「線香花火の思い出」など
昨日のブログ日記「ラジオ聴き音の風景たっぷりと」にて、以下のように書いている:
昨日28日の夕方、隅田川の傍を通った。といっても、首都高速の上からのこと。開催される一時間ほど前に実車で高速を走りつつ、眼下の隅田川をチラッと眺めたのである。隅田川に屋形船が一杯、浮んでいた。まるで花の筏みたいに。
でも、花火大会は見れなかった。今年も。隅田川の花火大会、小生は一度も見ていない。
→ 7月28日、都内某公園にて。月齢は「13.6(中潮)」だったようだ(「こよみのページ」参照)。
文中、「花筏 (ハナイカダ)」という言葉がある。
これは(まさに「花筏」という花もあるが)、ここでは「桜の花が散って花びらが水に帯状に浮かんで流れるさまを「筏」に見立てていうことば」として使っている。
やや似たような言葉に、「花筵(はなむしろ)」がある。
これは、「花見の時に敷く莚」の意味もあるが、「和歌では(略)散り敷いた花びらを莚に見立てた語として使われ」ることもある(「花 莚」参照)。
小生などは、「散り敷いた花びら」の光景について、「紅筏(べにいかだ)」という言葉を僭越にも推奨しているのだが。
ところでさて、隅田川(に限らず)の花火大会を見逃した口惜しさもあるが、せっかくなので、小生の花火関連の記事を(旧稿を温めるという主旨で)紹介しておきたい。
まずは、掌編「花火大会の夜に」である。
昨年の7月30日に作っている。昨年も花火大会を見逃している!
この掌編というにはやや長めの小品では自転車が小道具として使われている。
翌月の8月、お盆過ぎにバイクを手放し自転車を愛用するようになる、その予感があったのだろうか(ちょっと、強引か)。
さらに、「線香花火の思い出」という5年前の今頃書いたエッセイがある。小説は物語であり虚構、エッセイは実話という方針を立てている小生、まさにこれは思い出話である。
といっても、なんてことない、語るには価しないような、ささやかな思い出に過ぎないのだが。
旧稿を温めるという意味もあるので、以下、転記しておく。
「線香花火の思い出」
それこそもう、三十年以上も昔のことになってしまった。
毎年、八月の声を聞く頃になると、ちょっと心が騒ぎ出す。郷里で花火大会が開催されるのが、八月一日なのである。
夏休みに入って一週間もしないうちに、夏休みの宿題は片付けてしまうのが自分の習慣になっていた。せっかちなのだ。受け取って数日のうちに大半が終り、七月の終わりごろには、残る課題というと、絵日記とか工作とか、苦手な制作モノになる。
日記は毎日書かないといけないが、それが苦手だし、工作は不器用な自分には、どこから手を付けていいか分からず、大概は夏休みの終了直前になって、切羽詰った状態で取り掛かる。当然、やっつけ仕事になる。
ほとんどの宿題を七月中に片付けるとは勉強好きだと思われるかもしれないが、実際には上記したように、せっかちなだけである。心配性なだけなのだ。
その証拠に、夏休みの間、宿題を片付けると後は一切、勉強をしない。
従って、夏休み明けの試験は最低である。多くの同級生達は、最初は宿題を放っておいて、休み終了直前になって、ラストスパートをかける。付け刃であろうと、とにかく二学期が始まる前には勉強している、教科書や問題集に目を多少でも通していることになる。
一方、こちとらは、全くの放心状態である。二学期の始まる前の日にカバンや教科書を懐かしげに用意するだけである。
そんな、呆け状態の夏休み期間中の自分にも、区切りとなるようなイベントがある。思い出したように設定されている登校日はともかくとして、少年の頃の野球大会と、八月一日の花火大会は胸躍らせるものがあった(野球大会の思い出は別の機会に既に書いたので、ここでは省略する)。
ようやく訪れた花火大会の当日、屋根裏部屋の窓から、まず父が最初に屋根の上に出る。屋根瓦の状態を確認し、足場を確保した上で、娘や息子達を引っ張り出すわけである。
悲しいことに細かな様子は覚えていないのだが、屋根の上に陣取った一家は、夕方の七時頃に郷里の神通川の川原で打ち上げられる花火を、みんなで眺めるわけである。
実際に、花火大会の会場へ足を運んだことが一度だけあったはずだが、それ以外は、ずっと自宅の屋根の上で一家揃って花火観賞をしたのだった。
遠くの夜空に打ち上げられる花火の閃光。そして炸裂し大輪の花を咲かせ、やがて遅れてドーン、ドーンという重く鈍い音が響いてくる。
時折、聞こえるちんけな炸裂音は、近所の家の庭か田圃で誰かが買ってきた打ち上げ花火を打ち上げている音である。規模は小さいが、ともかく間近で打ち上げ花火を見る迫力は、捨てがたい魅力があるのだ。
← 同日同場所にて。雲の多い空。一瞬にしろ、月影が望めたことは運が良かったのだろう。花火もいいけど、一人で拝む月影はさらにいい。
さて、そうした花火大会とは別に、家の庭でもささやかに花火大会を催す。近所で買った花火一式を、これが最初、こっちがいいとか侃侃諤諤とやりながら、鼠花火やら爆竹風の花火やら、名前は分からないが、二十センチほどの化粧紙で彩られたダンボールの筒から火花が数十センチに渡って噴出すものや、色とりどりの火花のショーを楽しんだものだった。
しかし、最後に残るのは、何故か線香花火なのである。途中に、ちょっと遊びで点火して楽しんだりはしても、ほとんどは残してある。
線香花火の儚げな火花をみんなでじっくり楽しまないと、おもちゃの花火とはいえ、締め括りの気分になれないのだ。やっぱり線香花火は、定番中の定番であり、華やかな花火ではないのに、一家の花火大会の<とり>を必ず務めることになるのである。
線香花火には、日本的美意識の粋が凝縮されているのかもしれない。
ほんとうにいい線香花火というのは、今ではなかなか入手が困難だと聞いている。なんといっても、線香花火は、「原料はとってもシンプル。和紙(こうぞ紙)と硝石と硫黄と松煙。これだけあればできる」という。
が、原料がシンプルということと、作りやすい、原料が入手しやすいとは、全く別物である。和紙を紙縒りにするにも、今では忘れ去られた熟練した技術が要る。
火薬だって、その量の加減を間違えると、紙縒りの先に火の玉ができないし、できてもすぐにポトンと落ちてしまう。
線香花火は、作る段階から、何から何まで微妙なバランスの上に成り立っているのだ。そんな繊細な秘密など、子どもの自分に分かるはずもなかったが、しかし、感覚的に何か幻を見ているような儚さは感じとっていたように思う。
今も、きっとあの当時のようなものでは到底ないとしても、線香花火は入手できるのかもしれない。でも、入手が叶わないのは、昔の家族の風景だ。
今、全くの一人ぼっちで暮らしている。一緒に花火に打ち興じる相手もいない。昔は一緒だった相手もいない。だからこそ一層、線香花火は思い出の中で、儚く切なく夢のように煌いているのだろう。
(02/07/28作)
参照:「線香花火について」(ホームページは、「おもちゃ花火のドラゴンシリーズ」)
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