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2007/07/28

加藤真著『日本の渚』…我々の所業!

 加藤真著の『日本の渚 : 失われゆく海辺の自然』(岩波新書 ; 新赤版 613)を昨日、読了した。
 本書は、図書館で車中で読むに相応しいものをと物色していて、「渚」という言葉に何故か感電して手に取った本。

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→ 加藤真著『日本の渚 : 失われゆく海辺の自然』(岩波新書 ; 新赤版 613)

 出版されたのは1999年なので、今更読むのも遅いかと思ったけれど、それでも、日本の嘗ての白砂青松が危機的状況にあることを思うと、やはり読んでおきたかった。
 実際、同氏には、本書のほかには(論文は別にして)本は出されていない。ちょっと惜しい。

 出版会社の謳い文句を示しておく:

 干潟・砂浜・サンゴ礁…。日本列島を美しくふちどり、豊かな自然をはぐくんできた渚が、いま急速に失われようとしている。北海道から琉球列島まで、全国各地の海岸をたずね歩いた生態学者が、かつて人々の心のうちに映じていた渚の原風景を描きつつ、その生態系と機能、生物多様性を説きあかし、渚の保護をよびかける。

 筆者である加藤真氏は、本書の「あとがき」によると、幼少の頃を、駿河湾の白砂青松の渚で過ごした」という(加藤 真 (かとう まこと)教授には「京大・人環 加藤真研究室」というホームページがある)。
 以下、次のように続く:

 無数の貝が波遊びをする渚の情景は、遠い日の忘れられない記憶のひとつである。砂浜にたたずめば、海岸線に沿って果てしなく続く砂丘と松林に、沖に向かって果てしなく広がる海と空に、視線は吸いこまれてゆき、日々の悩みや悲しみも、一瞬忘れてしまう。解放感で心が真っ白になり、ふと気がつくと汀線に貝殻が落ちている。その貝を昔の人々は忘貝(わすれがい)と称したが、忘れるための道具は、実は忘貝ではなく、そのような貝が打ちあがる美しい渚そのものだったのだろう。

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← 05年1月に富山・岩瀬浜で撮影。松林……。「蓬莱(ほうらい)と徐福」参照。

 悲しいかな小生には、そんな思い出の渚はない。小生が生まれ育った富山市の海、あるいは浜というと、岩瀬浜(か浜黒崎)だが、砂浜はゴミが一杯で、海水浴のシーズン真っ最中でも裸足で歩くのは危ない始末。
 本書でも歎きの声が綴られているのだが、海岸へ注ぐ川の上流にはダムがあって、本来なら川へ、そして海へ流れ込む砂(や砂利)がダムで堰き止められている。
(ダムの底に溜まる土砂を海へ放出する試みが一時(今も?)されていて、問題になったりしたが、小生は、一定の土砂・砂利を日々ダムの底から掬って、ダムの脇から川へ放出するのがいいと思う。そう、日常的に砂利をダムがなかったなら下流へ流されていったと予測される量を放出すべきと考えているのだ。)
 
 ガキの頃、学校の授業でだったか、先生が浜がドンドン、抉られて侵食されている、なんて話をされ、それをまた鈍い小生はちゃんと理解していなかったからだろうが、海水浴や自転車で浜へ行った時など、波の脅威を覚えるだけで、その原因にはまるで思い至らなかった。
 本来は、ダムで止められたりせず、砂利は下流へ流れ込んでいたはずなのだ。多分、岩瀬浜だって、多少は遠浅の箇所もあったのだろうし、白砂青松の名残りもあったのかもしれない。

 が、岩瀬浜の浜辺に立つと、寄せては返す日本海の、富山湾の波が浜をドンドン浸食している。
 なので、浜には巨大なテトラポットの塊が数知れず沈められている。消波の役を果たしているのだろう。
 無論、防波堤だってあった。

 今は、岩瀬浜も整備され、一見すると綺麗な浜に成り代わったが(そでもゴミは情け容赦なく捨てる人が居る)、コンクリートで護岸された、白砂青松とはまるで違う、本書の著者は厳しく指弾するような浜に過ぎない。

 貝殻だって打ち上げられることもあるが、とても、貝殻から海を宇宙を生命の神秘を思うような、そんな想像力を掻き立てるロマン性の雰囲気は漂ってこないのだった。
 なんたって、ゴミがいっぱいだし、浜はちょっと先まで行くと、一気に深みへと続いていくので、小生には海(の深み)への恐怖の感のほうが未だに印象が強いのである。

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→ 同じく、05年1月に富山・岩瀬浜で撮った海岸線。「蓬莱(ほうらい)と徐福」参照。

 それでも、「日本の渚・百選」に富山からも選ばれていることに、ちょっと安堵した。
 そんな海を見て育ったなら、海への印象も随分と違ったものだったに違いない(と思いたい)。
 でも、ホントに百箇所もあるのだろうか。「平成6年 運輸省認定  「日本の渚・中央委員会」選定 」というが、底頃から十数年、今や見るも無残ってことはないのだろうか。

アイランドストリーム シーカヤックツアー カヌー 和歌山 湯浅湾」なるホームページの、「「日本の渚」加藤 真著、岩波新書」という頁の書評がなかなか参考になった。
 冒頭に、「シーカヤックで日本の海をダーッと見てきて、最も強く感じた惨状が2つある」と、いきなり惹き付けられる。
 それは、「ひとつは「鉄分」が足りないということ、そしてもうひとつは海岸線がことごとく貧々としているということだ」という。

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← 7月26日、成田空港へ行った帰り、美浜で休憩した際に撮った岸壁風景。釣り人が談笑していたっけ。これはこれで風景としては綺麗なのだが……。

 一つ目について:

 まず前者は「海の砂漠化」という状況に繋がっている。全国的規模で雑木林を切り、杉・ヒノキといった針葉樹を植林したことによって、あるいはダムの乱造によって、落ち葉の堆積が形成する腐植土層からの鉄分が海に流れなくなった。結果、鉄分を必要とする海藻類がダメージを受け、そこで育つ魚介類が激減した。本来藻場だったところが砂漠化し、真っ白な「石灰藻」が岩礁を覆い、そこにウニがおびただしく点在するという異様な状態が全国到るところでみられる。特に北海道の日本海側などは悲惨な状況だ。

 二つ目について:
 後者の海岸線の貧窮。埋め立てや護岸化が進んでいることはよく知られたところだが、ごっついど田舎の海岸線も、誰も見ていないと思ってことごとくコンクリート漬けにされていく状況は、まだまだとどまるところを知らない。そしてダムの乱造によって山から供給されるはずの砂が激減し、おまけに無駄な漁港の公共事業ともあいまって、砂浜海岸がことごとく侵食されてしまっている。

 以下、上掲の頁を覗くと、ある意味、本書の要約が読める(ような気がする)。
 無論、本書にはカラー写真も含め図解が豊富に載っていて、読んで、見て楽しい。
 それにしても、渚の惨状を思って、移動の車中で読みながら、つい、夢中になってしまって、降りる駅を間違えたりしたこともあった。
 日本にも嘗ては何処にだって白砂青松があったのだ。沖縄を含め、その大半を破壊し、また、破壊しつつあるのは、自然を大切にする民族と自称する我々の所業に他ならないのだ。
 コンクリートで固めるばかりが公共事業ではあるまいに。

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