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2007/04/12

寅彦よセンスの欠けら分けてくれ

トンビに油揚げをさらわれていた!」は、寺田寅彦著の本『ちくま日本文学全集35 寺田寅彦』(藤森照信解説、筑摩書房)をネタにしている。
 この本に限らないが、寅彦の随筆をめぐってはあれこれ書いてみたいこともあるが、やはり、小生の御託よりは寅彦の本を読んでいるほうが楽しいし、人にも寅彦の文を読むことをまずは勧める。

070409sakura

→ 路肩などに散ったサクラの花びらたち。路上の花筏? 散ってしまえば、踏みつけにされるだけ。見向きもされない。サクラが好きだというのなら、葉桜や路上の花びらをも愛したらいいのに。

 それでも、上掲書の中の幾つかのエッセイには触れたくなる。
比較言語学における統計的研究法の可能性について」などは、素人の手遊びとは到底思えない内容である。語源を探り、地名の由来を探り、極東の地に残っている文物に古今東西を思うのは小生にとっても無類の楽しみなのである。
 寅彦の<素人芸>のレベルの高さに驚くばかりだ。
 目にし耳にするあらゆる事物に驚きの心、センス・オブ・ワンダー(驚異の念)を以て常に接することの出来た人なのだろう。

 寺田寅彦は、感じるだけではなく(そんな感じたことをそのままに的な、身辺雑記的なエッセイなら何処にでもある、誰にでも書ける)、観察と科学的探究の精神で有り触れた事象の想像外の奥の深さを垣間見せてくれるのである:
「(前略)まず、言語、国語という一つの体系は若干の語根元素から組成されていると仮定する。次には、この元素が化合して種々の言語や文章が組成されているが、これらの間にはその化合分解の平衡に関するきわめて複雑な方則のようなものがあると想像する。なおこれらの元素は必ずしも不変なものではなくて、たとえば放射性物質のごとく、時とともに自然に崩壊し変遷する可能性を持つものと想像する。それでかりに地球歴史のある一定の時期において、ある特別の地点において、特殊の国語が急に発生したと仮定すると、それはちょうど水中にアルコホルの一滴を投じたと同様に四方に向かって拡散を始めるであろうと仮想される。すなわちその国語の語根のある一つだけを取って考えると、それはアルコホルの一分子のように、不規則にあちらこちらと人から人を伝わって、迂曲した径路を取りながらも、ともかくも、統計的には、その出発点から次第に遠く離れて行くであろう。もっとも、この際問題を複雑にするのは、物質分子の場合と異なり、言語の一分子は独立の存在として彷徨するのでなく、その周囲に絶えず影響を与え、自分と同一なものを発生させて行く点にある。しかし一つの分子の通過したくらいでは、おそらくその径路への影響は短時間に消滅してしまうであろうと考え、ただ同種の分子が種々の径路を通ってある地域に到着し、ある時点におけるその密度が相当の大きさに達した場合にのみ、その地点の国語に固定的の影響を与えるであろうという、少し無理であるが、またややもっともらしい仮定を許容すれば、問題はある度までは、やはり物質分子の拡散に類したものとなるのである。」(「比較言語学における統計的研究法の可能性について」より)

 ここまでなら、ある程度、科学の知識があれば、書けるかもしれない。
 が、ここからが彼の真骨頂(しかも、随筆なのだが)で、確率論的な分析を試みてしまうのである。これはもう、リンク先の文章を読んでもらうしかない。
 現代の言語学からしたら、児戯に属するのかもしれないが、発想法の鋭さ知見の先見性までは否定できないだろう。
 こんなことを明治や大正の世に考えていた、考える人がいたのだ!
 寅彦の卓抜な魅力については、例えば、「物理学者でもあった彼のエッセイは、良質のSFにもまさるとも劣らぬセンス・オブ・ワンダーの宝庫」だという、「読冊日記99年1月下旬」の「1月28日(木)」の項がいいかも。


 寅彦の論旨からは離れるが、「滑稽な例をあげれば稗田阿礼(ひえだのあれ)の名が「博覧強記の人」の意味にこじつけられたりした。また他の方面で最も自分の周囲の人々を愉快がらせたのは、かの大江山(おおえやま)の「酒顛童子」が「恐ろしき悪魔」と訳されたりするのであった」というのは、小生の個人的な関心からして、興味津々だったので、後日の記事のため、メモだけしておく。

 さて、今日は、寺田寅彦著の本『ちくま日本文学全集35 寺田寅彦』(藤森照信解説、筑摩書房)から、もっとつつましやかな随筆に触れておきたい。
 それは、「病院の夜明けの物音」という随筆である。
「朝早く目がさめるともうなかなか二度とは寝つかれない。この病院の夜はあまりに静かである。」から始まるこの小文は、読み終えるのに二分は要しないだろう。

 が、物心付いてからだけでも、四回は一ヶ月ほどの入院生活を余儀なくされた小生には、たまらなく切ない文章なのである。
 それこそ、小生には入院体験に淵源する「黴と錆」といった掌編がある。雨が降ると、その雨音や雨の雫に病室の窓からただぼんやりと眺め入っていた頃のことをつい連想してしまう自分がいる。

夜の訪問者」なども、直接には病室での日常を描いているわけではないが、誰も訪れることのない、ドアはいつだって外からも中からも開けられるのに、看護婦(今は看護師であろうが)さん以外には開けることのない、精神の密室の中にいて、友といえるのはクモだったりヤモリだったりしかない、病室での底抜けの孤独を何処かで脳裏に浮かべつつ描いている。

青い雫」などは、アパートでのエピソードを書いているようであり、一人暮らしの<オレ>のもとへ女が来る、かのように書いている。
 つまり、「その日、やっと二度目の成功を果たした時、階段がギシギシと軋み始め、ついで廊下をスリッパでペタペタ歩く音が聞こえてきた。はす向かいの女だ。歩き方で分かる。やや、がに股の女。でも、太ももの肉付きが俺好み。それにお尻もおいしそう。あまりハッキリ、女の顔を見たことはないが、歩く後ろ姿だけは、機会のある毎に目に焼き付けておいたのだ。オカズにするために? もう、しちゃったよ。」などと。
 が、言うまでもなく、病室にあって来訪者というと看護婦しかなかった<ボク>の耐え難い孤独の織り成す妄想に過ぎないとも言えなくもない。

 病室にあって、一応の施術は終わって回復を待つしかない若い身には、夜九時の消灯以降の朝までの時間は、気が遠くなるほど長い。
 それでも寅彦には小生には全く真似のできない工夫が出来ていたし、恵まれてもいた。
 それは、本書には載っていないが、「病室の花」なる佳品を読むといい。

 看護婦さんが毎日、花を変えてくれる。無論、奥さんが気遣ってくれる。弟子が花を届けてくれる。子供が見舞いに来てくれる。小生の入院の間には一度としてなかったことだ。
 人間性が違うと言えばそれまでだが、それだからこそせめて、病室での夜の深さ、一日の長さは小生のほうが寅彦より痛切に感じていた、と思いたいのだが、それさえも、実際にはあやしいものである。

 なぜなら、小生には寅彦のようには書けないからである:
「このような朝をいくつとなく繰り返した。しかし朝の五時ごろにいつでも遠い廊下のかなたで聞こえる不思議な音ははたして人の足音や扉の音であるか、それとも蒸気が遠いボイラーからだんだんに寄せて来る時の雑音であるか、とうとう確かめる事ができないで退院してしまった。今でもあの音を思い出すとなんとなく一種の――神秘的というのはあまり大げさかもしれぬが、しかしやはり一種の神秘的な感じがする。なぜそんな気がするのかわからない。遠い所から来る音波が廊下の壁や床や天井からなんべんとなく反射される間に波の形を変えて、元来は平凡な音があらゆる現実の手近な音とはちがった音色に変化し、そのためにあのような不可思議な感じを起こさせるのか、あるいは熱い蒸気が外気の寒冷と戦いながら、徐々にしかし確実に鉄管を伝わって近寄って来るのが、なんだか「運命」の迫って来る恐ろしさと同じように、何かしら避くべからざるものの前兆として自分の心に不思議な気味のわるい影を投げるのか、考えてもやっぱりわからない。」(「病室の花」より)

 まあ、小生などは、せいぜい、こんなことを呟けるだけである:

 命は、この世の至るところでその発露を求めている。岩の下で圧迫されていたって、岩を噛み砕いてでも、日の下に出ようとする。ちょうど、そのように、重い布団に呻吟するあの人は、窓の外の色付いた葉っぱを恋しているに違いない。他に道はない。たとえ、日に向かって手を差し伸べることが、刃の林立する地獄に素の腕を差し出すことに他ならないとしても、でも、他に道はないのだ。
 命を削ってでも、幾重にも折り畳まれてしまって、もう、原形など留めていない心の根を伸ばそうとする。心の枝を張ろうとする。心の葉っぱを日に晒す。
 岩の中に亀裂を生み、体を削りつつ、上へ上へと伸びようとする。腕の表皮が剥がれ落ちていく。そんなことなど、構ってはおれないのだ。きっと、剥がれた肉片だって、命の塊には違いないのだし。岩に垂れ、染み付いた血の雫だって、命の流れの果ての姿には違いないのだ。
 心は、あらゆる方便を選ぶ。見かけがどうだろうと、構うことなどない。顔を歪めてでも、日の光を浴びたいのだ。世間という岩塊を炸裂させてでも、命の交合を夢みるのだ。
            (「叡智 それとも 命の疼き」より)

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