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2007/08/18

「熊野」を「ゆや」と読むとは知らなんだ

「漱石の白くない白百合」の色話」は、半藤 一利 著『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社)からの、色話と言いつつ、少しも色っぽくはない、まあ、言わずもがなの話である。
 本書からは話題は幾らでも拾えるが、ここでは少々分不相応な話題をあと一つだけ(後学のため)メモしておく。

 本書を昨日、読了したのだが、その中で、「熊野」と書いて「ゆや」と読ませている記述に遭遇し、やや驚いた。「熊野」で、どうして「ゆや」なのか。
 うっかり八兵衛ならぬ、弥七ならぬ、うっかり者の弥一こと、やいっちは、最初、何故か「やひ」とルビが振ってあるのかと思った。

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← 『熊野』 (ゆや) (画像は、「熊野 (能) - Wikipedia」より)

「やひ」というと、通常、漢字では「野卑」と書く。でも、仮に「熊野」と書いて「やひ」なら、あるいは「野卑」という言葉の語源は、何か深い謂(いわ)れがあるのではないか。
 語源話の好きな小生、これはブログの格好のネタになると、密かにほくそ笑んだのだった。

 が、本書を読了し、さて、記事に仕立てようと、当該の箇所(頁)を開いてみると、気のせいか「やひ」ではなく「ゆや」とルビが振ってある。
 あれま。どうしたことか。
 一晩のうちに、本書のルビが、あるいは本書そのものが差し替えられたのか。

 思い返してみると、順序が違うような気がしてきた。
 そうだ、何事もネット頼りの小生、記事を書くに際し、最初、資料や情報を集めようと、「熊野 やひ」をキーワードにネット検索してみたのである!

 すると、検索結果の筆頭に「熊野(ゆや) 【解題】」なる頁の抜粋が浮上してきた。
 冒頭に、「熊野(ゆや)」とあるが、「やひ」は、「生者必滅(しやうじやひつめつ)」のうちの太字部分で示した「やひ」を親切にも拾ってくれたのだと分った。
 そう、小生、「熊野(ゆや)」で目を疑ったのだった。
 
 次に小生、パソコンのソフトである辞書機能を使って「ゆや」を検索した(その前に、しつこい小生は、念のためにと「やひ」で検索し、どうやっても「熊野」には結びつかないことを確認した…。「野卑/野鄙」しか出てこない。まずい! これ以上やると、弥一じゃなくて、「野卑ち」になってしまう。慌てて、「ゆや」で辞書検索し、「湯屋(ゆや)」を確認。これで一件落着だ。落着したところで、湯屋でひとっ風呂浴びて……。うん? 何か変だ。ちゃうちゃう。と、さらに目を凝らしてみると、「ゆや」には、【熊野/湯谷】があると示してくれている。しかも、天下の「大辞林 第二版より」とあるではないか。ははー、である。恐れ多くて、思わず後ずさりしてしまいそうになったけど、椅子なので下がれもせず、赤っ恥は掻かなくて済んだのだった。ってのは、公然の秘密である)。
 すると、「ゆや」とは、【熊野/湯谷】と表記すると判明したのである。

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→ 8月16日、都内某公園にて。「猫じゃらし」かな。小生の好きな草である。

 せっかくなので、話の展開上、手っ取り早いので、当該の頁を転記する(三省堂):

ゆや 【熊野/湯谷】 (大辞林 第二版より)
(1)能の一。作者未詳。三番目物。平宗盛の愛妾熊野は遠江(とおとうみ)国にいる病母のことを案じて暇を乞(こ)うが許されず、清水寺への花見の供をさせられる。しかし、にわかに降り出した村雨に桜花が散るのを見て熊野が詠んだ歌をきいた宗盛は哀れに思って、帰郷を許す。

(2)箏曲の一。山田検校作曲。謡曲「熊野」の後半の詞章に基づいて作曲したもの。

――松風(まつかぜ)は米の飯(めし)
能の「熊野」と「松風」は米の飯のようにだれにでも好まれる名曲である。

 小生らしく、話の順序がハチャメチャである。
 漱石の謡(うたい)好きは有名である。しかも、弟子筋の間でさえ、その評判はすこぶる悪いのも有名だ。
 なのに、仲間や近所の悪評にもめげず、大声で謡の声を張り上げて練習していたのも有名。
 せっかくなので、本書から当該の箇所を転記する(最初から面倒がらずに転記しておけば、余計な手間は取らせずに済んだのに…):

 門人のひとりが急用で訪れると、山房のなかで、異様なうなり声がしている。変だなと思ったが、玄関をあけると、静かになった。漱石の前にでたくだんの若者が、「さっき、妙なうなり声がしておりましたが、どなたかお具合でも……」というと、漱石は間の悪そうな顔で、いった。
「ひとりで謡をさらっていたんだ」
『吾輩は猫である』にも、便所にしゃがんでまで『熊野(ゆや)』を謡う苦沙弥がでてくる。
「後架の中で謡をうたって、近所で後架先生と渾名をつけられて居るにも関せず、一向平気なもので、矢張り是れは平の宗盛にて候をくり返して居る」

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← 同日、同場所で。

 ここまで書くと(まあ、書くまでもなく)小生の素養のなさが明白であろう。
 その前に、『吾輩は猫である』を注釈を含めて(小生、癖でルビはもとより、量の多寡を問わず注釈も必ず目を通す。読了したという時、注釈も含めてのことである。注釈を読み飛ばした場合は、手に取ったとか、目を通したとか、やや曖昧な表現にする。本文を全文、読んだ場合であっても!)、少なくとも三度は読んでいるにも関わらず、何を読んでいたやら、と我ながら慨嘆したくなる(実際、してしまった)。

 老婆心ながら、「後架」とは、禅寺で便所をさすことばで「雪隠」とも言う(「興味と妄想 吾輩はキョーヨーである(2)~『吾輩は猫である』を機会に(何となくコラム)」などを参照)。
 さすが、禅宗だ。心が洗われるような表現である。モノは言いようだ。

熊野 (能) - Wikipedia」を覗いてみよう。
 浅学菲才というよりも、浅薄悲惨で無能なる小生、「能」の舞台を実際に見たことは、自慢じゃないが(自慢にならないが)一度たりともない!
 但し、テレビで歌舞伎や能の舞台は何度か、眺めたことはある。まさに、遠景をぼんやり眺めてるように、画面をBGMであるかのように目の前を左の目から右の目へ(そんな器用な真似が出来るのかどうかはわからないのだが)、ただ徒に見送っていたのだった。

 さて、気を取り直して、上掲のサイトに戻る。
 冒頭に、「『熊野』 (ゆや) は能を代表する曲の一つである。作者は、金春禅竹とも言われるが不明。禅竹の著書,歌舞髄脳記に『遊屋』の記述がある。喜多流では『湯谷』。平家物語の巻十、海道下(かいどうくだり)の場面から発展させたと思われる」とある。
 さらに、「作中で「自分と同じ名前だ」として熊野権現、今熊野(いまぐまの)を挙げている。つまりは喜多流以外では主人公は「くまの」さんだと思われるが、ここでは音読みで「ゆや」と読む」とも。

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→ やはり8月16日の夜、芝公園にて。この光景を脳裏に刻みつつ、眠りに付いたのだった。

「音読みで「ゆや」と読む」だって!

 ってことは、「熊野権現」と表記してあったなら、「ゆやごんげん」と読むべきだったのか。今更、そんなことを言われても困る。さんざん、「くまのごんげん」と読んできたのを訂正なんて、ちょいと無理な話だ。

 調べてみると、「熊野三所権現(くまの-さんしょごんげん)」があり、「熊野三山の主祭神。本宮の家都御子大神(けつみこのおおかみ)、新宮の速玉大神、那智の熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ)の三神。三所権現。熊野(ゆや)権現」なのだとか(同じく、「@nifty辞書」(大辞林 第二版)より)。
「熊野権現(くまのごんげん)」と読んでも、断然、間違いというわけではないようだ。

熊野 (能) - Wikipedia」によると、「ドラマチックな展開を可能とする素材を扱いながら、対立的な描写を行わず、春の風景の中、主人公の心の動きをゆるやかな過程で追う。いかにも能らしい能として、古来「熊野松風に米の飯」(『熊野』と『松風 (能)』は名曲で、米飯と同じく何度観ても飽きず、噛めば噛む程味が出る、の意)と賞賛されてきた」のだとか。
 漱石は、こうした謡(うたい)を近所の悪評や迷惑を顧みず、熱心にさらっていたわけである。
 
 この謡の詳しい内容は、「熊野 (能) - Wikipedia」などに委ねるとして、驚くのは(むしろ、驚くべきは小生の無恥・無知加減だろうとは重々承知しているのだが)、「内容」の項の冒頭の「時は平家の全盛期、ワキ(平宗盛)の威勢の良い名乗りで幕を開ける。宗盛には愛妾熊野(シテ)がいるが、その母の病が重くなったとの手紙が届いた」という一文。
 何に驚いたって、「熊野(ゆや)」って、宗盛の愛妾、つまり、おめかけさん、つまり、女性なのだということ(多分。男の愛妾ってこともありえなくはないが)。
「熊野」から「ゆや」も、衝撃の事実だが、それが(多分、うら若き)女性の名前だなんて、俄かには信じがたい、受け容れ難い話ではないか!
 しかも、実在の人物!

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← 8月16日の営業も終って、17日の早朝、帰路の途上で。この壁画(?)は、好きな作品。悪戯じゃなさそう。生徒の作品なのだろうか。

 それにしても、ここまで書いて、ちょっと心配なことがある。今後、能や謡(うたい)に関連して「熊野」が出てきても、さすがに「くまの」とは読まないとしても、「ゆや」という言葉(読み方)が咄嗟には浮ばず、「やひ」のほうが真っ先に浮んできそうで、たまらなく不安なのである。
 いっそのこと、「熊野」→ 「やひ」 → 違和感 → 「ひや」 → 依然、違和感 → 「やゆ」 →やっぱり、違和感 → 「ゆな」 → 語感的には好きだが、違和感は残る → 「ゆや」という連想を働かせようか。

 ちょっと、まだるっこしいか。

 やはり、実際に能の舞台を見ないと、「熊野」=「ゆや」とは、脳味噌に刻み込まれないということかもしれない。
 いや、小生のこと、素敵な女性に耳元で、以下のように囁いてもらわないと、ダメかもしれない(無論、その際には、わちきは「ゆや」でありんす、と名乗ってもらわないと困る!):

「いかにせん都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」

 歌は可憐で哀れだが、お粗末で野卑な一席であった。

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