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2007/04/20

銃と薬コズモポリスの主役なり?!

 ドン・デリーロ 著の『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)を読了した。
 一気に読んだ。ということは面白かったから?
 とも言い切れない。評価乃至は読後感は自分の中で二分している。高い評価と無駄を配した、いかにもアメリカ流の小説の典型の一つに過ぎないのではないか…。

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← ドン・デリーロ 著『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)

 どこか殺伐な会話に辟易して、幾度も読むのを放棄しようと思ったのも事実なら、これがアメリカのある種の現実…というより現実感そのものなのではないかという思いとが交錯して、最後まで揺れて止まなかったのである。
 一番、放棄したくてならなくなったのは、最初から最後まで主人公へ感情移入できなかったことに最大の理由がある。
 犯罪者、それこそ、長崎市長を銃殺した暴力団の奴だって、文学の主人公として描かれたなら、作家次第では愛憎半ばしつつも読み手の心を掴んで最後まで放さないということは十分ありえる。
 が、本書を読んで、最初から主人公にまるで魅力を覚えなかった。反感さえ抱かなかった。

 少し読み進めたら、あるいは憎みつつも、こういう人間が存在している! ここにいる! という強烈な現実感で共感する感覚を覚えるかもと思ったが、最後まで他人事に終始してしまったのである。
 そもそも、小説の主人公の設定は、安っぽい大衆小説なら魅力的、あるいは出来すぎのはずである。
 若くして投資家として成功を収め巨額の富を得た男。巨大なリムジンでマンハッタンを流す男。
 だが、それだけにはとどまらない。

Krafty ドン・デリーロ/上岡伸雄訳『コズモポリス』」(Posted by tau)を参照させていただく。
 車の「中に設置されたモニターで逐一変動する相場を観察し分析する。リムジンこそがいわば彼のオフィスであり、彼の身の安全はボディガードによって守られ、健康状態も常にチェックされている。彼はそのようにして完全に防護された社内から外を眺め、時に婚約者や浮気相手と逢瀬を楽しむ。だがその日、彼は投機に失敗して多額の損失を被る危機にあった。そしてその一方で、かつて彼の会社に勤務していた男が彼を殺すべく動き始めていた。かくして、彼は自らを見舞う身の破滅と生命の危機に対峙することとなる」…。

 ここには、しかし、「資本主義が行き着くべきところまで行き着いた状況――それは端的に貧富の差の拡大であり、常に動き続ける経済の動向が世界を覆いつくしているという状況であり、もしくは徹底したセキュリティの管理化であるだろう――を想像力を駆使してリアルに描き切っているとも言え、そのリアリティの強さによって逆に悪夢的とも言えるような、実は現実には蔓延しているが見ないで済ませたいものを突きつけられてしまったかのような思いを抱いたのが正直なところだった」といった感想を出だせる逆説めいたものがある。

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→ 国見弥一著『フェイド・アウト』(文芸社

ドン・デリーロ『コズモポリス』 都甲幸治」を参照させていただく。
「舞台は四七番街。投資ファンドの弱冠二八歳のトップであるエリック・パッカーは、ハイテク設備の整った白いリムジンに乗り込みマンハッタン島を横切っていく。彼の目標は二つだ。円の下落という膨大な規模の賭けに勝つことと、髪を切ることである。この作品における彼の移動距離はたったの二マイル。だがその途中で彼はあらゆる出来事に出会う。大統領のニューヨーク入りに伴う混雑、反グローバリズムのデモ、ムスリムのラッパーの葬儀、映画撮影のために道路を覆いつくした裸の男女たち。その間、彼は複数の女性と関係を持ち、医者の検診を受け、莫大な量の金を失い、殺人まで犯す」のである。
 極端に切り詰められたロードムービー的な小説でもある(「閉じた「コスモポリス」とオープンな「都会」」参照)。

 小説は何を描いているか。
『コズモポリス』における完璧に護られた「白いリムジン」は、現代アメリカの戯画である。安全な場所に身をおきながら全てをバーチャルなマネーゲームに還元しようとする試みは、資本主義から落ちこぼれエリックの命をつけ狙うようになったベノ・レヴィンを必然的に産み出す。しかも巨額の資金を失い、自分の肉体にすら反乱されたエリックは、安全な内と危険な外というフィクションを放棄し、リムジンを捨て、自らの暗殺者と対決するのである。」

 本書『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)の「訳者あとがき」で、上岡 伸雄氏は本書でのデリーロの試みを以下のように説明している。
「テクノロジーの発展が人間の身体と言語にいかなる影響を及ぼすか。と同時に、肉体と外界との関係をユニークな文体で見つめ直し、データに変換できない人間存在を描こうとしている」と。

 アメリカの繁栄。それは銃とドラッグに象徴される自由の謳歌でもある。
 先ごろ、とんでもなく悲惨な銃撃事件が発生した。にもかかわらず銃所持の禁止の方向へは動きそうにない。
 アメリカはいまだに西部の開拓時代の延長にあるのではないかと思われてしまう。
 銃を手放せないのは、西部劇なる悪夢から覚めやらないからではないか。

 17世紀以降、アメリカ大陸に渡った白人は、大陸の動物もろとも、先住民族をほぼ殲滅してしまった(「羽根、あるいは栄光と悲惨の歴史(1)」参照)。
 穀物の大規模な生産のため、アメリカの広大な大地をも疲弊させつつある。
 今、アメリカが現状以上の繁栄を享受し、さらに欲望の際限のない成就を実現するためには、アメリカ国内だけでは済まず、世界中を徹底して金融の形で資源確保の形で地図を塗り替えようとしている。

 アメリカの繁栄は銃とドラッグに象徴されると上で書いたが、さらに付け加えるなら、借金(巨大な債務超過国)でも象徴されている。
(「アメリカの国債残高は、過去4年間に7860億ドル増えて1兆8400億ドルに達した。その増加分の半分以上の4040億ドルを日本が引き受けた。その結果、外国のもつアメリカ国債の4割にあたる80兆円は日本がもっている。それが単なる紙切れと化すリスクについて、日本政府は国民に説明していない」 ← 「福岡県弁護士会 弁護士会の読書 滅びゆくアメリカ帝国 著者:高野 孟、出版社:にんげん出版」より。他に「国家破綻研究ブログ 日本がアメリカ国債を買っている理由 日本人に必要な資産運用の知見とは? 経済状況の発展段階説(5)」など参照のこと。)

 小生は自著である『フェイド・アウト』(文芸社)の著者略歴で、「デジタル社会の中、希薄化する現実感覚や肉体的存在感の快復をテーマとしている」と、生意気なことを書いている(但し、『フェイド・アウト』はそのテーマを追求するのがメインではない)。
 それだけに、「テクノロジーの発展が人間の身体と言語にいかなる影響を及ぼすか。と同時に、肉体と外界との関係をユニークな文体で見つめ直し、データに変換できない人間存在を描こうとしている」という本書やデリーロの試みに無関心ではいられないのである。

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← 藤永 茂著『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書 21)

 酒や煙草、医薬品を含む薬物、音楽、舞踏、雑踏、冒険、地位(名誉)、性、戦争…。
「大学での銃乱射事件も、イラクやアフガニスタンで米軍が行っている殺戮も、病根は同じなのである」という意見には賛否が分かれるところだろう(「ユーラシア漂流アメリカ銃社会の闇」参照)。
 小生自身は同感なのである。

「安全な場所に身をおきながら全てをバーチャルなマネーゲームに還元しようとする試みは、資本主義から落ちこぼれエリックの命をつけ狙うようになったベノ・レヴィンを必然的に産み出す」というこの小説『コズモポリス』 の物語は、二〇〇〇年四月のとある一日に設定されている。
 ある意味、翌年の9・11テロを意識して書いている(と思われる)。つまり、深甚なテロではなくとも、マネーゲームという現代の竜は至るところで、日常の中でその牙を剥いている、というわけである。
 テロリストと呼称されない、しかし、社会の歪みが生み出す潜在的テロリズムは、アメリカ(に限らないだろうが)に蔓延しているのではなかろうか。

 そんな非現実なまでに空中楼閣化した社会(しかも作家のドン・デリーロは、「コズモポリス」と題している!)の中で<健全な>形で「現実感覚や肉体的存在感の快復」はそもそも成るものなのかどうか。
 それでも、小生なりにささやかなりとも試みていきたいのである。

銃と薬(やく)コズモポリスの主役なり」で好いわけがないのだ。

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コメント

こんなメッセージ(ソング)はいかが?
http://www.youtube.com/watch?v=_z35z8b9U9M&NR=1

投稿: やいっち | 2007/04/22 04:34

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