和菓子 好きよね~♪
つい一昨日だったか、関東甲信越地方も梅雨入り宣言が出されたのだが、昨日・今日と、梅雨が解消したかのような天気になっている。 (疑惑…)ホントは未だ梅雨入りしていなかったのではないか。
いや、天下の気象庁さんが間違いを犯すはずがない。梅雨入りはしたのだが、もう、梅雨は明けてしまった。後日になって、実は、今年の梅雨は二日間で終わりましたと、小さな声で声明が出されるのか。
→ 16日の早朝、羽田空港にて。梅雨明け宣言したくなるような真っ青な空!
小生としては、梅雨入りしたからには、例年のように「ハッピーバースデー梅雨♪」と高らかに歌って差し上げるつもりだったのに、肩透かしを食らったような心境である。梅雨の運命や如何に?!
シリアスな話はこれまでにして、話題を変えて、やや唐突だが、今日は小生には嬉しい日である。なんたって、「和菓子の日」。
甘党の小生など、「我が世の日」と言い換えたいほどの日。
と言いつつ、まだ、和菓子を入手していない。何処からも届かない。どうしたことだ。
(追記:今日は、大福で「和菓子の日」を祝福しました!)
さて、小生のこと、和菓子というかお菓子絡みの雑文をこれまで書かなかったはずがない。
例えば、「最中のこと」「和菓子のこと」「落雁のこと」「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ」などなど。
和菓子ではないが、お八つにちなんだ短編もある:「メロンの月」
今日は旧稿を温めるということで、その名も「和菓子の日」と題した4年前に書いた駄文を(一部、リンクなどを変更の上)掲載する。
文字通り、駄文である。肝心のテーマになかなか辿り着かない。道草を食う典型的な雑文と言えるかもしれない。
「和菓子の日」
今朝、車中で暇の徒然にラジオに聴き入っていたら、6月16日は「和菓子の日」だったとか。
小生は和菓子の日があるとは全くの初耳だった。駄洒落の好きな小生も6月16日をどう語呂合わせしても和菓子とは結びつかない。
よく何々の日を決める時、日付と事柄を語呂合わせや駄洒落で多少窮屈でも繋げることがある。有名というか、誰でも思いつくのは、2月9日だろう。「福の日」「服の日」「肉の日」そして「風の日」である。
最後の「風の日」が何故、2月9日と結びつくか。良い子の皆さんは既に気付かれただろう。そう、「風」が「吹く」ということで目出度くきっちり繋がるわけである。
3月3日というと、雛の節句と思うのは、早計である。本稿の趣旨をまるで理解されておらない。語呂合わせによる記念日の例を挙げているのだ。そう、「耳の日」である。
尤も、ひどい目に遭った方には、3月3日というと「散々な日」ということになるかもしれない。酒の好きな方なら、「ササの日」か。「ささ」は、言うまでもなく「酒」のこと。
よって5月3日を憲法記念日(Constitution Memorial Day)と言うのは、これまた愚の骨頂だ。謹厳実直頑迷固陋の輩(ともがら)と見なされても文句は言えないだろう。そう、「ゴミの日」が正解である。
まあ、「降参の日」でも良さそうなものだが。何に対して降参か。人生に対してでもいいし、カミサンに対してでもいいし、仕事がもう嫌だという意味でもいいし、意味合いなどこの際、どうでもいいのである。
このようにまさに語呂合わせ風に日付が選ばれるものは、数多(あまた)あり枚挙に遑(いとま)がないので、暇な方はネットで探してみるのがいいだろう。但し、たくさん見つけても何のメリットもないことは予め断っておく。その代わり、デメリットも少ないと思うのだが。
この駄文を読まれる方は、小生同様、無精な方が多いと思うので、手間を省いてさしあげる意味で、そのものズバリのサイトを示しておく:
「語呂合わせの日」
違うタイプの、ほんの少しひねった語呂合わせで決められた日にちも結構ある。
例えば、1月9日は「とんちの日」だそうである。これも、1と9でイッキュウなので一休さんにお出まし願ったというわけである。
とんだところで呼び出されて一休さんも、名前どおりに一休さんというわけにはいかないのだ。天国に召された際に、改名しておけばゆっくり休めたのかもしれない。例えば永久さんとか。全休さんもいい。有休さんもいいかな。
それにしても、「1月9日」は、やや無理を承知で駄洒落してみれば、「とーく」の日とも読める。一休さんは「とんち」の達人だそうだが、要は喋りの達人、「トークの達人」という流れなのだが、やはり難があるか。
6月13日は何の日だか、分かるだろうか。FMの日だと言う。アルファベットのFはAから数えて6番目であり、Mは13番目だから、という。6月13日からすぐさまFMを連想するのはちと苦しい。
でも、言われてみれば、極めて単純な発想で、その素直さは好ましいとも言えるかもしれない。小生なら、「無意味な日」にするんだけど。
6月3日は、ムーミンの日というが、まあ、こじつけだが、結びつかなくはない。しかし、そもそも何故、「ムーミンの日」を決めなければならないのか自体が、小生には分からない。ムーミンファンの心理というしかないのだろうか。
小生のような後ろ向きの精神の持主には、6月3日は、「無残な日」に読めてしまう。マイナス志向癖もここまで来ると立派かもしれない。
小生は日頃、睡眠、惰眠、仮眠、居眠り、爆睡などを好む者だが、この6月3日ばかりは、たまには気合を自分に入れるつもりで、「無眠の日」にしようかと思ったが、できもしないことは考えるだけでも体に悪いと思い、提案しないでおく。無眠というのはあまり味気なくつまらなそうで、無味な日になりそうでもある。あるいは、いっそのこと上記したように「無残な日」とか。段々、憂鬱になるので、この日の事は考えないでおこう。
[この日が誕生日の方、御免なさい。お詫びに下記のサイトを熟読して、近頃、やや陰の薄いムーミンワールドに思いを寄せてみたいと思います:
「ムーミン公式サイト」
(驚いたことに、「ムーミンの日が8月9日に決まったのはつい2年ほど前2005年のことなんですから」ということで、「ムーミンの日」は、「8月9日」なのだとか。)
関係ないが、「ナンパの日」があるとは初めて知った。勿論、7月8日なのだが、その日はナンパしなさいというのだろうか。それとも、軟派な奴が日の目を見る日だとでも。あるいは人生に難破した小生のための日だとか。考えすぎだろうか。被害妄想の気が強すぎるのだろうか。
ついでながら、この日は、「質屋の日」でもある。これも心惹かれる小憎らしい記念日だ。
面白いのは、末広がりの数字8が並ぶ、8月8日である。さすがに多くの日として選ばれ、人気が集中している。
「パチパチ→そろばんの日」、「(形から)ヒゲの日」、「(形から)瓦の日」、「(形から)ひょうたんの日」「パパイヤの日」「ハハ→笑いの日」。
うっかり流してしまったが、「(形から)瓦の日」というのが、小生は理解できない。「瓦の日」というと、歴史好きの方は、フランス革命を連想されるかもしれない。広くは「屋根瓦の日」と呼称されるべきかもしれないが:
「屋根瓦の日」
ちなみに、語呂合わせに関係なく8月8日は何の日かというと、あるわあるわで枚挙するのが嫌になるくらいある:
「今日は何の日/みやぎイベントカレンダー/8月8日」
このサイトでも何ゆえ、8月8日が「瓦の日」なのか分からなかった。無精庵たる小生としては、意地でも理解したい。あれこれ当たってみて、やっと分かった。やはり「瓦の日」を決めた当事者である、全国陶器瓦工業組合連合会に伺うものである。
つまり、屋根が8の字、というかハの字に似ているからというのだ。恐れ入った。さすが職人だけに筋金入りの根性で決めたのだろう。八月八日と漢字表記すればあるいは小生も気付いたかもしれない(後で考えたけど、やっぱり無理かな)。
ついでなので、一言触れておくと、8月8日は、親孝行の日である。何故か。「は(8)は(8)」、「パ(8)パ(8)」と読めることと、 「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となることから」だって。こうまでして親は子どもに孝行されたいのだ。悲しいような哀れなような。
お子様達よ、一年に一度くらいは親に孝行しなさいよ。でも、夏の真っ盛りじゃ、ね、ちょっと、っていう声が聞こえてきそう。
と、ここまで来て、なんで、こんなことを書いているのか分からなくなった。語呂合わせによる記念日を調べていた?
そうじゃない。そもそも何故、6月16日が和菓子の日なのか、それを語呂合わせや駄洒落から探求しようと試みたのだった。
が、上掲の「語呂合わせの日」のサイトでも分かるように、6月16日は「無重力の日」であって、「和菓子の日」はリストアップされていない。
ということは、駄洒落や語呂合わせで決められたわけではないということだ。 なんてこった。最初から見当違いをしていたんだ。
ここに至って、ようやく腰の重い小生も、「和菓子の日」でネット検索してみた。すると、ドンピシャである。
ああ、その前に、6月16日が「無重力の日」だということは説明しなくても分かるだろうね。ただの駄洒落だから説明は要らないだろう。では、何故この日に合わせてやや苦しい語呂合わせをしなければならなかったか。
実は、1963年のこの日、ボストーク6号が打ち上げられ、初の女性宇宙飛行士あの「私はカモメ」で有名なテレシコワさんが宇宙飛行された日だから。由緒ある日なのである:
「Fukuma's Daily Record 私はカモメ」
では、7月8日は語呂合わせで「ナンパの日」となるのはいいとして、何故、誰が決めたのか。調べてみたら、マガジンハウス発行の雑誌『ポパイ』で提唱された記念日だそうで、この日は見知らぬ異性を誘っても良い日だそうである。誘っても、ついてくるかまでは保証の限りではないようだが。
と、また脱線している。
やっと本題に入れる。我が待望の「和菓子の日」をネット検索してみると、全国和菓子協会の「和菓子の日」というサイトが真っ先にヒットされる:
「和菓子の日」
最初から、この言葉で検索すればよかった…。
そのサイトの説明を流用すると、「和菓子の日(6月16日) は1979年(昭和5 4年)に設定され」たことが分かる。結構、歴史がある。
では何故、この日なのか。長いが引用する価値があると思う:
この日の由来は、平安時代848年頃、当時国内に疫病が蔓延(まんえん)したことから仁明天皇が元号を「嘉祥」とあらため6月16日に16の数に因んだ菓子、餅を神に供えて疫病除け、健康招福を祈った古例に始ると言われています。
以下、「和菓子の歴史」を初め、和菓子に関連するあれこれが分かりやすく説明してある。読み物として面白いサイトだと和菓子好き、甘党の小生は感服した。
ここらでお茶とお菓子で一服したいものだが、生憎、お茶しかないのでお茶を一口、ゴクリと行く。
そういえば、夕べ、車中で饅頭をたべたなと思ったら、このサイトに「ご存知ですか和菓子の由来」という項があり、その中に「饅頭(まんじゅう)」もあるではないか。
早速、読んでみると、まず、「まんじゅうは中国から伝来したもので名前も蛮頭、蔓頭、包子などの文字を用いて呼ばれていました」とある。
ここまでは、フムフムである。
次に、「中国の三国志で知られています諸葛孔明が南蛮を征した時に濾川という川のほとりで激しい風浪にあい、これをしずめるために人を殺してその人頭を川の神に捧げる風習があると聞き、人の頭のかわりに小麦粉に羊や豚の肉を包んで祭壇に供えるようにしたという伝説にはじまると言われています」だって。
ゲゲ。こんな凄まじいい歴史が饅頭に潜んでいたなんて。饅頭はそもそも甘いものではなかったのだ。「その後、日本に渡って肉を食べない風習の中で現在のまんじゅうが生まれてきたと思われます」元はニクマンで、それがアンマンに変貌したわけだ。
よかった。平和ボケの現代日本に生まれて(最近、ややきな臭いが)。
昔、京都へは、何度となくゆえあって出向いた。時には一月近くも滞在することも希ではなかった。それゆえ京都の食べ物に全く無知というわけではない。京都の和菓子を食べる機会に恵まれたものである。でも、それもほんの氷山の一角を撫でたに過ぎないと今になって感じている。
上掲のサイトにもあるように、「和菓子は五感の芸術」だと、ひしひしと感じる。
それに、「和菓子には自然のめぐみがいっぱい。太陽をいっぱいに浴びて育てられた小豆やいんげん、手亡(てぼう)などの豆類、餅米や米粉、小麦粉などの穀類、いも類やごま、寒天、砂糖など、どれをとっても自然の中で育てられたものばかり」ということで、和菓子は健康的でもあるのだ。
植物性のたん白も多いし、植物繊維も豊富だし、それでいて、他のお菓子に比べてカロリーは控えめと来ている。
あーあ、ここまで持ち上げたんだから、誰か関係者の方、和菓子を恵んでくれないかなー。
← 羽田空港で小生はパトカーを追尾中。ってなわけないね。一見するとパトカーのようなタクシーが前を走っているのだ。
ところで富山出身の小生は、当然、富山のお菓子もいろいろ食べている。まず、「月世界」という品のいいお菓子。お茶請けに最高!:
「月世界本舗」
あるいは、最近は食べる機会に恵まれないが、昔、よく食べた「とこなつ」:
「とこなつ」
近年、定番になった「雪ぼたん」。
そして小生の大好きな和菓子というと、「ぎゅうひ(求 肥)」に止めを刺す:
「和菓子教室23回目 *ぎゅうひ 焼き菓子* - つーくんのスキー日記&手作りパン」
それにしても、6月16日が「和菓子の日」だったことを知らなかったとは、和菓子党の風上にも置けないと自分の至らなさを感じ、我ながら反省頻りである。
細川たかしさんの唄「心のこり」(なかにし礼 作詞/中村泰士 作曲)の曲に乗って、「わがし、バカよね~♪ おバカさんよね~♪」と唄いつつ、この稿を閉めよう。
(03/06/17 記)
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コメント
私は幼いころより甘いのが苦手なのですが、何故か和菓子は少しなら食べられます。
と言うか大好きです(*^^)v
珈琲とかお茶を飲みながらの和菓子は最高の至福ですね。
よく考えてみたら、昔はとても和菓子など口に出来る生活環境ではなかったのです。
美味しい和菓子が手に入ると彼女を呼んで二人で食べます(=^・^=)
はるかちゃん、無事に手術が済んでよかったね(*^_^*)
これからも又、本人もご両親も大変でしょうが、頑張ってほしいですね。
投稿: 吾亦紅 | 2007/06/17 18:25
吾亦紅さん、コメント、ありがとう。
小生は昭和29年生まれなのですが、幼い頃は、お菓子というと、近所の小母さんのところへ行くと貰える饅頭が楽しみでした。
あと、何かの祭事の折に仏さんのお下がりで貰える落雁。
和菓子らしい和菓子を食べられたのは、学生になってからだったかな。美味しいお茶と和菓子の取り合わせは、至上のひと時を与えてくれます(めったにそうした機会に恵まれないけど)。
でも、それはそれとして、近所の庭などに成るビワやクリ、イチゴ、イチジクなどの果物。さらに家の庭で採れたジャガイモ、ウリ、ミカン、トウモロコシ、スイカなども楽しみだった。
子供だから、カロリーだとかダイエットなど気にせずに、思いっきり腹いっぱい食べれたのが懐かしいし、切なくもある。
はるかちゃんのことについては、ご協力、ありがとうございました。
手術が無事、成功したのですね。「16日目でのドナーの出現」は驚きです。嬉しい誤算だったかもしれない:
http://www.haruka-ainote.jp/
情報を教えていただいたこと、感謝します。
投稿: やいっち | 2007/06/17 19:37