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2007/06/02

今年は国産盲導犬50周年

 昨夜、営業中、ラジオ(NHK第一)で盲導犬の話題を聴くことができた。
 どうやら今年は、国産の盲導犬誕生50年の年に当るらしいのである。

盲導犬 - Wikipedia」を覗いてみると、下記の記述を見出した:

 国産の盲導犬が誕生したのは1957年。アイメイト協会創設者の塩屋賢一が、18歳で失明した河相洌(かわい・きよし)より「この犬(チャンピイ)を訓練して街を歩けないか」と依頼された。既に1948年から独自に盲導犬の訓練研究を始めていた塩屋氏はチャンピイの訓練終了後、チャンピイを利用した歩き方(歩行指導)を河相氏に指導。ここに国産第一号の盲導犬が誕生した。これが日本における、実質的な盲導犬の歴史の始まりと言える。

Yamatonero

→ 黒猫ネロ (by Nazuna

 ついでながら、同上の頁に拠ると、「日本に来た最初の盲導犬は、1938年米国のゴルドン氏が、オルティー フォーチュネートフィールズ(The Seeing Eye, Inc. 卒)という名の盲導犬と共に観光旅行の途中、日本に立ち寄ったのが初となる」とのことで、来年は、盲導犬70周年ということになるのかもしれない。

 小生は猫も好きだが(猫には好かれないが…)、犬も好き。
 犬が好きといいながら、何処となく性格的に同質のものを感じてしまって(律儀、忠誠、仲間意識などなど)、逆に敬遠してしまう面もあったりする。

 似たもの同士を感じて、鬱陶しくなる。つまり、鏡を見ているような気分になるのだ。
 なので、好きなのだけど、寄ってこられたら、まして頼られたりしたら、敬遠する、遠ざける、逃げる。
 ま、愛情が薄いんだって言われたら、返す言葉はない。
 猫に対しても愛憎が半ばするところがあって、自由気侭なところが羨ましくもあり、且つ、自分にはかのようには振舞えないだろうと痛感し、どうせ仲良くはなれないのなら、勝手にしろで、町で見かけても知らん顔する(知らん顔しつつ、覗き見る、様子を盗み見る…気になってならんのである)。
 そんな小生の犬への愛憎を掌編でチラッと描いてみたことがある(実話じゃない!):
犬とコロッケ
(ネコを巡る掌編は数知れず:「連 作 掌 編 の 部 屋」の中の、「黒猫ネロ」シリーズや「」シリーズなど!)

 盲導犬というと、いつだったか、テレビで見た盲導犬の一生、特に、盲導犬としての役割を果たした後の盲導犬の末期には涙するしかなかった。
 一般の犬なら(大概の飼い主ならば)、飼い主に末期を看取ってもらうことになるだろう。そのホントの最後の瞬間に立ち会えるかどうかは別にして(そういえば、小生の親戚筋の愛犬も、十五年以上の老嬢だったのだが、今年の五月初めだったろうか、亡くなってしまった。そのワンちゃんに会うのが帰省の大きな楽しみだったのに…)、飼い主と一生を添い遂げることになる。
 一方、盲導犬は、専門の訓練士によって訓練を受け、その中で選りすぐられた犬が盲導犬となり、視覚障害者の何方かのパートナーとなる。
 が、いつか、盲導犬が盲導犬としての能力を発揮できなくなったなら、盲導犬はパートナーたる<主人>の元を去り、何処かの施設に送られて、末期の時を静かに待つことになる。
 盲導犬が盲導犬としての役目を果たせなくなるとは、体力の衰えもあるし、病気もあろうし、犬の認知症もあるのだろうし、理由は様々らしい。

 悲しい場面はいろいろあって、書くのに困る。
 例えば、客観的に盲導犬が盲導犬としての能力に疑問符が付き、やがて、<主人>の元を去らねばならなくなtった日。
 多分、犬も悲しいのだろうが、犬を手放す<主人>も身を切られる思いなのに違いない。
 
 さて、或る日、一時は<主人>だった視覚障害者の方がパートナーだった元盲導犬の施設を訪れる。
 すると、すっかり体が衰え、寝たきり状態だったワンちゃんが<主人>の気配か匂いか雰囲気か分からないが、何かを察知したのだろう、懸命に起き上がり、<主人>の元へ駆け寄ろう(実際にはヨロヨロと歩み寄ろう)とする。
 体は衰えても、根性は最後の最後まで主人に忠実なのであり、主人と共に歩みたいのであり、主人に忠誠を捧げているのである。
 でも、歩み寄るのもやっとで、主人のほうが犬に寄って行き、犬を抱きしめる。今度は、主人が犬を抱く番なのである。

 犬(に限らないのだろうけれど)は、自分の体の衰えなど露ほども考えず、主人に忠実たることを示そうとする。それが犬に残っていた最後の余力をも奪い去ることになろうとも。

 犬という存在の人間との関わりを盲導犬ほどに象徴しているものはないと思う。
 盲導犬という存在。犬の無条件の飼い主への愛着の姿を見ると、心の目の不自由な小生の心の闇をも照らしてくれるように思えてならないのだ。

Neko

← ぽりぽり  ( by kei

 小生が盲導犬のことについて語る何も持ち合わせていない。
財団法人 日本盲導犬協会」や「盲導犬って何?」などのサイトを覗くに限る。

 驚いたことは、盲導犬の数の少なさ。こんなに少ないとは絶句だった:

日本ではまだまだ足りないのが現実です。 1991年に厚生省が行った 調査によれば、わが国の視覚障害者数は35万3000人とされています。それに対して実際に活動している盲導犬使用者の数は969人(日本盲人社会福祉施設 協議会盲導犬委員会 調べ)。

 調査データの古さにも驚く。関心の薄さを示すのか、予算の少なさの結果なのか。
「日本で盲導犬事業の普及があまり進まない理由のひとつに、社会の理解がなかなか得られないということがあります」というのは、ちょっと寂しい。

 そもそも「身体障害者補助犬法」なんて法律の存在を知る人は、どれほどいることやら。
 この法律の眼目(の一つ)は、「国、地方公共団体、公共交通事業者、不特定多数の者が利用する施設の管理者等は、その管理する施設等を身体障害者が利用する場合、身体障害者補助犬の同伴を拒んではならない」にあるような気がする。
 暗に、日本は盲導犬(介助犬及び聴導犬)への理解があまりに薄いぞって、叫びが篭められているような。

 最後になったが、ラジオで聴いた話でも下記が重要のように思えた。
盲導犬って何?」からの転記の形で以下に示しておきたい:

街で出会ったら
 もし街で盲導犬使用者を見かけたら、こんなことに気をつけてください。

使用者が迷っているときは、一声かけてね。

盲導犬が使用者の行きたい場所を知っていて、使用者を連れて行くわけではありません。使用者は盲導犬を通して周囲のようすを判断し、頭に描いた地 図と照らし合わせて、盲導犬に指示して歩いているのです。もし、交差点や 駅のプラットホームの上などの危険なところや、人ごみ、広いところなどで 使用者が困っているようすであれば、まず「何かお手伝いしましようか?」 などと声をかけてみてください。

誘導するときは正しい方法で。
もし、視覚障害者の方に声をかけてみて「手引きをお願いします。」と言われた ら、あなたの左肘か左肩を視覚障害者に持ってもらい、あなたが半歩前 を歩くようにしながら安全な誘導をお願いします。使用者の腕や盲導犬のハ ーネスを引っ張ったり、身体を押したりしないようにしてください。

仕事中は盲導犬に声をかけないでね。
街で盲導犬を見かけたとき、かわいいからと盲導犬使用者に無断でさわろうとした り、じっと見つめたり、声をかけたり、口笛を吹いたり、食べ物を与えたりしないでください。盲導犬が他のことに気をとられると、使用者は大変困ってしまいます。

盲導犬を恐がったり、逃げたりしないでね。

盲導犬使用者は盲導犬といっしょに外出します。ですから、電車やバス、お店の中など思わぬところで盲導犬と鉢合わせということもあるかもしれません。しかし、盲導犬は、視覚障害者が安全に安心して外出するためにはなくてはならないパートナーであり、白い杖と同じ役割をもつことをご理解ください。また、何もしていな い人に向かって盲導犬が突然ほえかかったり、かみついたりすることはありません。


[(追記)文中、盲導犬を引退した犬たちの余生のことを話題にしている。
 調べてみたら、こんなサイトが見つかった:
盲導犬を引退した犬たち
 盲導犬との付き合いがテーマの映画も昨年、放映されていた:
盲導犬ベルナ 郡司ななえとしっぽのある娘達
 こんなサイトも:
クイールの部屋」]

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