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2007/04/30

桃色のゲリラ眠れる我起こす

 日曜日、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」なる展覧会へ行ってきた。
 開催場所は、横浜市は関内駅に程近い、日本大通にある「ZAIM」である。
 腰の重い小生が、この展覧会へ行こうと思い立った切っ掛けは、ひょんなことであるサイトをネットで見つけたことに端を発しているのである。

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← 増山麗奈著『桃色ゲリラ ― PEACE&ARTの革命』(社会批評社

 過日、小生のブログのアクセス記録を見ていたら、「春画」というキーワードで小生の記事「ヤンセンや北斎のエロ学ぶべし?!」にアクセスしたものがあった。
 小生のサイトは春画に限らず、H系は(も)弱い。まだ未開拓の分野で、これからは追々手がけたいと思っている。

 どうして、「春画」で拙稿「ヤンセンや北斎のエロ学ぶべし?!」がヒットしたのか調べてみようと思ったら、確かに、文中に「ホルスト・ヤンセンがゾッコン惚れ込んだ北斎。北斎春画にどんな着想を得たのだろうか」などとある。

 さすが、ネット検索ツールの実力や恐るべしと思い知ったのだが、ついでに、小生のこと、「春画」でどんな記事が上位に来るのか、覗いて回った。
 そんな検索事例の上位のほうに(といっても、検索結果 約 218,000 件中の26位)に、「増山麗奈の革命鍋! : ネオ春画」という表題の記事があるのを発見。

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→ 会場への道すがら、横浜スタジアムの公園で見かけたチューリップの園。

 小生は、何かの記事(日記)を書く際には、情報を摂取するため、あれこれのキーワードで少なくとも百件のサイトは覗いてみる。小生の拙い記事の裏付けを得たり、更なる情報へのリンクを示すため、などの理由で。
 なので、検索結果で浮かび上がる記事の題名や示される3行ほどの記事(文章)で、その記事の信憑性や覗いてみるに価するか否かを判断する経験は少なからずある。
 
 簡単に言うと、「増山麗奈の革命鍋! : ネオ春画」に勢いを感じたのである。
 無論、その時点では、「増山麗奈(ますやまれな)」さんなる人物は知らないし、「ネオ春画」という言葉に含められるコンセプトも知らない。
 まずは、好奇心で覗いてみる。

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← 2階の作品展示室で、中ザワヒデキ氏の作品を前に澤田サンダー氏、増山麗奈(れな)氏らのトーク。

 そこに表示される絵にも惹かれたが、頁の末尾の以下の一文に妙に惹かれてしまった:

この絵は、ダーちゃんの友人のイラク人、カスムさんの米軍と日本政府への責任追及を行う講演会のさなか描いた。文句あるか。

 あ、これは何かある。単なるエロサイトではないと直感するものがあったのである。
 早速、リンクが示されている増山麗奈さんの公式WEBサイト「アートとエロスと育児と革命!画家「増山麗奈」」や「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」へ飛んでみた。

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→ ソン・ドンヒョン(Son Dong Hyun )「 Coca Cola」

 えっ、何、母乳アート?!
 奇矯なパフォーマンスが売りなの。
 でも、珍しくはあるが、過去にそんな事例ってなかったっけ?! 
ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」で示される、数々の作家の参考作品をクリックして拡大し、つらつら眺める。
 うーむ、である。

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← 戸泉恵徳

 うーむ、というのは、今ひとつ、ピンと来ないものがあるって意味があるってこと。
 小生、最近は事情があって、足が遠退いているが、美術展(画廊巡り)の経験は少なからずある。行けば必ず図録を買う。画集を買うのはあまり好まない小生だが、展覧会の図録は可能な限り購入しておく。
 当然、本物を観ての印象と図録の画像(写真)とは印象が違う。
 大概は、本物を目の前にしての印象が図録を見ての感想を圧倒するはずだが、中には図録で観たほうが小生の脳裏の何処かを強く刺激する場合もあって、なかなか一筋縄ではいかないものがある。

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→ 戸泉恵徳

 で、まあ、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」で見ての印象からすると、現物の作品のパワーやエネルギー、当然ながら作家の勢いといった点で、今ひとつかなと、過去の経験からして察せられてしまうのである。
 わざわざ足を運ぶに価するのか否か。
 アジア各国(主に中国や韓国、日本のようだが)を探せば、もっといろいろなアーティストやパフォーマーが居るはずと思うのだが、必ずしもその現に勢いを持っている才能の尖がったアーティストが見出せているとは言い難いのではないか…。

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← 戸泉恵徳

 ところが、「アートとエロスと育児と革命!画家「増山麗奈」」の中の、「岡本太郎現代美術賞入選「幼なじみのバッキー」」という頁に飛んでみて、ちょっと(いい意味で)引っかかるものがあった。
「澤田サンダー /文  増山麗奈 /絵」というが、頁には文章は(ほとんど)載っていない。
 増山麗奈さんの絵が幾つか載っているだけ。その絵の数々のタッチに惹かれた。

 舞い戻って、「母乳ペイント」の頁、「LAN TO FACE」(「LAN」については、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」にて説明を得ることができる)なる頁を覗いてみる。
 パフォーマンスはパフォーマンスなのだが、ZAIM開館1周年記念展としての、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」のキュレーターの役目を増山麗奈さんが果たしているのだと、小生、ようやく認識した次第。

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→ 中ザワヒデキ

 ちゃんと読めよ、書いてあるじゃん、だが、こうしてあちこち覗きまわっているうちに、次第に勘の鈍い、血の巡りの悪い小生も、ようやく彼女の凄さ、行動力を頁(サイト)を通じてだが、感じられてきたのである。
 大切なのはパワーであり、勢い。
 技術的なものは、小生は何も分からない。現に今、活動しており、しかも、表面的なピンクっぽさの裏の、というか、単なるピンク色に留まらない、観るものに訴えかける何かがあるかどうかなのである。

 小生は、美術展に実際に足を運ぶ機会を最近は持たなくなっているが、それは経済的な事情もあるし、時間的な事情もあるのだが、最近の美術館が敷居が高いように感じられてならないのである。
 あまりに美麗な建物。瀟洒だったり豪華だったり。明るかったり、綺麗な公園の中にあって、緑も適度に配されていて、フロアーはピカピカで天井も真っ白で、光が溢れていて、無論、作品の展示の空間は光度を調整されているのだが、しかし、芸術作品があまりにうまく収まり過ぎている。
 それこそ、街中の綺麗なレストランや大企業の待合室かエントランスの壁面に自慢げに掲げられている大作・名作。当然、額入り。

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← 孫芙蓉 ソンフーロン

 うまくは言えないが、作品が、頭髪を七三に刈られて、牙も抜かれて、猫なのか虎なのか分からない、優しい展示物に成り果てている。
 美術館も、糸の解(ほつ)れた上着や、擦り切れたパンツ、踵の縒れた靴、久しく床屋に行っていないボサボサの頭の小生では、気分的に門前払いを食らわされているようで、自然、足が遠退くのだ。
 
 絵画にしろ彫刻にしろ、自宅にいながらのように気軽にとはいかないにしろ、もっとラフな格好や気持ちで、寛いで、あるいは作品に立ち向かうような気持ちであってもいいのだが、外見など気にせずに対面できるような雰囲気が皆無に近くなっている。
 美は美である。が、美は時に危険なものだったり、誘惑の匂いがあったり、悪の匂い、性や肉体や血の匂いが漂うようなもんではなかったのか。
 現実の生々しさが浄化されて高尚な美になった…といった作品もあっていいのだが、しかし、人が人に心で対面するような、鬼気迫ったり、逆に心を寛がせてくれたりする雰囲気だけは望むべくもない(気がする)。

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→ 西澤千晴

 それ以上に、小生は美は何処に潜むか分からないものだと思ってもいる。
 それこそ、路上に、地下道の壁面に、何処かの芝居の書割に、児童の悪戯書きに、トイレの個室の落書きに、何処かの家の風雪に磨り減った雨樋(あまとい)や板壁に、朽ち果てた木の折れた枝の尖がりに、風に吹き寄せられた路肩の枯れ葉に、ゴミ箱から溢れた雑貨の哀れな末路に、花道を歩くスターを見上げる観客の目線に、場末の映画館の掠れ始めた看板に、電信柱の電線に絡まったハンガーに、駅舎の屋根裏のハトの巣に、床に散ったフンに…、そういたるところに転がっている。
 爛れた、あるいは磨きぬかれた肌。汚れた布団、捨てられた枕、壊れたブラウン管タイプのテレビ、まだ使えそうなラジカセ、洗面器、誰も見ていなかったら拾い上げ、洗って使ってみたくなるタオル…。
 
 要は現に生きている美、現に死につつある美、現に描かれつつある美、現に生まれつつある美、現に見捨てられ忘れられつつある美こそが今、欲しい。
 こうしたその他大勢的な美は消え去るし忘れ去られるし、とっくの昔に見捨てられている。
 あるいは形に成らない、成っても歪な美、もどかしい美、曖昧な美、意図は(コンセプトは)優れているが、頭でっかちの美、試行錯誤の過程の水子に終わる定めの美。
 そういったものを小生なりに拾い上げたい、見出したい、探したいのである。

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← 向京 シャンジン

 さて、そんなものがあるのかどうか。
 否、あってほしいし、あるはずなのである。
 過去の大作も、その都度、誰かが作ったものであり、誰かが賞賛し残そうと図ったもののはず。
 人間の美への欲求は、快への、楽への、あるいは倒錯した苦や醜への欲望は尽きるはずがないと信じる。
 現に今も美は生まれつつある。
 その現場へ、現場が無理なら、生まれた直後の展観や披露の場に際会したいのである。
 キュレーターや美のプロデューサーって、過去の遺産としての美の数々を新たな視角・視点から見直させてくれるとか、未だあまり知られていない作家や作品を発掘し、世に知らしめてこそ、機能するはずの存在。
 とにかく、未知の美を快を、手垢に塗れていない原石を発掘してもらいたいものである。

 さて、「ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」に見出せるのか。期待はずれに終わるのではないか…。
 でも、一縷の望みだってあるはず。
 
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→ 李宣周 リ・スンジュ

 しかーし、ここまでの感想や印象を抱いたから、小生、冒頭の展覧会に足を運ぶ気になったと思ったら、大間違い。
 何しろ、動かざること山の如しならぬ弥一(やいっち)の如しの小生なのだ。
 実際にやったことと言うと、ミクシィの日記の欄に「面白いアーティスト発見!」と題して以下のようにメモしただけ:
とっても飛んでるゲリラ的アーティストです:

アートとエロスと育児と革命!画家「増山麗奈」
増山麗奈の革命鍋! ネオ春画

母乳アートだってさ。
凄い活動家でもある。


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← イ・ソンエ

 まあ、日記でありメモなので、ミクシィ仲間に知らせるというより、とにかくメモしておいて、後日、改めてブログに記事としてアップさせるつもりでいた。
 すると何と、ミクシィ仲間だけじゃなく、増山麗奈さん本人の書き込みがあった!
ART LAN@ASIA~アジアの新☆現代美術!!」のURLが示されると共に、「皆さんも私の企画するヨコハマのアート展 来てくださいね」、さらに「4月29日は母乳@アートもあるかもですよ~」だって。
 むっつり助兵衛タイプの小生、誰も見ていない真夜中に、つい、ニンマリ、ニヤリ。
 
 とうとう、ハートに(か、腰の辺りにか)火が付いてしまった。
 といっても、「母乳@アートもあるかもですよ~」を真に受けるほど、初心でもない。誘い水に過ぎないと分かっている。
 それでも、浮き足立つのが小生の悲しい性(さが)なのでもあろうか。
 もう、半ば以上は行く気になってしまっている!
 凄いママさんアーティストにひと目会いたい!

 ところで驚いたことに、母乳@アートならぬ、母乳@アート風なパフォーマンスが本当にあったのだった!

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→ イ・ソンエ 同上作品部分。

 さて、ここまでが前置きである。
 何ゆえに、この美術展に行くに至ったかを書いたに過ぎない。
 お急ぎの方は、画像やリンク先へどうぞ、飛んで行って欲しい。
 
 日曜日の前夜から例によってロッキングチェアーで夜明かし。翌日が休日だと、ベッドに入るのが面倒でロッキングチェアーから体を動かさない。読書三昧というと格好いいが、実のところ、本を片手に居眠り三昧を決め込む。
 翌日が仕事の場合は、しぶしぶベッドに入って二十時間以上の営業に備える必要があるが、翌日が休みの時は、ひたすら無精して、ベッドに入るのさえ、面倒なのである。

 日曜日の午前は寝たり起きたりを繰り返したあと、昼前になってトーストとミルクで遅めの朝食。
 なにも、「母乳@アート」を意識したわけじゃない……と言えば、ウソになる。
 古いデジカメを賦活させて、ちゃんと撮れることを確認。ウエストポーチに本(澁澤龍彦)と携帯電話と小銭を突っ込んで、いざ出陣。

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← イ・ソンエ

 開催場所は、上記したように、横浜市は関内駅に程近い、日本大通にある「ZAIM」である。みなとみらい線の駅のほうが近い(徒歩2分)のだが、電車の乗り継ぎに弱い小生、歩いて5分のJR関内駅を選択。

 小生の居住する地域だと、蒲田駅で京浜東北線に乗れば、横浜駅で乗り換えて関内駅に行けるはず。
 だが、長年、電車に乗るというと、大森駅という習性が身に付いてしまっていて、つい、大森駅に向ってしまう。
 外出というと都心という過去の事例もあって、蒲田駅へバスで向うという発想に切り替えられないのである。
 そのために、過日、やはり関内駅が最寄の横浜レンガ倉庫でのサンバイベントへも、開催時間に間に合わなかったのだった。
 その苦い経験が生きない!
 
 まあ、とにかく無事、大森駅で京浜東北線に乗り、一路、横浜駅で乗り換えの上、関内駅へ。
 この電車内で小生、失敗してしまった。
 持参した澁澤龍雄の本を夢中になって読んでしまって、気がついたら、港南台という駅名が耳に(その前に杉田という駅名のアナウンスも聞いていたのだが)。
 あれ、港南台って、横浜駅の先じゃなかったっけ。

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→ イ・ソンエ 同上作品部分。

 小生、こう見えてもタクシードライバーである。横浜横須賀道路に港南台というインターがあることは知っている。横浜の先だってことも。
 小生、港南台駅で慌てて電車を降り、逆向きの電車を待つ仕儀に相成ったのだった。

 大体、杉田という地名(駅名)も記憶にある。昨年のサンバサミット会場は杉田の近くにあった。無論、横浜の先。
 杉田という駅名を聴いた時、変だなと思ったのだが、読書の手を休めることができなかった。澁澤龍彦が小説モドキを書いているなど小生には意外だったし、なかなか読ませる下りだったこともあって、とにかくキリのいいところまで読んでしまおうと思ったのが失敗の元だったのかもしれない。
 逆方向の電車に乗る。

 3時(15:00)からの、「アーティスト・トーク「脳波VS母乳」 中ザワヒデキ×澤田サンダー」に、もう、間に合わない。
 今回は横浜レンガ倉庫でのイベントに遅れた轍を踏まないよう時間的にも余裕があったのに、うまくいけば憧れの横浜中華街でラーメンを食べられるかも、なんて淡い期待もあったのに!
 それなのに、港南台で乗った京浜東北線の車内で澁澤の本をまた手に取り、読み浸ってしまう。

 関内駅に降り立った時点で、14:50。
 おお、これなら歩いて5分だというし、ギリギリ間に合うかも。
 但し、道に迷わなければの話だが。
 歩く途中、横浜スタジアムの脇を通った。横浜と中日の試合の真っ最中(余談だが、美術展を見ての帰り、丁度、野球が終わったようで、家路を急ぐ観客たちも駅に向ってゾロゾロ。電車が混んでしまったのだった)。
 球場には綺麗な公園があって、チューリップ畑があった。
 チューリップというと、この連休中には我が郷里富山の砺波(南砺市)ではチューリップフェアが催されている。
 小生、よせばいいのに、つい、チューリップの咲き誇る畑の光景をパチリ。

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← イ・ソンエ 同上作品部分。

 それでも、道を間違えずに「ZAIM」へ一直線で来ることができた。トークは別館だってことも覚えている。
 中に入ったら、パンフレットの数々。展覧会の図録もだが、パンフレットにも目のない小生、つい、あれこれ物色してしまう。トイレを済まし、二階へ。
 すると、トークが始まっている?!
 しかし、違った。トークではなくて、トークで予定されている一人の中ザワヒデキ氏の作品を前に澤田サンダー氏や増山麗奈さんらが、中ザワヒデキ氏に質問する形で、作品の説明がされていたのだ。聴衆も十数人ほど。

 会場内の作品をデジカメ撮影し、トークの様子も撮る。
 中ザワヒデキ氏の説明、最初は訥々といった感じで、どうかなと思ったが、実際にはとってもクレバーで、だからこそ、喋る言葉もきちんと選びつつなのだということが分かってきた。
 
 中ザワヒデキ氏らもだが、増山麗奈さんが実にクレバーな方だと感じ入った。
 キュレーターをされるくらいだから、行動力も行事の進行の全体を統括する能力もあるのは予想できるとして、話の進行を司る能にも長けている。
(ここに再現はできないが、戦争の話が面白かった。議論沸騰というわけじゃないが、考え方の違い、そもそもアーティストして何を大切にし、どう生きているかという話など。)

 作品を前にしてのお話が終わると、さあ、4階でトークがありますから、皆さん、どうぞ、というわけで、増山麗奈さんの案内で、ゾロゾロ4階へ。
 小生は居残って(せっかく間に合ったのに!)、2階、3階の各部屋に展示されている作品の数々を見て回った。
 本来なら、時間に余裕があれば、これらを観終わった頃にトークのはずだったのだが。

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→ イ・ソンエ 同上作品部分。

 ざっと見て回ってから、4階へ。
 トークの内容についても、いろいろ話したいことがある。
 が、それ以上に4階の展示室の壁面に展示してある増山麗奈さんの絵の数々が気になった。
岡本太郎現代美術賞入選「幼なじみのバッキー」」の挿画は、増山麗奈さんの手になるものなのだが、数多くの原画が非常にいい。
 絵本というが、澤田サンダー氏の創作がユニーク(パンフレット状の冊子になっている。買うつもりでいたのに忘れた!)。
 澤田サンダー氏の意見もあって、増山麗奈さんは、特に重要な登場人物であるバッキーの画は幾度も描き換えていったという。
 挿画は、物語の展開や場面に即したもの。

 文章と挿絵が基本的に符合する。
 ただ、小生としては、地の文とは直接、マッチするのではなく、増山麗奈さんがある程度自由な発想で作品のイメージを思い浮かべ、物語の文と増山麗奈さんの絵とが見かけ上は符合しないが、イメージの上で調和したり互いを刺激し合うような形を採ったほうが面白かったのではないかと思った。
 要するに、増山麗奈さんが自由な発想で絵を描いたら、イメージ的に広がりも期待でき、面白いのではと思えたのである。

 トークが終わりに近づく頃、話が盛り上がってきた。客席の誰かの質問に「罪の意識」という言葉があって、それがトークする(鼎談する)三人にそれぞれ火を付けたようだった。
 キリスト教は原罪がある。仏教はどうだろうとなって、当然ながら「業(カルマ)」が根底にあるからこの概念が出てくるかと思ったが、出てこないのがもどかしい。
 小生にはこの言葉を発音するのがやや困難で、口出しするのも躊躇われる。
 トークが終わりに近づくと、風邪気味とかえ体調の優れない増山麗奈さんなのだが(にもかかわらず会場内ではホットパンツとTシャツ姿!)、母乳パフォーマンスを披露するという。

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← イ・ソンエ 同上作品部分。

 いいのかな。大丈夫なのかなという思いがする。
 それでも敢えてやる増山麗奈さんの凄みを感じる。

 増山麗奈さんがシャツを捲り、ブラをずらし、オッパイを出し(そこは小生が座った席が悪く、よく見えなかった)トークの一人、中ザワヒデキ氏の顔(眼鏡を懸けているのだが)の辺りに母乳を飛ばすパフォーマンスを披露してくれる。
 まあ、来客はこのパフォーマンスには見慣れているのか、会場内に驚くといった雰囲気はなかった。
 小生も、連れ合いはいないが、親戚の奥さんが赤ちゃんに母乳を与えている光景は幾度か目にしている。乳房に母乳がべとべとになっていたりして。
 ただ、顔に向って、みんなの前で飛ばすってのは、やはりパフォーマンスなのだろう。
 このパフォーマンスについては、機会があったら語って(書いて)みたい。

 トークが終わった。小生は、増山麗奈さんに名乗り出て、彼女の本(『桃色ゲリラ ― PEACE&ARTの革命社会批評社)がほしい、サイン入りでとお願いした。
 すると、気安く応じてくれた。
 階段を使い4階から2階へ下りる途中、「春画」がキーワードであなたのサイトを見つけたのですと言ったけど、通じたものかどうか。

 でも、凄いのは、2階の即席の図録や本の販売所(というか、受付。小生、「やいっち」と署名した!)で彼女が本にサインをした際、足元の紙袋から、「春画」を特集した何かの展覧会の図録を取り出し、こんなのもあるのよとある頁を示して見せてくれたこと(確か、靉嘔 (あいおう)の春画だったはず)。
 どうしてあの会場(受付)へわざわざ持ってきたのだろう。
 というか、タイムリーなことに話題にピッタリの図録が受付にあったのだろう。
 
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→ 母乳パフォーマンス! 奥の絵が増山麗奈さんの手になるバッキー。

 彼女、本(『桃色ゲリラ』社会批評社)にサインをしてくれている。
 それはいいけど、やけに手間取るな、それも小生の顔を何度もチラチラ見るなと思ったら、なんと、小生の顔を小生が持参し手渡したボールペンでサラサラと描いてくれていたのだ。
 日付を書き、「やいち」とも書いてくれた。
 舞い上がってしまって、ボールペンを返してもらうのを忘れた。

 余談だが、大森駅から横浜方面への京浜東北線に乗っていて、つい、乗り越してしまったことを上で書いた。
 澁澤龍彦の本に夢中になってしまったこともあるが、途中、しばし隣の席に座った二十歳前後の女性が、ノートか白い画集に、頻りにペンを動かしてる。
 チラッと覗いただけなので断言はできないが、どうやら、向かい側の席に腰掛けているハンサムな男性の似顔絵を描いているようなのだった。
 そのさっさとデッサンしていく様子に気を奪われたことも、乗り越しの理由だったのだ。彼女が何処かの駅で降りたときには絵は出来上がったのだろうか。男性は未だ乗ったままだったが。
 
 いいな。小生など、デジカメで撮るしか光景を残す手段はない。まして電車内で、あるいはサインの際にサラッと描く能などあるはずもない。
 
Rainbow_hokusai

← 「レインボー北斎」 東京国立近代美術館蔵 (残念ながら、増山麗奈さんに見せてもらった画集の中の、靉嘔 (あいおう)の春画はネットで画像を見つけることができなかった。これは、「槇野正樹のホームページへようこそ!!」で見つけた画像である。

 会場を出てから、増山麗奈さんにサインをしてもらう際に手渡したボールペンを返し貰うのを忘れたことに気付いた。ペンそのものは惜しくないが、小生、イベントなどに出かける際は必ずメモ用紙とペンは持参する。
 何もデッサンするわけではない。
 時間や購入した品物、金額、気になった事項、登場した人物名、会場の様子、そのほかをメモすることに決めている。メモ魔だからではなく、あとでレポートを書く際に資料とするためだ。自分の記憶力に自信がなく、当日のことでさえ、曖昧になってしまう自分の情けなさを思い知らされているのだ。
 そのペンがなくて困ったのである。
 さらに、「岡本太郎現代美術賞入選「幼なじみのバッキー」」(澤田サンダー /文  増山麗奈 /絵)を購入するつもりでいたのに、それも彼女のサインに感激して舞い上がり、忘れ去ってしまった。
 物語もさることながら、冊子の挿画(絵)の数々を自宅でジックリ見たかったのだ。

 戻るべきかどうするか。
 ウエストポーチの中に仕舞ったデジカメを取り出したり、携帯電話の着信の有無を確かめたりしているうちに、バッグの中身を路上に落として(零して)しまった。
 交通費その他のために仕舞いこんでいた5百円玉を路上にぶちまけてしまったのである。
 自転車や植え込みの陰に隠れてしまって。
 探すのに手間取っているうち、ま、いいやという気分になってしまった。
 戻って、彼女に再度、冊子を頂戴という覇気など小生にはない。
 あの4階に張ってあった、彼女の絵はいいな。タッチが好きだな。もっと自由な発想で描いてくれたのを観たかったな、なんて思いながら、帰路の電車に乗ったのだった。
 
 大森駅で降り、バスで最寄の停留所をめざした。
 すると、まさに小生が降り立つ停留所の一つ手前の停留所を過ぎた途端、渋滞に。この連休で車は少ないはずなのに。ローカルな路線で混む筈がないのに、何故とバスの先の様子を伺ってみると、赤いランプが点滅している。事故処理車や救急車が見える。

 事故だ。

 バス路線は警察官の采配で交互通行なっているみたい。
 ようやく最寄の停留所に近づく。眼下にバイクの無残な姿が。
 降り立って、改めてバイクの傍に寄ってみる。観るも無残。さすがに撮影は憚られた。
 路上には事故の残骸を掃除したような、濡れた痕が。
 近くにはワンボックスの車が止まっている。誰か男の人が警察官に事情を聴取されている。
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→ 最寄のバス停付近で(恐らく)ワンボックスの車とバイクの事故。仕事柄、事故には敏感になってしまう。

 そのうち、パトカーがマイク何か喋り始めた。マイクが拡声器の状態になっていることに気づいていないのかと思ったら、近所の人に「事故を目撃した人はいませんか」と、問いかけているのだ。
 あるいは事情聴取する男性の話に不審を覚えているのか。バイクの男性が(少なくとも、その時点では)口が利けない状態に陥っているのか。
 後ろ髪の引かれる思いをしつつ、帰宅。
 疲れた。歩きつけない小生には、ちょっとした旅をした気分。駅でもだが、イベント会場でも、階段も事情があって何度か上り下りしたのだった。

 さすがに夜半にはレポートを書く気になれなかった。グッタリしている。
「YouTube」で大好きなAbbaの「Dancing Queen」などを聴きまくっていた:
 http://www.youtube.com/watch?v=7GFpMb0sOaw
 ビートルズを別格として、ポピュラーミュージックでは、アバ(Abba)が一番、好きなのである。特に「Dancing Queen」を聴くと、必ずと言っていいほど、目頭が熱くなる。
 
 翌日の今日も、小生は休日。なので、通例だとロッキングチェアーで夜明かしするのだが、レポートを書くのに時間を要するだろうし、気力が必要と心得、珍しくベッドへ夜半過ぎに入った。
 目覚めたのは朝の七時過ぎ。凄い健康的な朝だ。外は明るい。洗濯さえしたりして。
 
 で、さあ、レポート作成に入るかな。
 まずは、画像の選択と画像サイズ(ピクセル数)の縮小から、というわけで、このレポート作成作業に取り掛かったというわけである。
 未だ、書いておきたいことはいろいろあるけど、疲れた。
 もう、お終い!


 あ、5月6日(日)に、こんなイベントがあるとか:
東京エロ可愛fetinism03
 もち、増山麗奈さんも出演し、歌も披露するとか。
 小生は事情があって、行けない!

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コメント

私も最近院内集会のVIDEOで増山麗奈女史に出会いました。

西宮でのVIDEOであの司会者がやいっちの増山麗奈だったと分りました。特にVIDEO一時間過ぎから必見ですよ。

http://iwakamiyasumi.com/archives/12363

投稿: pfaelzerwein | 2011/09/09 04:54

pfaelzerweinさん

増山麗奈さんについて、どのような感想(印象)を持たれたのでしょうか。

小生は、本ブログで紹介している会場で彼女のゲストとのトークを聞きましたし、作品も見ている。

イベントが終わった後、同氏の本を買った際、本にサインをしてもらい、且つ、その本に、彼女がさらさらっと、小生の似顔絵を背表紙裏にかいてくれたものでした。
その際、目と目が合ったので、彼女の目を直視しましたが、ある意味、才人の侠気のような目力を感じたものでした。


紹介してくれたビデオ、重かったのか、ダウンロードに時間がかかり、とうとう見れませんでした。
「一時間過ぎから」の場面、気になります。

投稿: やいっち | 2011/09/10 07:54

見れませんでしたか。それは残念です。こちらこそ感想を伺いたいと思ってました。こちらのネット環境もネットのTVニュースのセクエンスがDL出来ないほどのそれほど優れたものではないので、それほど重くはない筈なのですが最初から二時間以上の番組なので、全部見るのは大変です。一時間前から音楽と映像が流れている中不自由な体勢で絵を描いていく情景と、その後の藤波心とのトーク(やいっちさん必見?)で、件の乳出しアーティストだと判明しました。

http://iwakamiyasumi.com/archives/12247

こちらでもラジオ等で一部流れていた上の衆議院に官僚を呼んでの福島の子供と対話集会では、そこで司会をしておりました。難を逃れて歌舞伎町から西宮(六甲山の影響で比較的自然の放射能が強い?)に移住した普通の母親の活動家かと思ってましたが、農林省の役人にその司会に文句をつけられても、それはなるほどパフォーマーであるので仕方ないのです。

この二回の感想では、当然のことながら嘗てのフルクサスからリヒターなどへの流れを汲んでいるのでしょう。だから上のトークでも表現の追込み・囲い込みの難しさが話題となるのです。「鳴く蝉も身を焦がす」というか、こうした表現はまさに環境との折り合いと同じで、やいっちさん風に言わせれば子宮感覚となるのでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2011/09/10 17:42

pfaelzerwein さん

今夜はビデオ、見ることが出来ました。

我がパソコンの具合がよくなくて、一昨日、半年ぶりにディスクのデフラグを行ったのがよかったのか。
動きがよくなった。
増山さんの即興で絵を描く姿や、喋り、懐かしく見ました。
西宮に行っていたなんて、びっくりです。
今日は時間がないので、感想はあとで。

投稿: やいっち | 2011/09/11 22:53

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