駄洒落についての初歩的考察
本稿の旧題は、「駄洒落についての初歩的考察(続)」 (02/03/17作)である。
そう、「続」となっている。ということは、前篇があるはずで、本稿は承前とでも云うべき雑文のはずである。
が、悲しいかな、前篇に相当する文章の所在が不明である。
ネットでの投稿を始めて7年半年ほどになるが、この間、ほぼ毎日、何かしら一つは雑文(エッセイ、コラム、駄文、掌編、レポート、日記など)を書いている。
← 小田島雄志著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫) 拙稿小田島雄志著『駄ジャレの流儀』」は参考になりません!
ということは、日数の数だけ何かの小文があるはずということになる。
実際には、書かなかった日は年に一日か二日、あるかないかであり、逆に、日に二つ以上の一定の分量の小文を書いたことは、一昨年までは結構、あったはずである。
なので、7年と半年分の日にち数以上の雑文がネット空間を行き交ったことになるわけである(ザッと数えても、数え切れない!)。
その半分近く(あるいは以上かも)は、2001年の春先から配信し始めた(2004年の途中で途絶えてしまっている)メルマガで公表している。
メルマガで公表した文章を後日、時間的な余裕のあるときにホームページに収めるというのが2004年の秋口までのパターンだった(その秋口以降は、メルマガでの掲載を飛ばし、最初からブログに書き込む形で公表するようになった)。
なので、多分、メルマガのバックナンバーを探せば大概の雑文は見つかる理屈である。
ただ、困ったことに、配信に挫折して久しいので、会員ではなくなっていて、バックナンバーが確認できない。
けれど、もっと困ったことがある。
それは、メルマガを配信する以前の雑文である。その大半は、ニフティのフォーラムという中で公表したのだった。というか、フォーラムの中に書き込む形で文章を作成していて、書き終えたら当該のボタンをクリックすると、フォーラムに掲載となる。
大抵の文章は手元のパソコンに保存した、はずである。
が、これまた困ったことに、その旧のパソコンはウイルスにやられ、液晶の画面が故障し、とうとう使用不能になった。
なので、そのパソコンに保存してあった文章も、貴重な画像群も、手付かずのまま、ハードディスクに保存されていると想定(期待)するしかない状態なのである。
自分のパソコンの知識や能力では確かめようがない!
さて、下記の文章は旧稿である。願わくはこの「続」のアップを契機に、前篇が見つかることを期待して、(一部、手直しの上)ホームページより転載する(小生の推測では、「駄洒落研究についての予備的観察」に続くのではないかと思われるのだが、自分でも判断が付けかねる)。
断っておくが(断るまでもないが、本稿は駄文である。真面目に書いている部分もあるが、かなり調子に乗って先走ったような、上ずったようなことも書いているようでもある。
ま真に受けて欲しくもあり、生真面目に受けとめられては困るようでもあり、なかなか扱いに困るような、自分でも扱いに困っている雑文なのである。
「駄洒落についての初歩的考察(続)」 (02/03/17作?)
小生は詩を書いたことがない。また、書けそうだという予感も霊感めいたものも感じたことがない。
ところが、詩作したり音楽を作曲できる人からすると、多少の苦労はあっても、何か詩想や楽想が天から舞い降りるのだそうである。我輩には、そんなことは、神秘以外の何物でもない。
その小生は、それでも詩を鑑賞できる感性が自分にあるか否かに相当程度の懸念を抱きつつも、詩を読むことがある。あるいは声に出さずに歌ってみることもある。が、小生が詩に関して為すことは、せいぜい、そこまでである。自分で詩作をなそうという気がまるで起きないのである。
そんな小生に、わざわざ詩を送ってくれる方もいる。自分に、戴いた詩について的確な批評は出来かねるのだが、しかし、読むと自分には到底、思い浮かぶことのない表現や視点や感覚が厳然としてあることを感じる。
技術の稚拙は人によってあるのかもしれないが、通常の文章で技術をどう凝らしてみても表現の及ぶことはないだろう世界が広がっていることを感じる。
そもそも詩と所謂、こうした文章や、あるいは小説などとの違いは何処にあるのだろう。
それは、小生には、簡単には、形式上の制約だと思われる。
つまり、詩にはある程度の形式の上での縛りがあると思われるのだ。
通俗的には歌謡曲などの歌詞を見れば、覿面に分かる。一連から二連、三連等々と歌詞が続いていくが、その歌詞の文字数や並び方だけは共通する。
詩のように、本来、発想の自由さこそが命のように思える典型的な表現領域で、何故、形式上の縛りをわざわざ効かせるのだろうか。
自由詩じゃないが、もっと、文字数も行数も変化に富むもので構わないはずじゃないか…。下手すると、その縛りの故に、文字数を削ったり増やしたり、あるいは形式に嵌めこむために、無理矢理言葉を捜したり、なんだか、本末転倒しているようにさえ、見受けられそうではないか。
やはり、そこに何か秘密がありそうだ。
というより、実は、ある種の制約を課すことで、逆に自由なるイメージの探求や、イメージの広がりが得られるらしいのである。
(この点は、あるいは俳句と川柳との異同に似ているようだ。伝統や季語などの縛りや制約の厳しい俳句が川柳より高等なものと看做されているのは、賛否は別にして、一つの現実だろう。)
→ ダニエル・デネット著『ダーウィンの危険な思想』(山口 泰司【監訳】・石川 幹人・大崎 博・久保田 俊彦・斎藤 孝【訳】、青土社) 拙稿「ダニエル・デネット著『ダーウィンの危険な思想』の周辺」は、感想文じゃない、まるで頓珍漢な妄想文だ!
今、小生は、ダニエル・デネット著の『ダーウィンの危険な思想』(山口 泰司【監訳】・石川 幹人・大崎 博・久保田 俊彦・斎藤 孝【訳】、青土社)を読んでいる。
実は、本稿は、本書の中に引用されている短い文章に啓発される形で書いているのである。その一文を引用する。書き手は数学者のスタニスラウ・ウラム(エドワード・テラー(Edward Teller)と共に戦時中ロスアラモスで原水爆に従事し、米国の水爆の発明者になった人物)である。
彼は、「詩の制約が、創造力の障碍になるどころか、創造力の源になることを見抜いていた」:
私は子供の頃、詩における韻の役割は、韻を踏んだ語を見つける必要性から、自明ではないものを探させる点にあると感じていた。これによって、新奇な連想が無理矢理に引き出されて、ありきたりの思考の連鎖やつながりから逸脱することが、ほぼ保障される。逆説的だが、それはオリジナリティーを生む一種の自動メカニズムとなるのだ。
本書(ダーウィンの危険な思想)では、このある種の制約が、創造力の制約になるどころか、実は逆に創造力の源になっており、「この考え方は、全く同様の理由から、進化の創造力にも当てはまるだろう」とつながるわけである。
小生自身にも分かる卑近な例であれこれ考えてみよう。
『ふるさと』という童謡がある:
うさぎおいし かのやま
こぶなつりし かのかわ
ゆめはいまもめぐりて
わすれがたきふるさと
[詩の全体は、「d-score 楽譜 - 故郷 ---- 高野辰之/岡野貞一」などを参照のこと。]
この冒頭の一節「うさぎおいし」だが、もしかしたらかなりの方は、一度は「ウサギはおいしい」という意味だと誤解していた記憶があるのではなかろうか。それとも初めからすんなり「うさぎを追いかけた」という意味を理解できたのだろうか。
ま、それは人それぞれとして、歌詞を勝手に読み込むと「うさぎを食べたら、おいしいよ」「どこでうさぎを食べたのかな」すると、すぐに「かのやま」という言葉が「鴨川」と自動的に変化する。
いかにも「かのやま」と「かもがわ」は音韻的に近い(!?)。
そうか、鴨川でうさぎの肉を食べたんだなと、意味のない解釈を頭が勝手に行う。そうなると、もう、連想という遊戯の輪は止まらない。
昔、そう、江戸時代の頃、少なくとも庶民はケモノの肉を食べることが禁じられていた。が、鳥は構わなかったらしい。そこで、どうしてもウサギ(ケモノ=四足の動物)の肉を食べたい人は、ウサギを「う」と「さぎ」という二羽の鳥だと強引に解釈して、ウサギを食べたという俗説を思ったりする。そこからウサギの数の数え方が一羽、二羽となったというのだ…。
尤も、その数え方に関しては、ウサギの耳が羽に見えたからだという説もある。それに止まって辺りをキョロキョロ見回しているウサギ君の姿は、鳥とは言い難いとしても、四足動物と二足の鳥類との中間種という解釈も不可能とは言い難い! 嘘だろ! なんて、言わないこと。冗談なんだから。
そうか、だからウサギの肉を食べる場所として作者は「かのかわ」という歌詞で「鴨川」を暗示したのだな…。そんな連想が成り立つわけである(筆者注:あの、冗談ですよ。真に受けちゃ、ダメです)。
このようにして歌詞を音韻的に誤読することで、ある意味で(あるいは完全に)無意味なる連想の大海へ迷い出すことができるのである(迷い出す必要など、全くないのだが)。
もう一つ、例をあげよう。同じく童謡の『赤とんぼ』(三木露風作詞・山田耕筰作曲)である。知らない方のために、念のため、歌詞を少しだけ示しておく:
1. ゆうやけこやけの
あかとんぼ
おわれてみたのは
いつのひか
2. やまのはたけの
くわのみを
こかごにつんだは
まぼろしか
[詩の全体は、「かたくりのつれづれなるままに 89.語感」など参照のこと。]
察しのいい方、そして身に覚えのある方は、もう、小生が何を言い出すか分かっておられるだろう。が、小生は臆面もなく、書き綴る。
問題は第一連の「おわれてみたのは いつのひか」である。きっと読者のうちのほんの一部の方だけのことだろうが(実は大半だと小生は内心、確信している)、「おわれて」を「追われて」つまり「村から追放されて」と解釈した人がいるに違いない。赤とんぼに追われるとは、実は村人に追われることを詩的に美しく表現したのだ…。
とすることで、第二連が理解しやすくなる。「くわのみをこがごにつんだ」のは、村を出るに際して、何か食料になるものをとりあえず籠に積んだという意味か、そうでなければ、彼(彼女)が村を追われる理由となったのも、実は、彼(彼女)が、村の誰かの家の庭から勝手にくわのみを摘み取ったから、だから村を追い出される羽目になってしまったのだ。
極めて論理的で明瞭な解釈ではなかろうか。
となると、三連めも引用して解釈しておきたくなる。:
3. じゅうごでねえやは
よめにゆき
おさとのたよりも
たえはてた
きっと、読者は、そうか、分かった!と、膝を叩いているに違いない。
そうなのだ。くわのみを盗んだのは十五の姉や(ねえや)だったのだ。犯人はこいつだ。で、村人は追放するだけではかわいそうなので、どこか隣村にでも嫁にということで送り出された…、あるいは、本当は村から締め出されただけなのだが、建前上、世間体もあり、嫁に出したという名目を立てたのだ…。
きっと、小生の解釈は筋が通っていると感動されている方もいるのではなかろうか(ここまで書いてきて、ふと、不安になった。まさか、読者の中にはこの期に及んで、「おわれて」が「追われて」でいいと思っているんじゃないか、と。あの、「負われて」ですからね。もし、今、初めて知ったという人がいたらと思うと、背筋が寒くなってくる)。
尤も「おわれて」が「ぼわれて」の転訛(てんか)だという可能性もないわけではない(これも冗談だからね、分かってるね)。
いい加減にしろと、石を投げられそうなので(できれば石より匙を投げて欲しいものだが)、本筋に戻る。
さて、こうした意味的に輻湊した遊びをふんだんに取り入れた詩人というと、なんといってもシェークスピアがいる。彼の戯曲などは、もう、駄洒落や言葉遊びの宝庫なのだ。
日本だって負けてない。少なくとも昔の歌は、掛詞に限らず、言葉で奔放なくらいに遊んでいたものだった。今、ちょっとその例が浮かばない。
(せっかくなので、在原業平の「唐衣 きつつ馴れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」などを例に挙げておく。各句の頭をつなげると、「かきつばた」になるわけである。所謂、「折句歌」の代表例かもしれない。)
たまたま思いついた歌を示しておこう。:
足引きの 山鳥の尾の しだりおの ながながし夜を ひとりかもねん(柿本人丸)
これまた余談で余計な脇道だが、今、たまたま「もじり百人一首」なるサイトを発見した。
その中では、上記の歌をもじって以下のように歌われている:
逢引の 山のふもとの 安宿の ながながし夜を ふたりかも寝ん
「ふたりかも」という言葉に滋味を感じる。「かも」は、もちろん、鴨という鳥なのだろう?
それがいつしか、真面目一方のものは、和歌とか短歌とか俳句となり、不真面目なものは川柳とか呼ばれて貶められていってしまった(きっと、形式的縛りが俳句に比して川柳が緩いから、芸術的に低く見られてしまうのだろう)。
もっと、両者の合一した世界を、誰か志ある方に実現して欲しいと思う。
(念のために断っておくと(宣伝になってしまうようで面映いが)、小生にもこうした言葉遊びの試みは少なからずある。たとえば、「無精庵 芭蕉に学ぶ」など。)
で、本筋だが、語彙的、あるいは形式的制約を殊更に受ける中で、それだからこそ、表現の上で、あるいは発想の上で自由度を増すという逆説は、もう少し、考える余地がありそうである。
(ボンデージファッションやボンデージ遊戯の秘訣・秘密もこの辺りにあるのか…も。)
以下、機会があったら、考えてみよう。
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コメント
三木露風は僕の高校の大先輩に当たります。地元は今では赤とんぼで町おこしに必死です。
赤とんぼの歌詞については三番の詞の意味が難解で、専門家の間でも議論があるようで、嫁に行ってから「さとの便りが絶え果てた」のはナゼなのか研究されているようです。
投稿: リベラ33 | 2007/05/06 11:03
リベラ33 さん、コメント、ありがとう。
三木露風さんのような方が先輩としていらっしゃると誇りになりますね。
赤とんぼで町おこし:
http://oh-syaken.com/x/modules/myalbum/photo.php?lid=2717&cid=121
http://oh-syaken.com/x/modules/myalbum/photo.php?lid=2716&cid=121
「赤とんぼ」の曲(メロディ)についてはいろいろ話があるようですね:
http://sawyer.exblog.jp/1649821/
赤とんぼの歌詞についても、小生なりに思うことも。でも、童謡の歌詞って解釈の余地があったほうが大人も子供もあれこれ思いをめぐらせることができて楽しいかも。
投稿: やいっち | 2007/05/06 20:01
かたくりです。
はじめまして、
こんにちは、FCブログの「かたくりのつれづれなるままに」の引用をありがとうございます。
さきほど、自分のブログを検索したら引用をみつけて驚きました。
「3.じゅうごでねえやは」ははじめ”姉や”と解釈したのですが、”姐や”だときついお叱りのコメントをもらいました。
姉でなく、下女のことらしいです。
投稿: かたくり | 2009/01/21 21:52
かたくりさん
コメント、そして情報、ありがとうございます。
本稿は、駄文ではあるけれど、基本的な事実関係や解釈に間違えがあっては困りますね。
できれば、下女だという典拠を教えてもらいたいのですが。
投稿: やいっち | 2009/01/22 01:46