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2007/05/04

北からの<便り>ないのを祈るのみ

 昨日は営業の日。祭日の営業は暇と相場が決まっている。
 まして、連休の谷間。
 ただ、今年は連休の間に二日、休日ではない日が挟まっていることもあってか、海外旅行組みは相変わらず多いものの、帰省客を除くと、比較的近場で休日を楽しむ方が多いようだ。

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← 田岡俊次著『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(新書、朝日新聞社出版局) 小生は未読。

 都内は、道路が空いている場所と混んでいる場所が極端に分かれる。
 観光地やイベントが行なわれている場所は渋滞が激しいが、そうではない場所は空いている。
 当たり前? まあ、祭日・休日はその傾向が強まるということだ。

 ちょっと走ってお客さんに恵まれないと、何処かの駅に車を付け、客待ちをしながらラジオに聞き入ったり、読書したり。
 読書は相変わらず『ちくま日本文学全集 澁澤龍彦集』で、本書も後半になると、学生の頃に読んで感銘を受けた文章が並び、ああ、若い頃、彼のこういった文章(例えば、ローマ帝国のとんでもない皇帝の話etc.)に心騒がされたものだったな、などと思ったり。

 自宅では、相変わらず最相葉月氏著の『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)である。星新一という作家について、こんな大部な本など、ちょっとどうかなと当初は思わなくもなかったが、とんでもなかった。
 中身が濃いし、エピソードに満ちており、SFのみならず政治や経済界の裏面史としても読めるし、文学裏話の宝庫としても読める。
 小生は、星新一という作家の本については、中学か高校の頃に少々、大学でほんの僅か読んで、以後、縁が切れてしまっている。

 今更ながら、小生がいかに上っ面しか読んでいなかったかを痛感させられ、忸怩たる思いさえする。
(言い訳をすると、中学生の頃はSFに夢中だったものの、次第にSFから離れ始め、ジェイン・エアを読んで文学に開眼して、一気に縁が切れてしまい、学生になって読書三昧になった一環で星新一に再会したものの、その頃は、ドストエフスキーやチェーホフやモーパッサンやに圧倒されていて、しかも、素粒子論など科学の啓蒙書で最新の科学に触れて想像を逞しくしたほうが遥かに刺激的であり、星新一に限らずSFは辟易していて、むしろ、ブラム・ストーカー やアルジャーノン・ブラックウッド、ブラム・ストーカー、エドガー・アラン・ポー、ゴーゴリらの怪奇小説にどっぷり浸っていってしまった。星新一の世界に虚心坦懐に接するには、読書的ヴァイオリズムの波長が合わなかったのだ。)
 今こそ、読み直しの時期かも。

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→ 最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社) 秀逸!

 車中ではラジオ三昧(無論、お客さんが乗っていない間に限るのは当然)。
 基本的に音楽を求めるが、時間帯や内容によってはインタビューなどの話に聞き入ることもある。昨夜など、落語に聞き入ったりして。
 昨日、ラジオで聴いた話(NHK第一)で、時事的な方面の話題に収穫があった。

 インタビューを受けているのは、田岡俊次氏。どうやら、同氏著の『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(新書、朝日新聞社出版局)がこの3月に刊行されたのを受けての特集のようだった。
 まあ、田岡俊次氏に昔話や思い出話を伺うわけじゃなかろうし、最新の話を聴くのだろうから、上掲の本で記述された内容に関わる話になるのは当然だろうが。
 上掲のサイトの謳い文句によると、本書の内容は下記:

北朝鮮の核開発はどこまで進み、ミサイルは日本に向けていつ発射されるのか。中国の軍拡・近代化路線はどこまで進み、「台湾侵攻」の可能性は高まるのか――想定される「極東二大有事」について、稀代の軍事ジャーナリストが鋭く斬りこんだ! 「歴史」から説き起こし、豊富なデータをもとに情勢を読み、渾身の分析力で両国の「次の一手」を予測する。不安の「正体」がいま明らかになり、日本の取るべき道が、浮かび上がる!

 実は、昨夜の同氏の話を聴いていて、腑に落ちることがあった。
 一時期、麻生太郎外務大臣の日本も核武装を選択肢の一つとして考えるべきという発言が問題になったことがあった:

2006年10月、中川昭一自由民主党政務調査会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言し、核武装を容認するものとして批判される(本人は非核三原則を堅持すると明言はしている)。この発言が北朝鮮の核保有を正当化しかねないと問題になり12月に民主、社民、共産など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。だが、核保有議論に対する野党側の反応は、言論を封殺するものとして、北朝鮮の核保有正当化については、完全に因果関係が逆転しているとの批判も浴びている。

 小生は、この発言が自民党の幹部から相次いだことに、何か違和感を感じた。
 それは、核武装を選択肢の一つに持つべきという発想や発言内容にもだが、それ以上に何ゆえこんな発言が成されるのか、その真意が今ひとつ摑み切れなかった。
 腑に落ちなかったのである。
 政治家は、まして中川昭一氏や麻生太郎氏が政治的計算に基づかないで、うっかり発言したりはしないものと思う(別に彼らの立場を擁護するつもりはない。ただ、ある程度の政治的打算や発言の波紋の行き着く先を考えて発言するだろうし、まして、核武装というと、日本のみならず内外で様々な反響を呼ぶのは必至なのは、明らかなはずだったろうし)。
 
 しかし、まあ、訳の分からない形で波紋や反響は沈静化していった。
 まあ、タカ派の発言なのだろう。日本において核武装論が(あるいは海外から見て日本の核武装戦略が)どんな反応をもたれるか、観測球を投げてみた、という程度の理解しかできなかったのである。

 さて、昨日の田岡氏の話に戻る。
 悲しいかな、小生は人の話を聴くのが大の苦手。それは受験生時代に痛感したことである。
 まして、一応は営業中なので、話も途切れ途切れに伺うしかない。
 要旨だけをかいつまんで列挙する:
 北朝鮮は、昨年10月の地下核実験に成功していた。
 この実験が行なわれた当初の日本の(拠って、アメリカ側寄りの)報道振りでは、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、2006年10月9日10時35分 (KST) 、初めて地下核実験を行ったと宣言した。ただし観測された地震波の規模が小さく、また北朝鮮政府による核実験の映像の発表がないため、各国は実験は失敗だったとの見解を示している」という論調だったし、そういった失敗に終わったという印象を日本にも海外にも持たせる傾向の報道が多かった(と小生は記憶する)。

 しかし、これは、ブッシュ現アメリカ大統領の政治的都合と打算に寄る情報操作だった。
 何故なら、イラクで行き詰まり、この上、北朝鮮政策に行き詰まっている結果、このような事態(北朝鮮が核実験に成功)に立ち至っては、ブッシュ政権は窮地に陥る。
 なので、実験の際の地下の揺れの観測データも、アメリカ当局自身が持っているデータではなく、韓国が発表した低いマグニチュードの数値をマスコミに流していた(低いマグニチュードで、実験は失敗に終わったのだという印象を一般に持たせる目的があった)。

 核弾頭の小型化にも北朝鮮は成功している
 核弾頭の小型化の技術そのものは、そもそもそんなに高度な技術を要するものではない。
 B29が日本(広島や長崎)に投下した原爆は重かったが、これは、地上からの砲撃で原爆が損傷するのを防ぐため、分厚い鉄板で囲っていたことが大きい。
 さらに、原爆を起爆させるための火薬も、大戦中より格段に高性能化しているので、詰める火薬の量も減らせるようになっている。

 日本の弾道ミサイル防衛システムは脆弱であり、気休めに過ぎない。
 北朝鮮からのミサイルを仮に防げるとしても、それが一発なら(運がよければ)打ち落とせるかもしれないが、喩えば、10発など複数が一斉に飛んできたら、防ぎようがない。

 ミサイル防衛システムは、仮に機能しても、局地的なものに留まる。
 むしろ、ミサイルが飛んできたら、逸早くその情報をキャッチし、民間に流すことのほうが先決であり効果的である。
 何故なら、長崎や広島への原爆投下の結果を見ても、爆心地に近い場合でも、たまたま地下にいた人たちの被害は地上の人に比べ格段に少ない。
 よって、ミサイルが飛んだという情報があったら、至急その情報を一般に流し、地下への撤退を図ったほうが被害を最小に抑えられる(これは、小生の余談だが、地震でP波とS波が同時に発生するが、P波のほうがS波よりずっと速く伝わってくる。この事実を利用して、地震の警戒システムを作る動きが始まっている。これって、北朝鮮のミサイルに対する地下への避難の模擬的な運動ではと、思ったりして)。

(ここまでが昨夜の田岡氏の発言の要旨の一部。但し、小生の理解不足による誤解の怖れが十分にある。)

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← 増山麗奈著『桃色ゲリラ ― PEACE&ARTの革命』(社会批評社) 凄い人がいる。本書は、今週末にも手が出せそう。読むのを楽しみにしている。

 さて、田岡氏の発言の通り、北朝鮮が地下核実験に成功し、且つ、核弾頭の小型化に昨年の秋に成功していたということで、ようやく、小生は麻生太郎外務大臣や中川昭一自由民主党政務調査会会長らが相次いで日本も核武装を将来の選択肢の一つとして考えるべきといった、当時、いきなり(小生は迂闊にもそう感じた)飛び出した発言の真意も見えてくる。
 
 昨年の北朝鮮の核実験(の成功)について、できるだけ成功はしなかったという印象を一般に持たせたかったのは、アメリカにおいて、ブッシュ現政権のイラクのみならず北朝鮮問題でも後手に回り失敗の連続の憂き目にあり、そんな時に北朝鮮が核実験に成功してもらっては困るという事情があったというにとどまらず、むしろ、北朝鮮の核実験の成功(核弾頭の小型化の成功でミサイルへの搭載が現実味を帯びている)が日本へ及ぼす影響を懸念していたというのが、昨夜の田岡氏の話だった。
 つまり、北朝鮮が核開発に成功し、既に核弾頭を複数個、所蔵しており、しかも、その所在を把握するのは軍事衛星を使っても、ほぼ不可能ということであってみれば、軍事戦略上、日本も核武装の道を選択せざるをえなくなってしまう。
 むしろ、アメリカは、日本の核武装をこそ、怖れていると田岡氏(に限らないようだが)は考えているようだ。
 アメリカは日本が日米同盟からほんの少しでも離れるのを怖れているわけである。
 中国に脅威を抱くのはアメリカに都合がいいが、だからといって、北朝鮮のことを理由に核武装され、一歩でも軍事的に自存の道を進まれるのは、絶対に困る、というわけだ。
 
 麻生氏や中川氏らの発言は、つまり、日本の当局は、北朝鮮が核開発に相当程度成功していることを把握していますよ、その気になれば核武装の道も現実的に考えますよ、でも、その道を選択しないのは、実のところ、アメリカへの貸しなのですよ、というブラフ的発言であり、そういった戦略や意図を持った発言だと理解したら、あの頃、ああいった発言が飛び出したのも理屈の上で理解はできるわけである。
 
 まあ、いずれにしても、キナ臭い状況が一層、差し迫った状況に陥ってしまったことは間違いないようだ。
 日本は、一層、アメリカとの同盟関係の道を突き進み、後戻りなどできなくなってしまっている。
 集団的自衛権の問題に突破口が生まれたら、今の環境問題に後ろ向きで麻薬と武器と金融にのみ依存する今のアメリカ(その姿は、衰退期に向う直前のローマ帝国のようだ)とベッタリとなったら、大戦中の日独伊同盟の二の舞で、日米同盟でアメリカもろとも沈没しそうである。

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