立山に 降りおける雪を とこなつに…
「富山の和菓子だけ好きってわけじゃない!」なる雑文で、富山の銘菓「とこなつ」(株式会社大野屋)を扱っている。
← 富山・岩瀬浜にて。海越しの立山というわけにはいかないけれど…。05年正月の帰省時に撮影。文末参照。
「大野屋:とこなつ、田毎(たごと)」なる頁を覗くと、「とこなつ」について、以下のように記してある:
貴重な白大豆の餅を餅生地で包み表面に和三盆糖をまぶした一口大のお菓子。和三盆糖がすっと溶けた後、白小豆の使用上品な風味が広がります。”とこなつ”の菓名は、越中国司大伴家持が立山を読んだ歌に因み名づけられました。また、その可憐さは、”とこなつ”の古名を持つなでしこの姿にも重なります。"立山に降りおける雪をとこなつに
見れども飽かず神からならしい。"
小生としては、「立山に 降りおける雪を とこなつに 見れどもあかず 神柄ならし」のほうが望ましい気がするのだが…。
「富山の和菓子だけ好きってわけじゃない!」という記事の中でも紹介しているが、「大野屋」「カラーたかおか -高岡総天然色サイト-」なる頁が「創業150年を超える老舗」である「銘菓『とこなつ』で有名な大野屋」についてあれこれ教えてくれて嬉しい。
ここでは、「大野屋さんの社長・大野隆一さん」の発言に注目する:
当時町屋の旦那衆たちが、この『とこなつ』をみて可憐なお菓子だと言ったんだそうだよ。そして、その可憐さが『かわらなでしこ』に似てるってことでね、『とこなつ(かわらなでしこの別名)』とつけたとか。実は万葉以前から『かわらなでしこ』は『とこなつ』と呼ばれていたんだそうで、万葉集とも関わりがある高岡にぴったりな、いいネーミングでしょ。
「とこなつ」なるお菓子の命名について、「実は万葉以前から『かわらなでしこ』は『とこなつ』と呼ばれていたんだそうで、万葉集とも関わりがある高岡にぴったりな、いいネーミングでしょ」という逸話があるという。
こうなると、俄然、好奇心が掻き立てられる、少しだけでも調べてみたくなる!
まず、「かわらなでしこ dianthus superbus」を覗いてみる。
「かわらなでしこ (河原撫子、常夏)」について、可憐な花の画像を付し、「夏から秋にかけて咲く 乾燥に強い花 秋の七草の1つ 明るい草原に咲く」などと説明してある。
「分布地 本州、四国、九州」とあるので、我が郷里・富山にも「かわらなでしこ(とこなつ)」は、その時期となったら咲くものと思われる(情けなくも、小生は富山で咲く光景を見た記憶がない)。
但し、「とこなつに」となると、そ「の意味は、一年中、夏の間中、毎年の夏、など諸説」ある。
さて、「とこなつ 立山の雪のごとく 甘味主義 フード&スイーツ グルメ YOMIURI ONLINE(読売新聞)」なる記事に注目する。
「白あんを求肥(ぎゅうひ)でくるみ、和三盆糖を雪にみたてて振りかけている。和三盆の白は、純白ではない。黄みを帯びている。それが、この菓子の温かみ、趣になっている」といった、小生には殺し文句ともなりかねないよだれの出そうな(出ちゃった!)説明もさることながら、同じ記事の文中にもあるように、「とこなつ」という銘菓の菓子名は、大伴家持の歌にちなんでいる:
菓子の名は、万葉集にある「立山に降りおける雪をとこなつに見れども飽かず神からならし」という大伴家持の歌をひいているそうだ。一年中消えることのない山頂の雪のように、いつまでも変わらぬ味を守りながら、愛される菓子を、という思いが込められている。
問題は、この歌が読まれた場所である。
言うまでもなくこの歌は大伴家持が越中の国司(越中守在任)を勤めていた時に立山の雪を「とこなつ」に、つまり、真夏であってさえも望めるという感動が読み込まれている。
…というだけでは、この歌に読み込まれている雄大な光景を半分も理解したことにはならない。
どんな光景を思い浮かべないと歌の深みや雄大さを味わえないと言うのか。
そのヒントは、この歌の歌碑がある土地にある。
(但し、この歌と相前後して歌われた「片貝の川の瀬きよくゆく水の絶ゆることなくありがよひ見む」などと絡めて限定して理解すると、違ってくることになるのだが、今はこの点は追及しない。→「家持全集訳注編2 htmlの注釈や画像・図版参照のこと。ここには左記のサイトから、「【通釈】立山に降り敷いた雪は、四季を通してつねに眺めても見飽きない。神の品格のゆえであろうか」だけ、転記しておく。)
「立山に 降りおける雪を とこなつに 見れどもあかず 神柄ならし」なる大伴家持の歌の歌碑があるのは、万葉故地である松田江の長浜である。
この松田江の長浜には、有名な長歌(巻17-4011)の歌碑もある。一部、「氷見弁(方言)で読む万葉集(巻17)」より転記する(太字は小生の手になる):
大王の遠の朝廷(みかど)そ み雪降る越と名に負へる
天ざかる鄙にしあれば 山高み河とほしろし
野をひろみ草こそしげき 鮎走る夏のさかりと
しまつとり鵜飼が伴は ゆく川の清き瀬ごとに
篝(かがり)さしなづさひのぼる 露霜の秋に至れば
野もさはに鳥すだけりと 大夫の伴いざなひて
鷹はしもあまたあれども 矢形尾の吾(あ)が大黒(おほぐろ)に
大黒は蒼鷹の名なり
(略)
思ひ恋ひ息づきあまり けだしくも逢ふことありやと
あしひきの彼面(をても)此面(このも)に 鳥網(となみ)はり守部をすゑて
ちはやぶる神の社(やしろ)に てる鏡倭文(しづ)に取り添へ
乞ひ祈(の)みて吾(あ)が待つときに 乙女らが夢(いめ)に告ぐらく
汝(な)が恋ふるその秀(ほ)つ鷹は 松田江の浜ゆきぐらし
つなしとる氷見の江過ぎて 多古の嶋飛びたもとほり
葦鴨のすだく舊江(ふるえ)に をとつ日も昨日もありつ
近くあらば今二日だみ 遠くあらば七日のをちは
過ぎめやも来なむ我が背子 ねもころにな恋ひそよとそ
夢(いま)に告げつる
その松田江の長浜に、「立山に 降りおける雪を とこなつに 見れどもあかず 神柄ならし」(巻17-4001)の歌碑もあるわけである。
そう、「運がよければ、富山県のどこからでも立山が見える。しかし、氷見ではそれが海越しに見えるので、もっと神々しい気持ちになる。本当か嘘かは知らないが、海越しに3,000M級の山が見える所は、世界で3ヶ所しか無いと言う」のである。
(大伴家持が愛した氷見(高岡)の地については、「万葉のふるさと 氷見」なる頁の画像がいい。)
そう、運がよければ、富山県のどこからでも雪の立山が見える。富山市の市街地のど真ん中にあってさえ、巨大な銀の屏風のように立山連峰を望むことが出来る。
が、氷見(有磯、松田江の長浜)だと、「海越しに見えるので、もっと神々しい気持ちになる」わけである。
残念ながら、ネットでは海越しの立山…といった写真が少なからず見受けられるが、勝手に使うわけにもいかない:
「海越しの立山連峰と虻が島[氷見と高岡編]」
「ライブカメラ1【市街地・海越しに望む立山連峰】」
実は、冒頭に掲げた写真は、雰囲気だけでも味わってもらおうと、小生が数年前の正月に帰省した折に天気に誘われ、岩瀬浜に遊びに行った際に撮影した写真の一枚を示してみたのである。
これでは、ただ、浜辺から立山連峰近辺(立山は写っていないかも)を撮ったに過ぎないし、冬だから雪を抱いているのは当たり前なんだよね。
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