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2007/06/14

「道草を食う」をかじってみる

 昨日は営業の日で、車中でラジオに耳を傾ける日でもある(勿論、空車の時に限ります)。
 仕事中でもあり、聞き入るわけにはいかない。
 ふと、「道草を食う」という慣用句が話題に上っていた。NHKラジオ第一だったろうか(多分としか言えないが、NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」(アンカー宮川泰夫氏)の中の、「のど自慢旅日記  「興味津々~岩手県北三陸」」の中で聴いたような気がする)。

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← 13日の営業中、道草好きな小生は都内某公園脇で、サボってました。紫陽花の中に咲くこの花は何?

 慣用句とは(他にも意味があるようだが)、この場合「「2つ以上の言葉が結び付き、全体としてある特定の意味をもつようになったもの」のこと。
 例えば、「道草を食う」がまさに慣用句なのだが、決して「道草を食べます」と言い換えることはできない。「道草を食べます」という表現はありえるが、意味合いは違ってくる。
「食う」という表現が下品だと思うなら、「どこで道草(を)していたの」と言い換えることは可能のようだ。
 つまり、「道草」で既に「道草を食う」という慣用的表現(句)が含意されているわけである。

 ここまで書いたら、小説好きの小生だから、夏目 漱石の「道草」辺りに話をつなげるだろうと勘ぐる向きもあろうけど、さにあらず。残念でした。
 さらに、「道草を食う」から、例えば小学生の頃など、学校が引けてもまっすぐに帰らず、気の赴くまま何処かに寄ってぶらぶらしながら帰った、そんな思い出話につなげるという憶測も外れ。

道草を食う」という慣用句は、結構、親しまれているように思える。
慣用句辞典 みた~みと」(ホームは「くろご式 慣用句辞典」)によると、以下のような意味合い:

1.馬が路傍の草を食って進行が遅れる。
2.転じて、目的地に行く途中で、他のことに関わって時間を費やす。

 さて、「道草を食う」という慣用句の語源は、小生、昨夜の話で初めて知った。馬が路傍の草を食む姿から来ているのだ。
 小生が昨夜、聴いた話を記憶で書くと間違えそうなので、下記サイトに拠る:
馬に関する言い回し」(ホームは、「キャメロット」)
道草を食う」の項に、語義と一緒に、「この言葉も馬と身近に接していると、昔の人が言わんとした事が実に良く理解できます」として、「蹄洗場に連れて行こうとして、ズルズルと引きずられて草むらでムシャムシャと草を食べてる様子、耳は完全に馬耳東風」などとある。
 こうして実際に垣間見る様子を教えてもらうと、そうなんだと思ってしまう。

 が、問題は、その道の「」である。

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→ 同じく13日。いよいよ梅雨間近を感じているのか、都内は随所で紫陽花が咲き誇り、色合いも小生の曖昧模糊たる意識のような淡い紫から、次第に濃い紫へと変わりつつある。

 ここからはネットで裏付けとなるサイトを見出すことができなかったので、うろ覚えをメモすることにする。
 確か、岩手の話だったと思う。いずれにしろ三陸海岸辺りの話。
 昔(この昔が一体、いつなのかは聴きそびれた。江戸時代か)は、馬が荷物の運搬に使われることは、実際的は難しかった。
 というのも、まず、昔の馬は小さかったこと。なので、荷物を沢山は載せられない。
 さらに、馬は貴重だった。主に軍事用に用途が限られていて、武士以外が所有するのは容易ではなかった(この辺りは、南武藩など藩によって地域によって事情が違うのかもしれない)。
 また、馬は、道の草を食うのは確かだが、路傍の草を何でも食べるというわけではない。
 既に馬は人から飼料を与えられるのに慣れていて、食べる草も限られている。下手に食べるとお腹を壊すことがある。
 で、その岩手では、荷物の運搬に牛が使われていた、という話に繋がっていく。
 牛は馬より荷物を沢山運べる。馬より入手が容易。
 そして、道草を馬より選り好みせず食べられる。

 牛でなくとも動物に荷物を沢山、載せて運びたい。かといって、動物を運搬の手段に使うと、動物の飼料(餌)が必要になる。馬だと、馬小屋のある宿を探し求める必要がある。無論、馬用の飼料も買う必要がある。経費が高く付く。
 その点、牛だと、道々、好き勝手に草を食べさせればいい(また、牛は草の消化に強い)。
 よって、人だけが宿に泊まればよい(安上がり)。
 荷物を目的地まで運んだら、牛は売り払ってしまう(そこそこの値段で買い取ってもらえる?)。
 つまり、帰りは身軽になり、おカネだけを持って帰れる。それこそ、お気に入りの場所に止まって遊んで(道草を食って?)帰ることができる。

 昨夜の話では、『忘れられた日本人』でも有名な、日本を代表する民俗学者の一人宮本常一の本(研究)でも、牛が運搬に使われたという事実が確かめられているということだった(小生は未確認)。
 宮本常一というと、今の話題に多少は関係すると思うが、『土佐源氏』を馬つながりで連想したりする(とある馬喰からの聞き書きで、 『忘れられた日本人』に収録されている。「文-体・読本 「土佐源氏」オリジナル版」で裏話を読むことが出来る!)。

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← ふと足元を見たら、小花が咲いている。わたしも見てって。見たよ。で、君の名は?

 昨夜は聞き漏らしたのだが、「輸送手段でもあった牛、馬」については、宮本常一著の『塩の道』(講談社学術文庫)で関連する話を読めるかもしれない。下記参照:
塩の道   著者:宮本 常一

 話の裏付けを取れないままのメモ書きに終わってしまった。
 いつか、関連する情報源を見つけたら追記など試みたい。
 唐突に「道草(を食う)」話をしてしまったけれど、そもそも小生のブログ自体が道草を食っているようなもの。目的地があるわけじゃなし。その意味で、この慣用句「道草を食う」は、小生としては一度は大よそのことでもかいておきたかったのだ。
 ま、ただ、それだけのことである。

 そういえば、高名な心理学者の方だったか、漱石の小説「道草」は、「自分探しの物語」と言ったとか。となると、小生はこのブログで自分探ししている? なんとなく、続ければ続けるほど迷いは深くなるし道は見通しが付かなくなってきているような気がするのだが…。

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