人間と経済の実態を描くタフさを思う
今日は思うところがあって、テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)にちなむ思い出を書こうと思ったが、少々思い入れがあり過ぎて(?)、取りやめ。
← テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)
このところ愚痴のようにして、何度となく書いているが、今、担当している車にはFMが受信できない。AMのみ。
AMだって、ヴァラエティに飛んだ放送があるとは思うけど、夏ともなると、NHKは高校野球(甲子園)、夕方六時ともなると民放はプロ野球で、必ずしも野球ファンではない小生(大リーグの日本選手の活躍ぶりは気になるが)、聴く番組がなくなってしまう。
それでも、夜になると、少しは聞ける番組も出てくるし、選ぶ余地が生まれてくる。
→ 高杉 良著『消失―金融腐蝕列島・完結編』(ダイヤモンド社)
言えることは、FMが聞けない分、音楽に親しむ機会(時間)が車中で減ってしまったということ、その結果、多彩な音楽ジャンルに触れる機会が減ったことだ。
ま、これは仕方がないとして、それでも、小生の苦手なインタビュー番組などを聴く機会は間違いなく増えている。
小生、人の話を聴くのが苦手(学校の授業も含めて)。まして、一応は営業中である。最初から聞きかじりになるのが分りきっている。音楽なら、1分でも2分でも聞ければ、ある程度、纏まったメロディなり音楽世界に束の間であろうと、浸ることはできる。
が、人の話となると、多少でも起承転結の一節を聞かないと、何がなんだか分らない。
といった愚痴はともかく、ラジオならではの話も聞けた。
例えば、高杉 良(たかすぎ りょう 1939年1月25日 - )氏へのインタビュー。もう一人は城山三郎(しろやま さぶろう)氏についての話を、これはテレビで見ることができた。
(神坂次郎氏のことも、ラジオで話を聴いて、本を手に取ったのだった。→「神坂次郎著『時空浴』…「鈴木姓」をめぐって」参照。以下、城山三郎氏、高杉 良氏らについては、敬愛の念を込め、敬称は略させてもらう。)
神坂次郎もだったが、城山三郎も高杉 良も実は全く読んでいない。高名過ぎて読んでいないというべきか(ドラマの原作者として耳馴染みに成り過ぎている?)、虚構ではない小説は、中学生の頃までは別にして、敬遠するようになってきたから、という面が強いようだ。
実在の人物や、直近の過去の歴史的事実を扱う小説(物語)は嫌いなのか。
あるいは、明治以降の実在の人物は、資料がありすぎて、また過去の経緯が今に至るも直接・間接に尾を引いているだろうから、物語として描ききれるはずがないという思い込みがあるのか。
もっと言うと、小生は現に生きている人を理解するのは敢えて言うと不可能ではないかという思いが、胸のうちに深くしっかり澱んでいるように感じる。
自分の人間性の薄さなのか、人への共感力の弱さなのか、そもそも現に生きている人への、あるいは今、動いている社会への愛情の不足なのか。
だからといって、では、徹底して虚構である小説なら人間を描けるかというと、それはそれで難しいし、そもそも描き示される人間像・群像というのは一体、そもそも何が描かれているのか、そこにはややっこしい問題があるようにも思える。
さて、余談はともかく、読んでいない言い訳はこれくらいにして、近いうちに読むことを期して、今後のために城山三郎や高杉 良のことを若干なりともメモしておきたい。
木曜日だったか、ラジオで『金融腐蝕列島』の作家・高木彬光へのインタビューを聴けたのは、どうやら、『消失―金融腐蝕列島・完結編』(ダイヤモンド社 2007-05-31出版)の刊行が始まったことと無縁ではないようだ。
出版社側の宣伝文句を示しておく:
金融大再編の嵐のなか、協立銀行は他行との合併によるJFG銀行設立へと向かっていた。
広報部長である竹中治夫は、その渦中で頭取の逆鱗に触れ、大阪中之島支店長へと左遷されてしまう。
さらには、合併の陰で権力に固執し続ける老害顧問、家庭崩壊の危機を招く妻の不倫問題が、竹中を追いつめていく。
そして、大阪に赴任した彼を待っていたのは、想像を絶する不良債権との戦いだった―。
小生、上であれこれ書いたが、こうした(人間臭プンプンの)経済小説が結構、好き。
というより、こういう経済界(実業界)や政界などの生臭い話を若い頃、読みすぎて、その体臭の濃さに圧倒されたような気がする。
ラジオでは、実際の銀行名がドンドン出てくる。遠慮などまるでない。政治や官僚などの行政の恣意性や間違いも鋭く指摘する。経済失政は往々にしてありえると想像できるが、その際の役人らの恣意性や渦巻く思惑はあまりにご都合主義だったりして、そこまでひどいのかと呆れる思いがする。
(小生の力量では、話の要点を示すこともできない!)
それにしても、こうしたタフな小説を書く高杉 良が、「子供の頃から病弱で入退院を繰り返しながら、グリム兄弟やアンデルセンの童話に没頭し童話作家を志したこともある」というから驚きだ。
← 城山 三郎著『落日燃ゆ』(新潮文庫)
小生が木曜日だったか、城山 三郎(しろやま さぶろう)の話をこれはテレビで見れたのは、どうやら今年3月に亡くなられ(1927年8月18日 - 2007年3月22日)、逝去当時に特集されていたものの再放送だったようだ(元首相の中曾根 康弘氏による追悼の談話のシーンもあった)。
あまり詳しいとは言えないが、「城山三郎 - Wikipedia」(「城山三郎」が詳しい)によると、「1945年、愛知県立工業専門学校(現・名古屋工業大学)に入学。徴兵猶予になるも海軍に志願入隊。海軍特別幹部候補生として終戦を迎える」という経歴があるとか。
嬉しいことに、五ヶ月も前の追悼の文がネットで残っていた:
「追悼 城山三郎 巨星墜つ、昭和の苦悩と人の真実に迫った気骨の作家 筆者:黒木 亮 (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)」
この中でも、「凡人には逆立ちしても真似できない要素があることも分かる。それは筆が持つ独特の雰囲気だ。これは、作家云々以前のものである。城山さんの場合は、戦争体験が人生に強烈な影を落としており、それが生来の気質と相まって、独特の陰影のある文体を作り上げたのではないだろうか」と指摘されている。
今の時期だからだろうか、戦争のことが話題になる。今年は、何故か広田弘毅の特集番組が多かったような気がする。「文民唯一のA級戦犯として戦争責任を問われ絞首刑に処せられた」からだろうか、「戦争責任について一切の自己弁護をしないことや、生死感についての潔さ」のせいだろうか。
彼は、戦争責任を誰かが背負わなければならないと、裁判の場に立ち、判決に一切異を唱えなかったとか。
→ 城山三郎著『官僚たちの夏』(新潮文庫)
その広田弘毅を描いた作品が『落日燃ゆ』(新潮文庫)である(らしい。小生は未読)。
感想文としては、「落日燃ゆ」が目立ったが、内容に付いて、賛否も含め何も言えない。
城山三郎というと、著名な本が多いが、やはり、『官僚たちの夏』(新潮文庫)を挙げておかないとまずいだろう。
これも小生は未読なので、下記の感想を示しておくに留めるしかない:
「城山三郎『官僚たちの夏』(新潮文庫) 三遊亭らん丈のらん読日記」
つい、昨日も、防衛省の時期事務次官人事をめぐっての悶着(「防衛次官:人事でまた「未熟さ」 「静観」首相に疑問の声」)に決着が付いたばかりである。
土曜日、図書館に返却のために行った際、新聞でこの人事をめぐる騒動をあれこれ読んだが、それはそれなりに面白かったが(面白がっていてはいけないのだが)、その人事抗争の真相が分るのは時間が経過してからのことなのだろう。
昔の公務員や官僚が優秀であり国のことを専一に思っていて、今の役人はダメだというのは、近視眼なのか、的確な見方なのかは、本当のところは時間が示すしかないのかと思えるのだが。
小生は、来週からはジョージ・エリオットの大作を読む予定で居るので、彼らの本に手が出るのはいつになることやら。でも、必ず、読みたいと思っている。
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