日常と非日常とを飛ぶまりや
竹内まりやさん(決して、竹内まりあ、ではない!)のオリジナル・アルバムが5月23日、発売となった。
アルバム・タイトルは、『Denim(デニム)』だとか。
(「竹内まりや オフィシャルサイト」参照)
23日は、営業の日だったが、朝、出かける前、既にテレビで彼女の待望のアルバム発売が話題になっていて、何曲か聴くことができた。
→ 竹内まりや『Denim(デニム)』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)
小生は、デビュー当時から彼女の歌に好感を抱いていた。でも、アイドル歌手全盛の中にあって、彼女が至上の存在だったというわけではなかったように思う。
彼女の歌におやっと思わされたのは、2003年に出されたカヴァーアルバム「Longtime Favorites」を聴いた時。
というか、小生、アルバムは買わない(買えない)ので、全てラジオで聴いていた。「山下達郎のミュージカル・サポートによって」なるこのカヴァー曲集、日本人の歌手が歌う欧米の歌のカヴァーで(ほぼ)初めて小生が感心したのだった。
こなれた英語、それでいて日本人の耳に心地いい発音の英語(など)を安心して聴き入ることができた。
図書館で音楽CDを借りるというのは、長らく自分に対し禁止してきたが、昨年から解禁(何故、自制してきたかは、機会があったら書くかも)。
とはいっても、労働生産性の低い仕事をしているので(正確に言うと、自分の働きが悪い!)、自宅で自由になる時間は乏しく、本を読む時間を優先している小生、音楽CDを借りるといっても、ジャズかクラシックなど、歌のないものが中心。
歌があっても英語以外。のはずだったが、段々抑制が緩んできて、英語の歌詞のCDも借りるように。
それでも、日本人の歌手の歌ばかりは敬遠してきたのだが(日本人の歌が嫌いなのではなく、架かっていると歌詞が耳に入り、聴き入ってしまうようになり、読書の手が休んでしまう)、でも、カヴァー曲集で日本語の歌詞ではないのだから、好きな竹内まりやさんのCDくらいは借りよう。
そうだ、数年前に聴いて気に入った「Longtime Favorites」を今こそ、聴こう!
嬉しくも、誰かが借りていてめったにラックには在庫のない「Longtime Favorites」がある!
聴き始めると、もう、繰り返し繰り返しとなる。
← 竹内まりや「Longtime Favorites」 「すみや MEDIAMAX」参照。
さて、『Denim(デニム)』の発売ということで、23日にはラジオで竹内まりやさんへのインタビュー、そして当然ながら彼女の曲も聴くことができたのだが、そんな中、彼女が島根県生まれ、出雲出身という片言隻句が耳に残った。
小生、島根やまして出雲という地名や名称にすこぶる弱い。
何故なのか、自分でも分からない。
島根(県)あるいは出雲関係の人物の影響もないわけじゃない。
中村元? 西周? 森鴎外? まあ、著名人の名前を挙げるとキリがない。
高校の頃から読み親しんできた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の奥さんが松江だということも大きい(いつかは松江でなくてもいいから島根の人を…)。
しかし、違う。
では、過日、ブログで採り上げた出雲阿国?
彼女の存在も大きいのは事実だが、ちと、違う。
生国が石見とも言われ、島根県の何処かで非業の死を遂げたとも言われる柿本人麻呂の存在か。そう、小生、日本における、文筆においての神的存在として柿本人麻呂を崇め奉っている。
→ 倉橋 日出夫著『卑弥呼の謎 年輪の証言』(講談社)
が、やはり、これは定説にはなっていないのだが、出雲の人、卑弥呼を思ってしまうからなのである。
いつの頃からか、卑弥呼は出雲の人に違いないという思い込みが小生の中に頑固に根付いてしまっている。多分、一生、揺らぐことはないだろうし、その気もない!
今は、出雲と卑弥呼との関係に付いて、メモする余裕はない。
例えば、内容に付いて、やや批判を多く受けた『卑弥呼の謎 年輪の証言』(講談社)の著者である倉橋 日出夫氏のサイトを参照願いたい:
「古代文明の世界へようこそ」
特に、「邪馬台国と大和朝廷」なる頁が面白い。
そんな思い込みがあるからか、島根県の女性と知ると、見る目が目が違ってしまう。目の前の女性のどこかに卑弥呼の面影を探してしまうのである。
実際、80年代の半ば過ぎ、好きになり、少しだけ付き合ってくれた女性は島根県の人だった(出雲市ではなかったが)。
すぐに失恋したが、未練がましい小生、面影を追って、89年、夏休みを利用して、オートバイを駆って東京の自宅から中央高速は阪神高速などを経由し広島へ、原爆ドームを素通りして、一気に島根県へと突っ走った。
生憎、休みが短く、島根県は宍道湖などを横目にこれまた素通りするしかなく、そのまま郷里の富山へ一直線。
ひたすら走るのみの面影を振り切りますという失恋ツーリングだったのである。
とにかく、その女性に卑弥呼の面影を勝手ながら嗅ぎ取っていた。何か女王的な雰囲気を感じていた(別のその人を女王様! と呼んでいたわけではない!)。
← ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取 利行訳、平河出版社) 小生のような俗人には読み浸るというわけにはいかないが、いかにもという記述にしばしば遭遇するのも事実。ま、読んでいる最中は、虚心坦懐である。
その後も、島根県関係の女性には出会っているはずだが、女性に一々島根県出身ですか、出雲市ですか、などと聞けるわけではないし、仮に島根県出身と分かると、妙に意識して敬遠してしまう。敷居が高く感じられてしまう。
勝手に自分が身分の低い卑しい人間に思われてくるのだ。
気後れって奴?
ホント、出雲の卑弥呼さんは罪な方である!
(しかも、竹内まりやさん…つまり、「たけうち」という名前であるということにも、意味深なものを勝手ながら感じてしまうのである。ここでは、その意味合いには深入りしない。)
さて、話を戻す。
竹内まりやさんが島根県は出雲市大社町出身の人と、昨日、初めて知ったのである。迂闊と言えば迂闊だ。
歌手の方をネット検索そのほかであれこれ調べるってのは、あまり試みたことがないので、竹内まりやさんについても、歌を聴くだけで満足だったのだ。
1955年3月20日の生まれ。小生とは学年が一つ下で丁度いい!(何が丁度いいのか分からないが)。
血液型がA型ってのも(普段は血液型での相性など考えないのだが)嬉しい。共通点が一つでもあると、嬉しいのだ。
小生、竹内まりやさんが好きだといいながら(おっと、竹内まりやさんの曲が好きだというべきか)、岡田有希子さんに何曲も提供していたことや、アン・ルイスさんの『リンダ』や、薬師丸ひろ子さんの『元気を出して』や、河合奈保子さんの『けんかをやめて』、中山美穂さんの『色・ホワイトブレンド』、松たか子さんの『みんなひとり』 などが竹内まりやさんの提供だったことを知らなかった。
松たか子さんの『みんなひとり』は、彼女の歌ってきた中でベストではなかろうか。
というか、この曲で歌手としての松たか子さんを再認識したのだった。
→ 決してマッチ売りの少女じゃありません。ティッシュ配りのお姉さんです。小生も欲しかったなー。23日、都内某所にて。
なるほど、これらの曲調は、いかにも竹内まりやワールドという感じがする。
先週末から、ハズラト・イナーヤト・ハーン著の『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取 利行訳、平河出版社)を読み齧っている。「インド音楽の名手でもあった、スーフィズムの伝道者イナーヤト・ハーンが語る、音の神秘」ということで、やや神秘主義的傾向が強いけれど、それでも、折々、そういった伝道者でなければ表現できない、嗅ぎ取れない直感や洞察といったものに驚きの念を覚えたりする。
宗教的真理や境地を体感するには音楽が重要だと説く。
わけても、歌うことの意義の深さを強調する:
声は人の性格をしめすだけでなく、魂を表現します。声は聴こえるだけでなく、見る人が見ると見えるものです。声の空気の特質、これは人を地のレベルからはるかに上昇させます。声のエーテルの特質は、震撼をあたえ、癒し、平安を与え、調和させ、納得させ、心に訴え、同時にとても恍惚とさせるものです。
世の中で、声の力によってどれほどの現象が生み出せるかを知る人はごく稀です。もしも奇跡や驚異や不思議の真の痕跡があるとすれば、それは声の中にあります。
本書については、下記サイトがとても参考になる:
「音の神秘ノート ハズラト・イナーヤト・ハーン 「音の神秘」について」(ホームは、「風のトポス 神秘学遊戯団」)
← 23日、夜。歌舞伎座。一度は入ってみたい!
素晴らしい歌手の歌、その声、トーンほどに人を癒すものはないと思う。
まあ、一人の歌手を神に祭り上げるのも、当人にはいい迷惑だろう。
なんたって、「雑巾がけの日常と、創作の非日常があるから、どっちも飽きないですむ」と語る竹内まりやさんなのだし(「ZAKZAK 久々に新譜…竹内まりやが明かした50代の心境とは」参照)。
ただ、小生の胸の中で、竹内まりやさんは、今では聴くことの叶わない西田佐知子さんの再来のように、勝手に感じているだけである。
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