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2007/07/13

運慶は阿吽(あうん)の息で仏生む

何か忘れてやしませんか…ホントだ!」で、最近小生が読んでいる、あるいは読もうとしている本を紹介している。
 このうち、デイヴィッド・R.ウォレス著『哺乳類天国―恐竜絶滅以後、進化の主役たち』(桃井 緑美子・小畠 郁生訳、早川書房)とルイス・ウォルパート/アリスン・リチャーズ著『科学者の熱い心―その知られざる素顔』(青木 薫・近藤 修訳、講談社ブルーバックス)は読了した。

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→ 副島弘道著『運慶 その人と芸術』(吉川弘文館)

 今、読んでいるのは(依然として少しずつ読み進めているジョージ・エリオットの『集英社版世界文学全集 40 ロモラ』(工藤昭雄訳)は別として)、鶴岡真弓著『黄金と生命―時間と練金の人類史』(講談社)と副島弘道著の『運慶 その人と芸術』(吉川弘文館)と工藤隆著『古事記の起源―新しい古代像をもとめて』(中公新書)の三冊である。

 鶴岡真弓氏著の『黄金と生命―時間と練金の人類史』(講談社)は、鶴岡氏が壮大なテーマに取り組まれた…テーマが巨大すぎるのではないかと思ったりしたが、あれこれ教えられることが多く、後日、読了したなら、パレケルススや錬金術との絡みで感想文を書くかもしれない。

 工藤隆氏著の『古事記の起源―新しい古代像をもとめて』(中公新書)は、「著者は、無文字文化の「生きている神話」「生きている歌垣」が今なお残る中国長江流域の少数民族文化を調査し、神話の成立過程のモデルを大胆に構築。イザナミやヤマトタケルの死、スサノオ伝承、黄泉の国神話、糞尿譚などを古事記の深層から読み直す」とあるように、今世紀に入って古事記研究が新しい段階に入りつつあることを実感させてくれる本で、古事記の理解に広い視野と新しい視点を齎せてくれていて、これも機会があったら感想文を書きたい。

 今日は、これも今、読んでいる最中の、副島弘道氏著の『運慶 その人と芸術』(吉川弘文館)について、若干のメモを試みておく。

何か忘れてやしませんか…ホントだ!」の中で、下記のようなことを書いている:

 小生、絵画や版画などの平面アートは大好き。
 けれど、彫刻やインスタレーションアートは、結構、見てきたはずなのに、一向に気を惹く作品と出会えない。 
 無論、優れた作品は数々見てきたのに感じるものがインパクトに欠けるのは、小生の感受性に問題があるのだろう。
 あるいは、三次元のアートを受け入れる素地自体がないのだろうか。

 そんな中、数少ない例外もある。円空であり、この運慶(の東大寺南大門金剛力士(仁王)像)なのである(あとは、方々で見かけるお地蔵さん!)。


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← 工藤隆著『古事記の起源―新しい古代像をもとめて』(中公新書)

 まあ、彫刻作品は、上野の美術館での展覧会を観に行くたびにロダンの作品を目にし、佐藤 忠良さんの講演会を聞きに行ったり、そうでなくても、嫌いな授業の中で唯一好きな美術の授業、中でも粘土細工は好きだったりするのだが、それでも、本格的な彫刻作品を目にする機会を豊富に持ったとは言えない。
 まして、仏像は尚更、縁がない。足が向かない。
 自分に三次元アートへの、あるいは仏像を受け入れる素地があるかどうかは、そうした試みや機会を持たないと意味を持たないのかもしれない(平面アートは、現物を見るに越したことはないと言いつつ、図録の類いで取り合えず表層的かもしれないが、鑑賞の真似事はできるのとは訳が違うのだろう。

 あるいは、高校時代、和辻哲郎の『古寺巡礼』などをありがたがって読み浸った反動なのだろうか。
 本や写真集の仏像の写真を見ても、一向に同じような感想を持てない自分はダメな奴なのかな、なんて思ったものだったが。

 さて、運慶のこと。
何か忘れてやしませんか…ホントだ!」でも書いたが、運慶というと、「2007年3月、神奈川・称名寺 の大威徳明王像が運慶の真作であると新聞、テレビで報道された」とか、「2007年3月、奈良・興福寺の木造仏頭(重要文化財)が運慶作と判明したと一部新聞で報道された」といった話題が最近、あったばかり。

運慶年表」(ホームページは、「仏像 修復・修理・修繕「仏像文化財修復工房」」)に見られるように、運慶の仏像を見る際には、実は注意が必要である。
 運慶は(実際に彫刻の仕事もやったのは間違いないとして)仕事師集団の采配を揮うのに相当なエネルギーを注ぐ必要があったからである。
 つまり、「工房制作の度合いが強い」のである。
運慶の作風を考える場合に、8mもあるあの東大寺の仁王像を引っ張り出すのはあまり現実的とは思えない。あの仁王像の縮尺したひな形原形は、運慶の手によるものかもしれないが、それを基に作った像本体は、たくさんの工人の手によるものである。大きな像なら余計に多くの仏師の手にかかるもので、運慶は全体を統括するプロデューサーのような存在といえる」というわけである。

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→ 西村公朝/熊田由美子(共著)「運慶 仏像彫刻の革命」(新潮社とんぼの本) 未読。面白そう!

 運慶の作品が素晴らしいと小生が勝手に思っているのも、案外と勘違い、単なる思い入れの結果の幻想に過ぎない可能性がある(小生にそんなに鑑賞力があるとは思えないし)。

 ただ、いずれにしても、仏像を作るという仕事に彫刻の才能のある人物たちが情熱を注いだのも事実だし、仏像以外のアートに取り組む余地は昔はなかった(乏しかった)と想像して構わないのだろう。

 そうした留保をした上で、やはり運慶(以後)の仏像は際立っているように感じられる。

 ネット検索していたら、下記のサイトが見つかった:
2000年12月7日 興福寺文化講座「定朝と運慶」 籔内佐斗司(彫刻家)
(籔内佐斗司氏については、「籔内佐斗司の世界」、中でも「籔内佐斗司彫刻展・神霊的童子 Children With Mysterious Powers」参照)

 籔内佐斗司氏は、「私にもっとも影響を与えた芸術家は、平安時代末の定朝と鎌倉時代の運慶です。このふたりは私にとって定朝先生、運慶先生と呼ばなければならない存在です」と語る。

「金剛力士立像 阿形・吽形」について、「これらは、世界中のどこに出しても第一級の人体彫刻としての評価を得るのは間違いのないみごとな造形です。肉体だけでなくお顔の造りも、力士の精神性まで感じさせる立派な肖像彫刻になっていますし、腰布の造形も完璧です」と語っておられるが、まさにこうした仏像が生まれなければならなかった。こうした仏像でないと、未曾有の政治的危機や社会不安の真っ只中の民衆にはリアリティを感じられなくなっていたということか。
 時代の必然、という言い方は安易だろうけれど、運慶はそうした時代を肌で感じ、阿吽(あうん)の息で時代(民衆のみならず支配層)のニーズに即した仏像を作った(からこそ、支持され今も残った)のかもしれない。

 鎌倉時代というのは、まさに「画期」という言葉を使いたくなる時代だ。政治も実質において貴族から武士の手に渡り、宗教も新興宗教が次々と勃興し、そうした潮流が仏像制作の面でも如実に現れたわけである。
 モンゴル帝国の余波が世界中を席捲した時代。その風圧や脅威は、日本においても、今日の我々には想像を絶するものがあったのだろう。最早、貴族の手には為すすべはなかったということか。
 運慶の仏像には、当時の人々の危機感と祈りの切実さを感じるのは、小生の感傷的な思い入れに過ぎないのだろうか。

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コメント

「快慶の阿弥陀像か 京都・知恩寺、作風似る」(中日スポーツ 2007年11月16日 18時18分):
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2007111601000533.html
 京都市左京区の知恩寺が所蔵する木造の阿弥陀如来立像が、作風から鎌倉時代初期の仏師快慶の制作とみられることが16日、浄土宗(京都市)の調査で分かった。

 検証した就実大(岡山市)の土井通弘教授(日本美術史)は「銘がないため断定できないが、像の量感やけさの表現から快慶の前期の作品と考えて間違いない」としている。

 土井教授によると、立像はヒノキの一木割矧造りで、高さ98・9センチ。これまで快慶作と認められた同様の高さ1メートル弱の「三尺阿弥陀如来像」は、遣迎院(京都市北区)の立像など計14体が見つかっている。

 今回の立像は、胴体の厚みや、けさの腹部のたるみ具合、左ひじ部分にあるササの葉状の文様などの特徴がこれらと酷似。制作時期も遣迎院の立像と同じ1190年代ごろと推定される。

 エックス線撮影で、内部に紙か薄木の納入品があることも確認。足には小さい墨跡があり、いずれも作者名が記された可能性があるという。
                  (以上、転記)
  === === === === ===

本文中には運慶に関係する今年の発見のニュースをメモしているが、京都などの古寺には何があるか分からないんだね。

投稿: やいっち | 2007/11/16 19:26

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