花火大会と空襲の間に佇む
お盆の真っ最中である。お盆の帰省ラッシュが今度は往路のラッシュとなっている。
猛暑日(「群馬県の館林で気温が40・2度を記録」!)の続く夏も、さすがに今頃ともなると、花火大会というイベントも大方は終ったようだ。
尤も、東京に付いては、「日刊スポーツ主催 2007 神宮外苑花火大会」(公式サイト)が「2007年8月16日(木)」に催される。明日だ!
しかも、予備日(17日(金))まで設けてある。
→ 山下清『富田林の花火』(画像は、「山下清「富田林の花火」 ギャラリー小山 自由が丘にある画廊 山下清の絵画,版画を通信販売(通販」より)
東京23区在住のものにはこれが最後のチャンスなのか(他にもこれから開催されるものがあるのかどうか、小生は知らない。調べたら、「世田谷区たまがわ花火大会」が「多摩川河川敷」にて「8/18(土)に開催されるようである)。
今の所、小生は今年も一つも花火大会の会場へ足を運んでいない。
ただ、都心を中心に都内をうろうろするという仕事柄、花火大会会場、あるいは見物スポットへのニアミスは少なからずある。
印象的なのは、比較的全国的にも有名な隅田川花火大会で、普段は港区などをうろちょろしているのに、そろそろ日中の暑さも穏やかになろうという頃合、その港区から足立区の綾瀬近辺までというお客さんを乗せたのである。首都高速を使ったので、途中、高速6号線は会場である隅田川に沿って墨田区を越えていく。
眼下には(運転中なのでじっと見るわけには行かなかったが、道が曲がりくねっているので)時に川面に浮ぶ何十艘、あるいは百艘を越える屋形船が見えたりする。
既に行灯などが灯され始めていて、町の灯りも灯り始め、川面は既に花火とは行かないが、光の花びらを散らしたようである。
川沿いには場所取りの青いシート(それとも青いシートや小屋の数々はホームレスの方たちのマイホームなのか…。普段なら間違いなく土手にある青い屋根の小さな構築物群はホームレスの方々の居られる一帯を示している)。
お客さんを足立区の何処かで下ろし、帰路に着こうかと思ったが、高速6号線は、往路で見たとき既に渋滞が始まっている。
小生はめげて、足立区の何処かの公園脇に車を止め、仮眠へ。
仮眠から目覚め、高速を使って、花火見物を兼ねて帰ろうと思ったら、帰路の高速は入り口が閉鎖されていた。
ああ、見逃した!
二度目は、先週の土曜日で、お台場で花火大会があったらしく、見物スポットである日の出桟橋近辺へのお客さんが引きも切らず続いていて、花火大会が始まる夕刻(の何時か)には、小生、仕事で疲れきって、花火の見物スポットからはやや離れた某公園で居眠り。
目が覚めると(あるいは、うとうとしている最中にも)花火の音がドーンドーンと聞こえる(ような気がした)。
やおら起きて、花火は無理でも夜空が花火の炸裂した光で赤や青や黄色に染まる、そんな余韻だけでも楽しもうと思ったら、人々がゾロゾロ見物スポットから、あるいは運河沿いに近年建設ラッシュとなった高層マンションなどからやってくる、出てくる。
もしや、花火大会は終った?
そうだ、音がまるで聞こえてこない。
これはもう、ニアミスどころの騒ぎじゃない。
どちらの花火大会も居眠りしている間に、始まり終わってしまったのだ。
小生らしい?!
郷里の富山市では、毎年8月1日に花火大会が行なわれる。小生は高校を卒業するまでは富山に居住していたから、8月1日の花火大会は何度となく観ている。
子供の頃は、我が家の屋根の上で見物したものだった。
屋根裏部屋の窓から家族みんなが父らの見守る中、瓦の屋根に出る。普段は、屋根に上ることは厳禁されている。大人しい小生は、雪掻き(雪下ろし)の時以外は、ガキの頃は屋根に上ったことがないはずである。
さて、8月1日に催される花火大会は、「北日本新聞 悠閑春秋 2007年08月01日 -平和の大輪-」(映像作家 ・炭谷 壮一)によると、「北日本新聞納涼花火」と称され、「夏の風物詩となっている」という。
花火は神通川の土手で打ち上げられる。
富山のこの花火大会は、「他所の花火大会とは違う意味合いがある」:
富山大空襲。昭和二十年八月一日深夜から二日未明に掛けて、百七十五機にも及ぶアメリカ軍のB29爆撃機が、富山市を襲った。死者は約三千人にも上り、負傷者も約八千人を出した。空襲の規模は、東京大空襲に匹敵するものだったともいう。燃え上がる炎は、高岡や遠く離れた能登からもはっきりと見えたという。富山市は一面の焼け野原となり、大きな痛手を負った。北日本新聞納涼花火は、その空襲で命を落とされた方々への鎮魂の花火である。戦後六十二年。今や、富山大空襲を知らない世代が、社会を動かし始めている。そして、この花火大会も鎮魂の意味合いが薄れてきた。平和となった日本ではあるが、それは先人の大きな犠牲によって実現したことを、やはり後世に伝えていかなければならないだろう。
← 山下清『長岡の花火』 (画像は、「【楽天市場】【夏・夜・花火!※1点即発送可能!】山下清『長岡の花火』リトグラフ【リボ払いCP】:アート・静美洞 shop」より)
富山大空襲のことは小生も書いている。母からの聞き書きも兼ねている:
「富山大空襲と母のこと」
小生は空襲を間近で見たことがある。それも直下で。
無論、小生は昭和29年生まれなのだから現実のものではない。夢の中で見たのだ。B29の巨大な胴体や翼が銀色に輝き、夜空があくまで濃紺であり、投下される焼夷弾はあくまで美しく炸裂し、闇夜にこの世のものとは思えぬ光の花が咲き誇ったようだった。
絵空事といえばそうに違いない。夢の中のことに過ぎないのだから:
「匂いを体験する」
漆黒の、それとも匂うほどに濃く鮮やかな藍色の闇を背景にサーチライトに、あるいは投下された焼夷弾に焼け焦げつつある街の業火に照らし出されたB29の巨大で不気味な銀色の機影が何十機も目に見えた。
明滅する光との対比のせいなのか、あんな凄まじい青は見たことがない。きっとこれからも見ることはないだろう。
上掲の転記文で気付くことがあるかもしれない。そう、焦土のはずながら、地上で逃げ惑う人の姿は一切、見ていない。
そう、あくまで美しかった。絵のようだった。絵画だった。
空襲は離れた所から見たら、安全な場所から眺め降ろしたなら…、きっと、焼夷弾を投下するB29から見たら、綺麗だったろう。絵のように美しかったに違いない。眼下で家や橋どころか人や動物、植物までが焼かれ焦がれて逃げ惑うなど、見えはしないのだ。
「62年前の大空襲! - シルバーのつぶやき - Yahoo!ブログ」を覗かせてもらう。
「今、見事に整備された富山市内を見ると当時を想像もできません」という項から転記する:
多くの人々に犠牲の上に、今の富山市があるのです。家内は、花火の音は聞きたく無いといいます。
当時の爆撃を思い出すからだそうです。
コメント欄にも、「沖縄では打ち上げ花火が無いそうです。理由は奥様が言われるのと同じ理由だそうです。戦争を知らない世代の森羅、単純に楽しめると言うのは幸せな事なのでしょうね」という記述がある。
そう、花火は美しい。鎮魂の意味を篭めて花火大会を開くのもいいのだろう。戦争を知らない世代は、花火を見て美しいとしか思わない、感じない、花火から空襲を連想するなんて野暮なことはするはずもないし、そもそも空襲(空漠)があったことすら知らないのかもしれない。
花火は綺麗だ。線香花火が特に好きだ。
でも、花火大会となると。
夜空を焦がす花火。空襲など連想せずに、ただ腹に響く音、見事に多彩に咲き誇る夜空の火の花模様を愛でていればいいのだろう。
空襲は空から、花火は地上から対空砲火のごとくに打ち上げられる…そんな野暮は言いっこなし!
「当時の富山市街地の99・5%が焼失。富山の歴史的遺産は一夜にして奪われた」、そんな悲惨な過去など忘れたほうがいい(引用は、「富山大空襲と松川」より)。
そうに違いない。
若い人たちに向って、花火と空襲を結びつけて考えなさいなんていえるはずもない。
花火を愛でるのは、江戸の世からの伝統なのだ、花火をただの花火として楽しめることを喜べばいいのだろう。
それでも、野暮天の小生は、自分だって戦争を知らない世代なのに、花火をただの花火として眺められない。
寂しい性分と言うしかないのだろう、ね。
もう一度、「北日本新聞 悠閑春秋 2007年08月01日 -平和の大輪-」から転記させてもらう:
花火を好んで描いた画家の山下清さん。「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」。花火は、平和の象徴でもある。今夜の花火大会は、毎年約三千発が打ち上げられる。その数は、平和を見守り続けてくれる、三千人の魂の花なのかもしれない。
映像作家 ・炭谷 壮一
真実は真っ暗な夜の闇に沈み込み、あるいは炸裂する火の花の眩しい光に幻惑させられる。
それが人の世の定めなのかもしれない。
でも、打ち上げられ華開く花火を見ると、ちょっと何事かを思ってしまうのである。
せっかくなので、小生らしく蛇足を:
「花火大会の夜に」
「「線香花火の思い出」など」
「花火見物、二題」
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コメント
こんにちは。
山下清画伯の花火、懐かしいです。
記憶にある最も古い絵画鑑賞体験が彼の作品展でした。
場所も時期もほとんど覚えていないのですが、この赤い花火の絵だけは鮮明に覚えています。
花火の部分が紙縒りを貼り付けて描かれているのを見て、その発想と表現力の自由さ、豊かさにワクワクしたものです。
夏風邪はもうすっかり快癒されていらっしゃるとは思いますが、この酷暑(猛残暑?)に体調を崩されませんよう、どうぞお気をつけて。
P.S. 次の記事のピンクのお花ですが、百日紅ではないでしょうか~。
投稿: 縷紅 | 2007/08/16 20:27
縷紅さん、コメント、ありがとう。
小生の絵画についての一番、遠い記憶というと……言葉が出てきません。
多分、漫画雑誌の表紙や漫画だろうと思う。
自覚的に絵画を見るようになったのは、中学の時に取っていた学習月刊誌(旺文社)で、付録にゴッホやモディリアニ、モネらの複製画が挟んであった。もしかしたら田舎の屋根裏部屋に今も残っているかもしれない。
山下清の色彩感覚や色のバランス感は絶妙ですね。この根気と繊細さは誰にも真似ができない。
彼はどんな気持ちで花火の絵を描いたのか…。
百日紅:
http://www.hana300.com/sarusu.html
なるほど、納得です。花の名前の分る人、ひたすら尊敬です。
町中を流していると、この花(木)がやたらと目立ちます。夏の暑さにも平気な顔で鮮やかな紅色を与えてくれています。
ところで、この記事を書いた当日、小生の居住する区である大田区の六郷(多摩川)で花火大会があった。灯台下暗しの典型だった:
http://www.hanabi.co.jp/taikai/hanabi.taikai.toukyou.oota.htm
投稿: やいっち | 2007/08/17 08:16
「大空襲前の富山市空撮写真公開へ 米で発見 18日から県民会館」(北日本新聞社 富山のニュース 2007年10月16日):
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20071016/7752.html
富山大空襲前に富山市中心部を上空から撮影した写真が米国立公文書館で見つかり、入手した国土地理院北陸地方測量部(富山市牛島新町)が十八日から四日間、県民会館で開かれる剱岳測量百年記念「地図展2007in富山」(北日本新聞社後援)で初公開する。
写真は、昭和二十年八月二日にあった富山大空襲前の同年六月二十一日、米軍が撮影した。国土地理院北陸地方測量部によると、これまでに空襲前の富山市を空撮した写真は確認されておらず、今回公開される写真が最も古いという。
昨年秋、米軍資料の中から太平洋戦争の空撮写真を収集している日本地図センター(東京都)の職員が米国立公文書館で発見。連絡を受けた同測量部が今春入手し、地図展に合わせ九枚の写真の劣化していた個所を修復、一枚の写真に加工した。
地図展では、一・五メートル四方のパネルにして、大空襲後の二十一年七月二十二日に撮影された写真とともに展示する。空襲前の写真には、空襲で焼失した旧富山市役所や家屋、倒壊を免れた県庁や富山電気ビル、旧富山大和などが写っている。五十年、平成十九年の空撮写真も展示され、市中心部の変遷もたどれる。
(以上、転記)
(上掲の頁には、「空襲前の富山市を空撮した写真」が載っている!)
投稿: やいっち | 2007/10/20 03:08