幽霊の正体見たりスッポンポン?
昨日の記事「この道はいつか来た道でも違う顔」で、ちょっとだけ触れたが、日本の自殺者の数が、9年連続3万人を超えたという:
「FujiSankei Business i. 総合/自殺 9年連続3万人超 ストレス社会象徴」参照。
3万人の背後には、未遂に終わった人たちが数十万人はいるのだろうし、自殺を思う人の数というと、数百万人はいるのかもしれない。
← 「ライブアース…環境のこと考える契機かも」なる記事に載せた写真を撮ったのと同じ公園脇で同じ紫陽花を。7日の午後のこと。
未遂に終わった人は、あるいは述懐することはあるかもしれないが、自殺を遂げてしまった人の気持ちは分からない。
ホッとしているのだろうか。それとも、この世に怨念や未練を残しているのだろうか。魂魄はこの世を彷徨っているのだろうか。
小生も寄る年波のせいか、自殺の報は他人事には思えない。
(ちなみに、記録上、3万人を最初に越えたのは、98年である。97年の四月に、当時の橋本内閣の時、財政再建路線ということで、当時の大蔵省の主導で、消費税が切り上げられ、減税が止められと、やや持ち直してきた景気に思いっきり冷や水を浴びせかけられた。97年8月に、その不気味な徴候が一気に表面化したのだった。いわゆる、橋本不況である。その翌年から自殺者の数が3万人台に乗り続けたのだ。「橋本内閣とはどういう政権なのか」など参照。)
だからというわけではないのだが、小生は「幽霊」を話題の俎上に載せた小文を幾つも書いてきた:
「円山応挙のこと/回向院のこと」
「霊魂について(付:牡丹燈篭…)」
「幽霊の話を恐る恐る…」
この「幽霊の話を恐る恐る…」なる記事には、以下の四つの小文を纏めて載せている:
1.谷中の全生庵で幽霊画展が
2.幽霊の話を恐る恐る
3.やっぱり幽霊の話を恐る恐る
4.幽霊の話は後に尾を引く
このうち、「3.やっぱり幽霊の話を恐る恐る」では、「何かの本でタクシーに関連する幽霊話を読んだことがある」として、「ある雨の日の夜中過ぎ、何処かで乗せた蒼白い顔の女性(これまた何故か若く美しい女性!)を目的地に着いたので、さあ、降ろそうと後ろを振り向いたら、後部座席には誰もおらず、ただ、シートが濡れていることで、乗せたことだけは確かだと分かる、という話」をやや詳しく紹介している。
「幽霊の話は後に尾を引く」ってのは、少なくとも小生には事実のようで、この話を元に、「白いドレスの女」という掌編を仕立ててしまったのだった。
(題名そのものがズバリ「幽 霊」という掌編もある!)
さて、小生には上に紹介した以外にも、幽霊についての雑文がある:
「幽 霊 考?」
これにもまた、小文を三つ載せていて、以下である:
1.幽 霊 考
2.幽霊考(霊魂篇)
3.幽霊考(番外篇)
今日は、旧稿を温めるシリーズの一環で、「1.幽 霊 考」を転記する。駄文の部屋に収められていることでも分かるように、幽霊さんを相手に丁々発止ではなく、あくまでソフトに、あくまで幽霊さんのご機嫌を伺いつつ、恐々書いている。
小生、やはり臆病者なのだ。
→ 同日、同じ公園でツツジなど。来週の後半にも都内は梅雨入りかもしれない。それまでツツジは持つのかどか。5日に見かけた素敵な若奥様には…。
1.幽 霊 考
幽霊考である。題名はイカ飯い、じゃない、厳めしいが、内容が薄いのをカバーするには題名を重々しくするのが何より。
決して、ヨーデルの曲の歌詞を聞き間違えて、ユーレイホーと思い込み、つい漢字変換してみたら、幽霊考になったというオチで拙稿を終えようというつもりはない。
念のため、当該のヨーデルの曲は、下記である:
サロニー作曲「山の人気者」
歌詞の中に、ユーレイ(ティ)という言葉が頻発する。聴く人が聞けば、幽霊の歌と誤解するかもしれない。お母さんが台所で気分良く、この歌を歌うと、幼い子どもが、幽霊の歌だとばかりに怖がるかもしれない。しかし、曲調はひたすら軽快で楽しいのだが。
また、ギリシャ哲学や科学を中途半端に齧った人は、歌詞の中のユーレイティを耳にして、ふと、アルキメデスのユーレカのエピソードを連想するかもしれない(ちょっと無理があるかもしれないが)。
そう、アルキメデスがお風呂に入った時、風呂の水が溢れることから、アルキメデスの原理を発見したという有名な逸話である:
「★雑木話★#072 氷山とアルキメデス」
あるいは幽霊好きな市役所の人なら、幽霊課があったら、真っ先に手を上げて担当部署に移動するのに、と思うかもしれない。
(尤も、幽霊課ってくらいだから、もとより存在しないのかもしれないが。)
さて、気を取り直して、幽霊に付いて、当り障りのない考察を試みよう。
小生、怖がりなので、幽霊の気の障るような考察はしないつもりである。幽霊さんに気が付かれないよう、こっそりと、そして不意に幽霊さんが現れて絡まれないよう、辺りの気配を十分に探りつつ、あれこれ意味のない探求を試みたい。
それにしても、まず幽霊について先ず思うことは、幽霊には足のないこと。
幽霊は、江戸時代の怪談ものだと、柳の枝の垂れる薄暗いお堀端で不意に現れる。牡丹燈篭は別として、そうした状況で現れる幽霊さんというのは、決まって足がない。というか、下のほうが曖昧模糊としている。
よく、幽霊には、足がないって言うけど、その足って、何処までがないんだろう。
洒落た和服姿の若い女の幽霊さんが、しゃなりしゃなり…じゃなく、ススーと現れる。
美人である。間違っても平安朝の丸顔美人ではない。
やややつれたような恨めしげな表情を痩せぎすな顔と体に漂わせている。間違っても、ハーイなんて、陽気には現れてくれないし、挨拶もしてくれない。
その幽霊。和服を脱いだら、あたい、もっと凄いんですって、思い切り良く脱いでいただいて、スッポンポンになって頂いて、腿の辺りから先がないのか、腰の辺りから先がないのか、確かめてみたいものだ。
考えてみれば、そもそも、幽霊って文字通り、霊なんだから、服を着ているのが、本来、おかしいのだ。人間が霊になりえるのだとしても、着衣は浄土へも冥界へも行けないはずじゃないのか。
誰かが霊的存在になったら、着衣も装身具も遺品の類いはみんな一緒にあの世か何処の世か知らないけど、何処かしらの世界に移っていくというのだろうか。
言うまでもなく、おかしい!
遺品は遺品として、遺族等には思い入れの対象になりえるというのは分かるけれど、あの世へ一緒に行くというのはありえないのではないか。
そう、人がこの世に恨みを残してあの世へ移れずに、幽冥の境を彷徨っているのだとしたら、それは霊魂についてはそうであって、着衣にまでこの世に恨みや未練や復讐の念があるわけじゃなかろう。魂が宿っていた肉体でさえ、この世に見捨てられ朽ち果てるか、腐るか、焼き消されるに任せているというのに。
← ゲームに夢中になっているとき、人の魂は、往っちゃってるんじゃなかろうか…。
だから、小生、幽霊は、断固、素っ裸のスッピンで現れるべきだと信じる。
万が一、着衣の幽霊だったら、お前、おかしいんじゃないか、脱げよ、そうじゃないと幽霊と認めてやらないぞと脅してやればいいのだ。
もしかしたら、そのスッピンの顔が怖いのかもね。
だって、化粧品や装身具がこの世に残ったままなら、当然、化粧もこの世に取り残されるはずだ。居場所を失ってウロウロするのは魂だけ。当然ながら、着衣はなく、化粧もないスッピンというのが理屈なのだし。
もしかしたら、素顔を見たなー、裏飯屋…じゃない、うらめしやーと出現する?
ということで、幽霊がうら若き美人であり、この世を立ち去り難く、魂として漂っているというのなら、それはそれで結構だから、素っ裸での登場を期待したいものである。
なんといっても、これからの季節、暑くなる。裸だって、寒くはないはずだし。
昔、幽霊が何故、夏場に現れるのか不思議だった。芝居の都合上、夏枯れを防ぐため、また、冷房のない昔のこと、暑い最中に来てくれたお客さんに怖い話で少しでも涼んでもらいたい一心だったのだろうと思っていた。
しかし、そうじゃないのだ! 幽霊は真っ裸なのだ。だから、夏場にしか現れようがなかったのだ!
(04/04/22記)
[追記(06/10)]
ある方から、幽霊のモデルには、女性が多いのは事実だが、(歌舞伎にしても)若い女性より老婆のほうが多いのではという指摘を受けた。小生、反論できない。といって、直ちに賛成もできない。
この点、調べてみたいのだが、今は調べる手法が見出せない。
男性の幽霊が少ないという思いもあるが、これも小生の勝手な思い込みにすぎないのかもしれない。武将の怨霊という事例は少なからず見受けられるし。そもそも、菅原道真らを筆頭にこの世に恨みを残したとされる有名な人物というと(彼らが幽霊だというわけじゃないのだが)、大概、男性。
江戸時代に我々がイメージする幽霊像が出来上がったように思える。若いかどうかは別にして、女性の幽霊像が盛んに描かれたし、芝居などで登場することも定番の一つのようになった。
幽霊を描いた絵は数多い。なんといっても、「全生庵」のコレクションが有名(決して一人では見ないでください?!)。どうも、年齢不詳のような画像も多いような:
「全生庵--幽霊画ギャラリーBook版--」(「全生庵」ホーム)
西洋では幽霊はどうなのだろう。幽霊という言葉(像)を当て嵌めるのは、誤解を生む恐れがあるのか。ゴーストって幽霊と訳していいのか。
ゾンビについて書いたことがある:
「罌粟の花…ゾンビ」
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コメント
幽霊は必ず痩せているように思うのですが、やはり太っていると怨念が出ないのでしょうか。
投稿: リベラ33 | 2007/06/09 07:58
リベラ33 さん、悲しいかな、小生、未だ幽霊を観たことがないのです。
なので、太っているのか痩せているのか分からない。
幽霊というと、少なくとも女性は、和服というイメージ。
体型を誤魔化しているのでしょうか。
まあ、幽霊さん、実の細る思いをしているのでしょうが。
それに、何処かのベンチに寝そべっている幽霊って話は聞いたことがありません。つまり、歩いているか立ち止まっているかは別にして、いずれにしても、ずっと立ちっ放し。
寝る間も惜しんで幽霊している。
これは、痩せます?!
投稿: やいっち | 2007/06/09 08:14