リスボン地震…仮の宿も終の棲家と見定めて
「緊急地震速報」が10月1日からいよいよ一般に向けての実用化が始まるとか。
ここでは、「緊急地震速報 - Wikipedia」から下記だけ転記しておく:
震源に近い観測点の地震計で捉えられた地震波の情報を気象庁へ瞬時に集約しコンピュータの解析処理によりただちに震源の位置及び地震の規模(マグニチュード)を特定して、これらをもとに各地への主要動の到達時刻及びその震度を推定して、被害をもたらす主要動が到達する前にこれらを適切な方法で広く一般に知らせる。緊急地震速報を適切に活用することで、地震災害の軽減に役立つものと期待されている。

← 「仮の宿も終の棲家と見定めて」 (画像は、拙稿「仮の宿」より)
地震については詳しいサイトが数知れずある。
一つだけ挙げてみる:
「地震について(マメ知識)」
この頁の中の、「地震はどこで起こる?」と題された表を見ると、海沿いに生きる者には逃げ場がない! などと思わされてしまう。
今、「月探査機「かぐや」 打ち上げ迫る」でも紹介した、『地球の物語 痙攣する青い惑星』(C・オフィサー 著 J・ペイジ著 中島 健訳、青土社)を車中で読み齧っている。
「環境汚染と人類の未来 地球は、われわれにとって必ずしも、永遠の安定した場所ではない。異常気象・温暖化・洪水・噴火・地震・オゾンホールなど、さまざまな異変の要因を、それらを加速化させている現代の人類文明と重ね合わせ、問題の所在を明快に分析する」という本だが、本書の中では、地震の話題が少なからず採り上げられている。
アトランティス大陸の話題も興味深いが(既にこのブログでも採り上げたことがあった…かも)、本書の中から今回はリスボン地震の話題に焦点を合わせたい。
「リスボン地震 - Wikipedia」によると、下記のよう:
1755年11月1日午前9時20分に西ヨーロッパで起きた地震。ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含むと5万5000人から6万2000人が死亡した(理科年表2006年版)。
さらに、「リスボンは地震の後、津波と火災によりほぼ灰燼に帰した。これによりポルトガル経済は打撃を受け、国内の政治的緊張が高まるとともに、ポルトガル経済の海外植民地への依存度をました」などと書いてあるが、今日のブログでは、下記の記述に着目:
地震の被害は広く18世紀なかばの啓蒙時代にあった西ヨーロッパに思想的な影響をあたえ、啓蒙思想における弁神論と崇高論の展開を強く促した。リスボン大地震によって思想的に大きな変化を蒙った思想家にはヴォルテールがいる(『カンディード』参照)。
「リスボン大地震によって思想的に大きな変化を蒙った思想家にはヴォルテールがいる」とあるが、本書によると、この地震という「何もかも破壊し尽くす事件は、まもなく、この時代の対立する最大の思想家を生み出した。フランソア・マリー・アルウェ(ヴォルテール)とジャン・ジャック・ルソーである」という。
このうち、リスボン地震との絡みでのヴォルテールの思想の変化・影響については、「カンディード - Wikipedia」が参考になる。
「冷笑的な視点の下に、天真爛漫な主人公カンディードを紹介する以下の格言が冒頭で述べられる「この最善なる可能世界においては、あらゆる物事はみな最善である」。そして一連の冒険を通じて、主人公カンディードが縋りつくこの格言は劇的に論駁される」のだ。
天真爛漫な主人公カンディードが最後にはアイロニーに満ちた人物となるのも、かのリスボン地震の結果なのである。
「本作でカンディードとパングロスがリスボンで遭遇する大地震の場面は、1755年11月1日に現実の世界で発生したリスボン大地震に基づいている。この惨事に衝撃を受けたヴォルテールは、ライプニッツの楽天主義に疑問を抱き、それが本作の執筆につながった」のだった。
ここでは転記しないが、「カンディード - Wikipedia」の「あらすじ」を読むだけでも面白いかも。
特に末尾の一言が…。
→ 「リスボン大地震による火災と津波によって破壊されたリスボンの市街」 (画像は、「リスボン地震 - Wikipedia」より)
信仰の篤い時代。そこにこんな地震が発生したら、信仰は揺るがないのか。ぐらついて当然ではないのか。
リスボン地震は、「1755年11月1日午前9時20分に西ヨーロッパで起きた地震」である。まさに「厳かな教会の祭りのミサの最中に起きた地震」だったのであり、信仰篤い人であってさえも(だからこそ、かもしれないが)、「この地震によって、神が、神への祈りと聖日に対する不敬な態度を咎めたに違いな」いものと確信するしかなかった。
まさに、ソドムとゴモラである。
旧約聖書の怒れる神だ。
「言葉が人間に与えられたのは、自分の考えを隠すためである」といった格言(?)で有名なイエズス会士マラグリダは、地震の惨状に際し以下のようなことを書いた(以下、上掲書より転記):
おおリスボンよ、私たちの家、宮殿、教会、僧院の破壊者、きわめて多くの人々の死の、まtがあのような莫大な財宝を貪り尽くした炎の原因は、お手前方の罪であり、彗星でも、星でも、煙霧や蒸気でも、また類似した自然現象でもないことを学べ。悲劇的なリスボンは今や廃墟の山である。この地を回復する何らかの方法を考え出すのがもっと困難でなければよいのだが。だがこの地は捨て去られ、この都市を逃れた者たちは絶望のうちに暮らしている。使者たちはと言えば、このような災厄は罪深い魂の何と大きな収穫を地獄に送り込んだことか。地震は自然の出来事にすぎぬと偽ることは言語道断である。というのは、もしそれが真ならば、悔い改め神の怒りを避けようとする必要はまったくないからだ。そして、悪魔自身さえ、これ以上に、私たち全てを取り返しのつかぬ破滅へ導く恐れのある誤った考えを生み出すことはできなかろう。聖者たちは地震の到来を予言していた。けれどもこお都市は将来を気に掛けることなく、罪深い暮らしを続けてきた。今や、まったく、リスボンの場合は絶望的である。全ての私達の力と目的を悔い改めの課題に捧げることが必要である。小屋やビルディングの建造に捧げるのと同様な、この実行に欠くべからざる、決意と熱意があればよいと願う。この市の外の田舎に住めば神の支配を逃れることになるのだろうか。神は疑いなく、その愛と慈悲を及ぼそうと願っている。だが、私たちがどこに住もうと、神は鞭を手にして、私たちを見張っているということを忘れてはならない。
イエズス会士のこんな発言は忌まわしい。特に、「リスボン再建の責任者ボンバル候にとってはこの上なく呪わしいものだった」。地震があろうと神に罰が与えられたのであろうと、人はこの世に生きしかない。町を再建するしかない。
(このボンバル候がまた興味深い人物なのだが、今は素通りする。)
この再建には、また、正統派を自負する連中には邪魔なイエズス会士マラグリダは異端審問にかけられ、死刑に処せられた。
何があろうと、人はとりあえずは地に生きる、パンを求める、神のことは教会に任せる…。過度な信仰は、真率なものであっても、呪わしいものなのだ。
リスボン地震の惨状でヴォルテールは自らの楽天主義を改めるに至った。もっとも冷笑的な立場に篭ってしまったとも受け取られかねないが。
一方、正統派のキリスト教には背を向けるとしても、神信仰の欠如という空白を<自然>に求める者たちもいた。その代表格が、コールリッジでありワーズワースだった。自然は神、神の力を与えられたもの。「自然に対し素朴にまた密接に暮らせば暮らすほど、ますます徳性が高まる」と考える詩人たち。そしてルソー。
全能の神なら地震を防ぐことができるはず、なのに何故、起きた。神の怒り? 自然こそ神であり、無条件に自然に寄り添って生きる?
← 『地球の物語 痙攣する青い惑星』(C・オフィサー 著 J・ペイジ著 中島 健訳、青土社)
リスボン地震は、ルソーやヴォルテールら、思想家たちに深甚な思考を強いた:
ルソーとヴォルテールが提起した問題は、今でもときどき私たちの前に現われる。母なる大地は恵み深いのか、と。なんらかの自然災害によって被害を受けたことのある人にとっては、ワーズワース流の法悦やルソー流の楽天主義に浮かれていることは困難であろう。他方この地球は私たちが手に入れたかけがいのない惑星である。それは豊かな場所であり、生命活動の場である――実際、ひょっとすると宇宙の中で唯一の生命活動の場かもしれない――しかし生命と突然奪い去る力も間違いなく持っている。実際、問題はルソーやヴォルテールが組み立てたものとは違っている。問題は人類の適合性と関係がある。しかしこの問題は地球の物語をもっと進めるまで待たなければならない。
これは上掲書の筆者の言葉である。
(「ひょっとすると宇宙の中で唯一の生命活動の場かもしれない」という発言には異論があるかもしれないが…)本書の叙述は緒に付いたばかりなのだ。
地震を扱った拙稿に下記がある:
「仮の宿」
「飛越地震…「地震」は遭っても「なゐ」とはこれ如何」
「飛越地震があったとか」
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