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2007/07/18

創作の世界の広さ思い知る

7月18日のミクシィ日記(コメント)から
 言葉って怖いよね。
 自分でブログなんて書いていながら、気付かないうちに舌足らずな表現になって、気付かないうちに人を傷付けたりしている…かも(誰も指摘してくれないと、そういう奴だって思われてお終いになる!)。

 創作でも、小生は実話はエッセイで小説は虚構(作り話)って決めているけど、それは、仮に実際にあったことが脳裏にあっても、書き出しの(冒頭の)数行を書いた時点で、その数行の言葉の連なりが命を持ってくる。
それらの一節の言葉がリアリティを持ってしまう。
 となると、ストーリーも、その冒頭のリアリティや使った言葉のイメージを背負ったものになる。
 で、ヒントや切っ掛けは実話であっても、それどころか実話に根差した話を書こうとしていても、気が付いたら、物語の森に迷い込んでしまっている。
 小生にとってストーリーって、物語の森からどうやって出口を見つけるかってこと、現実の世界へどう戻れるかってことみたい。
                          (以上、転記)

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→ 小ぬか雨の降る7月17日、都内某公園にて。花の名前は…。

 16日の夜半過ぎ、「虹の彼方に」という題名の掌編(短い小説)を書いた。
 ほぼ丸一日の営業を終え帰ってきて、某サイトの日記を読んだら、「言霊」という題名で気になる話が載っていた。
 残念ながら、人の日記なので内容を紹介するわけにはいかない。
 ただ、曲がりなりにも創作するのが好きなものとしては、言霊ということでなくても、言葉への関心、言葉の持つ力への感覚はちょっと敏感なものがある(と自分で思っているだけかもしれないが)。

虹の彼方に」は、創作だが、カテゴリーとしては「小説(ボクもの), 思い出話, 恋愛」を選択している。
 実際には、今のオレの思い出の中のボクの話なのである。オレとボクとが語り手として交錯している。
 オレは、ボクを卒業しきれていない。大人になり切っていない。オレの中にボクが顔を覗かせる。ボクの思い出がオレの脳裏を時に占有したりする。

 さて、思い出話という以上は、実話なのか。
 実際には、違う。書く発端、あるいはヒントや手掛かりとして、思い出が根底にあるのは事実だ。つまり、押さなかった頃、近所の遊び仲間と虹の根っこを追いかけて行ったことがある。誰かが根っこには宝物が埋まっていると言ったらしく、少なくとも<ボク>は真に受けていたってことなど。

 でも、それらの細切れの思い出というよりは、ほとんど観念に近い部分は今の自分にもこびり付いているとしても、そのほかの物語のほとんどの場面は創作である。
 というか、書いているうちに、表現に使っている言葉や場面に引きずられて、ちょっと物語の森に迷い込み始め、その時点で自分の思い出や記憶からはずっと遠ざかってしまう。

 森の中にどれほど深く迷うかはそのときの雰囲気や精神的余裕の程度に関わったりする。
 そう、創作しかけたとはいえ、翌日(翌朝…当日の朝)には仕事が待っている。それも通勤時間などを含めると丸一日の営業仕事。
 よって、創作に割ける時間は多くても二時間。
 つまり、正味一時間ほどは物語の森に迷ってもいいけれど、物語の山場に差し掛かったなら、戻り道を早くも探し求めないといけない。物語として一応の結末へ持っていくことが強く意識されていないといけない。
 多少の手直しも含め、二時間で物語の世界、虚構の時空からこの世へ、無味乾燥だったりする現実の生活場面へ戻ってこないといけない。

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← 雨の雫って、気持ちいい?

蜃気楼の欠けら」という掌編も、カテゴリーは「小説(ボクもの), 小説(幻想モノ), 思い出話」である。
 実話は、小学校の遠足で魚津にある水族館へ行き埋没林を見たこと、さらに魚津の岸壁だったか浜辺で運良く蜃気楼を見たこと、そのとき、浜辺に蜃気楼の欠けらを見たこと、その欠けらとは実際には発泡スチロールに過ぎないと後で(後年になって)分かったこと、などである。
 後は、話の流れに乗っているだけ。水族館でのエピソードも、でっち上げの話。

ボクの金閣寺」も、カテゴリーは、「小説(オレもの), 小説(ボクもの), 思い出話」と、思い出話系統である。
 が、記憶を辿る限りは、実際にあっただろうことは、真冬、雪のたっぷり降り積もった或る日、土間の脇の小屋で貯蔵してある灯油のドラム缶の傍で、四角いブリキの容器に灯油を注ぎ、新聞紙を芯代わりにして、マッチで灯油に火を点けようとしていたことだけ。
 後は、特に金閣寺炎上の話との絡めていたなんてのは話を書いているうちに物語をどう展開したらいいのか分からず、そのうち苦し紛れに思い浮かんだ<エピソード>なのである。

 物語というのは、一体、何なのか。
 無から有を生じさせること?
 物語で展開する世界は、その場面の連なりも含め、一体、<存在>しているものなのだろうか。
 話としてリアリティを持つというのは、実際に話があろうがなかろうが、ありえようがありえなかろうが、何処かの世界ではありえる、否、あったか、あるいはあるだろうという、一つの虚構の実話なのだろうか。

 それにしても、小生はガキもの、あるいは思いでものが創作では多い。人間として成熟していないってことの証拠? ただ、保育所時代に自分という人間が出来上がってしまった。
 その頃に、度し難い世界に迷い込んでしまっていて、もう二進も三進もいかなくなってしまっているらしいことは、感じざるを得ない。
 情けないけれど、保育所時代以降は人間的な体験や思い出の積み重ねという点では、保育所時代までの自分(の情念や体験や観念など)が分厚いマグマなのだとしたら、それこそ表層にしかならないでいるような気がする。
 
 そのガキの頃のこと、特に保育所時代のことに真正面からぶつかって表現すること、物語に仕立てることは、なかなかしんどくて、取り掛かる気になれない。
 当分は、似たり寄ったりの<思い出>話を細切れに書き綴っていくしかないのだろう。

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→ 木の全体像。雨模様の空を背景だったけど、逆光状態に。濡れた白いシャツは妙にそそるけど、白い花ってやっぱり快晴が似合うね。雪の降るような時期に咲く白い花ってあるんだろうか。白梅?

 結局は、創作は徹底して虚構、実話はエッセイの形式で書くという、表現上の棲み分けのようなものが自分の中で出来ている(みたいだ)。
 エッセイでは実話を、ということでは、例えば、「猫と扇風機の思い出」や「有峰慕情」などが例として挙げられる。
 可能な限り思い出に即して書いているので、当然ながら幻想や文章j表現の面白みにのめりこむというわけにはいかない。表現も抑制気味になる。
 が、ちょっとでも油断すると、創作の領域へ傾きそうなのが、読み返してみると気付かされる(小生自身にしか気付かないことなのかもしれない)。

 創作はあくまで虚構、実話はエッセイという棲み分けがどこかで崩れることがあるだろうか。多分、自分についてはない。創作で実話オンリーってことはありえない。
 それほど、文章表現の可能性を尽くすという意味では、虚構の世界の広がりはまだまだ際限がないと感じるのである。

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コメント

リンク、有り難うございました。私の日記のリンク集にも加えさせていただきました。

この花も「ムクゲ」(Hibiscus syriacus)ですね。ムクゲは品種(園芸種)がたくさんあります。それぞれに名前が付けられています。
たとえば↓
http://stewartia.net/engei/tree/Aoi_ka/mukuge_hinsyu.html

このムクゲの学名――属(genus)が“Hibiscus”で、種(species)が“syriacus”――をそのまま解すると「シリアのハイビスカス」。ハイビスカスは、エジプトの美の女神「Hibis」とギリシャ語の「isko(似ているの意)」からというのがnet上の情報です。
話をそんな衒学的なところに進めるつもりはないのですが、シリアなりエジプト神話なりという時空が、ただ無心に?咲いている5弁の花の裏に横たわっているのですね。


[コメント欄が不具合。自分のコメント(レス)なのに、スパム扱いになる! 何か変な言葉が下記のレス文の中にあるらしい…。なので、レスはここに書きます!]

かぐら川さん、コメント、ありがとう。
勝手にリンクして失礼しました。貴サイトにはコメント欄がないので、コメントを寄せることができないので、せめてリンクだけでも、ということなのです。
花の名前、そのほか、教えていただき、ありがとうございます。

実は、この花の仲間、以前、扱ったことがあります(かぐら川さんににコメントを貰っている!):
「雫垂る木槿の面に空映し」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/07/post_b111.html

花(植物)の名前の由来などについて調べるのは小生、大好き。このブログでも何度となく関連の話題を採り上げています。
やはり、名前を付けることは、実に人間的なことだとつくづく思います。


小生、花(植物)の名前、全く自信がない。自信喪失。

投稿: かぐら川 | 2007/07/19 22:29

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