サンバとは音・歌・踊りの饗宴さ
「誰も皆踊る姿にしびれます」で小生はアンリ・マチスらを採り上げ、ダンスをテーマにする絵画、そして音楽(やオペラ)にまで思いを馳せている。
← 「第29回 薬王寺・柳町 七夕まつり」でのパレード、その先頭集団遠景。パレードが来るよ! 演奏の音はとっくに聞こえている。外苑東通りの拡幅工事が始まっていて、沿道のスペースも広まっているのだが、それでも、この人だかり!
そのブログ日記の末尾で「フレッチャー・シブソープインタビュー」からの言葉を一部、転記すると共に、下記の言葉を付している:
繊細な手の動きに限らず、ダンサーの動きの繊細さや躍動感、リズム感(音感)というおは、ある程度は、いや、相当程度に、他のジャンルのダンスにも共通すると思うのだが。
いずれにしても、踊ることは人間の、それとも生き物の根源に関わる、いい意味で狂的な営為なのだろう。
硲伊之助やマチスの絵からやや強引にダンス(踊り)の話題に持っていったのは、「7月8日、「第29回 薬王寺・柳町 七夕まつり」です!」で告げていた、我がサンバエスコーラ・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のパレードを見物することを意識してのことだった。
→ サンバチームの象徴である団旗を手に踊るポルタ・バンデイラとメストリ・サラ(女性の引き立て役の男性)
小生がそもそもサンバパレードなるものを見たのは、まさにこの「薬王寺・柳町 七夕まつり」でのことで、04年のことだった。
パレードを見てのカルチャーショック的な感動は、既に縷々語っている。四年前の夏から秋、そして冬、否、翌年に懸けても、サンバ関連のエッセイを幾つ綴ったことか。
今年で四年目のサンバシーズン(但し、サンバは夏というイメージだが、そうしたシーズンを迎えるためには所謂シーズンオフの準備が練習そのほかを含め、周到に為されている)を迎えたが、サンバを取っ掛かりに、踊ることへの関心は高まるばかりである。
三年前の新年会でボイ・ブンバ、昨年の夏の浅草サンバカーニバルなどを通じて、ベリーダンスへの関心も高まった。
そして、牛込でのパレードを見ると、始まったなという胸騒ぎのようなものを覚える。
← 「薬王寺・柳町 七夕まつり」の特徴は、地元の人たちの参加。お母さんとお子さんたちがたくさん!
必ずしもサンバということでなく、踊ることへの讃歌ということで、下記の雑文を挙げておく:
「「裸足のダンス」再び」
末尾から若干、転記しておく:
踊るとは、そんな悪足掻きをする小生のような人間への、ある種の救いのメッセージのようにも思える。肉体は闇でもなければ、ただの枷でもなく、生ける宇宙の喜びの表現が、まさに我が身において、我が肉体において、我が肉体そのもので以って可能なのだということの、無言の、しかし雄弁で且つ美しくエロチックでもあるメッセージなのだ。
そんなことを思わせてくれた裸足のダンスなのだった。

→ 天空へ届けとばかりに七夕飾りが。
8日(日)に見てきた「第29回 薬王寺・柳町 七夕まつり」については、画像も含め後日(多分、早くて火曜日以降)、レポートか雑文を背景(壁紙)にして、画像をタップリ掲げて報告するつもりである。
ダンサーさんたちの画像共々お待ち願いたい。
午後の一時ごろ、家を出て、会場の最寄り駅に降り立ったのがパレードの始まる直前の二時半に数分前。
パレードを最後まで見て、会場を後にしたのは四時半頃。帰宅したのは六時に十数分前。
これだけの外出だったのだが、情けなくも、小生、これだけで披露困憊。曇天のはずだったが、晴れ間も予想されるということで、ハットを被ってパレードを見、撮影をしたのだが、それでも帰宅したら、ロッキングチェアーに腰を下ろしたら、起き上がる気力もなく、呆気なく寝入ってしまって、気がついたら八時頃になっていた。
追っ駆けに過ぎない小生だが、立ちっ放しで犇(ひしめ)く観客の間を縫って動き回る数時間というのは、案外と(自分には)ハードなのである。どこかに座って定点撮影していたらなら、多少は違うのだろうが。
← 炎天下もなんのその、バテリア(打楽器)陣は嬉々として演奏する。音を届けられないのが残念だ。
それにしても、大勢の観客の間で踊るダンサーたちの元気さと気力(それともサービス精神)にはいつもながら驚かされる。
そして、歌手陣やバテリア(打楽器)陣の傍に近づいて、歌や演奏のパワーを貰う。今年の浅草サンバカーニバルのための曲をネットを通じてではなく、生で聴くのは(練習も含めて)初めてなので、それだけでも感激した。
パワフルな演奏。素人の小生など、あんなに激しく叩いて大丈夫なのか、などと頓珍漢な心配をしてしまう。
でも、バテリア陣は、小気味いいビートで以て、そんな的外れな懸念など圧倒する演奏振りを見せ付けてくれる。
→ 歌手と音響集団。サンバには珍しい弦楽器であるカバキーニョもここに加わっている。もっとカバキーニョの音を聞きたかった。
踊りへの関心が高まったと書いたが、当然ながら、音楽がなくてはサンバにならない。音と歌と踊りとの競演であり協演であり饗宴なのである。
そう、以前も書いたが、「サンバの醍醐味はあれこれあるが、やはり打楽器などの音楽とダンサーの方の踊りとの饗宴・競演・狂艶状態であるバツカーダ(Batucada)と呼ばれる打楽器隊のみによる演奏にあるように感じる。といっても、その演奏の昂ぶりに合わせダンサーの方たちも、ダンサーではない方も、観客として来た人でも踊りたい気持ちになった人だって、一緒に踊りまくる。いや、楽器を演奏されている方たちも可能な限り体を音楽に乗せている」なのである。
← もう一枚、バテリア陣の雄姿画像を。楽器と歌とダンスとの饗宴。
今回、デジカメのメモリーを従来の128Mから1Gに変えた。というか、一昨年入手した128Mのメモリーが数ヶ月前の帰省の折に故障(破損)してしまっていたので、やむを得ずの交換と相成ったのである。
この交換は、撮影には正解だった。
3Mほどの画素数の撮影を300枚ほど撮り放題にやっても、十分、余裕があったのだ。
それまでなら、3Mの画素数の撮影を150枚も撮ると、容量をオーバーしてしまい、休憩の折などに(パレードの後半の真っ最中にも)失敗した撮影の分を削除する作業が不可欠だった(その際、本当は失敗していない画像も相当に削除してしまった…らしい)。
尤も、昼間だし、晴れていたので、フラッシュは一切、使っていない。使う必要もなかった。
撮影する枚数より、バッテリーの容量のほうを(特に夜の撮影の際には)心配すべききかもしれない。
ダンスに関心があると言いながら、自分では踊らない。
それどころか、パレードなどの追っかけをし、カメラ小僧に徹している。
その実、写真より生(ライブ)に尽きるとも心底、思っている自分。
矛盾だらけだと我ながら思う。
→ ややや、パレードが終わった途端、短冊を下げた笹の木が倒されている。短冊の数が多すぎたから? 違う。実は早くも祭りの片付け作業が始まっていたのだ。…願いは昨日のうちに、ちゃんと届いたんだよね。
最後に、サンバ、写真、言葉(文章)、ストリート(ライブ)などがキーワードということもあり、サンバに夢中になった頃に書いた雑文「映像の時代」を掲げておく:
「映像の時代」(September 10, 2004 02:22)
そう、とっくの昔に映像の時代に入っている。せっせと文章を書き綴っても、一枚の写真に到底、敵わない。サンバのレポートを書いても、読む人は、まずいない。でも、そこに写真が掲載されると、その写真に目が行く。
で、ついでに、少しは文章も読んでもらえる……なんてことには、まず、ならない。読むことは、ネットだと(紙の文章以上に)結構、しんどかったりする。ネットでは短い、それこそ、簡潔なコメント程度の文章が、読む限度なのかなと感じる。
少しは読書もし、文章を書くのが好きな小生でも、そんな感じ方がある。下手すると、小生が川柳に凝り始めたのも、文章を綴ったり、練ったり、それなりの考察を加えるのがしんどくなっているからではないか、という憶測も生まれないではない。が、しかし、思えば、サンバに魅せられたのは、何故なのか。きっと、自分なりの現実が枯渇しているからではないのか。じっくり何事かに取り組む執念のようなものが薄らいでいるからではないのか。
ストリートでの汗と熱気の迸る現実。その一方での、机(パソコン)に張り付いたような日々。そのギャップの大きいこと。映像(映画やテレビ)や音声(音楽)。その圧倒的な存在感と現実感。それに伍するには太刀打ちなど思いも寄らない文章。それでも、天邪鬼の小生はこれからも、何事かを綴っていくのだろう。別に言葉が至上だと思っているわけじゃない。でも、これだという一言、言の葉を探したいという思いがある。
もしかしたら、決して逆説でもなんでもなく、人間は言葉に尽きるのではないかという思いがある。映像も音声も感触も全て動物だって、分かち持っている。共感する心だって、動物(や植物)は持っていないとは限らない。
唯一、人間が動物と違うのは、言葉だけなのではなかろうか。言葉とは、受肉された現実そのものなのだと思ったりするのは、やっぱり変わり者の思うことなのだろうか。
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