バスキアの剥き出しの詩情の傷ましき
「夜汽杏奈による短編小説・詩・イラスト・絵画・コラボレーション作品等を掲載」という「夜汽車の夢」なるサイトをほんの数十分前に発見。
小生のあるサイトに足あとを残してくれ、その「夜汽杏奈」という奇妙な名前に惹かれて、つい、そのサイトを覗いてしまった。
ホームページの中は、迷宮というわけではないが、個々の作品を見て回ったら、何日掛かるか分からない。
→ 夜汽杏奈『富士も美しいパラレルワールドの宴~鳥人間世界の和と輪~』(B1サイズ 728mm×1030mm イラストレーションボード アクリル絵の具&ポスターカラー 2007.5.15) (画像は、「夜汽車の夢」より。「夜汽杏奈 ART 絵画 イラスト CG作品紹介」なる頁を是非、覗いてみるべし!)
まずは、好きなイラストや絵画の部屋への扉を開いてみる:
「夜汽杏奈 ART 絵画 イラスト CG作品紹介」
彼女自身の説明を転記してみる:
主にイラストボードにアクリル絵の具とポスターカラーで思いのままに描いています。ほぼ私の作品は、描かずにはいられない…このあり余るエネルギーは何処へ向かえばよいの?…完成イメージなんてありません。何を描くかもほとんど決めていません。描いてみないと何が飛び出てくるか、分からない。ワクワクでどきどき。そんなシュチュエーションから生まれたものが多いかもしれません。
まさにそうなのだろう。言葉にならないからこそ、絵にする、といった分かりきった理由以上に、彼女自身、横溢し噴出するエネルギーに時に圧倒されることもあるのでは。
が、取りあえずは形に成るというのは、才能に恵まれているからなのだろう。
← Jean-Michel Basquiat 『Melting Point of Ice 1984』(Acrylic, oil paintstick, and silkscreen on canvas The Broad Art Foundation)
絵画やイラストを見ると、古今の(といっても、この数十年ほどの範囲での古今なのだが)いろんな画家の要素が入り混じっているようでもある。
小生のような絵の門外漢でも感じるのは、岡本太郎であり、ジャクソン・ポロックであり、キース・へリングであり、ジョアン・ミロであり、パウル・クレーであり、アンディ・ウォーホールであり、ワシリー・カンディンスキーであり、手塚治虫か誰か漫画家の描く女性のキャラクター(特に目線など)をも思わせ、しかし、やはり彼女は彼女なのである。
残念ながら、初めて接して間もなくて、印象が生々しく言葉にならない。
→ Jean-Michel Basquiat 『Gold Griot』(1984、Oil and oil paintstick on wood The Broad Art Foundation, Santa Monica) 骨の髄まで晒し者となったような心情と詩情。都会のど真ん中という路上こそがアフリカの魂の墓場だと叫んでいるような…。
ここでは、彼女の絵から連想したわけではないが、ふと、ジャン・ミッシェル・バスキアのことを何故か思い出してしまったこともあり、バスキアの作品の数々を改めて眺めてみる。
それとも、エネルギーの噴出、さまざまな要素の混在・混沌という表面的な印象で連想したのだろうか。決して画風として似ているとは思わないのだが。
バスキアについては、「誰も皆アウトサイダーの行く末は…」や「ディープスペース:バスキア!」で多少、採り上げている。
でも、バスキア(Jean-Michel Basquiat, 1960年12月22日 − 1988年8月12日 )を知るには、「ジャン・ミッシェル・バスキア - Wikipedia」を見るのが穏当か。
← Jean-Michel Basquiat 『Flexible 1984』(Acrylic and oil paintstick on wood Estate of Jean-Michel Basquiat)
バスキアの作品というと、「NY ART(ニューヨークアート 現代アート総合ページ)」の中の、「バスキア展」という頁を覗いてみたくなる。
なんといっても、25歳の頃のバスキアの写真(全身)を見ることができる。
眼差しは、挑戦的であり、気取った表情であるようだが、その実、内面の感じやすさを自覚するが故の構えのようにも見える。
→ ジャン・ミッシェル・バスキア『モナリザ』(ポスター) バスキアが描くと、モナリザはこうなる!
バスキアというと、「1970年代末、黒人によるヒップ・ホップ音楽やブレイクダンスが隆盛し始める頃のニューヨークに、落書きアーティストとして突如現れ、80年代のスターとなったバスキア」ということになる。
以下の説明は、「無題」なる頁を覗いてもらいたい。
上掲の「バスキア展」によると、「作品に再三登場するのは、ジャズミュージシャン、チャーリー・パーカーやアフリカ文化の中で魔術を司るというグリーオ(Griot)やマスクをつけたキャラクター達。彼らは アフロアメリカンヒーローとして登場する。エネルギッシュなアフロアメリカンカルチャーを描く反面、自身の黒人ルーツを回顧し奴隷制をテーマに描いた作品もある」とのこと。
← ジャン・ミッシェル・バスキア『黒人の歴史』(ポスター) 現代はこうした絵でさえも額装され、瀟洒な部屋のインテリアに堕す。バスキアがそんな額入りの絵と化した自作を見たら…。
アート、特にポスターというと、「【楽天市場】アートオブポスター:アートポスターの販売」なるサイトを覗いてしまう。
その中の、「ジャン・ミッシェル・バスキアのアートポスター」という頁を覗く。
バスキアの多彩なポスターの数々を見ることができて嬉しい。
それにしても、バスキアの作品を目にして感じるのは、鮮烈なる詩情というより、傷ましいまでに露わな詩情。陽光の、それとも街中の有害な紫外線の直撃をまともに喰らって、無数の不可視の穴が空いているような。
壁に肌が擦られ削られ抉られ、白い骨さえも放射能に汚染された、そんな魂が行き場を失っている。この世にもあの世にも安らぐ場などありはしないのだ…。
でも、とにかく、美しい!
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コメント
バスキアの作品には、
荒荒しさとともに痛痛しさがありますね(計算の匂いも感じますが)。
彼が天才だとは思わないけれど、
なかなか魅力的な画家であることは確か。
弥一氏の記事に刺戟を受けて久しぶりに彼の画集を手に取ってみて、
改めてそう思いました。
投稿: ゲイリー | 2007/08/27 23:19
ゲイリーさん、コメント、ありがとう。
バスキアファンは思いの他、多いのでしょうか。
魅力的です。
あそこまで剥き出しの心情と傷だらけの詩情。
一見、荒々しいのも、煮え滾りボロボロになった情念を持て余していたということの証左なのだろうと感じます。
画集を持っておられるというのは羨ましい。小生は折々、ネットで見て何事かを感じるだけ。
投稿: やいっち | 2007/08/28 13:41