崋山鳴動しても弥一は弥一
学生時代に繰り返し読んだアルベール・カミュの『異邦人 L'ETRANGER』の冒頭の表現を借りると、「今日、崋山が死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」ということになる。
尤も、崋山は江戸時代後期に生きた画家(政治家)だし、実際に亡くなったのは天保12年10月11日(1841年11月23日)のことである。
要するに昨日、ドナルド・キーン著の『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読了したのである。
ただその末期の姿や心持が余りに悲惨であり哀れでもあって、暗澹たる思いが重いのである。
← 『ゴッホ・アルルの跳ね橋 ( 荷馬車 )』(「名画デスクトップ壁紙美術館」より)
崋山は、「幕政批判で有罪となり、国元田原で蟄居することとなった」が、「翌々年、生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視されたとの風聞が立ち、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は「不忠不孝渡辺登」の絶筆の書を遺し自らの人生の幕を下ろした」のだった。
そう、実際は、「生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視された」というのは実際にはあくまで風聞に過ぎなかったのだ。時の老中・水野忠邦は蟄居した崋山のことより、阿片戦争が勃発し、英国など欧米列強のアジアへの魔の手が伸びていよいよ日本に及ぶことへの危機感とその対応策で頭の中は一杯だったのだ。
しかし、崋山は彼の(政(まつりごと)より出世欲や色欲に目が眩んでいた)暗愚なる主君(というより藩)に自分の行為が不忠になる懸念を抱き、彼が何より大切に思う彼の母へ累が及ぶ不孝を恐れ、母の監視の目の隙を突いて自害(切腹)して果てたのである。
無論、武士だから、切腹し(腸が飛び出すほどに)たがすぐには死ねず、首をも自ら切って果てた。
自害した崋山が首を切っているのを見て、最初、彼の母は武士が女子(おなご)でもあるまいに首を切って果てるとは何たる不始末かと歎いたが、立派に腹を切っているのを見て武士(武家)の面目が立ち、安堵したという。
絵に生涯を捧げたかった文人・崋山。が時代が、藩が、そんな私人(詩人)の思いなど踏み砕く。
本書ドナルド・キーン著の『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)については、感想文は書かない。読むに価する本だとメモするだけに留める。
実際、本書に絡んでは、「文人は命からがら辛いもの」や「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」、「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」と書いてきたが、いずれも、本書についてではなく、本書の中の気になる一文を本筋とは無縁な形でメモってみたに過ぎない。
崋山が死んだ。非業な最後を目の前で垣間見てしまったような気がする。
→ 『星新一ちょっと長めのショートショート〈1〉宇宙のあいさつ』(星 新一【作】・和田 誠【画】、理論社 ) 小生が読んでいるのは、『宇宙のあいさつ』(新潮文庫)だが、画像が見つからない。和田 誠氏の挿画がたまらなく楽しい。そう、彼のイラストを見るのが楽しみでもあったのだった。阿佐田哲也作の小説が原作の映画『麻雀放浪記』では監督も務めていたことを今、知った! 映画も観たが、原作も読んだっけ。そうか、和田 誠氏が監督だったんだ。あの独特なタッチのイラストとこの映画とはまるで結びつかなかった!
過日、『渡辺崋山』の前に最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)を読了したことは既に「北からの<便り>ないのを祈るのみ」などに書いた。
これも好著だった。読了した余韻は今も熱く、せっかくなので、図書館で星新一の本を借り出して、寝入る前に少しずつ読んでいる。
借りたのは、『宇宙のあいさつ』(新潮社)である。
懐かしい。小説を読む際には、作家の人生のことは度外視して読むのが小生流。作家は作品で勝負するのが筋だと思うから。
それでも、つい、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で読んだあれこれを思い浮かべてしまう。そう、深読みしてしまう。
というか、深読みなのか、小説の世界が瞑想に誘うのか、自分でも判然としない。
ま、いっか。楽しめばいいんだから。
車中では、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」なる展覧会の受付で買ってきた増山麗奈著『桃色ゲリラ ― PEACE&ARTの革命』(社会批評社)を読み始めている。
(この展覧会のことについては、「桃色のゲリラ眠れる我起こす」や「桃色の夢見るごとく花盛り」などを参照願いたい。『桃色ゲリラ ― PEACE&ARTの革命』についての感想文は機会があったら書くかもしれないが、どうだろう…。)
やはり、増山麗奈さんは傑出した人物だと、本書を読みつつ、改めて感じた。
展覧会の受付で本書を購入する際、麗奈さんにサイン(さらには似顔絵までも!)してもらったのだが、当然、挨拶もした。
目を見て、感じるものがあった。
無論、彼女は小生のことは知らない。多分、これからも関心の外のままだろう。一人の人間(男)としても、関心を惹くことはまるでない。その意味で醒めた目で小生(の目)を見たはずである。
実際、醒めているのだが、目の奥に滾るものを感じた。
たまたま対面している相手が小生という興味のない人物だったから滾るはずの情熱の泉が(少なくとも小生に向っては)噴出しなかっただけで、ともすると狂気にさえ至り兼ねない、かりに岡本太郎と目と目が一瞬でも合ったなら受けるだろう、こちらを射竦めるパワーの熱気を感じたのである。
彼女は迸るものをアートで表現するという箍(たが)があるからこそ、ギリギリのところで此岸(しがん)に踏みとどまっていることができるのだと思う。
美を見てしまった。美に囚われてしまった。しかも、自分なりの美の表現の可能性を探求しないではいられない、その思いがあるがゆえに、とことん凡人である小生にも、ほんの少しは理解が及ぶ(という錯覚かもしれない)思いを抱くことも可能なのだろう。
しかし、そのアートも既成のものでは飽き足りるはずもない。ヒマラヤの山上で高山病に耐えつつ見た朝日の感動、恋は無論のこと、政治に付いてもアートへの思いについても、真っ正直に思いのままに行動する人間だからこそ人とのぶつかり合いで受ける数々の心身の向こう傷。
パフォーマンスを伴わないアートでは彼女の野性の迸りは表現の形になりえない。
彼女のアートは、猛獣を力ずくで押さえ込んでいるという印象を受ける。
無論、素人の勝手な印象である。絵画やアートの専門家はもっと高等な観点から的確な批評を加えるのだろう。
どんな形にしろアートにこだわるのか、何かもっとアクティブな方向へ向うのか、少しも目が離せないという感がある。
← ミシェル・パストゥロー著『青の歴史』(松村 恵理/松村 剛 訳、筑摩書房)
自宅では(就寝前を中心にしては、上掲した星新一の『宇宙のあいさつ』だが)、デュ・モーリア著の『世界文学全集 別巻4 レベッカ』(大久保康雄訳、河出書房…今の河出書房新社なのか)を昨日から読み始めた。
デュ・モーリアは、小生が失業していた94年に出会った作家である。
プールと図書館通いの日々だったが、借りて読んだ300冊ほどの本の中にダフネ・デュ・モーリア著『鳥―デュ・モーリア傑作集』 ( 務台 夏子訳、東京創元社、文庫)があったのだ。
たちまち、デュ・モーリアに傾倒し、『レイチェル』、『レベッカ』と読んでいった(『鳥―デュ・モーリア傑作集』も再読した)。
『レベッカ』を読んで十年ほどになるので、またデュ・モーリアの世界に接したくなり、予約して借り出し、手にしているというわけである(失業時代でのデュ・モーリアとの遭遇については、「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」などを参照)。
今更、感想は書かない。もう、読書も根気がなくなって長編を読むのは億劫だったりするのだが、デュ・モーリアの本を手にすると、頁は勝手に捲られていく。
読める時間は限られているので、今月中に読み終えるかどうか。ま、じっくりゆっくり楽しむことにする。
ネットで『世界文学全集 別巻4 レベッカ』についての情報を探していたら、下記の記事を発見:
「asahi.com:世界文学の名作 脚光 18年ぶりに全集発行など」
「世界文学の「古典」がにわかに脚光を浴びている。河出書房新社は今秋、国内では18年ぶりとなる「世界文学全集」を出す。近年さかんに刊行され始めた古典の新訳も売れ行きが好調だ。本屋大賞が注目されたり、ライトノベル系の作家が活躍したり、親しみやすい小説が評判を呼ぶ一方で、ガツンと読み応えのある名作が復調の兆しをみせている。」というのである。
そうしたトレンドの一環なのか、「新潮社は05年にカポーティ『冷血』、ナボコフ『ロリータ』などの新訳を文庫本ではなく異例の単行本で刊行、すぐ増刷した。今月はデュ・モーリア『レベッカ』の新訳を単行本で出す。 」というのだ(太字は小生の手になる)。
自宅では、就寝前は星新一の『宇宙のあいさつ』、ロッキングチェアーではデュ・モーリアの『レベッカ』だが、息抜きにというわけでもないが、ミシェル・パストゥロー著の『青の歴史』(松村 恵理/松村 剛 訳、筑摩書房)を読むつもり。既に借り出してある。
「ギリシャ・ローマの人々にとって、青は不快な野蛮の色だった。現代では、青は、最も好まれる色として勝利を収めている。フランスの紋章学の鬼才・パストゥローが、古代社会から現代にいたる青の“逆転の歴史”を、聖母崇拝と青、フランス王家の紋章への青の採用、宗教改革以後の倫理規範と青、さらにはジーンズと青など、西洋史のなかの興味深いエピソードとともに鮮烈に描き出す」というもの。
青が好きな男性は多数を占めるらしい。その意味で小生もよくもあしくも凡人である(中学の初めのころは、好きな色はと訊かれると、「黄色」と答えていた。確か、学習系月刊誌の付録に絵画の複製画が織り込みの形であったが、その中に、ゴッホの『 アルルのはね橋』 か『糸杉と星の見える道』かがあった。恐らくは、その絵の印象が黄色と言わしめたのだろう)。
小生が図書館で本書『青の歴史』を目にして、すぐに借りる気になったのは、パラパラと捲ってみて読みやすそうだと感じたこともあるし、上記したように青が好きだということもあるが、やはり葛飾北斎の「凱風快晴」の空の青、そう、プルシャン・ブルーに圧倒されてしまったことがあるのである(関連する記事に「露草…陽炎(かぎろい)の青」や「ヤンセンや北斎のエロ学ぶべし?!」がある)。
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