卑弥呼(古代の女性)像が変る!
義江明子氏著の『つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家』(ちくま新書)を読了した。この手の本には目のない小生、図書館で本書(の背)を目にした時は、刊行されて十年も経っている、ありがちな本なのかなという印象を受けた。
タイトルが、何というか、悪くはないが、目立てばいいっていう感じを受けてしまったのである。
← 義江明子著『つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家』(ちくま新書) 秀逸! 古代や古代史を見る目が変る!
が、本書は「2005-04-10出版」であり(僅か2年前の刊行!)、著者の義江明子(よしえ あきこ)氏も素人ではなく、「現在、帝京大学文学部教授。専門は日本古代史・女性史。(夫は、日本中世史研究者の義江彰夫)」というれっきとした歴史学者なのである。
名前を知らないのは、小生の無知さは別にして、専門が「専門は日本古代史・女性史」ということで、女性には特に弱い小生、少々馴染みが薄いということもあるのかもしれない。
まさに女性の視点からの著書。
よって、女性の側の贔屓の引き倒しという面がないのかどうか、当初はつい、多少は(失礼ながら、不遜ながら)眉唾的な記述がないかと警戒心を持って読み始めてしまった(正直に書きすぎているかな?)。
が、読み始めて、その論述の確かさと説得力ある記述にあっさり屈服してしまった。
先に進む前に、本書に付いての出版社側(筑摩書房)の謳い文句を示しておく:
邪馬台国の女王卑弥呼。
日本人なら誰もが知っているこの女性について、教科書で「すぐれた巫女であり、人に姿を見せることもまれで、弟が彼女を補佐して実際の政治を行っていた」と習わなかっただろうか。しかし、この卑弥呼=神秘的巫女説は、実は近代に創られたものである。本書は『魏志』倭人伝のほか、『風土記』『古事記』『日本書紀』の伝承を、木簡等の新出史料や古代女性史研究の成果をふまえて丁寧に読み解き、卑弥呼を“戦う”王ワカタケルと同種の、政治的実権をもった王として位置付け直す。卑弥呼に象徴される古代の女性首長たちの実像を明らかにし、現在の女帝論議にも一石を投じる衝撃の論考。
まずは、「日本人なら誰もが知っているこの女性について、教科書で「すぐれた巫女であり、人に姿を見せることもまれで、弟が彼女を補佐して実際の政治を行っていた」と習わなかっただろうか」という点。
辛うじて、卑弥呼という名前を知っていたことは別にして、小生もまた、そうした常識の虜(とりこ)であったことを告白しておこう。
卑弥呼が鬼道をよくするという記述で、勝手に卑弥呼は巫女的存在であり、生涯結婚せず、政治の実務は弟が行なっていたと、つい思い込んでしまう。
が、古代においては男の王であろうが女の王であろうが、政治のみならず祭祀にも関わるのが当たり前だった。
名前に付いても、字面だけでは男なのか女なのかは安易に決め付けられないこと。
特に「ヒコ」については、驚きの記述があった。
小生ならずとも、推古天皇の世に隋の文帝に倭国は使者を送った。倭国の使者は「倭王の姓は阿毎(あめ)、あ字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)、号して阿輩鶏弥(オホキミかアメキミ)」と告げたという歴史的事実は知っている(『隋書』倭国伝)。
推古天皇が女性だったことははっきりしている。
なのに、倭王は「ヒコ」つまり「彦」で「男をさすのだから推古天皇にはあてはまらないという疑問が出され、遣隋使を派遣したのは男の聖徳太子だろう、さらには実際に大王として政治を行なったのは聖徳太子=厩戸皇子に違いない、といった説も生まれた」わけである。
小生もその説に被れた一人である。
「しかしこれは、「アメタリシヒコ」の「ヒコ」を男性名接尾辞=「彦」と置き換えるところから生まれる疑問にすぎない」。「アメタリシヒコ」を、「高光る日の御子」を名乗ってきた大王一族の洗練された称号、形成されつつある天孫降臨神話を背景として成立してきた新たな称号と理解すれば、これを男に限定しなければならない理由はない」!
小生には、この「ヒコ=彦」が必ずしも男であるとは決められないという説に、目からコンタクト…ならぬ鱗が落ちる思いだった。
本書における「巫女」論や女帝の性格(あり方)については、話の焦点は違うのだが、「諏訪春雄通信218」に的確な要旨が載っていた。
つまり、「井上氏は、推古・皇極・斉明・持統の女帝と、『日本書紀』に即位を要請された記事のある春日山田皇女・倭姫の六人をとりあげ、共通する特色として、いずれも皇族出身の天皇の子か、大兄すなわち天皇の嫡長子の孫か、皇太子の子か、天皇または天皇になることのできる人の娘であり、またすべて皇太后であったという特徴を指摘し、「古代には、皇位継承上の困難な事情のある時、先帝または前帝の皇后が即位するという慣行があったのであり、それが女帝の本来のすがたであった」と結論し」たが、「このような巫女説や中継ぎ説を、荒木敏夫氏や義江明子氏はジェンダー論の立場から否定してい」るという。
本書の中で、「義江氏は、持統天皇、孝謙天皇=称徳天皇を例にあげて、中継ぎ説、巫女説にもとづく古代女帝論をもっと果敢に否定し」、「持統天皇について、氏は、天武天皇没後の後継者争いの混乱の中で実力によって王権を奪取した天皇と評価し、壬申の乱の混乱の中で実力によって王権を奪い取った天武と同様に、まぎれもない六、七世紀の日本における正統な王者であったといいます。それより一世紀以上経過した孝謙と称徳については社会変動の中で王権側の自律的皇位継承の論理にもとづいてキサキが天皇となった例だと論じ」ているのである。
女帝の「巫女」的側面については、「義江氏は直接巫女論を否定するのではなく、古代の女帝がいかに激烈な政争を勝ち抜いた実力者であったかを強調するか、王権内部の交代のルールに従って登場したにすぎないことを力説し、結果として巫女論を間接的に批判し」ているのである。
やや唐突な箇所からの転記になり、分りづらいかもしれないが、女帝論。男系天皇論に関し若干の転記を試みる:
(前略)白鳥説がでるまでは、『魏志』倭人伝のヒミコを「生涯を神に捧げた巫女」と見る“読み”は、まだ成立していなかったのだ。白鳥説によって、ヒミコであろうはずがないとされた「軍国の政務を親ら裁断する俗界に於ける英略勇武の君主」像とは、まさに明治四十年代における明治天皇のイメージそのものではないか。
また、「男尊女卑は倭が古俗なり」も、「夫婦の制が判然と確立」していることも、明治の皇室典範制定に際して、女帝否定論者によって繰り返し我国の“伝統”として持ち出されたことであった。それ故に、現実に存在した過去の女帝たちは、政府による公的な解釈では「中継ぎ」であったとされ、古代史の学問上では、さらにそれに加えて彼女たちの本質は「巫女」だとする説が、しきりに唱えられるようになるのである。
このあとには、「ヒミコ像の転換とほぼ時を同じくして、ヒミコと切り離された神功皇后のイメージにも、微妙で大きな変化があった」として、興味深い指摘がされているのだが、それは読んでみての楽しみということにしておこう。
本書で示される卑弥呼像や女帝像は、今は下火(先延ばし状態)となっている男系・女系天皇論にも、大きな一石を投じるだろう。
物理学の世界でも、「<降格>した冥王星、新たな主役に!」や「物理学界がいま最も注目する5次元宇宙理論」で示したように、物理学的世界像の大転換が今、起きつつある。
古代史にあっても、「秀逸! 工藤隆著『古事記の起源』」で示したように、その研究の視野は地球規模というと大袈裟だが、アジア規模には広がっている。
音楽に付いても、「『アフリカの音の世界』は常識を超える!」において、その予感程度は感じたように、音の世界の広がりと深さを今更ながらに痛感しつつある。
常識も大事だけれど、常識に囚われないことも同じように大事なのだろう。
ネットで見つかった本書を書評したブログを幾つか:
「新かもしかみち つくられた卑弥呼―〈女〉の創出と国家」
「多字騒論 義江明子 『つくられた卑弥呼』」
「ぶつぶつもぐもぐ 日々の食生活とか云々 「つくられた卑弥呼-[女]の創出と国家」義江明子」
「義江明子 『つくられた卑弥呼 -<女>の創出と国家』 ちくま新書 - 書評日記 パペッティア通信 - 楽天ブログ(Blog)」
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コメント
義江明子さんの『つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家』については、私も一読感激して、拙日記に短評を書いています。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050508
これから神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』を読むところです。
投稿: かぐら川 | 2007/08/14 14:51
かぐら川さん、さすがですね。
本書を刊行当時に既に読まれていたのですね。
『つくられた卑弥呼』は実に意義のある本だと思います。
神野志隆光さんの本は何冊か読んだことがありますが、『漢字テキストとしての古事記』は未だ。今年、出た本なのですね。
工藤隆著『古事記の起源』は面白かったですよ。
それにしても、かぐら川さんのブログにはコメント欄もないし、TBもできないのがちょっと物足りないな。
投稿: やいっち | 2007/08/15 08:32
すみません。拙日記は、「ブログ」より一世代古い「日記」という形式のため、一方的に書きこむだけのものになっています。。。。
もし、“噛みついてやろう!”“間違っているぞ!”という問題的?な記事がありましたら、メニューのなかの「メールを送信」からメッセージを送っていただければ、幸いです。
ところで、昭和29年のお生まれとのこと。国見さんは、H中学校の一年先輩か、もしかして同学年かもしれません。
投稿: かぐら川 | 2007/08/15 17:33
かぐら川さん
日々、あれこれと忙しいようですね。なかなか自由になる時間もないとか。
「ある野草の名前を確かめたくて、植物図鑑を持って出かける二時間があればうれしいのです」とありましたが、その後、実現できたのでしょうか。
ちなみに(植物繋がりになるかどうか)、小生は今、キングドン‐ウォード著の『植物巡礼―プラント・ハンターの回想 』 (岩波文庫)を読んでいる最中です。
堀田善衞という作家の名前が出てきて、富山県人として嬉しい。
彼の本はいろいろ読んだけど、「 定家明月記私抄」が最近では面白かった。
かく言う小生にしても今のブログ世代からすると旧人です。
と言って原始人の域には達していないので、辛うじて現役世代の端っこにいるというわけです。
早生まれの小生なので、学校はともかく、多分、一年先輩になるのかな。
投稿: やいっち | 2007/08/15 19:48