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2007/05/27

イナーヤト・ハーン…音楽は宗教そのもの

 本書ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)の訳者である土取利行氏がハズラト・イナーヤト・ハーンの著作にめぐり合ったのはフランスで、「一九七五年、実験劇『チベット死者の書』の音楽を担当し、最後の公演先パリを訪れたとき、意外にもジャズのソプラノ・サックス奏者スティーブ・レイシーから紹介されたのが本書の第章「音楽」だけをまとめたペーパーバックだった」という。

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← ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)

 本書など随所からからイナーヤト・ハーンの言葉は引用され名言などとして示されている。
 下記の言葉もその一つである:

 つまるところ、音楽とは何なのでしょう。
 いわゆる音楽とは、耳に聴こえる調和のことですが、実は色の中にも、線の中にも、音楽はあるし、種々の草木が繁茂する森にも音楽はあります。そして、そこでは、草や木の共生の仕方にもハーモニーがあります。より広く自然を観察すれば、自然はさらに人の魂に訴えかけてきます。
 どうしてでしょう。そこに音楽があるからです。
 より広い生命観をもてば、生命への理解が深まり、音楽がもっとよく聴こえるようになります。全宇宙に呼応する音楽が聴こえるようになるのです。
 でも心の開けた人は、森に出るまでもなく、雑踏の中にいても音楽をみいだせます。

 この頁ではハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)の「訳者あとがき」より「イナーヤト・ハーンの経歴」を一部、転記させてもらう形でイナーヤト・ハーンの人物像などを紹介しておきたい。
 ネットではまだ彼に付いての情報は、彼に相応しいほど十分見出せるとは思えないからである(手入力なので、転記の際に不備があるかもしれない。気づかれた方はご指摘を願う)。

 「イナーヤト・ハーンの経歴
 ハズラト・イナーヤト・ハーンは、宮廷楽士マウラー・バクシュの内弟子だったパンジャーブ出身の歌手ラフマト・ハーンと、バクシュの次女カティージャ・ビービーの長男として、一八八二年七月五日、北インドのバロータで生まれた。(ハズラトおよびマウラーは尊称)
 マウラー・バクシュは、バローダにインド最初の音楽学院(ガーヤン・シャーラー)を創設した音楽家でもあり、イナーヤトは、幼い頃からこの学院で、祖父や父からの優れた音楽教育を受けて育った。当時のインドには宗教改革の大きな波が広がりつつあり、音楽家、宗教家、哲学者、神秘家などの社交場と化したその家では、毎日のようにさまざまな談義が繰り広げられていた。少年イナーヤトは、これら大人たちの宗教的、精神的な話に大いに興味をもち、時おり訪問してくる神秘的なデルウィーシュやファキールにはとりわけ心引かれたといわれている。
 十四才の時、最愛の祖父マウラー・バクシュを失ったイナーヤトは、マハラジャから楽士として招かれた父に付き添って、ネパールへの一年間の旅に出る。しかし、この長旅で、母親にひどく心配をかけたことを悔い、その後いっさいの旅を控えたが、一九〇二年、この慈愛深い母が三十四歳の若さでこの世を去ったとき、その悲しみを振り捨てるかのように、一人マイソールへの旅路についた。
 ムガル帝国の栄光を秘めた都市ハイダラーバードに着いたときは、誰も頼る者がいなかった。しかし、音楽の練習と執筆活動を続けながら半年が過ぎようとしていた頃、この街で知り合った友人を介してイナーヤトはマハラジャに会い、彼が開いたキャンプ地で、ムガル帝国皇帝の末裔、ニザームの面前でうたう機会を得る。イナーヤトの歌に心酔したニザームは、その後も何度か私的に彼の演奏を鑑賞し、その歌を讃美すると同時に、親睦のしるしとして自らのエメラルドの指環まであたえるにいたっている。
 ハイダラーバードではまた、イナーヤトが生涯唯一の宗教指導者としてあおぐ崇高なチシュティー派の師、サイード・ムハンマド・アブー・ハーシム・マダーニーとの運命的出会いがあり、ここでイニシエーションを授かり、六ヶ月の修行をする。そばにいた期間こそ短かったとはいえ、イナーヤトの師によせる信頼は絶対的で、以後の半生はマダーニーのメッセージを実現するために奔走したといってもよい。
 そのメッセージとは、彼が入門してから四年後に病床の師から託された、「スーフィーの教えと音楽で、東洋と西洋の霊的な橋渡しをせよ」というものだった。
 その後しばらくインドや東南アジアの旅を続けていたイナーヤトは、一九一〇年、祖父、母、師に次いで父を亡くしたのを機に、師マダーニーのメッセージを実現すべく、弟マヘブーブ・ハーンと従兄弟アリー・ハーンを連れて、ボンベイ港から未知の国アメリカへと出航。同年九月十三日、二十八歳の時だった。巨大なビルが林立し、さまざまな人種が行き交い、止むことなき騒音が渦巻くニューヨーク。長い旅路の果てに着いたこの都会での生活に三人は疲れ果てたが、やがて当時活躍していた女性ダンサー、サン・デニの助けで、コンサート活動ができるようになり前途が開けてきた。その後、サンフランシスコではアメリカ最初の弟子(ムリード)となったエイダ・マーティン女史がスーフィー・センターを設置し、イナーヤトのコンサートや講演活動を積極的に支援するようになった。
 アメリカからイギリスに渡った翌年の一九一三年五月二十日、イナーヤトは、家族の反対を押し切って彼のもとにやってきたアメリカの白人女性オーラ・レイ・ベーカーと結婚。その後まもなくフランスを訪れ、いくつかのコンサート活動を続け、サラ・ベルナルドイサドラ・ダンカン、ガブリエル・ダマンジオ(註↓)などと出会い、ウォルター・ルンメル(註↓)からドビュッシーを紹介してもらったりもする。またこの間に、当時一世を風靡していたダンサーのマタハリの伴奏をつとめたこともあった。続いてロシア滞在中に、長女ヌール・ウッ・ニーサー・イナーヤト・ハーンが誕生。ここでは作家トルストイの息子セルジュ・トルストイとの親交も深めた。
 一九一四年、イギリスに帰って間もなく第一次世界大戦が勃発。最悪の状況のなか、イギリスでの最初の弟子、メアリー・ウィリアムズ女史がスーフィー・センターの母体作りを始め、講演、出版活動を押し進める。同時期、その後のセンターの活動に大きな貢献をすることになるグッドイナフ女史も、『イナーヤトの声』と題した著作集『死後の生』『魂の現象』『人間と神を愛す』の三巻を上梓させる。日を追って激しくなる戦火の中、イナーヤトたちは負傷兵のためのチャリティー・コンサートや講演も行なったが、やがてイスラーム国トルコがドイツと連合国となったことから、イギリス国内のイスラーム教徒との緊張は高まりイナーヤトたちの活動はほとんど不可能になってしまう。わずかな希望の光の下で活動を続けるスーフィー・センターも、組織作りに多くの問題をかかえて難行。喜びといえば一九一六年の長男ヴィラーヤト・ハーンの誕生だけだった。しかし、こうした苦難を乗り越え、イナーヤトは自らの宗教活動を決して断念することなく、内なる光をたよりに、ひたすら逆境に立ちむかっていったのである。
 イナーヤトにとって音楽は宗教そのものであり、コンサートは演奏者と聴衆が霊的体験を共有する場にほかならなかった。しかし、欧米での演奏会は彼の理想とは裏腹に、どこにおいても芸術鑑賞の域を出なかった。この東洋と西洋の音楽に対する姿勢の違いは、スーフィー・センターにおいても深刻な問題になった。イナーヤトは最初、スーフィーの教えを説くにあたって、一年間ルーミーサーディーの詩を正しく唱えるように指導したが、彼らが東洋の音楽的フィーリングを習得するのは容易ではなかった。ましてや、スーフィーの音楽を伝授するには、相当なこんなんが予想されたため、結果的にスーフィーの教えから音楽の実習をなくさざるを得なくなった。そのかわりに彼は、音楽で表そうとしたものをことばに代え、それらが講義録としてまとめられたのが本書の『音の神秘』である。音楽の実習ではなく、音楽をことばによって教える。この一連の作業から『ガーヤン』や『ヴァダン』などの音楽詩ともいえる代表作も生まれたのである。
 大戦終了後の一九一九年、精力的に活動を続けてきたイナーヤトは、過酷な仕事と旅の疲れで急性肺炎を患う。翌二〇年は各国の協会の古いメンバーに活気を与える意図もあって、フランスに渡る。しかしそこではインターナショナルな活動が思うようにできず、生活にも窮した。戦後のヨーロッパは荒廃し、人々は何かを探し求めていたが、ロシアでは飢饉が続き、ドイツは抑圧と屈辱を受け、ベルギーは傷つき、イギリスはさらにインドの支配を強化しようとしていた。混沌だけが広がり、誰も新しい体制をみいだせなかった。こうしたなかでも、イナーヤトはオランダ、イギリス、ベルギー、フランスへといそがしく駆け巡り、各国でのスーフィー・センター設立を押し進めていった。
 一九二一年、イギリスのスーフィー・センターで儀式の作法が制定され、ずっと続いてきた財政上の問題、新旧グループの不和も一応解決され、ドイツを久々に訪問したが、ヒットラーの支配下にあったこの国ではスーフィー・センターの活動が禁止されてしまった。
 一九二二年、イナーヤトの家族はパリ北西部のスレスネスに移り、この年からここでインターナショナル・サマー・スクールを毎年ひらくようになる。「生命の学校」と名づけられたこの学校では、六月から九月までの三ヶ月間さまざまな講義や、訓練、瞑想などが集中的に行なわれ、イナーヤトの死後も一九三九年までここで続けられている。
 一九二三年の二度目のアメリカ訪問は、マーティン女史のはからいで充実した。特にカリフォルニアでは、日本の禅僧ニョゲン・センザキも招聘され、二人の会談がとても印象的だったという。
 またこの年、スイスにスーフィー・センターの本部が設立される。この本部の設立でイナーヤトはあらゆる雑務から手をひけると思っていたが、実際は宣伝や出版刊行の仕事にかりだされたり、サマー・スクールだけでなく、本部での一般の集会も開くように求められたりと、今まで以上に組織に拘束される毎日が続いていった。
 一九二五年、三度目のイタリアへの旅に出るが、この頃から組織作りの問題や、旅の疲れなどで、イナーヤトの肉体は徐々に健康を蝕まれていく。以前の肺炎が再発し、イギリス旅行中にも病を患う。それでもこの年の終わりに七ヶ月間にわたる三度目のアメリカ訪問を実現させ、この間、宿を一五九回も変えるといったハードスケジュールをこなす。なお、この旅ではヘンリー・フォードとの異色の対談が紙上を賑わせている。
 一九二六年九月十三日の最後のサマー・スクールを終えたイナーヤトは、家族を残したまま一人でインドに旅立つが、いみじくもこの帰国は、十六年前にインドからアメリカへ出航したのと同じ日にあたった。弟のマヘブーブや妻のオーラはこれが何を意味するものかよく分かっていた。インドでは誰にも会わず、どんな仕事も引き受けないつもりだったが、彼の帰国はすぐに知れわたり、結局デリーでは六日間の講演をもたされるはめになった。容体は悪化する一方で、ラクノー巡礼の折には、ニウラー・バクシュの表札こそ残っていたものの、彼を迎えたのは、音楽も聴こえず、明かりもなく、人気のない荒涼とした建物だけだった。結局、その夜はそこにとどまらず、二十四時間の道のりを猛暑のなか、デリーへと引き上げ、再び病に倒れる。
 一九二七年二月五日、イナーヤトは、祖国インドで四十四歳の短い生涯を閉じたが、神の音楽そのものといえる彼の教えは、その後も欧米各地のスーフィー・センターを通じて伝えられ、多くの人々の精神的光になっている。

       *         *

:文中、「日本の禅僧ニョゲン・センザキ」とあるのは、「千崎如幻」のことだろうか。ウォルター・ルンメル(1887-1953)とは、「20世紀前半アメリカ・ピアノ界の巨匠」であり、「ゴドフスキーの弟子でありドビュッシーの友人でもあり、卓越したピアニストとして知られていた音楽家」で、バッハの曲の編曲も手がけたとか。青梗菜さんよりコメント欄に情報を戴きました。サーディーという人物については、「写真でイスラーム 水の話(5)…水の意味&サーディー廟」にて名前の見える人のようである。さらに、本文中、ガブリエル・ダマンジオとある人物は、イタリアの詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオだということです。石清水ゲイリーさんより、コメント欄に情報を戴きました。)
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→ 土取利行著『縄文の音』(青土社)

 本書の訳者・土取利行氏には、『縄文の音』(青土社)なる著作がある。「『縄文の音』増補新版刊行!」だとか。
 パーカッショニストの土取利行氏というと、近藤等則氏とフリージャズ・グループを結成したこと、「80年代より古代三部作『銅鐸』『サヌカイト』『縄文鼓』を発表し、ニッポン音楽の源流を追跡、探究」したことなどで知る人も少なからず居るのでは。

スーフィーの楽器観」(ホームページは、「アジアの声」)なる頁でも、本書よりイナーヤト・ハーンの、特に楽器についての考えが引用されている:

 ヴィーナーは特に波動を集中させるように作られていて、時に演奏者にしか聴こえないような微かな音を発するため。瞑想に用いられます。器楽の効果は、楽器を奏する指先に表れる演奏者の進化の度合いにも左右されます。いいかえれば彼の魂が楽器を通じて語りかけるのです。演奏者の心の状態は彼がちょっと楽器に触れただけで読みとれます。どんなに偉大な名手であっても、自分の内なる感情を育てずに、単なる技巧だけでは心を引きつける美しさや優雅さは生み出せないからです。フルートやアルゴーザーのような気鳴楽器は、とりわけ心の質を表します。それらが生命そのものである呼吸を用いて演奏されるからです。それゆえ、気鳴楽器は心の火をかきたてるのです。かつては心をもった生きものから作られているため、腸弦楽器には生き生きとした効果があります。鋼線の張られた弦楽器には、わくわくさせる効果があります。また太鼓のような打楽器は人を刺激したり元気づけたりする効果があります。

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← 「坂本龍一 - 土取利行 - ディスアポイントメント ハテルマ - HMV」(キングレコード)

 本書には、このような言葉に満ち溢れている。引用を試みようと思うと、結果的にほとんど全文を引用する羽目になりそう!
 現代の大方の音楽観とは違う、神秘主義的な傾向が強すぎるものとして、敬遠されるのが容易に予想される。
 楽器、声、肉体、自然、宇宙、瞑想…。うっかり、この世界に嵌まったら、抜け出せなくなりそう。
 特に、イナーヤトにとって、音楽は宗教そのものという理解には(宗教への警戒感が強い人でなくとも)、君子危うきに近寄らずと、用心され、身構えてしまう向きも多いのだろう。
 小生もその一人である。
 それでも、音楽について何がしかの思いを深めてみたいと思う方には、こんな発想もありえるのだと思うだけでも本書に触れる意義はあるだろうし、道しるべかどうかは別にして、一定の縁(よすが)にはなるだろう。

 本書の「訳者あとがき」の末尾で、 土取利行氏は以下のことを書いておられる。小生は未読だが、『縄文の音』(青土社)は、その思いを果たしたということなのか:

 音楽の宇宙は広大無限である。この無限界への認識の扉を開けてくれる本書を訳出できたことを幸せに感じると同時に、いつの日か、自分のことばで「音楽」について書いてみたいというひそかな思いを残しつつ、筆を置くことにする。

 
 土取利行氏のプロフィールは、下記:
土取利行プロフィール

 なお、沈黙の音を巡ってのエッセイが小生にはあります:
誰もいない森の音/石橋睦美「朝の森」に寄せて

 上掲のエッセイをやや虚構仕立てにしたのが下記:
誰もいない森の音

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コメント

 スティーブ・レイシー(Steve Lacy)。
 といえば、全曲セロニアス・モンク(Thelonius Monk)の作品でのアルバム“リフレクションズ(Reflections)”が出世作。
 で、そのこころは、monk=高僧。
 って、駄洒落かよお。

投稿: | 2007/05/28 00:55

名無しさん、情報ありがとう。
文句なし、です!

気付いたところ(特に人命)について、リンクを増やしました。

↑ コメントを呉れたのは、青梗菜さんでした!

投稿: やいっち | 2007/05/28 01:36

イナーヤト・ハーン、注目すべき素晴らしい人物のようですね。
もっと彼のことを知りたくなりました。

ところで、文中の、
「その後まもなくフランスを訪れ、(略)ガブリエル・ダマンジオなどと出会い」という部分、
おそらくイタリアの詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオ(ダンヌンツィオ)のことでは。
彼は当時フランスにいたはずですし、
ドビュッシーとも親しかったことでもありますし。。

投稿: 石清水ゲイリー | 2007/05/28 09:23

石清水ゲイリーさん、コメント、ありがとう!
情報、嬉しい! 助かりました。
ガブリエーレ・ダヌンツィオなのですね。
本にはガブリエル・ダマンジオと書いてあって、ネットで情報を探しても見つからなかった。
今、検索したら、分かりました!
本文に注釈を入れます。

投稿: やいっち | 2007/05/28 13:27

「音楽は宗教そのもの」という言葉はあまりイスラームでは言わないです。とくにサウジアラビアなど厳格なところでは言わない言葉なので、どこかしらと思っていました。イナーヤト・ハーンはインドということで納得。哲学的な考え方と、音楽と一体化する感性と、スーフィズムが一体化したものでしょうか。スーフィーは本当にその世界だという気がします。
 彼にとって、サァディーの詩はどういう存在だったのでしょうね。

投稿: miriyun | 2007/05/30 04:32

miriyunさん、記事、参考になりました:
http://mphot.exblog.jp/4042109/

イスラム教(やユダヤ教、一部のキリスト教)は基本的に偶像崇拝は忌避しますからね。
その点、インドは多種多様な教義や原理が混沌と混在している。
それにしても、サァディーの詩、どんなものか知りたいものですね。
http://www.authorama.com/observations-on-the-mussulmauns-of-india-27.html

投稿: やいっち | 2007/05/30 11:59

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