ラジオ聴き音の風景たっぷりと
昨日、土曜日は営業の日。真夏日になってしまい、熊谷では35度以上だったとか。
タクシーの中は冷房が効いていて涼しいのではと思われる方もいるようだけど、さにあらず。
確かに車外よりは涼しいかもしれないが、主に後部座席に乗るお客さんが乗った瞬間に涼しいと感じるようにするには、運転手本人には涼しいどころか寒いほどの温度に設定しておく必要がある。
← 鮫島有美子『千の風になって~新しい日本の抒情歌』(コロムビアミュージックエンタテインメント) 昨夜の話の中で、オペラを含め、ステージで歌を歌うことにプレッシャーを感じたことがないという話が妙に印象に残った。天性の歌手でありエンターティナーだってことなのか。
その冷たい風の直撃を受けないよう、日頃、用心は怠っていないつもりだが、それでも、夕方、そろそろ冷房を弱めに設定し直す頃には体がだるくなっている。
しかも、休憩時、風向きを変えるのを忘れ、冷気を口にまともに受けてしまって、喉の弱い小生、今、喉が痛い!
このまま、風邪へと真っ逆様に落ち込んでいくような予感。
冷房については、車内はなんとか低めに設定できても、頭部やウインドーに近い部分は、遠赤外線なのか、容赦ない日光の日差しの余波を喰らってしまって、冷房の効果も相殺されてしまう。
つまり、体の胸から下や、ウインドー側でない部分は冷房で冷え、その他の部位は遠赤外線効果で暖まってしまって、体が斑(まだら)模様に冷やされたり温められたり。
なんとか、車のボディを断熱効果のある素材にしてもらいたい。車のボディ用の断熱素材が開発され、遠赤外線効果を低減できるようになったら、エアコンの温度設定も抑え気味にできるはず。
昨日28日の夕方、隅田川の傍を通った。といっても、首都高速の上からのこと。開催される一時間ほど前に実車で高速を走りつつ、眼下の隅田川をチラッと眺めたのである。隅田川に屋形船が一杯、浮んでいた。まるで花の筏みたいに。
でも、花火大会は見れなかった。今年も。隅田川の花火大会、まだ、小生は一度も見ていない。
さて、気を取り直して。
昨日は、車中で興味深い話を聴くことができた。
例えば、NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」の中の、「特集・わが人生の歌語り 作家…五木 寛之 【きき手】須磨佳津江」や、「ネット被害から子どもをどう守るのか - 携帯サイトの被害の実態と対策 - 群馬大学教授…下田 博次」、さらには嬉しいことに、「歌は永遠の喜び」 ソプラノ歌手…鮫島有美子」などなど。井上揚水の「傘がない」を鮫島有美子さんが切々と歌っていた。
どうやら、『千の風になって~新しい日本の抒情歌』(コロムビアミュージックエンタテインメント)に所収となっているようだ。彼女が井上揚水の歌を歌う…。この歌を聴けただけでも、土曜日に仕事に出た(車中でラジオを聴いた)甲斐があったというもの!
→ 中川 真著『サウンドアートのトポス―アートマネジメントの記録から』(2007-04-20出版、(京都)昭和堂 ) 「この樹には音がなっている!…自然のなかに身を潜めるように佇む音。そのひそやかな営為にアーティストは何を込めているのか?伝説のアートイヴェント〈現代のアートの森〉に登場したロルフ・ユリウスと鈴木昭男を軸にサウンドアートの真髄に迫る」だって。読みたい!
今回は異色の話を聞けたので、その話題を採り上げる。
それは、NHKラジオ第一の「かんさい土曜ほっとタイム」という番組で、テーマや語り手は、下記:
「音の世界 大阪市立大学大学院教授…中川 真」
語り手は、マルガサリメンバーの中川 真氏だったようだ。
中川真(しん)氏は、「東南アジアの民族音楽、サウンドスケープ、サウンドアートを研究する。ジャワ音楽をシスワディほかに師事。1980年代よりガムラングループを主宰し、カナダ、インドネシアへの海外公演を成功させる」という人物。これ以上のことは、リンク先を覗いてみて欲しい。
また、「中川 眞 NAKAGAWA Shin 教授」なる頁が同氏のプロフィールを詳しく教えてくれる。
演奏会の回数もかなり重ねられておられるので、実際に演奏会に行かれた方も多いのでは。
中井真氏には、『平安京 音の宇宙』(1992年6月 平凡社)という面白そうな著書がある。
「都市京都の環境音についての文化史的考察。建都以来ほぼ1200年にわたる音の変遷をコスモス・カオス・ポリティクスの3部構成により解明。国文学、歴史学、人類学など、多様な資(史)料に基づくとともに、風雨、人声、音楽、祭礼音など、さまざまの音を考察の対象として、一つの代表的都市における音の実態と変遷を論じた」というもの。
小生は未読なので、読まれた方の感想をネットで探したら、ネット上でリンクしている方が読まれていた。さすがに、読みが違う!
「山頭火つれづれ 燃ゆる火の、雨ふらしめと燃えさかる」
一部だけ転記させてもらう:
本書は、古代京都の原風景の香りを残すという下鴨神社の糺森の音風景に聴き入ることからはじまり、平安朝文学、紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」を音の環境や風景から読み解いてゆくとどんな世界が展開し、どんな特色が見出されてくるかを紡ぎだしていく。
「今昔物語」にひそむ鬼の声や闇のなかの音、あるいは中世都市民たちのカオスというべき「永長の大田楽」のざわめき、静謐の侘び寂びへと徹した利休の茶の世界の音、さらには空也・一遍の踊念仏から盆踊りへとつらなる音風景の変容など、著者の軽快なフットワークは文学・美術・建築・都市環境・祭礼・日常生活その他のあいだを駆けめぐる。
「こういった仮説(京の梵鐘の配置そのものが、中世の「コスモロジー」を表現しているという「仮説」)が著者自身の深く知るインドネシアの音環境の興味つきないフィールドワークとも通底しているところに、著者の壮大な音響コスモロジー解明を正統づけるような展望があるのだろう」とある。
拙稿「秀逸! 工藤隆著『古事記の起源』」にて、「古事記」研究が新しい段階へ移行しつつあり、日本のみならずアジア規模で文化や神話などの淵源が探られることで、新たな展望が開けつつあるようだと書いているが、何処か符合しているようで、なんだかワクワクする思いがある。
音に限らず、日本の文化は広くアジア各地と交流し受け入れることで豊穣な世界を醸成することができたのだろうと思う。ナショナルな文化はインターナショナルであってこそ、豊かさを保証されるということだろうか。
← 中井真著『平安京 音の宇宙』(1992年6月 平凡社) 本文、参照。
さて、肝心の昨日の話だが、仕事中ということもあり、話は聞きかじりさえ出来なかった。
キーワードだけ列挙するような風にメモしておく。
話の取っ掛かりには、風鈴の涼しげな音が流されていた。
実は、この風鈴の音の大本が話のテーマ。
つまり、カネの話。但し、カネといっても、金属のこと。古代においては金属は貴重なものであり格別なモノだった。梵鐘の音への思い入れ。金属(製品)を所有できるかどうかは権力者の関心事でもあった。
中川真氏は、サウンドスケープという概念を世に提示されている。「我々現代人は近く、大きい音を聞くことにばかり慣れてしまっているが、古代人のように遠く耳を澄ますことさえすれば、数えきれない程の音に囲まれていることに気がつく」という。
昨日は、そのことを、<金属>の音への古代人の格別な感じ方を通じて示されていたように思う(やや小生の推測の気味がある)。
「京都精華大学」の「マルチメディア講演会 サウンドスケープのかなたに」参照。
聞きかじりで、肝心の話の中身がスッポリ抜け落ちているようで我ながら情けないが、興味深い視点を与えてくれたように思っている。
「Gamelan Marga Sari 」というブログを発見。「ガムラン マルガサリ*のメンバーによるブログ」だとか!
こうしたブログと遭遇できただけでも、記事を書いた甲斐があった?!
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コメント
『平安京 音の宇宙』- この著者のものは京大の院生の時分の論文集を読んだことがあります。実はこの本も手元にあるのですが、縁遠くて積んであります。いづれ機会がありそうなので読んでみますが、茶席に関して次のようにあります。
山居閑中の草庵ていは、問人をもいといはなれたる本意なるに、客を待催したるに心にすることあるにべからず。
利休のこれを挙げて、著者は市中に山居の音の世界に迫ります。そこで、雑踏の中で「ひとつはすべての音に対して耳を開くこと。」「もうひとつは何も聞かないか、あるいは特定の音だけに注意を傾けること。」として、「わび茶における耳は後者、すなわち拡散型でなくて求心型を志向しているのではないかと。」と仮説を立てています。
これで想像つくように、著者はサウンドスケープの学習からそれを様々なコンテクストでそこに 持 ち 込 ん で いきます。その結果、のらりくらりと話を進めながら、意外に月並みなお話に帰結する - 初めから結果は定まっている - ように、彼方此方で見られる 切 り 取 ら れ た 風景ですが、これがなんとも致し方ない。
投稿: pfaelzerwein | 2007/07/29 17:10
pfaelzerweinさん、コメント、ありがとう。
今日、図書館へ行った際、中川 真氏の本を探したのですが、当該の図書館にも、そもそも大田区には全く、彼の本の在庫はないのです。
人気がない?
同氏の本は本文で書いたように全く読んだことがありません。ただ、テーマは興味深い。
pfaelzerweinさんの仰られるような記述であり、論旨となっているとしたなら、同氏は音楽家(演奏者)であり、テーマを嗅ぎ取るセンスの持主ではあるけれど、そこから何かの展望やもっと可能性が期待されてしかるべき結論を導き出すのは苦手な方なのかもしれないですね。
結論めいた部分や記述されている途中の論旨から自分なりの感想を導き出すのが穏当なタイプの書き手なのでしょうか(今の所、あくまで推測であり、結論は留保しておきます)。
まずは(一度、ラジオで聞きかじったことがあるけど)、同氏の演奏をじっくり聴いてみたいものです。
投稿: やいっち | 2007/07/29 20:04
夏休みに入り「宿題するから」という子供達
連日冷房を入れてくれるので、ダルイです。
車の冷房も苦手ですがタクシーに乗った時はホッとします(勝手なもんです)
「傘がない」聞いてみたいです♪
投稿: ちゃり | 2007/07/29 23:40
ちゃりさん、来訪、コメント、ありがとう。嬉しいです。
秋に控えている試験のことで頭が一杯で(ちょっと大袈裟)、サイト巡りをする余裕がなかなかできないでいます。
こうしている中で、みんなに忘れられていく、仲間を失っていく…のかな。
夏休み、親にとっては、お子さんとの日常が増えて、お子さんたちとは違う感覚や生活ぶりになるのですね。
タクシーで町を流しても、日中、お子さんの姿を見かけることが多く、ちょっと緊張します。
車の冷房、タクシーは、お客さんにとっては乗車している時間が短いから、それこそデパートやスーパーで言えば、入店した直後のようなものでしょうね。
長時間、ずっと乗ったら、冷房、控えめにしてと要望するところでしょうけど、そこまで長時間乗る人はごく稀です。
鮫島有美子さんのポピュラー音楽好きは意外だったのですが、それ以上にクラシックもポピュラーも分け隔てなく音楽好きだと語っておられたのが印象的でした。
投稿: やいっち | 2007/07/30 00:36