「永遠の歌姫伝説~美空ひばり生誕70年」から
明後日6月24日は、美空ひばりさんの命日である。
だからだろうか、彼女にちなむ番組がラジオでもちらほらと(数年前に比べると随分と少なくなったような気がする。24日の前日や当日になると、一挙に関係する番組が増える?)。
→ 『川田晴久と美空ひばり アメリカ公演』(橋本治/文 岡村和恵/文、中央公論新社) 「昭和25年5月16日~7月24日初公開秘蔵版(写真・日記・録音)。歌と肉声CD付き(ロスアンゼルスでのプライベート録音を含む)」という。
美空ひばりさん(1937年5月29日 - 1989年6月24日))について、小生如きが何を語る話題もない。
「美空ひばり - Wikipedia」や「美空ひばり公式ウェブサイト」などを参照願いたい。
特に後者は画像も多く、覗き甲斐がある。
ついさっき、「美空ひばり - Wikipedia」で美空ひばりさんの生没年を見て、驚いた。
彼女は、52歳で亡くなっている。彼女が亡くなられた時、小生は35歳だった。
なので、彼女は小生にしてみれば、ずっと年上(貫禄もあったし)だったなという思いがあったのだが、なんと、彼女、今年の時点で小生より一つ年下!
若い! あまりに若すぎる死だ。
正直な話、小生は彼女が亡くなられる頃までは、彼女があまり好きではなかった。演歌や歌謡曲が嫌いというわけではない。むしろ、ガキの頃からのド演歌も含めた歌謡曲ファンである。
思いっきりミーハーなのだ。
が、何か彼女が祭り上げられ過ぎていて、鼻持ちならず、素直に彼女の歌に感情移入できないままだった。
それは、村田英雄、春日八郎、三橋美智也、三波春夫などの大御所についてもそうだった。
が、亡くなられてみると、遅ればせながら、その偉大さに気付く。
というか、幾ら音楽の成績(も)最低の小生でも、彼女の凄みは気付いていたが、素直には受け入れられなかったのだ。
亡くなってみると、屋台骨というか大黒柱というか、肝心な存在が欠けてしまったようで、物足りなくなってしまう。
多くの素晴らしい歌手たちが頑張っているし、好きな歌手も多いのだが、紅白などを見ても、上掲の歌手らが物故されて以後の、(僭越だし生意気な表現を敢えてさせてもらうと)どんぐりの背比べ的な光景に寂しさを感じたりする。
逆に言うと、時代は変わった、往年の輝きは日本の歌謡界からは失われてしまったということなのだろう。
代わりに新たな世界が現出してくれたらいいのだが、いまだにその予感すらない。
誰か特定の人がヒーロー・ヒロインになるような時代はもう来ないのだろうか。
昨夜、小生は、NHKラジオ第一で「永遠の歌姫伝説~美空ひばり生誕70年」という特集の「第1夜「その時ひばり節が生まれた」」を聞きかじった。
話をされたのは、元女優の岡村 和恵さん。
「NHKラジオでは、2夜連続で、いまだ色あせない彼女の魅力と実像に迫る」というから、今夜も続きの話が聴けるはず(ラジオ第1・午後8:05~9:30)。
今日は、この関連で若干のメモをしておく。
内容の案内では下記となっている:
21日(木)は「その時ひばり節が生れた」と題して、デビューから大スターになるまでの道のりをたどる。昭和23年、11歳の美空ひばりを横浜国際劇場の公演に抜擢したのは、天才ボードビリアンの川田晴久(かわだ・はるひさ)。
その後、川田はひばりを手元に置くようにして育てた。ひばり独特の節回しも川田節から来たものと言われる。その過程を川田晴久の長女・岡村和恵(おかむら・かずえ)さんが語る。また、昭和25年のアメリカ公演の際にホテルで録音した川田とひばりのプライベート録音も紹介する。13歳のひばりと川田らがくつろいだ雰囲気で、冗談を言い合ったり川田のギターに合わせて歌う様子が録音されている。ひばりママの声も入っている。レコード盤に直接カッティング録音された音源で、帰国後相当再生されたため、スクラッチノイズはあるが、子供当時の素顔のひばりがうかがえる。22日(金)は「銀幕の歌姫」と題して、映画スターとしての美空ひばりに注目する。22年間に158本の映画に出演した美空ひばりは、映画スターとしても特筆すべき存在。それは、男役もこなし、劇中で歌も歌うこれまでにないスタイルを生み出したからだ。この手法を考案したのが映画監督の澤島 忠さん。“時代劇ミュージカル”と言われ評判を呼んだ。美空ひばりの映画・演劇への情熱を澤島 忠(さわしま・ただし)さんが語る。また、昭和60年12月11日にNHKラジオで生放送した「はつらつスタジオ505~美空ひばりワンマンショー」の生き生きとしたライブ録音も22年ぶりに紹介する。ヒット曲メドレーから始まって合間に美空ひばりのトークが入る。ラジオで育ったこと、映画のことなどおしゃべりは弾む。最後の曲「龍馬残影」に入ったとき時間はすでにオーバー。ひばりは歌いながら指揮者にテンポを上げるようサインを送る。歌い終わりのひばりの「やった~」の声で生放送は終了。
天才ボードビリアンの川田晴久(かわだ・はるひさ)については、下記参照:
「ボードビリアン川田晴久について(Okason's room)」
川田晴久と美空ひばりとの関係に付いては、アメリカ公演(昭和25年5月16日~7月24日)に焦点を合わせる形で『川田晴久と美空ひばり アメリカ公演』(橋本治/文 岡村和恵/文、中央公論新社)の中で写真と共に紹介されている(らしい。小生は未読)。
ネットで本書についての感想や情報を探したら、下記サイトが見つかった:
「Morris.日乘2003年10月」(ホームは、「Morris.in Wordland」)
この「2003/10/30(木)」に下記の記述があった(一部抜粋):
昭和25年5月、当時12歳の美空ひばりは、母と、芸の師であり後見人ともいうべき川田晴久(当時43歳)と3人で、ハワイから西アメリカを廻る約2ヶ月間の講演旅行に出かけた。
まだ占領下にある日本人の海外渡航は前面禁止されてる状態で、特例としての講演旅行は二人にとっても大変なできごとだった。
ハワイでは日系の第100部隊のバックアップで、爆発的熱狂をもって受けいれられたが、アメリカ本土ではドサまわりのようなつらい旅にもなったらしい。もちろん、TV出演したり、あこがれのボブホープやマーガレットオブライエンと会ったり、ライオネルハンプトン楽団の生演奏みたりと、芸のこやしになるできごともあったようだ。
本書はそのときの写真特集みたいな大型の本で、付録にロスアンゼルスのホテルで帰国前に冗談で仲間内で録音したおしゃべりや、歌、川田の死直後の追悼番組でのひばりのインタビューなどの音源がCDで付いている。
また、橋本治のエッセイと、川田のアメリカ公演前後の日記引用に娘岡村和恵が当時の思い出を語るドキュメントタッチの記事が添えられている。
(文中、「ハワイでは日系の第100部隊のバックアップで」とある。この第100部隊については下記する。末尾の記事を参照。)
← 池内紀著『地球の上に朝がくる-懐かしの演芸館』(河出書房新社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
川田晴久さんのキャッチフレーズと言うべきか、「地球の上に朝がくる」は小生も知っている。ラジオかテレビでかは分からないが、生でも聴いたことがある! と思ったら、勘違いで、録画をガキの頃、テレビで見たらしい。
なんたって、「昭和32年、6月21日、腎臓結核と尿毒症を併発し死去。享年51歳」なのだ。
天文学者である池内 紀氏著の『地球の上に朝がくる―川田晴久読本』(中央公論新社)なんて本もある。
池内紀(いけうち さとる)氏には、「川田に対する著者の思い入れを物語る」という『地球の上に朝がくる-懐かしの演芸館』(河出書房新社)なんて本もあるようだ。
ついでながら、池内了氏には、『天文学者の虫眼鏡 文学と科学の間』(文春新書)なる本があり、「地球の上に朝がくるという項があり、地球という言葉がいつごろから使われているかということとの関連で、昔ラジオから聞こえた川田の歌が出てくる。少年の頃、ラジオで川田の歌を聴いたという人が多いことを知ることができる」というのだが…。
恥ずかしながら、小生、本書を読んだことがあるのだが(それも、昨年の夏! 拙稿「月の魔力?」参照)、川田さん関連の記述のことは、あったかどうかさえ覚えていない!
(川田晴久さんについては、機会があったら、彼に焦点を合わせて記事に仕立ててみたい。もっともっと知られるべき存在だと痛感している。「Okason's room」参照!)
川田晴久さんの娘さんで元女優の岡村 和恵さんの話はエピソードタップリだったし、父親と共に美空ひばりさんの身近にあった方ならではの実感も覚える。
(美空ひばりさんの本名は加藤和枝(かとうかずえ)で、岡村 和恵さんも「かずえ」さんということで、「かずえ」つながりで二人は仲良くなったとか。)
美空ひばりさんが嫉妬深いって話も。
ハワイ公演の際、美空ひばりさんにとっては実質父親的存在だった川田晴久さんが、何かのパーティに呼ばれ、長い時間、美空ひばりさんがホテルで一人にされていた。
遅くなって川田晴久さんが帰ってきたら、美空ひばりさんが泣いて川田さんの胸を叩き髪を掻きむしった…。川田晴久さんが他の誰かに奪われるような思いがあったのだろうとは、岡村 和恵さんの談。
あるとき、外で車か何かの事故があった際、美空ひばりさんも思わず窓から路上を覗き見ようとしたら、川田晴久さんに制止された。何故なら人気者がうっかり顔を出したら、余計パニックになる、ということで。
代わりに岡村 和恵さんが事故の様子を見に行って美空ひばりさんに<報告>した。
その事故の事情というのが面白かったらしく(聞き逃した)、みんな大笑いしたとか。
美空ひばりさんが売れ始め、岡村 和恵さんがサインを貰いに楽屋に行ったが、楽屋が見つからない。関係者に聞いたら、階段下の小さな部屋が楽屋だったという話。などなど。
プライベート録音なども聴けて、美空ひばりファンは(営業中で、聞きかじりながら)とても楽しめる番組だったのでは。
なお、「故美空ひばりさん(享年52)の生誕70周年を記念した「フィルムコンサート」が9日夕(日本時間10日午後)、米ハワイ・ホノルルのワイキキビーチで行われた。ハワイは13歳のとき、人気ボードビリアンの故川田晴久さん(同51)とともに初の海外公演を開いたゆかりの地。地元の日系人を含む約5000人(主催者発表)の観客の胸に、懐かしの“ひばり節”が響きわたった」という、下記のニュース記事が見つかった。一部、抜粋して転記する:
「美空ひばりさん:ハワイで“復活”-芸能:MSN毎日インタラクティブ」(スポーツニッポン 2007年6月11日)
ひばりさんが川田さんとハワイで初の海外公演を行ったのは1950年(昭25)5月。第2次大戦中ヨーロッパで戦った日系2世米国人部隊の第100大隊の招きによるものだった。公演はどこも満員の大盛況。売り上げの一部はホノルル郊外にある100大隊記念館の建設費に寄付された。「1400人ぐらいの部隊で、日本軍とは戦いづらいだろうとヨーロッパに送られた。体が小さく敵からは米軍と思われず悔しかったが、イタリアの町でドイツ軍の侵略を防ぐなど輝かしい功績がある。そんな歴史が残ったのも、記念館建設に協力してくれたひばりさんのおかげ」と元大隊員の野原眞孝さん(87)。当時、戦死して6年ぶりに遺体が見つかったリチャード本田さんの埋葬式が国立墓地で行われ、ひばりさんは川田さんとともに式に参列し献花もした。
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