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2007/08/04

阿久悠「愛すべき名歌たち」よ、永遠に

 作詞家(小説家でもあった)阿久悠さんが8月1日に亡くなられた。
 奇しくも一昨日、読了したジョージ・エリオット著『ロモラ』関連の記事を書こうと思ったが、急遽、変更する。

 8月1日というのは、小生自身にとっても因縁の日。
 小生の名前・国見弥一の弥一(81)は、「国見弥一のプロフィール」で若干、触れておいたように「高校三年の夏、この日、小生は、神通川の土手に立ち、川面や向こう岸の呉羽山などを眺めながら、それまでの理科系志望から哲学志望に変更することを選んだ」、忘れ難き日なのである。

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← 8月2日、皇居の前を通りかかった。雲が妖しい。この日の夕方、遠く九州に台風が上陸したのだった。

 幸い、今夜、「NHK総合テレビの「プレミアム10」は急遽放送予定を変更して追悼特別番組「ありがとう阿久悠さん 日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち」を放送し」てくれたので、その番組を最初から最後まで見ていた。聞いていた。
 彼はテレビという映像の時代を強く意識した作詞家であって、ラジオやLP(あるいはCD)などで聴くのもいいが、歌手の衣裳や舞台も含め、トータルに歌手を歌を演出しようとしてた。
 何故、そうなのか。それは、歌が時代に即しているものであり、時代という舞台があってこその歌だからということとも深く関わっているのだろうと思う。

 小生が彼について今更、付け加えることなど何もない。
 以下を代表に、ネットでも豊富な情報を得られる:
阿久悠 - Wikipedia
あんでぱんだん」(阿久悠オフィシャルホームページ)

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→ 同日、午後、日比谷公園にて。いつもの場所は駐車する車が多く、ちょっと違う場所で止めて休憩。トイレへ向ったら、黄色い花が目立つ。向日葵だ。

 なんたって、学生時代、ようやく入手したラジカセで、FM放送で流れる歌を録音できるということで、ボブ・ディランなどと共に、森田公一とトップギャランの歌い演奏する「青春時代」をテープに録音し、それこそ繰り返し聴いたものだったが(貧乏学生で市販のテープもLP・SPも買えなかった。学生時代の数年で十数枚か)、阿久悠さんが亡くなっての追悼番組やニュースの中で、この曲の作詞は実は、)阿久悠さんだったのだと知った始末なのである。

 それまで、ずっと森田公一さんの作詞・作曲だと思い込んで疑わなかった。三十年以上!
 こんな小生に阿久悠さんの詞の世界について語る資格などありえようはずがない。

 しかし、こんな小生でも歌謡曲は大好きだった。ガキの頃から歌は常に口ずさんでいた。
 今はその思い出については旧稿に譲っておく:
演歌の迷い道 西田佐知子篇
演歌の迷い道
演歌という時代
「公園の手品師」の時代
歌うことと歌われるもの
日野美歌さんのことから(他:大塚文雄篇)
松原のぶえと蒼い月のこと(演歌三題)

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← 違うポイントに車を止めなかったら、日比谷公園に向日葵の小道があるなんて、まるで気がつかなかったはず。

 日本の歌謡曲の世界は、90年のバブル経済の勃興とその破裂で一気に様相を変えた。まるでその前がアナログの時代なら、それ以降はデジタルの時代に変ったと思えてくるほどである。
 時代も、昭和から平成に変った。偉大な歌手も美空ひばりが亡くなり(89年)、俳優の石原裕次郎も昭和の終わりを予告するかのように亡くなってしまった(87年)。
 この辺りのことは、昨年秋、作曲家の市川昭介氏が亡くなられた際に、多少、書いている:
作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道
 上掲の稿の中で小生は、90年前後を挟んで、日本の音楽シーンがどのように変貌したかをスケッチ風にメモしている:

 90年前後の頃から若手の自分で作詩し作曲し歌うという歌手群が輩出した。それまでのプロの作曲家、プロの作詞家が曲を作り、限られた数の音楽会社がプロデュースし、悪く言えばお人形さんだが、逆に言うとプロによって訓練され演出された専門の歌い手が歌うというスタイルが崩れ去ってしまった。
 少なくとも後景に追いやられてしまった。古いタイプのものと感じられるようになった。
 歌、特に若い人が歌う歌というのは、実際はどうなのかは分からないが、歌う人が自分で歌詞も含め曲を作る。その自作の曲を自分で歌う。演奏と録音、宣伝はプロに任せるのだろうが(但し、口コミで火が点くことも多くなった)、曲に関しては、プロではない作詞、プロではない作曲、歌もプロではない歌い手が担うものとなった。

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→ トイレの傍には、約束のように、ムクゲの花が。

 まあ、細かな理屈はともかく、少なくとも90年前後以降、少なくとも小生の場合、口ずさめる歌の誕生に際会することが極端に少なくなってしまった。個人的な事情に拠るものなのか、時代背景と多少なりとも連動しているのかの判断は簡単には付けかねる。
 ここでは、「歌うことと歌われるもの」から一部、抜粋するに留めておく:

 が、話すということと歌うということとは無縁ではないが、そこには歴然たる違いもある。話すことと同様、歌うことも目の前の誰かに向って語りかける、歌いかけるということもあるが、歌はもっと原始的というのか素朴というのか、そこに人が居ようが居まいが、とにかく内から湧いてくる感情を表現したい。吐き出したい。この世界に自分の情を投げかけたい。いっそのこと、世界を自分の情の色に染め上げたいという切なる思いに駆られているように感じる。
 そこに仲間がいれば、そして恐らくは歌の始まりにおいては、まさに仲間の輪の中で、誰かが霊感なり天の、あるいは地の霊の囁きに感応してか、地なり天なり大気からのエネルギーの通り道に自分がなっている、まさに自分が選ばれて歌う役目を担わされていると感じて、祈りのように、あるいは歓喜の叫びのように、あるいは悲しみを腸を抉り出すようにして投げ出すように歌ったのではないかと思う。
 祈り、呪い、歓び、嘆き…、そうした抑えがたい情の発露として、それとももっと清澄な情のゆるやかな流れのままに、歌が生れ歌で自分に仲間に命が吹き込まれ、逆に自分が命の担い手であることを体一杯に感じる。
 小生が、人前では勿論、一人の時でさえ、歌を歌わなくなったのは何故なのだろうか。そのとき、一体、何が失われたのだったろうか。生命とでも呼ぶしかない根源的な何か、なのだおろうか。
 でも、それだったら、ほとんど死んだも同然なのではないか。
 それとも、何か根源的な世界との通路を見失ってしまったということなのか。自分の心身の何処かには一応は歌うことへのエネルギーの噴出口はあるが、そして、目には見えないどこかにエネルギーの吸い込み口、乃至は行き場があるのだが、その連絡通路が塞がっているということなのか。
 鬱々とした情が行き場を失ってトグロを巻いているのだろうか。汗や涙や情となるべきものが、腐って膿んでしまっているのだろうか。
 それとも、やはり単純に生命力の枯渇だと見なすしかないのだろうか。

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← 日比谷公園の森は、セミも鳴き声が喧しかった。樹木の背が高く、セミの姿を見ることは叶わなかった。僅かにセミの抜け殻を見つけただけ。

 けれど、生命力の枯渇ということなら、遠い昔に散々自覚させられたことではなかったか。涸れた心とか、乾いた心とかと、どれほど嘆いていたことか。日記にはそんな言葉が無数に羅列するばかりではなかったか。
 でも、それでも、歌はあった。歌う心があった。命の無い紙飛行機か風船に懸命に息を吹きかけ、あるいは息を注入して、それでかろうじて飛行したり空を漂ったりするさまに似ているのだとしても、それでも、歌は次々に内から湧いてきた。その歌の全てが歌謡曲やポップスなどであっても、それらが自分に元気をくれていたのではなかったか。歌っている間だけ、曲が耳に届いている間だけ、とにかく情の念の名残なのだとしても、何かしらの情と潤いのある世界に自分も生きているかのようだったではないか。
 その歌さえもが湧いてこなくなった。現に聞いているその都度の瞬間だけは、息を吹きかけられた紙切れが漂うように宙を舞うが、音楽が途切れると、即座に紙切れは只の紙切れとなって舞い落ちるばかり。聞いたりした曲を歌うことで、もう一度、立ち上がり舞い上がることはない。乾いた大地で萎びてしまって、息も絶え絶えとなって、ただただひたすらにいつの日か雨が降ることを、また、曲が流れてくる僥倖を待つばかりなのである。
(略)
 大陸の果て、その先は大海という地にあって、掃き溜めの島国に住む我々は、所詮は流れ者であり、今は澄ました顔をしていてさえも、一皮剥けば何処の馬の骨かもしれないことを自覚している。自覚しないまでも、そんな流れ者、この地にあっては余所者なのだという感情がとことん身に染み込んでいる。
 これ以上、行く宛てもないし、たまたま今居る土地に住み着いてしまったが、それもつい昨日からのことであり、明日は何処へ流れていくか分からない、そんな(もしかしたら今では薄らいだかもしれない)情念を覚えないでは居られないのかもしれない。

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