誰も皆アウトサイダーの行く末は…
ある日記を読んでいたら「名作文学に見る家」という本のことが話題に上っていた。借り出したわけではないが、図書館でパラパラ捲ってみたことがあったような。
日記を読みながら、現実にはありえない設計をし実際に建ててしまった夢のような摩訶不思議な家、といっても、式場隆三郎の『二笑亭綺譚』(ちくま文庫)の中の文章や写真で見た家のことを思い出してしまった。
(以下、Chaissac, Gaston(ガストン・シェサック)作品の画像はアウトサイダー・アートの宝庫である「Collection de l'Art Brut」より。)
← Chaissac, Gaston(1910 - 1964) 「Personnage au chapeau de lune」( 1950. peinture émail sur papier, 65 x 50 cm.)
この本を扱ったブログは書いたことがない(はずだ)が、「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」の中などで式場隆三郎(しきばりゅうざぶろう)や「二笑亭綺譚」の周辺などを扱っている。
それも、「服部正著の『アウトサイダー・アート
現代美術が忘れた「芸術」』(光文社)を読んでいて、懐かしい名前に出会った」という形で。
アウトサイダー・アート!
となると、またまたその世界を覗いてみたくなる。「美に焦がれ醜に嵌って足掻く日々」でも何人かの<画家>を紹介しているが、久しぶりに、アウトサイダー・アートの作品を見てみよう。
→ Chaissac, Gaston 「Totem」, (ca 1959. assemblage de bois peint, haut.: 176 cm.)
今日は、ガストン・シェサック (Gaston Chaissac 1910 - 1964)などを。
邦文で情報を得られるサイトは少ない。僅かに、「ガストン・シェサック (Gaston Chaissac)」か(やはり、アウトサイダー・アートというと、なんといっても、「アウトサイダーアートの世界」!)。
(今日、ブログを書くため、久しぶりに覗いたら、このホームページにはブログがあることに気付いた。「アウトサイダーズ・アートコラム アクショニズムあるいは自由へのオブセッション」などという興味深い記事に遭遇。ミシェル・ウエルベックの『素粒子』という小説の題名にも久しぶりに出会った。拙稿「ウエルベック著『素粒子』と文学の命」参照。)
← Chaissac, Gaston 「sans titre」, (ca 1949. peinture laquée sur papier, 40 x 31.5 cm.)
ガストン・シェサックについて、【略歴】として以下のように説明されている:
1910年、靴の修理屋を営む家族のもとに4人兄弟の末っ子として生まれる。8歳のとき戦争で父親を亡くし、13歳のとき以来学校にも行けず職を転々とする。母親とのつながりが強く、1931年に若くして母親に先立たれた後は慢性の憂鬱症に悩まされる。1937年から兄のもとで暮らしはじめ隣人の画家オットー・フロインドリッヒとつきあうようになって絵を描きはじめる。その後結核となりノルマンディーのサナトリウムに送られるが、フロインドリッヒの励ましと医師の協力により絵を描き続けた。
1942年に退院。カミーユ・ギベールと結婚。彼女が学校で教師として働くあいだ、シュサックは家事や庭の手入れをしながら独特な作品を制作しつづける。1944年にアンデパンダン展に出品した作品がジャン・デュビュッフェの目に留まる。デュビュッフェは専門的な美術の訓練を受けてないシュサックの創造性に感銘をうける。
同じ頁にはさらに興味深いエピソードなどが紹介されている。
その上で、「その後も石や鉄に絵を描いたり、素描で埋めつくされた手紙を書いたり、厚板材で等身大の人物像をつくったりし、1960年代には欧州や米国で展覧会が行われるまでに至るが、64年に脳溢血で死亡。」と紹介されている。
これらの情報は、『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』(モーリス・タックマン、キャロル・S・エリエル編、日本語版監修:世田谷美術館 淡交社)からとされている。
→ 『ジャン=ミシェル・バスキア』(タッシェン・ジャパン) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
小生は幸いにも、1993年、世田谷美術館で催された「パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート」展はしっかり見ている。
無論、図録もしっかり入手。
(「アウトサイダー・アート」の現況については、「Web Travelers 魂の言葉 ── アウトサイダー・アートの現在 栗田涼子」など参照。改めて読み直してみて、小生、とても参考になった。末尾に、「第二次大戦後、“反芸術・反文化”の名のもとに登場し、主流の芸術の「外側」に位置づけられていたはずのアウトサイダーが、半世紀後の現代、モダンアートの一つの重要な潮流としてその「内側」にとり込まれ始めている感さえある。インサイダーとアウトサイダーの境界線が今まさに消えようとしているのだ。近い将来、もしかしたらこの二つを区別することの意味すらなくなるかもしれない」とある…。これは、実は非常に怖いことなのではないか。既成の規範も矩も常識も、そして自然であるということも、全てが圧倒する奔流に飲み込まれてしまう。溺れてしまっている。人の<美>への渇望は、アウトサイダー・アートの世界さえも穏当なものに見せようとしている。拙稿「谷川晃一著『絵はだれでも描ける』」も覗いてみてほしい。)
← 『Basquiat』(Merrell Holberton) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
ある意味、小生には美術展の中で、否、絵画や画家という範疇を越えて、とにかく何かの世界との出会いという意味で最高の時を過ごした。自分の中での絵画などのアートを見る際の<基準>、少なくとも画面から滲み出る、それとも燃え立つ迫力、鬼気迫る(あるいは呑み込まれてしまった…)精神の<矩>を小生の心に刻み込まれてしまった。
この時受けた衝撃からジャン=ミシェル・バスキアの世界はほんの目と鼻の先にある。
小生は1993年の頃は、精神的(肉体的にも)な落ち込みの極にあって、自宅では寝たきり状態に追い込まれていた。
そんな小生を強烈な磁力が引き寄せる。尋常と異常との境をあっさり渡ってしまった人たち。どこにも人がいる。どこにも人の心がある。たとえ、その心が引き裂かれていても、千切れて原型を留めていなくても、人の残骸がある。乾いた躯が転がっている。だったら、そこだって人の居場所には違いないのだ。
そう、ほんの数十年前は、バスキアはバスキアだったけれど、今は、誰しも自覚のないままに、似非バスキアなのである?!
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