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2007/07/15

『今日われ生きてあり』の意味

 13日の金曜日というと、何だかヤバイ話のようだが、さにあらず、当日は営業の日で、当然ながらラジオに耳を傾ける日(もち、空車の間だけ!)。

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→ 『レイチェル―海と自然を愛したレイチェル・カーソンの物語』(エイミー・エアリク/文 ウェンデル・マイナー/絵 池本佐恵子/訳 BL出版)

 この日もあれこれ断片的ながらあれこれ話を聴くことができた。
 担当する車が変わり、FMが聴けなくなって、音楽とはかなり遠ざかってしまった。民放であるAMだって音楽は聴けるが、クラシックやラテン音楽やといった幅広いジャンルに渡って聴くことを期待するのは絶望的。
 まして、頼みの綱のNHKさんが相撲や野球の中継を始めてしまうと、聴く番組がなくなってしまう。
 仕方なく、FENを聴いたりして。

 それでも、夜が深まると共に、番組内容も落ち着きを増してきて、依然、音楽番組は限定的なままだが、NHKさんはいろんな話題を提供してくれて嬉しい(民放のラジオも多彩な話題を提供してくれるが、やはり、芸能やスポーツ関係に集中する。それらがつまらないわけではないが、もっと幅広く話題を拾って欲しいもの)。

 さて、金曜日はまず、レイチェル誕生百年の話題をなんと、作家の柳田邦男氏の話(ときめきインタビュー)の中で聴くことができた。どうやら「大人も絵本(1) 」というテーマだったらしい。

 例によって営業中のこととて、断片的にしか聴けなかったし、聞きかじりにしかならなかったのだが、話の中で今年がレイチェル誕生百年の話題だということ、どうやらレイチェルについての絵本が刊行されたらしいことを話されていた。

 レイチェル・カーソンについては、幾度も採り上げてきたし、「レイチェル・カーソン生誕百周年!」といった記事を今年の五月にアップさせたばかりである。
 ただ、絵本のことは知らなかった。
 柳田邦男氏が俎上に載せた絵本というと、『レイチェル―海と自然を愛したレイチェル・カーソンの物語』(エイミー・エアリク/文 ウェンデル・マイナー/絵 池本佐恵子/訳 BL出版)かなとも思うが、これは2005年7月の刊行なので、違うかもしれない(本書は小生は未読)。
 
 とにかく、小生としては、レイチェル・カーソン生誕百周年ということであろうとなかろうと、レイチェル・カーソンにもっと脚光を浴びて欲しいと思う。環境と関わるということは、人間が環境の一部(主役という表現が当るかどうかはきわどいところだが、影響力の大きさは相当にあるようだし)であるだけに、相当な覚悟がないと、自然だ、環境だと唱えたところで、ただのいい子ぶりっ子にしかならないのではなかろうか。
 彼女は命と引き換えに世に危機を訴えたのだった。

 金曜日の営業中、ラジオを聴いていてオヤッと思った人物があった。
 名前はさすがに知っていたが、同氏の本は読んだことがないし、同氏の活動内容も知識は皆目持ち合わせていない。
 その人物とは、神坂次郎氏である:
神坂先生のプロフィール

  南方熊楠の研究者として有名で、同氏の紹介で南方熊楠が世に知られるようになったといって過言ではない(とか)。

 小生が聴いた番組は、「ラジオ深夜便」の中の〔こころの時代〕で、放送の時間は土曜日の四時台だった。そろそろ営業も終わりに近づいた頃で、某所で休憩を取りながら聞き入っていた。
 テーマは、「名もなき人々の命の重さ」というものだった。
 放送の中で、自分は有名な人物は採り上げたことがないと語っていたのが印象的だった。歴史小説を書いても、誰もが知っているヒーローは扱わない。
『元禄御畳奉行の日記』(中公文庫コミック版)などが有名なようだ。
 江戸時代にあって、藩の目を用心しつつ、藩のあれこれを細部に渡って書き綴った稀有な書。
 この本も面白そうだが、ラジオでは、『今日われ生きてあり』(新潮文庫)のほうに焦点が合っていた。

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← 神坂次郎著『今日われ生きてあり』(新潮文庫)

 小生は未読なので、下記の感想文を参照願いたい:
神坂次郎『今日われ生きてあり』(新潮文庫)
「特攻兵の遺書や手記、女子挺身隊の女學生の日記、回想などをを引用しつつ、神坂氏の文章は當時の若者の姿を描き出し、このやうな尊い祖先の命に護られて自分が生きてゐるといふことに氣づかしめられます。とにかく、一章讀むのに大變な時間を要します。「涙が吹上げてくる」といふ氏の言葉がありますが、まさにその通りでありました」以下、まずは、この感想文を読んでみてほしい。
 
 あるいは、「とみきち読書日記 著者(か行)神坂次郎」もとても参考になる。

 生きて虜囚の辱めを受けるなともっともらしい命令した軍の幹部は戦後もノウノウと生き延び、命令された特攻兵は笑って死んでいった…。
 最後の写真を見ると笑っているが、これは残された家族らが哀しまないために、敢えて笑った顔を写真に遺したのだという。

 特攻隊の乗る飛行機というのは、性能の悪い機が多いとか。生きて帰ることを期待していないから、高性能の機を与えるつもりは軍にはなかったのだ。
 しかも、重い爆弾を搭載しての飛行。
 要は、無為・無駄に死んでもらえば、それであとは、軍の官僚が勇ましい大本営発表を賑々しく行なうというわけである。

 美しい日本を何とかと言っている首相は、こんな犠牲者を新たに生みたいってことなのだろうか(当然、犠牲者を生み出した軍の幹部官僚は逃げ果(おお)せるべく、巧みな処世術を弄するのだろうし)。
 
 神坂氏は戦後ものうのうと生きて恩給を貰い続けた軍部幹部の名前を実名で書いているとか。
 そうだよね。それでなくっちゃ、犠牲となった人たちに申し訳ないもの。

 なお、『今日われ生きてあり』という題名の意味するところとは、がラジオで話題になっていた。これは特攻隊となった人の気持ちや魂が今日われ生きてありということであり、神坂氏は彼らの思いを伝え続けたいと願っていることでもあったようだ。

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コメント

 レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」さえ、まだ読んでいません。紹介されている絵本も探して読みたいと思います。有り難うございました。
 思い出してみると、テレビで本の情報を得るということはほとんどないのに、仕事の移動中に、ラジオで知った本の多いことに気づきます。
 それにしても、国見さんのさりげない筆致のなかに、ラジオというメディアの特性がうまく切り取られていて、思わず同感の笑みをさそわれました。

投稿: かぐら川 | 2007/07/15 07:20

かぐら川さん、来訪、コメント、ありがとう。
体調のほう、如何ですか。
小生は日頃からテンションが低いので、落ち込んだりしても誰にも気付かれないというありがたさ。
まあ、ボチボチやっています。

レイチェル・カーソンについては、リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊)が秀逸です。
但し、浩瀚な本。カーソンの本は「センス・オブ・ワンダー」などを覗くとやや読みづらい面もあるかもしれない。
その点、上掲の本はカーソン自身の文章やエピソードをたっぷり盛り込んであって、卑近な表現を敢えて試みると、「風と共に去りぬ」を読むような、わくわくする読み物になっています。
評伝としてもピカイチかも。

ラジオ、今の仕事に携わって、学生時代以来のラジオが友という生活になっています。
テレビでは漏れてしまう話題に日々接することが出来て、時代の(メディア)の進歩では忘れがちな聴取者層の存在を強く感じたりします。
でも、ラジオを聴くといっても、一応は仕事中なのですよ!

投稿: やいっち | 2007/07/15 08:18

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