歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ
歌舞伎は、「歌舞伎 - Wikipedia」に見られるように、「日本独特の演劇で、伝統芸能の一つであ」り、しかも「重要無形文化財。世界無形遺産」である。
歌舞伎という言葉の語源も、「カブく(「傾く」が原義)の連用形からとされる。異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言った。歌舞伎の醍醐味はケレン味のある演出だといわれるのは、こういった背景にも由来する。つまり歌舞伎というのは当て字であるが、歌い、舞い、伎(技芸、芸人)を意味する、この芸能を表現するのに適切な文字である。ただし当初はその発生史から伎ではなく妓の字が使われ、江戸時代には混用していたようであるが、明治時代以降、現在のように統一した表記になった」とあって、なかなか興味深い。
← Thomas F. Leims 著『Die Entstehung Des Kabuki: Transkulturation Europa Japan Im 16 Und 17 Jahrhundert』(Japanese Studies Library Brill Academic Pub) 翻訳されているのかどうか、分からない。河竹登志夫著『歌舞伎美論』(東京大学出版会、1989年)にトーマス・ライムス「16・7世紀のヨーロッパから見た日本芸能ー成立初期のカブキを中心としてー」からの関係する部分の引用があるという。
歴史についてみると、「1603年に北野天満宮興行を行い、京都で評判となった出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎の発祥とされる。阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったというが、定かなことは明らかでない。阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また、男装して当時のカブキ者のふるまいを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。このころは能舞台などでおこなわれており、歌舞伎座の花道は(下手側が本花道、上手側が仮花道であることなども含め)ここから来ていると考えられる」とある。
より詳しくは、「歌舞伎の歴史 インデックス」などが参考になる。
いずれにしても、1603年に「出雲のお国、京都北野神社の境内や五条河原で小屋がけし、歌舞伎踊りを始める。歌舞伎の始まり」というのが定説のようだ。
出雲の阿国については、既に拙稿「歌舞伎の日阿国の踊りベリーに見ん」にて若干、メモしてみたことがある。
ここでは、歌舞伎の語源というか歴史というか、起源、あるいは出自の謎について、少しだけメモしておきたい。
実は、過日、ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読み始めていたら、興味深い記述を見出したのである。
十六世紀末、日本にはスペイン人やポルトガル人らの手により、ヨーロッパや新世界の文化や産物が一気に流入した。秀吉の好物がビーフシチューだったとか、ワインのみならずパンを知り、日本で早速、パンが作られスペイン人宣教師によればヨーロッパのものより美味しかったとか、西洋の服が流行したとか。
その上で、以下の記述が続く:
最も驚くべきことは、日本演劇の典型的な様式である歌舞伎の起源を辿ると、聖書の題材に基づいて当時の教会で上演されていた芝居に行き着くという事実だった。
上掲書は歌舞伎その他がテーマではないからだろう、歌舞伎に関する記述は(今の所)これだけで終わりである。
但し、本書末の注には、Thomas F. Leims 著『Die Entstehung Des Kabuki: Transkulturation Europa Japan Im 16 Und 17 Jahrhundert』(Japanese Studies Library Brill Academic Pub)がネタ元(典拠)だと示されている。
(ついでながら、「能と聖書的主題との関係についてはドナルド・キーン「日本人の美意識」(金関寿夫訳)八八ページを参照」と書いてある。)
もう、10年も前の刊行なので、こうした指摘や研究も興味ある人には常識に属する知見に過ぎないのだろう。
でも、小生には珍しいので、もう少し、ネットを通じて悪足掻きしてみる。
「歌舞伎―Navi.西川あづみ」なる頁にヒントになりそうな記述が見つかった。
「ニューオリンズの“マルディグラ”のパレードの様子です。世界三大カーニバルのひとつだというこのお祭り、カブキっぽい雰囲気でいっぱい。山車に乗ったグラマーな女性達が競うようにそれぞれの胸にかけた首飾りを周囲に集まった人に投げかけ、踊る姿が“出雲のお国”のようにみえたのです」とした上で、「丸谷才一さんの「出雲のお国」(『男もの女もの』)というエッセイ」からとして、下記の引用をされている:
出雲のお国やその夫の狂言師三十郎は、どこかの町のイエズス会の教会か学校にもぐりこんで、イエズス会劇を見物し、それに強烈に刺戟されてお国歌舞伎を創始したのではないか。
十六世紀から十七世紀初めにかけては、キリスト教(の布教)は禁止されていないし、また、鎖国政策もされていない。
恐らくは、燎原の火のごとく、キリスト教が民衆の間にも支配階級の間にも商人の間にも広まったものと思われる。
そもそも出雲の阿国が踊りの天才であったとしても、あるいはその衣装が奇抜であったとしても、「京都北野神社の境内や五条河原で小屋がけ」するまでは、ありえるとして、能舞台で演じられるまでに至るのか。
何か、背後にスポンサー的な存在や勢力があったのではないか。それが日本の武士(キリシタン大名)なのか、町人(商人)なのか、あるいはイエズス会士なのかは別として。
ネット検索していたら、下記のサイトに遭遇した:
「Rakugo roomFlower-House-Mezon」
この頁に、下記の記述が見出される:
歌舞伎の創始者は出雲大社の巫女だったとされる出雲阿国と言われていますが、実は彼女は十字架を首にぶら下げて踊っていたと言われているのです。阿国が歌舞伎を創始した時代は1603年。丁度この頃は南蛮交易が行われていた時代なのです。ですから歌舞伎がキリスト教の影響を受けていたとしても不思議ではないと考えられます。言葉も通じず十分な通訳者もまだいなかった頃、イエズス会は聖体神秘劇という宗教劇を行い日本の人たちにキリスト教を布教していったのです。彼らが興業した舞台には特別な仕掛けがあり、それが後に歌舞伎の舞台装置に反映されたという説があります。さらに出雲の阿国やその夫と伝えられている狂言師の三十郎は、当時、九州や中国の切支丹大名のさかんに演じられていたイエズス会劇をする機会があって、歌舞伎を創始したのではないかという説を唱える学者もいます。

→ 服部 幸雄著『江戸歌舞伎文化論』(平凡社) 本書は、「歌舞伎の成立をめぐって(歌舞伎の成立;出雲のお国の出身地と経歴 ほか)」という章があり、本稿でのメモに飽き足らない方には参考になりそう。
ここで、小生、上掲の頁のコメント欄を手掛かりに、「歌舞伎がキリスト教の影響を受けたという説を唱えている」という諏訪春雄氏の、「諏訪春雄のホームページへようこそ」へ飛ぶ。
すると、その中に、「諏訪春雄通信204」なる頁があり、テーマはズバリ「歌舞伎とキリスト教」や「お国の舞台にイエズス劇の影響はあったのか」なのだった。
例によって、「無断転載・引用等は固くお断りいたします」というので、敢えて転記その他は差し控える。
どうやら「フランシスコ・ザビエル生誕5百年」にちなみ、「歌舞伎とキリスト教(フランシスコ・ザビエル)の関係について教えて欲しいと」いう映像制作プロダクションのプロデューサーからの依頼に端を発した記事のようである(ちなみに、小生にも、フランシスコ・ザビエル生誕5百年に関係して、「ザビエルや死して大分走らせし」という記事がある)。
もう、何をかいわんやで、この頁の中の記述で本稿の目的は全て網羅されている。
(最初からこの頁を発見していたら、本稿を書き綴ることはさっさと放棄していたのだが、今や遅し、今更、撤回も口惜しいので、不毛・徒労な営為の記録として残しておく。トホホ…。)
歌舞伎とキリスト教(イエズス会)との関係は定説には至っていないのだろうか。
まあ、上掲の頁などを読んでもらい、その判断は諸賢に任せることにしよう。
ただ、仮に何らかの関係があったとしても、「日本独特の演劇で、伝統芸能の一つであ」るという事実は微動だにしない。
唯一、本稿での収穫というと、中途に引用させもらった、「ニューオリンズの“マルディグラ”のパレードの様子です。世界三大カーニバルのひとつだというこのお祭り、カブキっぽい雰囲気でいっぱい。山車に乗ったグラマーな女性達が競うようにそれぞれの胸にかけた首飾りを周囲に集まった人に投げかけ、踊る姿が“出雲のお国”のようにみえたのです」という一文のようである。
うむ。サンバ(カーニバル)も源流を辿ったら、少なくとも一部は歌舞伎の源流と相通じているのかな、なんて思ったのだが、如何。
お粗末!
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