。
 が、そのある意味、希望への脱出口である降り口を抜け出るのにあれほど難儀するとは、想像もしなかった。
 
 何故に単に高速道路(思わず拘束道路と書きたくなる!)から降りるだけのことに苦労を強いられたのか。
 それは、高速道路から出口(つまり、料金所)への緩やかにカーブする道が、実際にはスロープになっている、つまり、緩やかではあるが上り坂になっているのだ。

 上り坂と言うけれど、普段なら上りと気付かない程度の緩慢な上りに過ぎない。
 が、時間は宵闇が辺りを覆っていて、路面が既に凍結し始めている。
 チェーン錠をリアタイヤに巻いているとはいえ、タイヤが滑る!
 そう、ズルズル滑って登れないのだ。ちょっとでも勢いで登ったら、その反動で今度は滑り降りようとする。
 何度か同じことを繰り返し、とうとう乗車しての脱出は諦めた。
 これ以上、無理を重ねると、凍り付いた路面を滑るばかりではなく、転倒の憂き目に遭うのは必定である。
 もう、転倒など嫌だ! 雪面での転倒なら、もう慣れっこだが、氷上での転倒は手足などへのダメージは避けられない。自分の体だけじゃない、バイクへのダメージも相当に覚悟しないといけない。

 バイクのダメージ。
 その年の8月5日(本田総一郎氏の命日)に入手したばかりの新品のバイクは、特にカウリング(車体を覆うボディ)のウイング部分が相当に損傷している。バックミラー(サイドミラー)も、車体から脱落しそうになっている。辛うじてサイドミラーのウインカーに繋がる電気コードのみで落下を免れている惨めな状態なのである。
 エンジンやギアやハンドルなどに損傷が及んでいないだけ、まだラッキーと思わないといけないのかもしれない。
 オイルやガソリンが漏れなくて良かったと(今になって思ったりしている。今更、気付いてどうする!)思うべきだろう。

 雪の中とはいえ、何百回も転倒して、まだ、動くことは動く(ついでながら言うと、その後も8年間、乗った)!
 さすが天下のホンダだ(乗り手を選べないのは申し訳ない)!

 さて、小生、とうとうバイクを降りてしまった。バイクを押して登ることにしたのだ。が、凍結した路面をバイクを押すのがこんなに辛いとは思いも寄らなかった。
 重いのだ。
 確かにドライの時でも、緩やかな坂道であろうと、車重のあるバイクを押して登るのは重いってことは経験からして分かる。
 が、その比ではなかった。

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→ これも同じく92年に色鉛筆で描いたもの。モデルは、哲学者のカール・ヤスパース! その姿勢の誠実さやドラマチックな人生、特に高校時代から傾倒していたキルケゴールとの絡みもあって、大学に入って間もない頃の一時期、読み浸った。『現代の精神的状況』や『哲学とは何か』、『理性と実存』、『ニーチェ』などを読んだ。彼は今日、読まれているのだろうか。ちなみに、絵を描くという試みそのものは92年の一時期だけで終焉した。92年の後半からは、もっと厄介なことに巻き込まれ、絵を描くという作業療法も効果がなくなってしまったのである。 →当然ながら、これも72年の秋口に描いたもの。小学生の5年か6年になりたての頃までは、小生の夢は漫画家になることだった。でも、絵が下手ということもあるが、それ以上に自分で自分の絵に生気を感じられなくて、あっさり諦めた。絵画を観るのは、中学生の頃から好きだったけれど、自分が描くということは考えられなかった。実際、大学入学当初の頃は、折々、悪戯程度に色鉛筆で絵を描いていたけど、下手さ加減にうんざりして、やはり、自分は観るほう専門だと思い定めた。72年に描いたということなら、モデルがカール・ヤスパースだってのも、納得がいく。70年代後半にはヤスパースへの関心は自分の中で薄れていたから、90年代に入って改めて彼に関心を持つ理由が見当たらないし。でも、自分の記憶力の弱さ、いい加減さにガッカリ。

 一気に勢いで登ろうと思っても、一メートルも前進できないのである。
 それどころか、動いた反動でやはり後戻りしズルズル滑り落ちそうになるし、下手すると倒れそうなのをるの堪(こら)えるのがやっとだったりするのだ。

 夕闇の中、長いスロープを遥か先の料金所(実際にはそこは高速道路の本線を降りてから料金所までの道は比較的短いほうだったかもしれない)を眺める。
 そう、気分的にも肉体的にも遥か先、遥か山の上に霞んで見えるようでもある(また、微かに脳裏の片隅でカフカの『城』を思い浮かべたり…)。
 
 ただ、疲労困憊どころか、まだ余力が自分にあることに我ながら驚く。
 思えば、食事どころではなかったから、東京の自宅を出てからは口には何も入っていない。午前に食事したのは十時前だったはず。飲み物も食事の際のお茶以来、一滴も口にしていない。
 せいぜい、溶けた雪が口から入っただけか。

 疲労もあり、空腹でもあったのだろうが、空腹だってことにさえ、気付かなかった。
 凍結した路面は街灯の光を白々しく、薄ら寒く跳ね返している。固く固く凍結していると嫌というほど、気付かされる。

 高速道路の本線を降りて、こうして料金所へのスロープを押し続け、かれこれ一時間以上、格闘してしまった。

 しかも、料金所でおカネの支払いを済ませて(バイクだと支払いがまた面倒なのである。
 真冬だし、分厚いグローブを嵌めている。それを凍える手でやっとのことで剥がすように取り、真っ赤になった手と指でおカネをグローブボックスから抜き出す。
 お札を掴んでいるという感覚がない!

 だから、料金所を出た時の解放感といったら!

 ああ、やっと、一般道だ。きっと、GSもあるに違いない。宿もあるだろう。炬燵に入れる。飯も食える。
 
 けれど、そんな期待がいかに甘いかをまたまた嫌というほど思い知らされることになるのだった。


雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」へ続く。

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コメント

やいっちさん、お久しぶりです。先日はTBしていただいたのに返事ができなくてすみませんでした。やいっちさんのブログの記事は内容が多岐にわたっているので、コメント入れたいと思っても内容を咀嚼するのが大変なので私のような半端もんにはなかなかできないのです(^^;。
やいっちさん、絵がとてもお上手なのでびっくりしました!こういう言い方は失礼だと思いますが、文章しか書かれないと思っていたので…。絵も是非がんばってください(^^)。

投稿: magnoria | 2007/10/27 09:24

このシリーズ、ハラハラしつつ拝読しています。
さて、一般道ではどんな試練が待ち受けているのか。
早く続きが読みたい!――「遭難未遂事件」当日の弥一氏には申し訳ないですが。

投稿: ゲイリー | 2007/10/27 09:44

magnoria さん
TBだけしてごめんなさい。
magnoria さんのサイトは折々覗かせてもらっています。日頃の苦労や努力は敬服するばかりです。
小生が知らない方やサイトの紹介があって勉強にもなります。

コメントについては、余計なお気遣いは無用ですよ。
ネットは、気軽に楽しむつもりで、のんびり、ゆったりがいいと思います。
気が向いたときに、文章などにはお構いなしで構わないので、画像を見て、画像へのコメントだけでも大歓迎です(というか、そのつもりで、画像は時に本文に関係なく載せることがあります)。

絵、褒めてくれてありがとう。
でも、これは箱庭療法的に、単発で描いたもの。
これら以前は、プライベートで描いたというと、学校の授業を除くと、小学校以来だと思います。

昨年、ちょっとトライしたけど、長続きしなかったし。

あの、文章も、駄洒落系やシリアスな短編も書いていますよ:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/

投稿: やいっち | 2007/10/27 11:43

ゲイリーさん
コメント、ありがとう。
読んでくれる方が一人でもいると思うと、書くほうも遣り甲斐があります。

ドキュメントなので、正確を期して書きたく、資料を発見したら書こうと思っていたのですが、未だに当日の日記の所在は不明。
この遭難未遂があった当日の夜に日記に(当然、紙の日記)炬燵に体と心を暖めながら、せっせと書いたものでしたが…。
でも、資料(日記や当日の高速券、領収書などなど)が見つかるのを待っていると、いつまで経っても書けそうにないので、若干、曖昧な表現でやり過ごしつつという形になりますが、とりあえず、メモ程度でも書き残しておこう。
記憶の曖昧な部分、時間やそのほかの事実関係の傍証については、後日、このデッサン的なドキュメントの訂正・補筆などの形で脇を固めていこうと思った次第です。
(その頃はカメラを持っていなかったので、画像が全くないのが物足りない)
あと、2回くらいで終えたいと思っていますが、さてどうなりますことやら。

投稿: やいっち | 2007/10/27 11:51

(余談)
今、「関越自動車道」でググッてみたら、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)」が30番目に浮上してきた。
でも、Yahoo!だと300番目まで見てみたけど、引っかかっていない。
この違いは何?

投稿: やいっち | 2007/10/27 13:16

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