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2007/04/02

黄砂に抱かれて草むしり!

 既に昨日となったが、4月1日の日曜日は予報では晴れだった。
 実際、前日は風雨に雷と春の嵐の様相を呈していたのがウソのような穏やかな日和となった。
 小生は今、事情があって郷里にいる。
 例によって束の間の家事見習いをしている。

Arms

→ ヘミングウェー作「武器よさらば」(高村勝治訳、「グーテンベルク21」)

 晴れているが春の日差しで風もなく、外の作業が苦しくはないような気がする。
 いかにも春らしく、晴れの日が続くとも限らない。
 ということで、草むしりすることにしたのだった。

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 郷里の家には、数年前に田圃は人の手に渡ってしまったが、畑が少々残っている。
 普段は父が世話をしているのだが、体調も思わしくなく、収穫はともかく、畑の周辺やネギやダイコンなどの並ぶ畑の中にまで雑草が生い茂っている。
 別に小生に草むしりをしろと言う訳ではないが、できればやってほしいという気持ちがあるだろうことは鈍感な小生にも分かる。

 実際、帰省の度に一度か二度は草むしりをしてきたのだった。田圃があった頃は、時期を調整して田植えもやってきたのだが、田圃がない今は、せめて草むしり、というわけである。

 空模様は? 雨は心配なさそう。でも、なんとなく雲行きが怪しい気もするのだが…。
 午前から昼過ぎまでは、薄日も差していたのだが、次第に曇ってきているような気がする。雨の心配はないはずだったのだが。


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D112006479

← 映画「武器よさらば」(1957年 米、20世紀 フォックス)

 さて、草むしり作業。もう、嫌というほどにびっしり雑草が生い茂っている。
 草むしりである。草刈ではない。
 なので、草刈鎌などは使わない。ひたすら手先、特に指を使って引っこ抜く。あるいは毟り取るのである。
 一昨日から読み始めたヘミングウェー作の『武器よさらば』(竹内道之助訳、コレクターズ版「世界文学全集 6」)、ならぬ素手(軍手)での作業なのである。

 日差しは夏のように厳しいわけではないが、長時間、直射日光を浴びるしんどさを懸念して麦藁帽子を被り、手には分厚い生地の軍手。普段着やジャージーを、もう古びて解(ほつ)れているトレーナーと膝上ほどの水泳パンツ(要するに草むしりの際のいつもの格好)に変えて作業する。
 汚れても構わないように、である。
 夏や秋口と違って蚊の心配が少ないのが嬉しい。

 頑固なほどに根の張っている雑草。前日の雨のせいで、多少は抜きやすいが、その分、泥が一杯くっついてくる。
 雑草と雑草でない草花(野菜や花々)との違い…。人間のエゴ。
 久しぶりの(多分、昨年の9月末以来の)草むしりは体に堪えた。
 作業自体は二時前から四時までの二時間で終えたのだが、部屋に戻ったら、頭痛が起き、体の節々が痛い。とうとう寝込んでしまった。作業と同じ時間である二時間、奥の部屋でぶっ倒れていたのだった。
 普段、いかに鈍(なまく)らな生活を送っているかを如実に物語っている。

 それでも、夕方近い六時過ぎには起き上がることができた。頭痛も弱まっている。自転車通勤の日々の成果が多少は出ているということか、回復力が少しはあったのかもしれない。
 起き上がって、夕方の買い物へ。今日は二度目の買い物となったのだった。


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「YouTube - 工藤静香 「黄砂に吹かれて」(作詞,:中島みゆき/作曲:後藤次利)

 ところで、空模様のことで、続きの話がある。
 夕食の際、父が黄砂、凄かったやろ、と言う。
 黄砂? 
 空、曇っとったやろ、あれ、黄砂のせいだぞ。
 黄砂? の曇りは黄砂のせいだったがけ。
 凄かったにか。匂いだってきつかったし。予報でも黄砂がひどいって言っとったしな。
 小生、嗅覚が鈍いので匂いは分からない。
 なので、昼下がりになって、薄日が曇天に変わってきたな、予報とは違うのかなと思うだけだった。
 匂いと、曇天にしては、空の色が灰色ではなく、やや褐色っぽいこととで、小生も、黄砂を連想したかもしれないのだが。


(参考)小生には草むしりや雑草を巡るエッセイや掌編がある:
「草 む し り」(04/02/26作
「草むしり」(エッセイ 2006/05/06
「日の下の花の時」( 2005-04-19
「ツツジの季節の終焉…緑滴る」(2005/05/12

(参考)小生には「黄砂」関連の記事がある:
「黄砂…地球環境の主役?!」(2005/04/10
「黄砂に吹かれて」(2006/04/25

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