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2007/04/21

乗らぬならせめて挨拶欲しいよね

[以下は某所に書いた今朝の日記呟きであり独り言なので、やや生硬な表現があるが、寛恕願いたい。原題は「喫煙者への乗車拒否!」だった。文末などの()内の文章は、ここに転記するに際しての追記。]

 小生の車は禁煙車である。
 禁煙車であることの小生にとってのメリットは今の所、あまりない。
 ただし、メリットが全くないわけじゃない。煙草の煙にむせぶこともないし、吸殻の始末や煙草の灰でシーツが汚れることも少ないけど。

070420tutuji

→ 昨日の午後、青山墓地下の公園脇にて。ツツジ。いよいよ小生の好きなツツジの季節の始まりだ。ほぼ一年前の記事「ツツジの宇宙」など参照してもらえれば。「ツツジの季節の終焉…緑滴る」なんて記事もあるよ。

 座席の真っ白なシーツや足元のゴムマットが汚れるのは、雨の日は別として、ほとんどが喫煙者の煙草のせい。吸殻はさすがに捨てないけれど、灰はシーツに、ゴムマットに。
 そんな情けないことが少なくなった。

 でも、今の所、マイナスが大きい。
 禁煙車だから乗ってくるという人は今の所、皆無。
 逆に禁煙車だから乗らないという人が多い。
 というより、禁煙車だからと露骨に敬遠する人が目立つ。

 前方、百メートルほど先の道端に人が立っている。
 明らかにタクシーを待つ風情。

 幸い、他のタクシーはいない。

 手を上げる。
 客だ!
 安全を確かめつつ近寄っていく。
 間近にゆっくり静かに止めてドアを開ける。

 すると、禁煙車か、じゃ、いい!
 と手を振って、さっさといけとばかりに次の車へ顔を向ける。

 止めておいて、じゃいい! はないだろう。
 失礼しました。煙草、吸いたいから乗りませんとでも言うべきだろう!
 (日○レの人など、態度が大きいね。テレビ局の人間は自分をえらい人間だと思っているだろうか。)

 要するに、タクシードライバーの乗車拒否じゃなく、客の乗車拒否。
(無論、乗る乗らないは人の勝手である。以下、その前提の上での話なのだが。)
 煙草、吸うのがエライコト、一つの主義主張だとでも思っているのだろうか。
 そんなのは昔のことだ。煙草が人体(動物にも)がないと思われていた時代のことだ。
 今は、煙草は肉体にも環境(ゴミとなるだけじゃなく、煙草の煙という有害なガスを発散している)にも害があることは自明となっている。
 今は、煙草は人のいないところでひっそり吸うべきものとなっている。世間は喫煙者を可哀想だから、寛容の気持ちで見てやっているだけなのだ。
 って、ちょっと怒りのあまり、正直な気持ちを書いてしまった。

(「健康増進法」が制定されたことを知らないのだろうか。 「「健康増進法」 PDF のダウンロード」参照。)



[以下は、上掲の日記へ戴いたコメントへのレス。コメントはさすがに転記できない。日記なので表現が少し激しいし、脈絡が分からないかもしれないが、堪忍ね。]

 喫煙人口は約3,500万人以上。それぞれが20本(/日)喫煙するとして、7億本!
 まあ、ざっと一日当たり10億本。
 その煙を一箇所にまとめてみたらどうでしょう。
 ちょっとした工場の排気の噴煙どころではないはず。

 しかも、排気ガスも路上で生活の身近にあると言えるけど、喫煙は身近どころか室内であり体内でもある!
 火事(ボヤ)などは考えないとしても、その害はまともに計算されたこともない。
 想像を超えるものがあるでしょう。
 煙草の害が子供に及ぶ。直接に、それから遺伝子異常という形などで間接的に。
 とにかく、煙草は文化ではあったけれど、それも昔の話。小生も学生の頃、吸っていた。煙草を燻らす魅力(併せてコーヒーやお酒)は少しは知っているけれど、もう、時代は違う。
 とにかく、今の所、喫煙は合法的なので、どうしても我慢できないのなら、吸うのは誰もいない場所で邪魔にならない形で吸うようにしてほしいね。
 少なくとも吸うのを文化だ、自分は文化人だと気取るのは辟易、軽蔑だよ。
(一日当たりの喫煙本数は分からないが、一年間の販売本数は2,800億本だとか。「健康ネット 最新たばこ情報 統計情報 販売本数」参照。たばこ文化に直接関係するかどうか、たばこを現に耕作している人の生活も大事?! 昨年度は14,000人だとか。これは煙草の値段が今、安過ぎるので、販売の値段を上げ、利益率を上げることで、耕作関係者への補助に振り向けることが可能となるだろう。税金も効率よく入るから、その分であるいは転作奨励の予算とすることが考えられる。)


[またまたいただいたコメントへのレス。]

 禁煙車の小生の車ですが、大き目の灰皿は常備(会社が用意している携帯の灰皿は小さすぎて、吸殻の破片や灰が落ちる、落ちる! 慌てて自前の灰皿を購入したのだった。禁煙車なのに!)。
 ま、そこは融通をきかせるしかないし。
 ビルの外階段などで煙草を吸う数人の人影。高校生が体育館の裏などで人目を避けて煙草を吸っている姿を連想する。
 結構、楽しそう!
 小生は、煙草より、魅力的な女性の吐息を吸いたい!

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← 同じく青山墓地下の公園脇にて。これって「八重桜 (やえざくら)」ですよね。小生、植物の名前については特に自信がない。八重桜についても、「ツツジの宇宙」が参考になる?!

(煙草(喫煙)は文化?! 「随想 煙草(タバコ) 職能部長  塩出博司」などに見られるような意見が平均的なものか:
「タバコの健康被害よりも肥満による悪影響のほうがもっと危険であり、心配しなければならないとは皮肉なことである。多くの愛煙家には、どうか意志を強く持って吸い続けてもらいたいと願わずにはいられない。今、私は休息中だが、将来、喫煙者にも相応の人権が保障されるようになった頃に再び仲間入りをし、タバコの効用を存分に享受して優雅にパイプを燻らせ、至福の時間を過ごしたいと思う」

 喫煙者にも相応の人権。これは変だ。喫煙は法的に合法的になっている。今は、煙草の健康面・環境面への有害が歴然としてきたので、非喫煙者への配慮や喫煙の有害さの理解をもっと社会的に認知させるべき段階にあるのではないか。
 公共の場所での喫煙は廃止の方向が進んできたが、タクシー業界は遅れている。路上喫煙も徐々に禁止の方向へ進むだろう。

 それより、小生が憂慮するのは家庭内での喫煙だ。吸わない家族への配慮を考えると、会社や公共の場所での禁煙の動きも大切だが、家庭内や車中でも禁煙すべきという運動や啓蒙活動が必要に思われる。
 煙草は中毒性の嗜好品で絶対的禁止は難しいし、むしろ百害あって一利もない可能性が考えられる。ただ、社会的に寛容の目で喫煙文化を見守ってあげているという自覚はあってしかるべきだろう。
 それにしても、昔の石原裕次郎主演映画での煙草を吸うシーン、それ以上に吸っていた煙草をポイ捨てし、靴のかかとで踏み潰すシーンは格好良かった。そう、格好良かったのである。
 酒と煙草と男と女。何を格好いい、美しいと思う光景、その価値判断は変わるべきなのだろう。)

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コメント

 私だったら「禁煙車」と聞いたら、喜んで乗車させていただきます。

 煙草の煙、かなり苦手です。
 街を歩いているときに、前を歩いている人が咥え煙草なんかしている日には、その煙にむせ返る思いも何度も・・・・・(笑)

 吸うな、とは言いませんが、周囲に気を配って欲しいと思います。
 歩いていれば、当然、煙草の煙は後方に流れていきますからね。

投稿: RKROOM | 2007/04/21 23:43

RKROOM さん、コメント、ありがとう。いつもながら、素敵なブログにゾッコンです。

煙草の副流煙はある意味、主流煙より有害で危険なのだとか:
http://www.lares.dti.ne.jp/~yoki/nosmoking/smoking2.html
受動喫煙なんて、嫌ですよね。

>歩いていれば、当然、煙草の煙は後方に流れていきますからね。

煙草の有害物質(を含む目に見えない煙=ガス)は、煙草の前後左右に漂っています。数メートル以内は近寄らないほうがいいとか。
今は、化学物質が過剰な時代。たださえ、得体の知れない物質を体の内外から取り込まざるを得ない状況の中で生きることを強いられている。
せめて、煙草は人前では(家族がいるなら家庭でも)吸わないで欲しいね。

小生は、喫茶店の設置を考えたほうがいいと思う。喫煙者だけの店。思いっきり吸える喫煙者天国。ただし、その店から外へは煙を出さないのが掟。

投稿: やいっち | 2007/04/22 04:57

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