母の日にちなむ?
ひょんなことから、あるサークルに参加させてもらうことに。
サークルの名は:「Mystery Circle」
Mystery Circleってったって、秘密のサイトってわけじゃないので、存在は告知してもいいらしい。
冒頭には、「創造と想像が好きな人々の為に ―ようこそ、奇譚の円環へ。― 」ってある。
← 5月10日、都内某所で見かけたMystery Circleならぬ、謎のストーン群。
まあ、創作のサークル。
ただ、ちょっとだけ、趣向がある: 「Mystery Circle Mystery Circle 案内板」
要するに、ある一定の制約の元に参加者がそれぞれに創作をするってわけ。
毎月締め切りがあって、今月は26日。
でも、小生は月に二度の勉強会(ほぼ一日、潰れる)や、我がサンバチーム・リベルダージも参加する「エンコントロ・ジ・アルモニア」というイベントが27日に控えている(行くかどうか未定)こともあって、この先、まとまった時間が作れるかどうか不透明なので、今週末は連休だったこともあり、今日、思い立って書いてしまった。
公表は、上記サイトでの公表を待ってからということなので、書きあげた作品は内緒。
まあ、小生らしい雰囲気が濃厚かもね。
ということで、今日は、書く精力を創作に注ぎ込んでしまったので、新たに記事を書く気力は残っていないので、日曜日が母の日だったことにちなみ、過去の雑文をアップさせる。
日の目を見ない地味な小文だけど、たまにはちょっとだけ脚光を浴びさせてやらないとね。
末尾の日付で分かるように、丁度、四年前の母の日の頃に郷里で書いた雑文である。
原文のまま、転記する。
少々配慮に欠ける記述も散見されるが、日記なので御寛恕願いたい。
→ トップの謎のストーン群は、この公園の奥にある。画像を拡大したら、白いものがチラッと見えてくる? 小生はその白っぽいモニュメント群らしいものの正体を確かめたくて、近寄っていったのだった。
「田舎での一日」
全く無為な一日を過ごしている。昨日は田植えをしたが、それも午前中だけで終わり、午後は耕運機を納屋にしまう作業をしただけで、あとは何もすることはない。
今日もその続きなのである。食っちゃ寝、食っちゃ寝の繰り返しで、たださえ太っているのがますます太りそうだ。何か我が家の手伝いで出来ることがあるかと思うのだけれど、できるのは草取りくらいのものか。
他に何も思い浮かばない。
お袋は年だし、足に難があるので、家事を少々するだけで、たまに買い物に行くくらいで、あとはお茶を飲み、テレビを見るともなしに見、居眠りする。家の中の掃除が行き届いていないことに気付いたのは、何年前のことだったろうか。洗い終えたはずの茶碗さえ、汚れが目立っている。あれだけマメなお袋だったのに。
だからもう何年か前から、食事はお袋が作ってくれるものの、出来たものは小生が運ぶ。お盆に三人分の御飯や惣菜や味噌汁、醤油などを乗せると重たくて、お袋が運ぶには、見ているほうが辛くなる。小生がいない間は、父とお袋の二人分だけなのだろうが、それでも足元が覚束ないのではと思ったりする。
当然、食べ終わった食器類も小生が流し台に運ぶ。洗うまでやるかどうかは、その時のお袋の様子を見て考える。
そういえば、土曜日の夜(帰省した当夜)、姉夫妻に誘われる形で、ある知り合いの方の小料理屋さんに食事に行ったが、その帰り、お袋が何かに足が引っ掛かって、呆気なく倒れてしまった。
コロン、という感じである。慌てて姉や小生が駆け寄る。抱き起こした後、倒れた辺りを見回したが、特に段差のようなものは見受けられない。
せいぜい、コンクリートの部分と下水を流すための溝に渡された細かな穴がたくさん開いた鉄板との境があるばかり。
その穴にお袋のサンダルが引っ掛かったのかもしれないが、原因は分からない。小生は、お袋らと連れ立って外を歩く時は、いつもシンガリ役を務めるが、注意すべき何にも気が付かなかったのである。
父は現役の国鉄職員だった頃は、趣味は盆栽だった。他にも切手の収集、お酒のラベルの収集、全国各地のお寺(観光地)巡りなどが趣味だったが、定年退職した後の趣味は篆刻である。結構、夢中になってやっている。御蔭で盆栽への配慮が不足がちになり、一つ、また一つと涸れると苦笑いする。
父は、定年退職した後は、ガックリしていた。生真面目に国鉄職員として勤め上げただけに、退職後の空白に、耐え切れないものがあったのだと小生は推測している。目一杯会社で働き、帰ってからは、田圃や畑、少々の庭の手入れ。暇に思うゆとりを持たなかったような気がする。
それでいて、歴史小説や時代小説が好きで、歴史ものへの薀蓄は相当なものである。父の蔵書は、小生のガキの頃から圧倒されていたものだが、長じるに連れ、嗜好の違いがハッキリしてきた。小生は歴史ものは嫌いではないが、他の分野の本を読む合間に気分転換に読むくらいなのである。
さて、父は、展覧会の出品期日が決まらないと、篆刻はしない。極たまに、知人から篆刻の以来が来ることはあるが、商売ベースでの注文は特に誰からもないようである。
但し、毎週、月曜日の夕方には篆刻の学校に通っているという。大きな作品の発表会では受賞を幾度も重ねた父だが、自らが先生になるには、相当な修練がまだまだ必要なのだろう。当然、投資も必要で、始めたのが定年からなので、今となっては先生になるのも難しいかもしれない。
父は、あとは、神社の世話役を長年、引き受けているが、それも徐々に次の世代に引き渡そうとしているようである。
一方、我が家は近くの寺の檀家になっている。その寺が築35年で老朽化が進んでいるので、寸志の提供を受けて建て替えするという。寸志、といっても、出さないと地元では肩身が狭いし、法事や何かで回ってくるときも顔を会わせ辛い。結局は出さないと拙いのだろう。仕方ないこととはいえ、億劫なことである。
その上、義理があって、父はその寺の寸志を集める世話役になっている。世話役人として父の名のある寸志を求める文書を読んで、小生は苦笑するしかなかった。
これだから田舎には帰る気になれないのだ。三十年も田舎を離れて、地元の事情に疎い。かといって奇麗事を言ったり、筋を通そうとすると、村はずれになってしまいそうだし、ウンザリすることこの上ない。
姉は長くお茶のお師匠さんの下に通っていた。姉ことだからとっくにお茶の先生になっていてもいいはずである。姉の師匠さんも、現役を引退されたようで、その後は、お茶の師匠のもとへ学びにはいっていないという。
小生のサラリーマン時代の知り合いも、近年、先生になり、弟子も何人か持ち、昨年はお茶会を開くまでになった。
お茶会への誘いの通知も貰ったが、不精な上に普段、お茶といえばペットボトルのお茶を飲んでいる小生である。着ている服も、どこかしら綻びがあるものか、でなければ色褪せているものばかり。
やっぱり敷居が高い。お祝いのメッセージを贈るだけに留めざるを得なかった。情ないものである。
その方と二人で飲むのなら、いつでも伺うのだけれど。
さて、姉はどうしてお茶の先生にならないのか、と聞いたら、京都にいる一番偉い先生が未だ若くて、ドンドン新しい作法を生み出したり、制度を変えるもので、今度から先生になるには、数百万円も上納しないとなれないようになってしまった。
たださえ、今まで散々、お茶にお金を注ぎ込んで来たのだし、その上さて、この先生の流派の中で偉くなったところで、つまらない。まじめにお茶に取り組んでいる、お茶の心を大切にする方たちは新しい先生の階梯の中からは、疎んじられ、日の当たらない場所に追いやられていく。
中には、その新しい宗匠に、その遣り方は間違っているんじゃないかと指摘したために、弾き飛ばされた人もいるという。きっと先代の師匠には大切にされた人だったのだろうけど。
そんな話をポツポツ、聞かせてくれた。
もう、お茶の心どころの騒ぎではないようだ。
お茶を嗜む心。何処ぞの侘住まいで、一人の人間が一人の人間と向き合って、お茶を立てる一つ一つの動作や仕草を経て、しみじみとひとつの時間を共有する、そんなお茶など、遠い昔のことになってしまったのだ。
それだったら、お茶の流派など離れて、一人の市井の人として、自分勝手にというと聞こえが悪いかもしれないが、お茶を共に喫する、そのひと時を大切にする、その気持ちだけで十分なのではないか、そうか、姉の選択も納得できるものがあると思ってしまった。
もう、お茶の世界に一期一会などといった心の交わりなど、無縁なものとなってしまったのだろう。カネなど絡めずに、本当に眼前の人を持て成すお茶を点てたいし、喫したいものである。そのためには何々流など、クソ食らえである。
さて、かくいう自分など、そのお茶さえ、ペットボトルのものしか最近は飲まない。一人住まいだし、キッチンなど名ばかりで、実際は流し台といったほうが的確で、即席ラーメンさえ、作るのに辟易するような、そんな狭苦しい部屋にいるのだ。
お茶の葉っぱだって、一人では、生ゴミの日に出すほど溜まるには、数週間も必要である。その間に部屋の中がますます臭くなっていくのが目に見えている。だったら、ペットボトルのお茶で十分なのだ。温かいお茶が飲みたかったら電子レンジでチンすればいい。一人の自分を癒すことが出来れば十分なのだ。
でも、たまに田舎に帰ってくると、お茶の缶から茶葉を急須に適量を出し、ポットのお湯を急須に注ぐ、それも東京でのように、コーヒーとココアとお茶のカップを兼用しているカップではなく、ちゃんとした湯飲み茶碗に注ぐ、両親の分、小生の分、時には来客の分も注ぐ、そしてひとそれぞれの飲み方で喫する。
そうして時間がダラダラとのんびりと過ぎていく。
今日、一日も、まさにそんな一日だったのだ。
たまにしか会えない親族が集まったのだ。無為に時を過ごすのもいい。何の用事もない。素晴らしいことではないか。一緒の時を過ごす。過ごすことが出来る。あと、どれほど、こうした機会を持てるとも限らないのだし。
来客というと、田舎を離れて三十年を越えてしまった小生には、田舎に帰っても会う人間は誰もいない。もともと人付き合いの苦手な小生のこと、距離の離間は付き合いの疎遠に即、つながってしまう。
(でも、小生が帰郷したのと入れ違いに、高校時代の友人から東京へ出張に来たので、久しぶりに会いたいという連絡があった。もう、三十年以上となる。彼は小生とは違って、固い職業に大学を卒業と同時に就いたのだが、その立派なはずの会社も、バブル後の浮沈の波に呑まれて、今は、その波での数々の難破船を改修する作業に従事している。彼なりの人生を経てきたのだ。小生のような、平平凡凡たる人生とは訳が違う。 03/05/14追記)
大体、東京暮らしを四半世紀以上も続けているのに、最早地元といっていいはずの東京でも、人付き合いがない。自分から求めないし、人からは尚更求められたことはない。一人、のんびり、マイペースなのだ。きっと、これからもこのまま、何事もなく過ぎ去っていくのだろう。
(03/05/12記)
← ストーンなのかコンクリート製なのかも不明。まあ、子供たちの水遊びの場なのだろうということで納得することにした。
[後欄無駄的追記]:
この記事をほんの二十分ほどまえ、ほとんど偶然で見つけた。文中に、「そういえば、土曜日の夜(帰省した当夜)、姉夫妻に誘われる形で、ある知り合いの方の小料理屋さんに食事に行ったが、その帰り、お袋が何かに足が引っ掛かって、呆気なく倒れてしまった」という部分がある。
小生、この下りを読んで、その時の光景を鮮やかに思い出してしまった。
それまで、すっかり忘れ去っていたのに。
その時点で既にお袋の体(精神面はともかく、骨)が悲鳴を上げていたのだ。
この記事を書いた年末に母は倒れた。無理に無理を重ねた結果で、体は(特に頚椎を中心とした骨が弱りきっていて、その結果、神経の通り道が圧迫されたりして)半身不随になったのだった。
その後、いかにも母らしい根気というか粘り強さで辛いリハビリに耐えて、今は手すりに掴まりながらだけれど、ゆっくり歩けるまでに恢復している。車椅子での移動も可能になっている。
幸い、気力は衰えているけれど、頭のほうは達者で、同年輩の知人や親戚らと会うと、お喋りに夢中になったりする。
そんな母がいるというのに、息子の体たらくは我ながら情けないし申し訳ない。
実は、日曜日、「公園の手品師」の時代」という旧稿をネットで偶然、見つけて以来、小生のブログをたまに覗きに来てくれるという方からメッセージがあった。
なので、こちらの小文に日の目を見せてやろうかと思ったりもしたのだった。
まあ、母の日、優先ということで、小生にはこんな一文もあるということで、上掲の小文を載せることにしたのだった。
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コメント
冒頭で13日に書きあげた作品を公表しました:
「ジャスミンの愛」
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2007/05/post_a230.html
http://nightstalker.blog17.fc2.com/blog-entry-264.html
投稿: やいっち | 2007/05/30 14:56