« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007/05/31

タクシー(ドライバー)を見る目が厳しくなります!

以下は、某所で書いた日記(一部、加筆):
会社で講習会

 講習会といっても、個人タクシーの勉強会ではなく、東京タクシーセンターの指導員(講師)による巡回指導(講習)会。
 本来なら年に一度、江東区にあるタクシーセンターへタクシードライバーが赴いて、一日、あれこれ講習を受ける定期のものだが、指導員が各地のタクシー会社(営業所)を巡回してくれるたのである。

070529

→ 29日の午後、都内某所の公園脇にて。この日、都内を走ったら、紫陽花の花が随所で目に付いた。そろそろ梅雨間近なのか。……あの、この花は紫陽花ではありません! それくらいは小生にも分かります!

 うちは、タクシーランキング制度(下記注参照)で「AA」ランクなので(昨年度は100点だった!)、こういう配慮を受けることができる。
 講師の方は話し慣れていて、さすがに話がうまい。流暢だし、人の気持ちを引きつけることができる。

 徹夜勤務明けの講習会なのである。朝の七時前に営業報告を済ませ、2階のドライバー休憩所で仮眠を取り、9時からの講習を受けた。
 体も頭もいつも以上にヨレヨレ。でも、講師の前ではシャキッとしていなくっちゃね。
 終わったのは、10時10過ぎだったか。
 それから、組合(会社?)支給の海苔弁当を食べて、10時半過ぎに帰宅の途へ。
 自転車のタイヤの空気がなきに等しく、乗り心地が悪い。

続きを読む "タクシー(ドライバー)を見る目が厳しくなります!"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/05/30

「ジャスミンの愛」アップ!

母の日にちなむ?」で5月13日、書きあげたと告げていた作品「ジャスミンの愛」をアップしました。
第二十三回 Mystery Circle」初(?)参加作品です(ホームページは、「Mystery Circle」)。他の書き手の作品も読める。さすが手練れさんたちだ。

Mystery Circle」の主旨は、「Mystery Circle いらっしゃいませだよっ!!!」を読んでね。
「初(?)参加作品」としたのは、「五月晴れの空へ」は、参加者でないのに、外野席から勝手に参加したという前歴があるから。
 正式な参加は、今回が初めて。

5月のお題
彼は、もしかしたら、飛びまわる灰に、どのような墓碑銘を付けるべきか、悩むかもしれない」 で、始まり、「私たちの世界を難しくしないでよ。とりわけ、私たちの世界を」 を 使って締めくくること。
お題の出典::『アニマル・ロジック』 著:山田詠美

<彼>が愛した(憎悪した)彼女の名前を「保美(やすみ)」としたのは、『アニマル・ロジック』を一読したらすぐ分かる。彼女への(彼の)愛を「ジャスミンの愛」としたのも、「ヤスミン→保美→ジャスミン」という分かりやすい構図。
ジャスミン」については、「心と体を癒すアロマテラピー」の中の「ジャスミン」がいい。「人の本能と結びついた生殖機能に対して、大変効果の高い精油」なのだとか。

 では、いざ、本文へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/29

まったりの週末の日々夢と去り

 月曜日は日曜日に引き続き、休日だった。快晴。しかし、半袖では寒いくらいで、昨日とは一転した気温である。

 ゆったりまったりな一日に終始した。昨日、炎天下の最中、バスや電車を乗り継いで横浜(関内)まで出かけたので、今日は休養も兼ねてひたすら安静を旨とした。
 といっても、朝の八時過ぎから、日曜日に楽しんできた「エンコントロ ジ アルモニア2007」の日記というかレポートというか、画像集のための背景文作りに、結構、時間が費やされる。
 他愛もない日記だが、必要な程度に長引かせるとなると、さすがの小生も手間取ったりする。

Kicc3651

← アルパ奏者・上松美香の『PASION』(キングレコード)

 画像を50個、適度な間隔を持たせて掲げるために必要十分な長さ。
 余り過ぎるのも辛いし、みっともない。
 午前十時過ぎには大体、目見当というか、これまでの経験と勘から、これくらいの分量で十分じゃないかという程度には書けた。
 そこで、次は、画像をアップさせていく作業を淡々と、黙々と続けていくことになる。右、左、右…と、交互に画像を挿入していく。クリックすると適度な大きさになる画像という状態で、前夜のうちに用意しておいたので、挿入するだけで済む。

続きを読む "まったりの週末の日々夢と去り"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/28

「07エンコントロ・ジ・アルモニア」アップ!

2007_0527070527encontro0038_1

下記の日記風レポートを作成、アップしました:
07エンコントロ・ジ・アルモニア(1)
07エンコントロ・ジ・アルモニア(2)

 画像集です。画像をクリックすると、あら不思議、大きくなります!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/27

イナーヤト・ハーン…音楽は宗教そのもの

 本書ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)の訳者である土取利行氏がハズラト・イナーヤト・ハーンの著作にめぐり合ったのはフランスで、「一九七五年、実験劇『チベット死者の書』の音楽を担当し、最後の公演先パリを訪れたとき、意外にもジャズのソプラノ・サックス奏者スティーブ・レイシーから紹介されたのが本書の第章「音楽」だけをまとめたペーパーバックだった」という。

489203300652_1

← ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)

 本書など随所からからイナーヤト・ハーンの言葉は引用され名言などとして示されている。
 下記の言葉もその一つである:

 つまるところ、音楽とは何なのでしょう。
 いわゆる音楽とは、耳に聴こえる調和のことですが、実は色の中にも、線の中にも、音楽はあるし、種々の草木が繁茂する森にも音楽はあります。そして、そこでは、草や木の共生の仕方にもハーモニーがあります。より広く自然を観察すれば、自然はさらに人の魂に訴えかけてきます。
 どうしてでしょう。そこに音楽があるからです。
 より広い生命観をもてば、生命への理解が深まり、音楽がもっとよく聴こえるようになります。全宇宙に呼応する音楽が聴こえるようになるのです。
 でも心の開けた人は、森に出るまでもなく、雑踏の中にいても音楽をみいだせます。

 この頁ではハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取利行訳、平河出版社)の「訳者あとがき」より「イナーヤト・ハーンの経歴」を一部、転記させてもらう形でイナーヤト・ハーンの人物像などを紹介しておきたい。
 ネットではまだ彼に付いての情報は、彼に相応しいほど十分見出せるとは思えないからである(手入力なので、転記の際に不備があるかもしれない。気づかれた方はご指摘を願う)。

続きを読む "イナーヤト・ハーン…音楽は宗教そのもの"

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2007/05/26

誰もいない森の中の倒木の音

 ハズラト・イナーヤト・ハーン著『音の神秘―生命は音楽を奏でる』(土取 利行訳、平河出版社)を読了した。
 といっても、本書のような神秘性・宗教性の高い本を読了したというのは、やや難を感じる。
 かといって、目を通したというのも、見下しているかのようで、やはりこそばゆい。
 いっそのこと通読したと、あっさり表現しておけばよかったのか。
 さすがにこの手の宗教書ではないが、「音楽は宗教そのもの」と言い切る強烈な宗教的信念を持つ方の本に、安直に感想文など綴れない。

2007_0223070221tonai0018

← 今年二月、夜の代々木公園で見かけた謎のドーム群。

 金曜日は所要があって予定を変更し、休みを取ったが、時間が取れたので、上掲書の「訳者あとがき」をパソコンに転記する作業に没頭した。
 筆者のイナーヤト・ハーンについての情報がネット上では(日本語では)あまり見つからなかったから、折を見て、転記した文の一部か全文をアップするつもりでいる。

 さて、上掲の本を読んで、音楽、もっと言うと、音への思いを改めて巡らせてみた。
 音、それも沈黙の音を巡っては、過去、若干のエッセイを綴ってみたことがある:
誰もいない森の音

 さすがに、イナーヤト・ハーンの域には遥かに及ばないのだけど、上掲書を読みつつ、「夜 の 詩 想」などと共に、ふと思い出されたエッセイのうちの一つなので、せっかくなので改めて日の目を見させてやりたいのである。
石橋睦美「朝の森」に寄せて」と併せて目を通してもらえればと思う。

続きを読む "誰もいない森の中の倒木の音"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/25

日常と非日常とを飛ぶまりや

 竹内まりやさん(決して、竹内まりあ、ではない!)のオリジナル・アルバムが5月23日、発売となった。
 アルバム・タイトルは、『Denim(デニム)』だとか。
(「竹内まりや オフィシャルサイト」参照)
 23日は、営業の日だったが、朝、出かける前、既にテレビで彼女の待望のアルバム発売が話題になっていて、何曲か聴くことができた。

Cd_denim2503

→ 竹内まりやDenim(デニム)』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)

 小生は、デビュー当時から彼女の歌に好感を抱いていた。でも、アイドル歌手全盛の中にあって、彼女が至上の存在だったというわけではなかったように思う。
 彼女の歌におやっと思わされたのは、2003年に出されたカヴァーアルバム「Longtime Favorites」を聴いた時。
 というか、小生、アルバムは買わない(買えない)ので、全てラジオで聴いていた。「山下達郎のミュージカル・サポートによって」なるこのカヴァー曲集、日本人の歌手が歌う欧米の歌のカヴァーで(ほぼ)初めて小生が感心したのだった。
 こなれた英語、それでいて日本人の耳に心地いい発音の英語(など)を安心して聴き入ることができた。

続きを読む "日常と非日常とを飛ぶまりや"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/05/24

レイチェル・カーソン生誕百周年!

 NHKラジオ(第一)の「ラジオ深夜便」でこの月曜日の深夜から4日間に渡って(今夜が最後!)、下記の番組が流されている:

自然と共に生きること~生物学者レイチェル・カーソンの贈り物
レイチェル・カーソン日本協会理事長 上遠恵子

51tt7j3x4zl1

← リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊) 秀逸! レイチェル・カーソンを知らない人も、本書を読むことで身近に感じられる。生物学者であると同時に一人の女性として病を抱えつつ(『沈黙の春』を執筆中に癌宣告された!)、信念に生き抜いた方だったのだ。

 どうやら、今週末の5月27日(日)はレイチェル・カーソンの生誕百周年となることにちなんでの特集のようだ。さすがにテレビで扱うにはもう過去の人になりつつあるということなのか。
 これほどに社会に警鐘を鳴らした人もなかったように思うのだが。
 小生は、彼女の生誕40周年である2004年に一年遅れる一昨年、彼女の本、彼女についての本を纏めて読む機会を持ったので、今、改めて繰り返すつもりはない:
「沈黙の春」(2005/05/23
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(2005/06/04
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」(2006/05/04

続きを読む "レイチェル・カーソン生誕百周年!"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007/05/23

おじさんとおじいさんとの出会いかしら

今日の日記から(一部、加筆)
 交差点での自転車同士の接触事故。小生の自転車の側面(後輪)におじいちゃんの乗った自転車が接触。小生は倒れなかったけど、おじいちゃんは倒れた。
 おじいちゃん、小生に向って曰く、「もっとうまくかわしてくれれば」だって。
 普通はぶつかりそうになったら、ブレーキを掛けるんじゃないのか?

2007_0522070522tonai0024

→ 銀座にて。通ってみたけど誰も手を挙げてくれなかった。小生、お手上げ!

(後で分かったのは、配送のためか、出来上がったばかりのナットがたくさん入ったダンボール箱を自転車の荷台に積んでいて、重く、ブレーキを掛けないで交差点を通過したかったらしい。)

 次第に交差点に人が集まってくる。
 いろいろアドバイスを呉れる人も居る。
 どうやら、小生が加害者でご老人が被害者というイメージで見られているらしい。
 確かに、ご老人は自転車もろとも倒れていて、なかなか起き上がれない状態で、一方、小生はというと、後輪にチョコンといった感じでぶつかられたが倒れなかった。
 自転車を道路の路肩に寄せて止め、ご老人のところに駆け寄る。

続きを読む "おじさんとおじいさんとの出会いかしら"

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/05/22

使えないタクシーチケット

使えないタクシーチケット」(5月17日)

 昨夜、何処かの駅で乗せたお客さん、珍しく長距離の方だった。
 それはいいのだが、目的地に着いて、支払いはチケット。
 それもいいのだが、実はそれは弊社とは契約のないチケットだった。
 チケットの裏側に契約している諸々の会社の会社名やマークや電話番号が列挙されているが、弊社は見当たらない!
(しかも、不気味なことに、電話番号からすると、名古屋のタクシー会社ばかり! ますます怪しいチケットかも、という思いが募る…。)

2007_0522070522tonai0023

← 春の交通安全運動は5月20日に終わった。相変わらず自転車や子供、高齢者の事故が多いとか。白バイさんも大忙しだった?!

 となると、会社は納金にそのチケットは認めない。現金で立替の形で(とはいっても、チケットの会社が払ってくれこその立替で、ダメなら、自腹!)ドライバーたる小生が1万円以上を納めることになる。

 そういえば、駅のタクシー乗り場でお客さんが乗った時、口の中で「○△■は……」と独り言のように何か呟いていたが、チケットが使える(契約している)会社かどうかで、迷っていたのだろうと、あとで振り返ると思い当たってくる。
 乗り場には、工事の関係もあり、空車は小生の車が一台あっただけ(実は、工事現場を囲う塀の向こうには他にも何台か空車があったが、乗り場からは死角だったのかもしれない。
 つまり、お客さんは、乗れる時に乗らないと空車がいつ来るか分からないと判断し、乗っちゃえ!と思われたのかもしれない(あくまで推測)。

続きを読む "使えないタクシーチケット"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/21

今日は自転車で…

 今日は自転車で散歩…じゃなくって、自転車を駆って個人タクシーの勉強会の会場へ。
 そう、小生、個人タクシーのドライバーになるべく、勉強を開始しているのである。
 …というのは、ややウソがある。勉強会へ通い始めているだけで、まだ、勉強はやっていない!

0705201

→ 画像は、勉強会の帰り、とある運河に架かる橋の上から東京湾方向を撮ったもの。青色が冴えていた! 今、自宅で読んでいるミシェル・パストゥロー著『青の歴史』(松村 恵理/松村 剛 訳、筑摩書房)の引き寄せた僥倖なのか。

 個人タクシーのドライバーになるには、勉強もだが、その前に資格を得るのが大変である。(個人タクシーになるための資格要件については、末尾にメモしておく。)

 自宅から会社へはドアからドアで片道25分(正味20分余り)だけど、自宅から会場へは、それよりやや遠くて正味35分ほど。 まあ、距離的に絶好のサイクリングロードだった。

 快晴無風と天気にも恵まれ、勉強会へではなく、何処か景勝地へでもツーリングに出かけたい気分だったけど、そうもいかない。
 今回で勉強会は2回目。前回も自転車で行きたかったのだけど、雨が降っていて、断念。バスや電車を使ったので、繋ぎが悪かったこともあり、片道一時間余りを要した。
 それを思うと、今回は夢のような快適なサイクリングができた。

続きを読む "今日は自転車で…"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/05/20

「公園の手品師」の時代、再び

 ホームページを開設して6年余り、ブログに嵌まってからも、あと三ヶ月余りで3年となる。
 過去のいろんな記事を何かの折に読んで、メッセージを呉れたり、ネットの輪に加えてくれたりという機会にも恵まれることがある。
 旧稿である「「公園の手品師」の時代」もそんな僥倖を与えてくれた小文の一つである。
 そんな機会に際しないと、二千個ほども書いてきた過去の雑文(一年360個以上を7年以上。しかも、あくまで公表したものに限るとしての数)を読み返す気にはなかなかなれない。
 というか、別に無責任というわけではないが、どんな記事を書いたかも、忘れてしまうことさえある。
 コメントやメール、そのほかでアクセスしてもらって、ああ、自分はこんな記事も書いたんだと、自分で感動することもある。

2006_08140608140012_2

← 昨年の夏、都内某所の路肩にて。妖しい月影に見守られながら夢路へと。

 さて、「「公園の手品師」の時代」を久々に読み返してみて、末尾近くの「不況がどこまで続くのか誰にも分からないようだ。しかも、今が経済的状況の点でどん底かどうかさえ、確(しか)とは云い難いのが情ない」という一文が気にかかった。
 この随筆を書いて5年と半年以上を経過しているが、今も状況が一向に変わっていない!

 それはそれとして、文中にも引用してある「公園の手品師」という曲の歌詞の中の、「銀杏(イチョウ)」が気になった。
 中学や高校などの授業中というと、窓の外の銀杏並木をずっと眺めていたという印象ばかりが鮮明なのである。
 というのも、小生なりの肉体的事情があって、授業には到底、集中できなかったからなのだが、でもそのお陰で、陽光に映えてキラキラする光景という眼福をたっぷり得たのだから、不遇とばかり思うのは賢明ではないのかもしれない。

続きを読む "「公園の手品師」の時代、再び"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/19

ハープのことギリシャからエジプトへ

 昨日の記事「弦の音共鳴するは宇宙かも」は弦楽器、特にハープ(リラ)をイメージしつつ、瞑想(迷走?)風に書き綴ったもの。
 無論、ギターやヴァイオリン、ベースそのほかも好きである。

2110

→ 「テーベ 王家の谷にある彩色壁画の一部」(「通称「竪琴の間」といわれる部屋の一部で、皆ハープを弾いてい」るという。「荒俣 宏 氏講演録「発見された古代エジプト」3」より。)

 ただ、上掲の記事に書いたように、たまたま偶然借りて聴いたジャン・シャオチン(姜小青)さんの「悠 Breathing Spaces」(パシフィック・ムーン・レコード)や、ラジオで話と演奏を聴く機会があって図書館で借り出して聴いた内田奈織さんの『HARP TO HEART~Love&Favorite Songs~』(TEICHIKU ENTERTAINMENT,INC)なるCDが契機で、筝やハープの魅力に改めて気付かされたのである。

 琴については、高校時代のちょっとした思い出があるし、機会を別に設けて採り上げてみたい。
 今日は、ハープという楽器を、歴史に焦点を合わせる形で、主に画像を紹介することで、ちょっとだけ触れてみたい。

続きを読む "ハープのことギリシャからエジプトへ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/18

弦の音共鳴するは宇宙かも

 音楽と宗教との関係。
 日本や東洋はいざしらず、西欧においては、音楽と宗教とは切っても切れない関係を持っているようだ。
 実際、宗教音楽というと、西欧の宗教音楽をつい想定してしまう。
宗教音楽 - Wikipedia」を覗いても、冒頭に、「宗教音楽とは、宗教においてのミサ、礼拝、祭礼などに用いられる音楽である」として、以下、「具体的には、キリスト教における賛美歌や聖歌、ミサ曲、モテット、カンタータ、コラール、オラトリオ、レクイエムなどが挙げられ、それらはミサ典礼文や聖書に基づいたテキストによって構成されている」云々と続く。
「現在の西洋音楽はキリスト教音楽から発達したといえよう」というのは、異論がありえるのかどうか。

「仏教においての声明(しょうみょう)御詠歌や、神道においての神楽、儒教においての雅楽などがある」というが、西洋の宗教音楽に相当するものがあるかどうか、という問いに対して、こんな音楽があるということであって、西欧とはまるで違う。

 何が違うのか。大雑把に言うと、楽譜ということになるのか。記譜法の発達が西洋の宗教音楽を発達させたのかどうかは分からないが、今に豊かな情報というか遺産として残ることに資したとは言えそう。
 その点、東洋の多くの音楽は、まさに人づてに伝わってきたものが多い。
 ひたすら師とする人の下での修練が大切というわけである。

 さて、小生、音楽と宗教といっても、何も宗教音楽について調べてみようというのではない。
 むしろ、音楽の持つ、不可思議な世界を宗教という世界に喩えようとしているに過ぎない。
 世界は音楽。世界は数的な調和の世界。諧調を成す宇宙。
 まあ、そんな大袈裟なことなど言い募る必要などないのだが、聴く曲や演奏によっては、何処か異世界へ飛んで行ってしまうものもある。

続きを読む "弦の音共鳴するは宇宙かも"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/17

喫茶去が茶飯事なれば嬉しいね

 昨日、水曜日は営業の日。いつもと同様、車中では空車の間はラジオに耳を少し(!)傾けている。
 昨日、珈琲(アイスコーヒー、略して冷コー、現代風に略すなら、アイコー?)の話題を少々、書いた。だからだろうか、「茶番」という言葉が耳に残った。「茶飯事」だったかもしれない。一応は、仕事の最中なので、ハッキリとは聞けなかった。
 まあ、いい。
 根が単純だからなのか素直なのかしらないが、珈琲からお茶の話題へなら、なんとなくつながりもあるし、せっかくだから(何がせっかくなのか、自分でも分からないが)、お茶の話題を今日は採り上げようと思った。
 といって、小生、風雅でも風流を解する人間でもない。茶の湯なんて縁遠いこと、甚だしい奴である。

 そう、今だって、ペットボトルのお茶を何故かコーヒーカップに注ぎ、電磁レンジで暖めて、ちびりちびりと喫しつつ書いている始末である(台所のヒーターが壊れているので、お湯を沸かせない、ポットはあるものの、お茶葉(ちゃっぱ)を使うと、生ゴミが出て後の始末が面倒、などなどの故に、安易にも自宅でもペットボトルのお茶のお世話になるばかりである)。
 営業中も、町の食堂に入る余裕がなくて、ペットボトルのお茶で「茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)」ってことも、まま(しばしば)ある!

 余談だが、小生、外出の際は、夏場は冷たい飲み物(主にお茶)を飲むが、自宅では夏の真っ盛りでも、ホットの飲み物と決めている。
 その理由は、拙稿「麦茶…喫茶去」の冒頭付近に書いている。

続きを読む "喫茶去が茶飯事なれば嬉しいね"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/16

我愛す珈琲の芳しき

 このところ、堅い記事が続いた。今日は、やわらかめな話題をメモってみる。

 昨日、車中で暇の徒然にラジオに聞き入っていたら、雑学的な話があれこれ耳にすることが出来た。確か、「81.3 FM J-WAVE」の「GROOVE LINE」なる番組だったと思うのだが。

 例えば、今ではスッカリ馴染みになり、夏のみならず四季を通じてメニューの一つとなっている飲み物の一つであるアイスコーヒーが、実は日本が生んだ飲み物だというのだ。
 他にも、眼鏡の鼻当ては日本人が考案したという話も同じ番組で聞いた。

0705161

← 適当な画像がなかったので、急遽、秘蔵(?)のインスタントコーヒーに被写体になってもらった。

アイスコーヒー
 アイスコーヒーがまさか日本が発祥の地だとは。
アイスコーヒー - Wikipedia」を覗くと、「日本のアイスコーヒー」なる項目に、「日本では大正期にコーヒーを冷やして飲み始めたのが発祥」とあって、微妙な表現。
 これが、「日本で大正期にコーヒーを冷やして飲み始めたのが発祥」とあれば、取りあえずは(一定の)裏付けが取れたということになるのだが。

 ちなみに、「関西圏では冷コー(れいコー)と呼ぶこともある」というのは意外。小生など、日本では何処でも「レイコー」と呼称するものと、根拠なく思い込んでいた。
 関東圏では、一体、どう呼ばれているのだろう。「アイコー」? 逆に夏などにコーヒーを冷やさなかったら「ブレイコー」になる?

続きを読む "我愛す珈琲の芳しき"

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007/05/15

轢き逃げ?!

 早朝、最後のお客さんを降ろして、会社へ一路、車を走らせていた。
 いつもなら6時を回ると最後のお客さんを意識するが、昨日は営業的には暇で、5時40分近くに仕事を切り上げた。
 まあ、こんな日もある、無事故・無違反が何よりと(といった慰め方としては最低限の仕方で)自分を納得させ、帰庫の道を、それでも、回送にはせず、あるいはお客さんが付くかもと淡い期待を抱きつつ走らせていたのだった。

0705171

→ 17日、早朝、雨の中の帰宅の途上、自転車を止め、この事件があった場所を撮ってみた。バス通りの坂の下から画像の奥の方に見えるはずのバス停付近を撮ったのだが、さて。

 それは、とある片側一車線の対面交通となっている、その地域では幹線でもある、バス路線でのこと。
 長い緩やかな坂は、同時に緩やかなカーブになっている。坂を上りきりしばらく直線に近い道になり、視界が開けた…、と思ったら、遠くのほう、小生とは対面する車線側のバス停付近の路上に、なんと、人が倒れている。

 猫の死骸ってのは、珍しくないのだが、明らかに人。男性。反対車線を斜めに塞ぐように倒れているのだ。

 何があったのか? 酔っ払いが路上に寝込んでいるという風ではない。
 まさか、轢き逃げ? それとも、当て逃げ?  
 少し動いている…ような。

続きを読む "轢き逃げ?!"

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/05/14

母の日にちなむ?

 ひょんなことから、あるサークルに参加させてもらうことに。
 サークルの名は:「Mystery Circle

 Mystery Circleってったって、秘密のサイトってわけじゃないので、存在は告知してもいいらしい。

 冒頭には、「創造と想像が好きな人々の為に ―ようこそ、奇譚の円環へ。― 」ってある。

2007_0510070510tonai0034

← 5月10日、都内某所で見かけたMystery Circleならぬ、謎のストーン群。

 まあ、創作のサークル。
 ただ、ちょっとだけ、趣向がある: 「Mystery Circle Mystery Circle 案内板

 要するに、ある一定の制約の元に参加者がそれぞれに創作をするってわけ。

 毎月締め切りがあって、今月は26日。

 でも、小生は月に二度の勉強会(ほぼ一日、潰れる)や、我がサンバチーム・リベルダージも参加する「エンコントロ・ジ・アルモニア」というイベントが27日に控えている(行くかどうか未定)こともあって、この先、まとまった時間が作れるかどうか不透明なので、今週末は連休だったこともあり、今日、思い立って書いてしまった。

 公表は、上記サイトでの公表を待ってからということなので、書きあげた作品は内緒。
 まあ、小生らしい雰囲気が濃厚かもね。

続きを読む "母の日にちなむ?"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/05/13

音楽と本を両手に夢の中

 昨日の日記「崋山鳴動しても弥一は弥一」は、カテゴリー的には、読書拾遺(どくしょしゅうい)だったので、今日は音楽拾遺にします。
 といっても、音楽にも疎い小生なので、最近あるいはこれから聴くCDの題名などを列挙するだけ。
 列挙だけなら弥一(やいっち)にもできるんです!

Uccp31401

→ ハープ奏者 吉野直子NAOKO YOSHINO Best of Best』(Universal Music K.K)

 昨日、土曜日はフルの休日。なので朝からのんびりムード。実際には秋に向けて勉強しなければならないことがあって、休日には勉強しなきゃって思っていたけど、いざ、休みの日が来ると、小生の怠け癖が出て、解かれた帯のように、ダラーリノラーリクラーリ。
 午後は、張り切って、デュ・モーリエの「レベッカ」を読もうと思っていたのだけど、ブログの日記を書いたら、一気に疲れが出てしまって、居眠り仮眠惰眠転寝の繰り返しになり、面白いと思いつつ、ロッキングチェアーで本を片手に目を閉じている時間ばかりになってしまった。
 まあ、これも善きかなである。

 午後も遅めの時間になって、ようやく少し目が覚めてきたので、よし、今度こそ馬力を入れて、読むぞと思った……。ところが、そうだ、図書館が整理のためなのか、一週間ほど休館になってしまうこと(クリーニング店に用事があること、などなど)を思い出し、数十頁も読んだところで中断し、図書館へ。

続きを読む "音楽と本を両手に夢の中"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/12

崋山鳴動しても弥一は弥一

 学生時代に繰り返し読んだアルベール・カミュの『異邦人 L'ETRANGER』の冒頭の表現を借りると、「今日、崋山が死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」ということになる。
 尤も、崋山は江戸時代後期に生きた画家(政治家)だし、実際に亡くなったのは天保12年10月11日(1841年11月23日)のことである。
 要するに昨日、ドナルド・キーン著の『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読了したのである。
 ただその末期の姿や心持が余りに悲惨であり哀れでもあって、暗澹たる思いが重いのである。

2drawbridgewithcarriage3

←  『ゴッホ・アルルの跳ね橋 ( 荷馬車 )』(「名画デスクトップ壁紙美術館」より)

 崋山は、「幕政批判で有罪となり、国元田原で蟄居することとなった」が、「翌々年、生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視されたとの風聞が立ち、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は「不忠不孝渡辺登」の絶筆の書を遺し自らの人生の幕を下ろした」のだった。
 そう、実際は、「生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視された」というのは実際にはあくまで風聞に過ぎなかったのだ。時の老中・水野忠邦は蟄居した崋山のことより、阿片戦争が勃発し、英国など欧米列強のアジアへの魔の手が伸びていよいよ日本に及ぶことへの危機感とその対応策で頭の中は一杯だったのだ。

続きを読む "崋山鳴動しても弥一は弥一"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コント「乗っていいのよ」書きました

2007_0510070510tonai0022

→ 「文が解くベートーヴェンの不滅の恋」なる記事の冒頭に載せたツツジの画像。同じ場所で撮影した、あるトレーラー風のトラックの雄姿。画像を拡大すると…。そんな便利な装置があったんだね。

 コント「乗っていいのよ」を書きました。
 コントと銘打っていますが、これがホントにコントなのか、そこんところ自分でもよく分かりません。今度、トコトン考えてみます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/05/11

文が解くベートーヴェンの不滅の恋

 今週は、NHKラジオラジオ第一の「深夜便」で、評論家の青木やよひ氏による「ベートーベンのラブレター」と題された話が流れていた(月曜日から木曜日まで)。

2007_0510070510tonai0024

← 5月10日、都内某所にて。午後の二時前だったろうか、休憩しようと路肩に車を止めて、さあ、仮眠だと思ったら、すぐ脇のツツジたちの異様な姿に目を奪われた。すっかり萎れている。まだ、元気な花もあって、その対比が気になった。

 主な内容は、下記:

 ベートーベンの研究家にとって大きな謎は、彼の死後発見されたあて先のない熱烈なラブレターの相手の女性が誰かということだった。50年にわたってベートーベンを研究してきた青木さんは、ある女性を指摘してきたが、近年その女性本人の手紙が発見されたことから、青木さんの説が確認された。
 孤独で人間嫌いだったという定説とは異なる新鮮なベートーベンの姿を紹介していただく。

40614953801

→ 青木やよひ著『ベートーヴェン“不滅の恋人”の謎を解く』(講談社現代新書)

 生憎と、この放送があった時間帯(午後11:35~11:50)は、小生の仕事が一番忙しい(はずの)時間帯に相当し、まるっきりの聞きかじりになった。
 というか、ほとんど聞けなかったといったほうがいいかもしれない。夜半前後にのんびりラジオが聴けるようだと、小生も廃業間近である!

 青木やよひ氏の名は小生は、このラジオ番組で初めて知った。全くの初耳(多分!)。
2007年度文化学会講演会  ベートーヴェン ~その愛、生涯、芸術~ 」にて同氏の紹介文を見つけた。
「20歳代よりベートーヴェン研究に取り組み、1959年に世界で初めて、ベートーヴェンの〈不滅の恋人〉をアントーニア・ブレンターノとするエッセイをN響の機関誌に発表した。68年には、その論考を深めた一章を含む『愛の伝説』を処女出版する。」とか、「2001年には、これらを原作とするTV番組「ベートーヴェン・謎の恋人」がNHKで放映されて話題となった」とある。
 詳しくは上掲の頁をどうぞ。

続きを読む "文が解くベートーヴェンの不滅の恋"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/10

文人は命からがら辛いもの

 小生は、過日より、ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読んでいる。最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)も秀逸の伝記だったが、本書も単に渡辺崋山だからというのではなく、読み応えのある評伝である。

C0282

← 高士観瀑図(こうしかんばくず) (「渡辺崋山 田原市博物館」収蔵品より)

 これまで、本書から枝葉的な雑文として「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」や「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」を書いてきたが、本稿も同じく、本書の記述から本書のテーマに直接は関係のない話題をピックアップしてメモしておく。

 先に進む前に、渡辺崋山を紹介するサイト(博物館)を掲げておく:
渡辺崋山 田原市博物館
 崋山の画には、多用な画風が見られる。「華山の代表作 田原市博物館」なる頁参照。小生などは、「一掃百態図」や「四州真景図」など市井の風景などを旅の道すがら、サッと描いた画が好きだ。
(残念ながら、「四州真景図」の画像が見つけられなかった。)

続きを読む "文人は命からがら辛いもの"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/05/09

あれこれと耳学問の日々過ごす

 この数日の間にラジオやテレビなどで見聞きした、科学関係の話題から幾つか(自分の興味に従って)ピックアップしてメモしておく。
 以下で紹介する話題のうち、「海水魚の淡水養殖成功」と「最も明るい超新星爆発観測」は、昨日の営業中にラジオで聞きかじったもの。
 連休明けで、暇なような忙しいような、つかみどころのない営業だった。昼間はそこそこに忙しかったものの、夜中はさっぱり…と言いつつ、実は、数日振りの仕事で、日中の疲労が夜に出て、夜半過ぎ、車中でたっぷり寝てしまった。

2007_0508070509tonai0032

→ 昨日の午後、そろそろ暮色の気配の漂う頃合、芝公園から東京タワー方面を望む。

 自宅の汚いベッド(しかも、汚い毛布)で寝るより、車中で睡眠を貪ったほうが気分がいいみたい。
 それとも、仕事をサボるのが楽しい…?!
 違います。仕事の心地いい疲労のせいで眠れるのです。


1.不思議な水 海水魚の淡水養殖成功
2.不思議な物質 暗黒エネルギーの謎
3.最も明るい超新星爆発観測


続きを読む "あれこれと耳学問の日々過ごす"

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007/05/08

歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ

 歌舞伎は、「歌舞伎 - Wikipedia」に見られるように、「日本独特の演劇で、伝統芸能の一つであ」り、しかも「重要無形文化財。世界無形遺産」である。
 歌舞伎という言葉の語源も、「カブく(「傾く」が原義)の連用形からとされる。異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言った。歌舞伎の醍醐味はケレン味のある演出だといわれるのは、こういった背景にも由来する。つまり歌舞伎というのは当て字であるが、歌い、舞い、伎(技芸、芸人)を意味する、この芸能を表現するのに適切な文字である。ただし当初はその発生史から伎ではなく妓の字が使われ、江戸時代には混用していたようであるが、明治時代以降、現在のように統一した表記になった」とあって、なかなか興味深い。

41jtcs192yl

← Thomas F. Leims 著『Die Entstehung Des Kabuki: Transkulturation Europa Japan Im 16 Und 17 Jahrhundert』(Japanese Studies Library Brill Academic Pub) 翻訳されているのかどうか、分からない。河竹登志夫著『歌舞伎美論』(東京大学出版会、1989年)にトーマス・ライムス「16・7世紀のヨーロッパから見た日本芸能ー成立初期のカブキを中心としてー」からの関係する部分の引用があるという。

 歴史についてみると、「1603年に北野天満宮興行を行い、京都で評判となった出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎の発祥とされる。阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったというが、定かなことは明らかでない。阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また、男装して当時のカブキ者のふるまいを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。このころは能舞台などでおこなわれており、歌舞伎座の花道は(下手側が本花道、上手側が仮花道であることなども含め)ここから来ていると考えられる」とある。

続きを読む "歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/07

君の貞節堅固は、松や柏と同じである

 小生の郷里の家の奥座敷には欄間額が掛けられている。
 いつの頃から掛けてあるのかは、分からない。
 その存在に気付いてからだけでも、三十年以上。
 物心付いて時にはあったのかもしれない。

3317072

→ ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)

 欄間額とは欄間に掛けられている横長の額で、和額とも呼称するらしい。
 事例などは、右記サイトを見て欲しい:「日本画 欄間額、和額 (20-50%OFF) 御表装処 御子柴

 その前に欄間とは何かを示しておく必要があるだろうか。
 今は欄間がテーマではないので、「欄間 - Wikipedia」を参照させてもらう。
 一部だけ、転記する:

欄間(らんま)とは、天井板と鴨居の間の空間のこと(障子や襖と天井までの空間)。明かり取りや換気などに用いられるスペースである。古くは平安時代の絵巻物にも原型が見られる。ここに格子や障子、透かし彫りの板をはめて装飾を施したことから、転じて装飾板自体も欄間と呼ばれる。

 郷里の欄間額は、奥座敷と隣の仏間との境となっている欄間に奥座敷を見下ろすようにして掛けられている。

続きを読む "君の貞節堅固は、松や柏と同じである"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/05/06

駄洒落についての初歩的考察

 本稿の旧題は、「駄洒落についての初歩的考察(続)」 (02/03/17作)である。
 そう、「続」となっている。ということは、前篇があるはずで、本稿は承前とでも云うべき雑文のはずである。
 が、悲しいかな、前篇に相当する文章の所在が不明である。
 ネットでの投稿を始めて7年半年ほどになるが、この間、ほぼ毎日、何かしら一つは雑文(エッセイ、コラム、駄文、掌編、レポート、日記など)を書いている。

40627363732

← 小田島雄志著『駄ジャレの流儀』(講談社文庫) 拙稿小田島雄志著『駄ジャレの流儀』」は参考になりません!

 ということは、日数の数だけ何かの小文があるはずということになる。
 実際には、書かなかった日は年に一日か二日、あるかないかであり、逆に、日に二つ以上の一定の分量の小文を書いたことは、一昨年までは結構、あったはずである。
 なので、7年と半年分の日にち数以上の雑文がネット空間を行き交ったことになるわけである(ザッと数えても、数え切れない!)。

 その半分近く(あるいは以上かも)は、2001年の春先から配信し始めた(2004年の途中で途絶えてしまっている)メルマガで公表している。
 メルマガで公表した文章を後日、時間的な余裕のあるときにホームページに収めるというのが2004年の秋口までのパターンだった(その秋口以降は、メルマガでの掲載を飛ばし、最初からブログに書き込む形で公表するようになった)。

続きを読む "駄洒落についての初歩的考察"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/05/05

掌編「五月晴れの空へ」書いた

 掌編「五月晴れの空へ」を書きました。
 小生には珍しく青春モノ。でも、マガイかな。
 何処かの町角で見かけた一瞬の光景から展開してみた…ような。

4122043794

→ 小川洋子著『余白の愛』(中公文庫) 小生は未読!

 なお、上掲の頁末にも注記してありますが、本稿は、下記の趣旨の催しに勝手に参加してみたものです(「STAND BY ME OUR HOUSE」参照のこと):

3月お題:「彼は足元の枯葉を蹴った。長い信号だった」 で始まり
それは冷凍室でかちかちにされた一切れのチーズのように、冷えきっていた」 を含む文章で締めくくること。

お題の出典:小川洋子著『余白の愛』(中公文庫)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/04

北からの<便り>ないのを祈るのみ

 昨日は営業の日。祭日の営業は暇と相場が決まっている。
 まして、連休の谷間。
 ただ、今年は連休の間に二日、休日ではない日が挟まっていることもあってか、海外旅行組みは相変わらず多いものの、帰省客を除くと、比較的近場で休日を楽しむ方が多いようだ。

00007967_c_2731364

← 田岡俊次著『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(新書、朝日新聞社出版局) 小生は未読。

 都内は、道路が空いている場所と混んでいる場所が極端に分かれる。
 観光地やイベントが行なわれている場所は渋滞が激しいが、そうではない場所は空いている。
 当たり前? まあ、祭日・休日はその傾向が強まるということだ。

 ちょっと走ってお客さんに恵まれないと、何処かの駅に車を付け、客待ちをしながらラジオに聞き入ったり、読書したり。
 読書は相変わらず『ちくま日本文学全集 澁澤龍彦集』で、本書も後半になると、学生の頃に読んで感銘を受けた文章が並び、ああ、若い頃、彼のこういった文章(例えば、ローマ帝国のとんでもない皇帝の話etc.)に心騒がされたものだったな、などと思ったり。

続きを読む "北からの<便り>ないのを祈るのみ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/03

桃色の夢見るごとく花盛り

桃色のゲリラ眠れる我起こす」の中で、小生は以下のように書いている:

 「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」で示される、数々の作家の参考作品をクリックして拡大し、つらつら眺める。
 うーむ、である。

2007_0423070429arekore0038

→ 4月23日、都内某公園で見かけた色とりどりのツツジ。

 うーむ、というのは、今ひとつ、ピンと来ないものがあるって意味があるってこと。
 小生、最近は事情があって、足が遠退いているが、美術展(画廊巡り)の経験は少なからずある。行けば必ず図録を買う。画集を買うのはあまり好まない小生だが、展覧会の図録は可能な限り購入しておく。
 当然、本物を観ての印象と図録の画像(写真)とは印象が違う。
 大概は、本物を目の前にしての印象が図録を見ての感想を圧倒するはずだが、中には図録で観たほうが小生の脳裏の何処かを強く刺激する場合もあって、なかなか一筋縄ではいかないものがある。

 で、まあ、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」で見ての印象からすると、現物の作品のパワーやエネルギー、当然ながら作家の勢いといった点で、今ひとつかなと、過去の経験からして察せられてしまうのである。
 わざわざ足を運ぶに価するのか否か。
 アジア各国(主に中国や韓国、日本のようだが)を探せば、もっといろいろなアーティストやパフォーマーが居るはずと思うのだが、必ずしもその現に勢いを持っている才能の尖がったアーティストが見出せているとは言い難いのではないか…。

 (中略)

続きを読む "桃色の夢見るごとく花盛り"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/02

タクシーにも禁煙化の波ひたひたと

 昨日、5月1日(火)は営業の日だった。曇天。今にも泣き出しそうな空って奴。
 午前、いつものように自転車で会社へ向う途上は、雨はギリギリ、セーフ。
 会社で出庫のための準備や点呼(朝礼)をしている間にポツポツ降り始めた。
 雨の日は、営業の回数は増える。火曜は翌日の水曜と共に連休の谷間で、営業的に暇なのでは、道路も郊外などへ出かけた家族も多いだろうし、道は空いているのかなと思ったら、予想とは全く違って、人の出も多ければ、車も少ないとは決して言えない。

43094080011

← 澁澤 龍彦著『夢の宇宙誌』(河出文庫) 本書に限らず、学生時代、澁澤龍彦の本には楽しませてもらった。車中にて、久しぶりの澁澤世界を『ちくま日本文学全集 澁澤 龍彦集』で。今も読まれているのだろうか。

 むしろ、連休の谷間だからこそ、少ない出勤の日に仕事も含め、いろいろ片付けることも多いのだろうと推察される。
 雨の日の営業は結構、神経を使う。夕方以降となると、フロントのウインドーはワイパーで視界を確保するものの、両サイドの窓は細かな雨滴がびっしり付着していて、そこに対向車のヘッドライトやウインカー、町の灯りなどが乱反射して、見づらい。
 交差点を曲がる際が特に怖いと感じる。いつも以上に神経をすり減らす。

続きを読む "タクシーにも禁煙化の波ひたひたと"

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2007/05/01

ミクシィに来てねって言えないの

 月初めなので、恒例の目次を作成しておく。先月四月一か月分である。
 例によって、「題名」(テーマ 作成日)の順となっており、題名でテーマは基本的に示されている(はずである)。
 太字は、キーワードやテーマの焦点を示す。

2007_0423070429arekore0024

→ 今年3月31日、郷里の居間(茶の間)にて撮影。昔は田圃だった畑が納屋などの間に見える。

バルザック誰もが主役の小説か」(ウージェニー・グランデ 2007/04/01
「黄砂に抱かれて草むしり!」(目次・索引 2007/04/02
快川紹喜…心頭滅却の意味如何に」(2007/04/03
スカタンな話をもったいぶってみた」(駄文的語源考 2007/04/04
「花冷えや山も今宵は凍えしか」(掃墓節 2007/04/06
「あの世の沙汰もカネ次第?」(葬送・埋葬 2007/04/07
棕櫚の樹や麦の話と二毛作」(2007/04/08
「あのゴミも浜辺に寄せし夢の文」(匂い…マドレーヌ(効果) 2007/04/09
「蜃気楼の欠けら」(掌編作品 2007/04/10

続きを読む "ミクシィに来てねって言えないの"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »