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2007/10/31

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇」より続く)

 ああ、やっと、一般道だ。きっと、GSもあるに違いない。宿もあるだろう。炬燵に入れる。飯も食える。
  けれど、そんな期待がいかに甘いかをまたまた嫌というほど思い知らされることになるのだった。

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→ 05年末、郷里にて。

 やっとのことで料金所を通過したはいいが、そこから一般道へは緩やかにカーブしており、さらに普段だと下りだとは分からないようなスロープ状になっている。
 怖い! 下りだと動かすのは楽だけれど、一旦、動き始めると今度は止まらない!
 ブレーキを下手に掛けられないので、可能な限りゆるゆる降りようとする。
 とにかく、下りは凍結した路面だし、怖い!

 幸い、同じ塩沢・石打の料金所で降りる車が少なかった。確か、一台だけ、脇を通り越して行ったように思う。路肩の街灯が降り頻る雪の路面や積もった雪をオレンジ色に染めている。
 水銀灯ではない、オレンジの暖かな光。
 でも、自分の心や体を温めてくれるわけでは、一向にない。

[ここで、「舞子ライブカメラ」を見てみよう。小生がやっとの思いで高速道路を脱出した関越自動車道の塩沢石打I.C直近の交差点の様子をライブカメラで眺めることができる。できれば、画面をクリックするといい。この交差点に辿り着いた時は、きっと間もなくGSかオートバイの店が見つかるものと思っていた…宿だって見つかる…飯にありつける…炬燵に体ごと突っ込める…眠れる…そう思っていたのだが…。]

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2007/10/30

北部九州アート・トライアングル:高島野十郎展

 高島野十郎ファンなら知っていると思うが、九月末から「北部九州アート・トライアングル」と銘打って、福岡で野十郎作品の巡回展が開催されている。

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← 画像は、「平成19年 秋季特別展 『母の故郷秋月・高島野十郎』」より(ホームページは、「甘木歴史資料館」)

 既に、「春日市ふれあい文化センター」及び「福岡県立美術館」での展覧会は終っている。

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2007/10/29

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(前編)

 さて、ようやく本題である。
 その言葉とは、「種月耕雲」か「釣月耕雲」かのいずれかだったと思う。
 掛け軸である。楷書体で書いてあるわけではない。まして、小野田官房長室の壁の掛け軸には、何々という文句が書いてありました、などと番組が終った時点で教えれてくれるわけもない。

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← 高取焼陶芸家・亀井味楽書「釣月耕雲」(画像は、「亀井味楽・「釣月耕雲」」より。ホームページは、「聚雲堂ホームページ・京都・古今書画処」)

 電話でテレビ局に長官室の壁に掛けてあった掛け軸の言葉について教えてくださいって、電話する?!
 小生、電話するの嫌いなの!
 電話で訊くくらいなら、回り道でも自分で分かるところまで調べる!

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「夜という海」アップ

「夜という海」書いた」でお知らせしていた、短編「夜という海」アップしました。

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2007/10/28

塵も積もれば…小銭の話

 以下は、「もとが両替商だから - J次郎2nd(じじい)のメモランダム - Yahoo!ブログ」なる記事へのコメントです。
 小銭の両替の話だが、なかなか面白い話になっている。

 本文にも載っているが、先ごろ、小ネタとしてちょっと話題になった下記のニュース(事件)が話題の背景としてある:
両替手数料高すぎる 銀行で逆上した男逮捕 西宮」(eo NEWS EXPRESS - 神戸ニュース

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→ 眼光鋭い、怪しい目?!

 冒頭のブログの記事は消えないが、ニュース記事はそれほどの日にちが経過しないうちに読めなくなる恐れが大きいので、一部なりともここでも転記しておく:

 銀行で小銭を両替する際の手数料の額に逆上し、行員のネクタイを引っ張ったとして、甲子園署は二十五日、暴行の現行犯で、西宮市内に住む自称新聞販売店従業員の男(28)を逮捕した。

 調べでは、男は同日午後二時四十分ごろ、同市内の三菱東京UFJ銀行甲子園支店の窓口で、現金三百五十円を五円硬貨七十枚に両替しようとしたが、手数料が三百十五円かかることを聞いて逆上し、窓口の行員に詰め寄り、止めようとした男性行員(53)のネクタイを引っ張った疑い。

 同行のホームページによると、両替手数料は五十枚までは無料だが、五十一枚以上は三百十五円かかるという。
                        [神戸新聞社]


「両替手数料は五十枚までは無料だが、五十一枚以上は三百十五円かかるという」……空恐ろしい話だ。
 銀行側にすれば、人件費が掛かるとかいろいろあるのだろうが、まあ、邪推すれば、敷居を高くして、労多くして実入りの少ない客は相手にしないということなのだろう(そうとしか思えない。貧乏人の僻みかもしれないが)。

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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

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2007/10/26

「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)

 事情があって、柄にもなく勉強漬けの日々である。といいつつ、手を休めてネットに音楽に窓外にと、集中が途切れる時間のほうが遥かに多いのは、否定しきれない…。
 食事の時間だからという理屈を付けて、テレビのスイッチをオン!
 モバイルのテレビなのだが、すこぶる調子が悪く、画面が出るまで下手すると十分以上もかかる。木曜日の夜にはとうとうダメになってしまった。
 そう、木曜日の夕方くらいまでは、辛うじて観ることができたのである。

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→ 何故か今年三月の画像。一番星なのかどうか。

 尤も、今だって、テレビを見ることはできる。何もテレビ自体が消え去ったわけではないのだから、小さいとはいえ、テレビ本体は今だって見ることができる。
 ベランダには十年近く頑張ってくれていた14型のテレビが雨風に耐えて、今も静かに眠っている。
 ブラウン管が6年か7年前にプッツンしてしまったテレビ。
 それがベランダで突然、音声を発したら、こっちが驚く。何たって、ブラウン管が可笑しいし、そもそも、電源のコードは故障した怒りに任せて引き千切ってしまっている。

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2007/10/25

「鳥の餌」へのアクセス

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 何故か、一昨年に書いた幻想風なナンセンス小説「鳥の餌」へのアクセスが多い。
 多分、「鳥 餌」などのキーワードでの検索でヒットしちゃうんだろう。
 せっかくなので、画像をサービス!

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「窓 辺 の 影」

[本稿は創作(旧稿)です。ただ、ふと、今の心境を現していると思えるので、旧稿を温める意味でもここに載せます。]

 何処ともしれない町を歩いていた。出歩くつもりなどなかったのに。
 北の方角の空を見上げると、ビルの屋上を覆うかのように、ボンヤリとした光があった。恐らくはその先に賑やかな繁華街でもあるのだろうと思われた。

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 俺は西に向って歩いていると思われた。背後の空の低いところに月が浮かんでいる。何処か赤っぽい印象を受けた。排気ガスで靄った大気が月を朧にさせている。そうでなかったら、まるで俺を追いかけるようにして何処までも付いて来る月に辟易したことだろう。

 でも、暈しの入った月など、屁でもない。ふん、何処までも、付いて来やがれ、である。

 もう、出来てから何十年も経つだろう黴臭そうなブロック塀に沿った道を歩いていた。街灯がないわけではないが、夏も終わりとなり、鬱蒼と生い茂った桜の葉っぱが光を地上へ届くのを阻んでいる。頭が蕩けそうなほど、蒸し暑い。
 道の先には蒼白いほどに照らし出された一角が望まれた。野球か何かのグラウンドだと思われた。こんな時間にも誰か使っているのだろうか。

 こんな時間…。一体、今は何時なのだろう。

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2007/10/24

「新作駄洒落ネタの数々」披露!

新作駄洒落ネタの数々」アップしました!
 自分は真面目だと確信している方は覗かないように!

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雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/23

「夜という海」書いた

Mystery Circle 10-27締め切り分出題」参加作品を書きました:
夜という海

 ルール上、公表は後日となります。(07/10/29にアップしました!)

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→ 一昨年の師走、未明の都内某住宅地にて

 主旨については、「Mystery Circle 10-27締め切り分出題」を御覧願います。

 小生に付いては、作品の冒頭と文末が下記と決まっています:
また長い夜になる」から始まって「もう水をやろうと元には戻りませんでした」に終る。

 締め切りは上記のように『10月27日(土)21:00』で、まだ時間的余裕はあるのですが、私事の都合上、小生は今日がタイムリミットだったので、夜半にせっせと書きあげました。
 まあ、例によって変てこな作風なのは間違いない!

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2007/10/22

プルーストとシャルダンと…

 10月15日、月曜日は「ほとんど月に一度の楽しみとなっている、ベリーダンスのライブを楽しんできた」。
 当然ながら、往復共にバスや電車である。
 今や自宅では事情があって読書する時間の取れない小生、そういった車中が貴重な読書の場、移動する書斎となっている。

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← シャルダン「えい」(画像は、「アート at ドリアン 西洋絵画史」の中の、「シャルダン」より)

 その日、手にしていったのは、文中にあるように、マルセル・プルースト著『評論選Ⅱ 芸術篇』(保苅瑞穂編 ちくま文庫)だった。 
 車中では、ここでは採り上げないがレンブラントとシャルダンとについての批評で、読むのに夢中になり、また電車を乗り越しそうになった。

 再読となる本書についての感想は、以前、書いたことがあるし、改めて書く機会があるかどうか分からないが、前回読んでの感想では触れることの出来なかった、本書の中でプルーストが絶賛しているシャルダンのことをちょっとメモしておきたい。
 シャルダンといっても、『現象としての人間』などで有名な、カトリック思想家のピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年4月10日)ではなく、ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 - 1779年12月6日)である。

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2007/10/21

受肉された吐息

 青い空を見る。青い海を見る。その狭間を海鳥たちが舞い飛ぶ。遠くには幽かに不二なる山の優美な姿も望める。
 空には白い雲。海辺には寄せては返す波。浜辺に沿って緑なす松の並木が何処までも続いている。そして頬を撫ぜる潮風と、その香り。

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 絵のような美しさ。それとも写真のように木目細かな像。心地よさ。
 なんだか、倒錯したような表現だ。眼前に広がる光景を愛でていれば、それで十分じゃないか。何を殊更に人の手で描き叙する必要があろうか。

 言葉や描像で示すのが、余計だと言うなら、音楽はどうだろうか。情景をより豊かに、情緒に満ちて眺め入ることができるではないか。
 が、でも、やはり、眼前の世界を描き切りたい、しっかりと把握したい、理解したい、手中にしっかりと確保したい。それには、結局は言葉に行き着いてしまうのである。

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/19

水、海、と来ると、次は雲である!

[本稿は、「雲行き怪しき禁書(?)の禁(1)」の続きである。]

雲行き怪しき禁書(?)の禁(2)
  ~~水、海、と来ると、次は雲である!~~

 何年か前、NHK総合テレビの特集だったと思うが、(正確な題名は忘れたが)「深層海流二千年の大航海」といったテーマの番組を見たことがある。

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→ 10月18日の夕刻。雲の多い日で、時折、小雨も。雲の画像を得ようと空模様を写そうとしたら、月影が微かに…。

かがく用語集 深層海流二千年の大航海」(ホームページは、「NHKオンライン」)なる解説を読んで欲しいが、ここでは以下の点だけ転記する:

近年、深さ数千m~1万mもの深海に、ごくごくゆっくりとした海水の流れがあることがわかってきました。その流れは、場所ごとに決まった方向を持ち、約2000年で海洋を一周する循環をつくっています。この深層水は北大西洋で作られ、その循環が気候の安定化に重要な役割を果たしていることがわかってきました。

 深層海流…約2000年で海洋を一周する循環…これだけでも軽い眩暈の起きそうな話だ。
 以前、富士山頂に降った雨(雪)の水が富士山に浸透し、麓で湧き水として顔を覗かせるまでに千年の歳月を経るという話を初めて聴いて知った時の驚きにも匹敵する。

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木原光知子さん、死去!

 10月18日未明、木原光知子さんが亡くなられた(本名は「木原美知子」)。くも膜下出血のためという。
 享年60(59歳没)というのは、あまりに若い。若過ぎる!

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← 16日の営業も終わりに近付いた17未明。都内某所にて。ぼやけてしまった…。

 小生は彼女と面識があるわけではない。
 でも、彼女のテレビでの一言のお蔭で泳げるようになったと思っている:
泳げたぞ!

 ひたすら冥福を祈るばかりです。

参考
木原光知子さん死去…東京五輪競泳代表、タレントでも活躍」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007/10/18

雲行き怪しき禁書(?)の禁(1)

禁書(?)の禁を自ら犯してしまった!」なる雑文を綴ったことがある。
「禁書(?)の禁」と(?)を付したのは、言葉の使い方としてやや妥当性を書くからである。
 つまり、この拙稿では、本を買わないと三年前の四月に決めた誓いを自ら破ってしまったという話なのである。
 まあ、あまりに面白い本が、且つ、読むのに事情があったにしろ多少時間を要する本の登場が罪で、余儀なく買ってしまったのである。

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→ 昨年11月の某日。不穏な雲行きの空。

 さて、第二弾というわけではないが、また、「禁書(?)の禁を自ら犯してしまった!」なる拙文を綴ることになりそうである。
 といって、また面白そうな本、且つ蔵書として傍に置きたい本に出会ったということではなく、小生にとっては大切な試験がいよいよ来月に迫っており、今月末には模擬試験が予定されていたりして、本来、本を読むことに時間を割く余裕などあるはずがないのだし、あってはならない、でも、やはりこの期に及んでも本は手放せないし、それどころか、今日も図書館に行って、期限が来ていて返却すべき本やCDを返却したのみならず、CDだけならまだしも、ついつい本を物色し、借り出してしまったのである。

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2007/10/17

亀田の困った話?!

[今日の記事は、[mixi] に書いた今朝の日記を転記。]

亀田「柿の種」が小生のマイブーム! 今年の夏前から今に至るまで、やめられない。 在宅の日は、必ず食べる! ボリボリバリバリガリガリ…延々と。
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← 「260g スーパーフレッシュ柿の種6個装」(画像は、「亀田の柿の種スペシャルサイト」より。ホームページは、「亀田製菓株式会社」)「ピーナッツのおいしさUP!おやつにおつまみにいろいろな場面で大活躍の6分包入りの柿の種です」だって。

別にあの一家が憎くてボリボリガリガリバリバリしているんじゃない(嫌いだけどね)。
止められないの。

昔から嫌いじゃなかったけど、亀田の柿の種、柿の種とピーナッツの混ぜ具合が絶妙なの。
正確に言うと、柿ピーなんだろうけど、商品の名前が「柿の種」となってるから、柿の種。

ああ、止められない。
ガリガリボリボリポロッバリバリ(ポロッは、柿の種が一個、口から落っこちた音。もち、拾って食べる! 勿体無いじゃん)。
柿の種、食べすぎで体がおかしくなるってこと、ないよね。

調べたら、柿の種(ピーナッツなし)は1923年に、で、柿ピーは1955年に誕生。

今は塩だれ、ワサビ、チョコレート、マヨネーズ、青のりと、いろんな味付けの柿の種があるけど、小生は昔ながらの醤油味!

今日も、一眠りして起きたら、食後に棚に常備してある柿の種を食べるに違いない!

(夜は夜で、カップ麺! 営業の日の夜中にあるメーカーのカップ麺を食べて壺に嵌まってしまった。で、とうとう、最近は自宅でもそのある銘柄のカップ麺を食うようになってしまった。どうしたものか?!)

(余談)
あの、ちょっとだけ気になるんだけど、「亀田製菓株式会社」とあの亀田一家とは関係ないよね。
                        (転記終り)

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2007/10/16

ラジオ聴き、右の耳から左へと(2)

 ほとんど月に一度の楽しみとなっている、ベリーダンスのライブを楽しんできた。
 二人のベリーダンサーの踊り。それぞれに個性が大分違っていて、その二人を代わる代わる単独で、あるいは二人同時でという形で見ることができた。
 今は感想を書く余裕がない。

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→ 日本で初めてのベリーダンス専門誌が誕生! 『Belly dance Japan ベリーダンス・ジャパン Vol.1』(ムック、イカロス出版 9月7日発売) これは創刊号。残部少なし!

 数年前、あるサンバダンサーの屋内でのライブを見て書いた感想の一部を転記しておく:

 踊りの世界はまさに踊りの世界として自らの目と肌と体で受け止めるしかないのだろう。それは音楽に感激し、メロディーラインに乗り、リズムに体が揺さぶられる、ただ、そのことを堪能するようなものだろう。曲を聴いて、それなりの分析や薀蓄などを傾けられるのかもしれないが、まずは、聴いて(あるいは歌っているところを見て)楽しめるかどうか、なのである。

 あるいは、そんなことの一切は、まるで見当違いであって、大地というより、この世界、この宇宙そのものをイメージしているのかもしれない。それとも、大地から宇宙へ至るエネルギーの通路としての自らの体を意識しているのであって、踊るとは、そのエネルギーの充溢と発散のことなのかもしれない。つまりは、自在に動く体への喜びなのかもしれないし、自らの肉体と大地や世界や宇宙との交歓そのものを実現させているのかもしれない。

 むしろ、時に体をしなやかにくねらせるダンスを眺めながら、アフリカの乾いた草原を豹かライオンのような猫族の猛獣が、特に獲物を狙うでもなく、ただ足音も立てずにのし歩く、その様を想ってみたりしただけだ。白っぽい土煙。吹き抜ける熱い風。何処か血生臭かったりする大気。容赦なく照り付ける太陽。影と日向との輪郭が、匕首よりも鋭い大地。
 肉体。人間は、どうしても、モノを想う。思わざるを得ない。言葉にしたくてならない。
 言葉にならないことは、言葉に縋りつくようにして表現する奴ほど、痛く骨身に感じている。

肉体は、肉体なのだ。肉体は、我が大地なのである。未開のジャングルより遥かに深いジャングルであり、遥かに見晴るかす草原なのであり、どんなに歩き回り駆け回っても、そのほんの一部を掠めることしか出来ないだろう宇宙なのである。
 肉体は闇なのだと思う。その闇に恐怖するから人は言葉を発しつづけるのかもしれない。闇から逃れようと、光明を求め、灯りが見出せないなら我が身を抉っても、脳髄を宇宙と摩擦させても一瞬の閃光を放とうとする。

 踊るとは、そんな悪足掻きをする小生のような人間への、ある種の救いのメッセージのようにも思える。肉体は闇でもなければ、ただの枷でもなく、生ける宇宙の喜びの表現が、まさに我が身において、我が肉体において、我が肉体そのもので以って可能なのだということの、無言の、しかし雄弁で且つ美しくエロチックでもあるメッセージなのだ。
 そんなことを思わせてくれた裸足のダンスなのだった。
                (「裸足のダンス」より転記)

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2007/10/15

ラジオ聴き、右の耳から左へと(1)

 仕事中、ラジオで聞きかじった話を幾つか脈絡なくメモっていく。

● 11日(木)もそろそろ仕事が終わろうという時間帯だったと思うが、スポーツ放送の実況中継などで有名な、今はフリーアナウンサーの鈴木 文弥(すずき ぶんや、1925年 - )さんへのインタビューを聞いた。
「特にオリンピックでは1964年東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、全日本女子バレーボールチームが金メダルを獲得した試合の実況を担当。「金メダルポイント」、あるいは体操の「ウルトラC」という名言を発したことでも知られた。ほかに1970年・1971年のNHK紅白歌合戦で総合司会と実況を務めた」という人物である。

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← 「円谷プロダクション公式Webサイト Tsuburaya Station Web」参照

 我々の世代だと同氏はとても懐かしい存在でもある。
 今、またオリンピックを東京に招致しようと都知事らが頑張っているらしい。
 でも、せめて今世紀の後半くらいまではオリンピックは日本に来なくていいと思う。発展途上国でこそ、開催して欲しいと思う。
 そう、思わせるのは、1964年東京オリンピックがあまりに素晴らしかったという印象が今も鮮やかだからだ。
 その印象の一端を鈴木 文弥さんの実況が担っていたと思う。

 さて、いろいろあった中で、ちょっと、おやっと思ったのは、「ウルトラC」の話。

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2007/10/14

冤罪を晴らす日まで生き延びろ

富山冤罪事件」(「たむ・たむ(多夢・太夢)のホームページへようこそ」)が富山のみならず、全国区で話題になっている。
 もう、今日にもニュースの報道対象のメニューからは外れていきそうだけれど。

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→ 10月5日、都内某所にて。

 富山、そして冤罪事件ということで、主にラジオではこの話題がニュースで流れると、可能な限り耳を傾けてきた。
 けれど、それだけだったら、小生がわざわざブログで採り上げたりはしなかったろう。小生が関心を向けている話題は、「海自給油の「転用疑惑」、参院でも民主追及の構え」(「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」)など、数々ある。
 ただ、敢えて書かないだけである。

 給油活動の話題に付いても、一言、言いたいことはある。
「インド洋での海上自衛隊の給油活動継続問題で、民主党は海自が供給した燃料のイラク戦争への「転用疑惑」を参院でも追及する構えだ」というが、転用云々など、小生に言わせれば笑止な話だ。
 海上自衛隊が給油した燃料が直接にはイラクに向うアメリカ軍の艦船に転用されようが、アフガニスタンでの活動にしか使われていなくても、実質、アメリカ(軍)の仕掛けた(失敗に終った)イラク戦争に間接的にサポートすることになっているのは明らかではないか。

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雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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2007/10/13

霧の作家・宮本秋風の周辺

 ある小冊子を見ていたら、とてもいい木版画を見つけた。
 いい木版画家を見つけたというべきか。
 それは、宮本秋風(しゅうふう)という作家(木版画家)。作品名は「雨音」である。名前だけは聞いたことがあるが、ネット上に限っても多少なりとも纏まった形で作品を見たことはない。
 まして、覚束ない記憶ながら、実物を見る機会にはまだ恵まれていないはず。
 宮本秋風氏は世間的はどれほどの認知度があるのか。既に結構、知られている?
 せっかくなので、紙上にて(パソの画面上にて)宮本秋風氏の世界を楽しませてもらうことにしよう。

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→ 宮本秋風「川霧」(画像は、「東京書芸館」より) クリックすると拡大する。画面の中央に小舟と人影が見える…だろうか。見えるはずである。これが《ぼかし》の技法なのである!

 小冊子とは「しょげい倶楽部」(「東京書芸館」が発行元)。内外のいろんな作家の作品を紹介してくれている。
 小生には到底、手の出ない作品ばかりだが、眺めて楽しむ分には有り難い冊子である。

 以前、この冊子を通じて知った王子江の『天地斎徳 日月同明』 を紹介したことがある:
王子江『天地斎徳 日月同明』を巡って

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2007/10/12

雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)

ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。

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← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。

 一部、転記させてもらう:

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。

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2007/10/11

日記と虚構の間を行ったり来たり

 内田康夫氏著の『 喪われた道』(角川文庫)を水曜日、読了した。
 本書に付いては、「サンバのため真面目にサボりました!(前篇)」の中で言及している。
 というのも、所沢でのサンバパレードへの電車での移動中に読み始めていたからだ。

 上掲の日記風レポートから関連する箇所を転記する:
2007_1006071003tonai0022

→ 10月6日の朝。都内某所にて。あと少しで朝焼けが望めたのだけど…。

 多少、迷ったが、電車の中では落ち着かないだろうということで、読みやすそうな内田康夫著の『 喪われた道』を選んだのだった。

 小生は、内田康夫さんのファンなのである(その理由の一端は、「同姓同名に惹かれて、あるいは杜の都」に書いた。内田康夫さんの本についての書評エッセイは、他に「内田康夫著『箸墓幻想』」などがある)。

 ちなみに、「内田康夫公認 浅見光彦倶楽部公式サイト」である「浅見光彦の家」で得た情報に拠ると、「中村俊介氏主演14作目となる、フジテレビ系列の浅見光彦シリーズ第28弾は『喪われた道』に決定しました。 だって!!
 偶然とはいえ、嬉しい情報である。
 この日記風レポートを書くための画像処理作業に相当程度時間が掛かったこと、そして昨夜来の疲れもあり、『喪われた道』はまだ、昨日、帰路の電車で読んだところで止まったままで、読了はいつになるか(つまり、次の外出がいつになるか)分からない。
 とにかく、本書はいかにも内田康夫さんらしい展開や雰囲気があり、ドラマ化が楽しみである。
 中村俊介さんという俳優さんも、小生は好感を持っている。このドラマに違和感を生じさせない。安心して見ることができる。


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2007/10/10

今更だけど、「キッコーマンに感謝決議案」のこと

 昨日は真面目に仕事。
 ひたすらゆるやかな営業だったが、夜中になって、おやっと感じた話がラジオ(NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」)から。
 話題の焦点は、キッコーマン
 そう、醤油などで有名なあのキッコーマン

2007_1004071003tonai0015

← 先週だったか、都内某所のコンビニに夜食を買いに行こうとしたら、入り口付近に子猫が…。
 
 いきなり余談から入ると、小生、拙稿「紫と言えば醤油!」の中で、醤油についてあれこれ調べてみると同時に、当然ながらキッコーマン株式会社(ここでは、キッコーマンと略記させてもらう)のことにも言及している!
 尤も、キッコーマンとは、「亀甲萬」だったのかと、驚いているレベルだったが。

 どうやら、公式ホームページを覗いてみると、「アメリカ進出50周年」などという頁がある。
 今年2007年がキッコーマンにとって「アメリカ進出50周年」の年に当る。だから、NHKさんが話題に採り上げた…ってわけじゃなさそう。

 それじゃ、あまりにローカル過ぎる。キッコーマンのユカリの地(野田)での放送なら分かるけど。

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2007/10/08

「07所沢パレード」レポをアップ!

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「07所沢パレード」レポートをアップしました。
長くなったので、前後半に分けて掲載します:
サンバのため真面目にサボりました!(前篇:「迷わずサンバパレードへ」の巻)

 後半部分(下記)は明日にはアップできるでしょう:
真面目にサボりました!(後篇:「ひたすら追っ駆けです」の巻)」  アップしました。(07/10/09 記

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2007/10/07

中村紘子さんと漆原 啓子さん…ラジオつながり

 またまたラジオで聞いた話が切っ掛けになってのあれこれ。
 過日、ピアニスト(且つ国際ピアノコンクールの審査員!)の中村紘子さんの話を聴く機会があった。悲しいかな話の中身は忘れてしまった。
 代わりに(?)、「アーティスト・インタビュー 中村紘子さん - [クラシック]All About」を紹介しておく。
「今、初期の段階でと言われましたが、やはり音楽の才能は子供の頃で決まってしまうのでしょうか?」という質問に中村紘子さんは、「演奏というのはもっとも早熟な分野で、2才から12才くらいが一生を決定してしまいます。才能のある子供がすばらしい先生の下につけば、僅か数年で大ピアニストのレベルに達します。これは脳生理学としても自然なことで、他には、数学や将棋といった分野でも同じと言われています」とか、「日本の場合は学歴社会ですから、音高や音大に行かないとダメと思われています。でも、本来ならその年頃はもう演奏家として一人立ちしなければならない時期なんです。一流の音楽家になるためには、10歳くらいまでに徹底的に鍛えて、15、6歳ではもう完成していないとダメです。アルゲリッチだってポリーニだって、第一線の演奏家はみなそうです」と答えておられる。
 さもあらんと思いつつも、印象的な話である。

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← 中村紘子『グランド・リサイタル』(AVCL-25020 2004/10/06) ソニー・ロリンズのCDなどと一緒に借りてきたのだが、このところ、自宅ではこのCDを流しっ放し!

(小生が創作する場合でも、ガキものが多いのは、ある意味、幼少の頃のことをずっと引きずっているからなのかもしれない。といっても、情操豊かなガキだったわけではない。早熟なわけがない! むしろ、真逆。全く熟すことが叶わなかった気がする。「空白の頁」というか、物心付く前後の頃のことを覗き込もうとすると、真っ暗な穴を覗き込むような、下手に手出しすると穴に吸い込まれていくような気がするのだ。でも、この辺りのことは別の機会に改めて。多分、創作の形で!)

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2007/10/06

「闇に浮ぶ赤い花」アップ

闇に浮ぶ赤い花」アップしました。

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埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる!

 2日(火)、テレビのニュースで、興味を掻き立てられる情報が伝えられていた。
 それは、「埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より)というもの。

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→ 『埴谷雄高  新たなる黙示』(対談・島田雅彦×鹿島徹、埴谷エッセイコレクション 河出書房新社)

 一部、転記する:

 戦後文学の代表作の一つ、作家埴谷雄高(1909~97)の大長編小説「死霊(しれい)」の構想メモが見つかった。神奈川近代文学館が2日、発表した。30年代後半に書かれたものと推定され、戦後に発表された小説とは異なる設定・人物造形がみられる。戦後の思想界にも大きな影響を与えた哲学小説の生々しい原形を示す貴重な資料だ。
(中略)
 「主題」と題したメモからは、当初から哲学と文学とを融合した作品を構想していたことがわかる。一方、人物造形メモからは、当初は主役の設定が異なり、主人公と活動家の2人がメーンだった。活動家がのちに実兄と異母兄とに分裂していったことがうかがえる。

 また、主人公の婚約者はエキセントリックな女性とされ、活動家と「強姦(ごうかん)」について語る場面の草稿も見つかったが、こうした場面は小説には出てこない。
(中略)
 構想メモは、6日から11月25日まで同文学館で開催される「無限大の宇宙――埴谷雄高『死霊』展」で展示される。また今月6日発売の文芸誌「群像」11月号に構想メモ全文と解題が掲載される。


無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」(「会期 : 2007年(平成19年) 10月6日(土)~ 11月25日(日)」「神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会」参照)

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ビルマと呼ぶかミャンマーか、それが問題だ!

[本稿は、「埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる!」に埴谷雄高関係の記事と併せ掲載していたもの。が、あまりに性格の違う記事なので、若干の補筆を施し、ここに独立させることにしした。 (07/10/06 記)]

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← 10月3日の夜、芝公園にて。照明(ライトアップ)が夏ヴァージョンの東京タワーです。

 今日は、「ミャンマー」という国の呼称についても、メモ程度には触れる積もりで居たが、ちょっと余裕がなくなった。
 ここでは、「ミャンマー - Wikipedia」から国名に関係する部分を転記するに留めておく(太字部分は小生の手になる):

1989年6月18日に軍事政権は、国名の英語表記を、Union of Burma(ユニオン・オブ・バーマ)から Union of Myanmar に改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続ける社・媒体(朝日新聞社、『週刊金曜日』など)もある。アウンサンスーチーや亡命政府「ビルマ連邦国民連合政府」など軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、「ワシントン・ポスト」などの有力英語メディア、ドイチェ・ヴェレやARDなどのドイツ語メディア、および主要な人権団体は "Burma" の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは "Burma" とし、EUは "Burma" と "Myanmar" を併記している。一方、ロシア・中国は軍事政権との良好な関係から「ミャンマー」を使用している。

「軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた」ということ。

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2007/10/05

歌麿の官能の美の奥深し

 今日は他の事を書こうと思っていたが、気になるニュースが流れてきたので、急遽、変更。

 NHKテレビで見聞きしたニュースとは、下記:
歌麿の幻の肉筆画確認 栃木市の女性所有」(ホームは「下野新聞SOON」)

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← 喜多川歌麿「寛政三美人」(画像は、「喜多川歌麿 - Wikipedia」より)

 無断で(?)ということになるが、転記させてもらう。テレビで得た情報より詳しいのかどうか分からない。テレビでも見ることができたが、ネットでも早速当該の画像が見られるのが嬉しい:

 栃木市の女性が所有している浮世絵が、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師・喜多川歌麿の肉筆画であることが、4日までに分かった。千葉市美術館の浅野秀剛学芸課長が鑑定し、筆法や署名などから真作と断定した。歌麿の肉筆画は現在30点ほどしか残っておらず、学術的に大変貴重な発見といえる。
 見つかったのは喜多川歌麿の「女達磨(だるま)図」。赤い達磨のふん装をした遊女の上半身が描かれている。寛政二│四(一七九〇-九二)年にかけて、描かれたとみられる。歌麿に関する資料にその存在が記されていたが、図柄などは分からず幻の存在とされていた。

 テレビでは、この肉筆画をリサイクルか何かの業者から二千円(三千円?)で購入したとあったっけ。
 画像で分かるように、折り曲げられた痕が歴然。

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2007/10/04

彼岸花…闇に浮ぶ赤い花

 何年か前の秋口のことである。
 但し、一瞬、錯覚したというだけの話である。
 思い出話だが、かなりの程度、脚色している(部分的には創作も)。

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→ 彼岸花(曼珠沙華) (この画像は、[mixi]上の知り合いより借りたものです。)

闇に浮ぶ赤い花
 丑三つ時になろうという時間だったような気がする。
何処かのICで高速道路を降り、市街地を走っていた。お客さんの指示に従い、幾つかの角を曲がる。いつしか住宅街を通り抜け、林というには繁りの分厚そうな木々の立ち並ぶ道を走る。
 
 街灯も古い白熱灯が点々とあるだけなので、闇を照らし出すヘッドライトが唯一の頼りという気になってくる。
 人影などあるはずもない。
 ああ、何処まで行くのだろう。人気のない道を何処までも走る、いつの間にか自分が得体の知れない世界へ引き込まれていくような、闇に飲み込まれていくような感覚を覚え始めている。
 運転しているのは自分。そう、ハンドルを握っているのは確かに自分なのだ。
 けれど、行く先を決めるのは自分の意志ではない。
 後ろのお客さんが行方を決める。 
 が、後部座席のお客さんの姿はまるで見えない。
 姿の見えない何物かが抗い難い意志を自分に強いているような気がする。
 客という仮面を被った禍々しい意志が自分を異境へと誘い込んでいく。

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「所沢サンバパレード情報」!!

所沢サンバパレード情報」です!!
画像情報など満載パレードの時間に注意!  必見!

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← 06年所沢サンバパレードの先頭車両。

ところざわまつり」が開催:
2007.10.7(日)

 我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の年内最後のパレードです。

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2007/10/02

ピンクで始まりピンクで終った夜でした

[以下の小文は、今朝、[mixi]に書いた日記(メモ)。改行の形式も含め、そのまま転記。列記したのは先月9月のブログ記事の目次。こうして一か月分を並べてみると、我ながらマメだなって思う。さて、今月はどうなることやら。]

財布を拾った!

昨日の営業中、午後の三時頃だったか、財布を拾った(お客さんの忘れ物ではない)。
公園のトイレから出てきたら、歩道上に存在感溢れる何かが落ちている。
まさか、財布…?!
近づくと財布だ。

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← 10月1日の夜、芝公園にて曇天の夜空にピンクに萌える東京タワーに遭遇! こんな色の東京タワーは初めてだ。

人通りも少なくない道なのだが、たまたま前後を見渡しても小生一人。
小生がトイレに向った際は、歩行中の人影が何人も居たはず。

ほんの一分か二分の間に通りかかった誰かが落としたのだろう。

その折畳みの財布、分厚い!
表面的な柄からしたら女性物っぽい。

お札がびっしり入っている?

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2007/10/01

タクシーは手を挙げて拾ってね

[以下は、過日、[mixi]に書いた日記(2007年09月22日)からの転記。原文そのままなので、舌足らずな表現になっていることは御寛恕願いたい。改行の形式も原文通り。幾つかコメントを貰ったけれど、それらは転記するわけにいかないので、要点だけ「」内に書き、そのコメントへの小生のレス(●印)は原文通りに転記。]

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→ 9月28日、信号待ちの最中に思わず撮った。夕焼けっぽい空。画像の真ん中の白い点は月影? 一番星? ただフロントウインドーに光の点が映っていただけ?

悩ましい選択
ある日の営業で。

信号待ちしていたら、交差点の向こう側に男性が立っている。いかにもタクシー待ち。交差する道路から空車のタクシーが来るかもしれないし、目の前に(潜在的な)お客さんが居ても、ぬか喜びの可能性があるわけで、無条件には喜べない。

ところで、その日はやたらと忙しい日だった。お客さんを下ろしたら、息つく暇もなく次のお客さんが見つかるといった状態。
嬉しい悲鳴。
逆にタクシーを捜している側からしたら、なんとか空車のタクシーを掴まえたいと懸命だったりする。
なんたって、目の前を行過ぎるタクシーはほとんどが実車か回送状態。
段々、焦ってきたりして、時計など眺めつつ目(と神経)は路上にタクシーを追い求めている。

さて、信号が変わった。交差する道から空車が来て、目の前のお客さんを拾われてしまうということもなかった。

と、その若い男性の手前に杖で体を支えつつ老婦人が出てくる。介添えの御婦人が一緒。

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