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2007/04/16

雪国を夜窓に映し康成忌

 久しぶりに「4月16日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみた。
「1889(明治22)年、20世紀最大の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた」ということで、「チャップリンデー」だったり、小生の好きなシンガーソングライターの河島英五さんが亡くなられた日だったりする。
 今日はまた、「康成忌」、つまり、「小説家・川端康成の1972(昭和47)年の忌日」でもある。
 小生にとっては、1972年は高校を卒業し大学生になった年であり、春には「連合赤軍、あさま山荘事件」絡みの報道がテレビを占領していた年であり、好きな人と遠く離れた年であり、まあ、いろいろあった年で、印象深い年なのである。

 川端康成は、「門下の三島由紀夫の割腹自殺等による強度の精神的動揺から、ガス自殺した」のだった。

 が、小生、この自殺の理由が全く、納得できない。
 というか、生来の中途半端さが邪魔をして、この辺りのことを探求してみたことがないのである。
 晩年の創造力の枯渇のゆえ? まさか、やや中途半端ではあるが<夭逝>を果たした三島に川端が嫉妬したというわけでもなかろうが…。

 だから…、本稿で、今になって多少なりとも探ってみるというわけではない。

 まさか、「三島由紀夫の割腹自殺は昭和四五(一九七〇)年十一月二十五日。葬儀は翌年一月二十四日になされたのだが、この時の葬儀委員長は川端康成だった。川端が文学界の長にいたということよりも、文学美学の志向において三島由紀夫は川端康成の事実上の弟子を任じていたことが大きいだろう。川端もそれを認めてはいただろう。そして当時の文学界的には川端の死は三島の死の翌年という雰囲気はたしかにあったことだろう」という程度で「門下の三島由紀夫の割腹自殺等による強度の精神的動揺から、ガス自殺した」と、断定的に語られるはずもないだろうし。
 この辺りのことは、「極東ブログ [書評]事故のてんまつ(臼井吉見)」などに譲る。

 小生は川端康成の小説、中でも「雪国」が好き。宝石のような煌きを感じる。
「雪国」については、たとえば、「「魔の雪」…雪国」で若干、触れている。
 宝石という比喩を安易に使いすぎるだろうか。
 冒頭の有名なくだりを転記する:

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

 もう、この一文だけで小生はある種の虚的な世界に迷い込んでいる自分を感じる。
 敢えて言えば、鏡の世界だろうか。
 ガラス窓。だが、夜の底が透明なガラスの裏面に蒸着されたアルミニウムや銀などの金属の代わりになり、鏡の機能を担っている。
 それでいて、あくまでガラス窓なのであって、列車の窓の外は今の時代とは違って真っ暗なのだとしても、降り積もった雪が闇夜を朧に照らし出し、幽冥の境を作り出している。夜の底の白い闇に眺め入ることもできるわけである。
 つまり、夜汽車のガラス窓は単なる鏡以上に虚像と実像の世界を自在に行き来させる魔法の鏡であるというわけである。

 自在に行き来すると、安直に書いたが、川端はある意味、現実の中に封じ込められている女の世界にはどうしても到達できない。女の体は臥所にあって自由にできてさえも。
 その閉じられた、その意味で精神的に窒息しかねない主人公の鏡の世界に、女の声が響く。「駅長さあん、駅長さあん。」という叫び。
 それは、主人公をほんの一瞬だろうが、覚醒させる。「雪の冷気が流れこんだ」あとだけに、一層、生々しく、現実の世界に自分が居る、女と同じ現実世界という大地に自分も立っているという期待を抱かせる。
 が、その期待は呆気なく溶けていく。儚い期待、幻想に過ぎないことに気付かされるのである。
 すぐに主人公は元の木阿弥に帰っていくわけである。

 小生は、「初化粧」の中でこんなことを書いたことがある:

 女性が初めて化粧する時、どんな気持ちを抱くのだろうか。自分が女であることを、化粧することを通じて自覚するのだろうか。ただの好奇心で、母親など家族のいない間に化粧台に向かって密かに化粧してみたり、祭りや七五三などの儀式の際に、親など保護者の手によって化粧が施されることもあるのだろう。
 薄紅を引き、頬紅を差し、鼻筋を通らせ、眉毛の形や濃さ・長さそして曲線を按配する。項(うなじ)にもおしろいを塗ることで、後ろから眺められる自分を意識する。髪型や衣服、靴、アクセサリー、さらには化粧品などで多彩な可能性を探る。

 見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。自分が演出可能だといことは、つまりは、他人も演出している可能性が大だということの自覚。
 化粧と鏡。鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。
  (中略)
 仮面は一枚とは限らない。無数の仮面。幾重にも塗り重ねられた自分。スッピンを演じる自分。素の自分を知るものは一体、誰なのか。鏡の中の不思議の神様だけが知っているのだろうか。
 男の子が化粧を意識するのは、物心付いてすぐよりも、やはり女性を意識し始める十歳過ぎの頃だろうか。家では化粧っ気のないお袋が、外出の際に化粧をする。着る物も、有り合わせではなく、明らかに他人を意識している。女を演出している。


 実は男は(主人公は)、観念の中で自らの心を拙くも化粧している。化粧とは、男の場合、鏡の乱反射に似ている。迷路に迷い込むことなのである。出口を見失ってしまうのだ。幼少の頃から化粧し慣れているならまだしも、心の観念学において未熟な男は無数の鏡の面の連なりに恐怖する。
 戯れることができない。鏡面の反射に、まさに跳ね返されてしまう。現実の外へ放り出されてしまう。
(この辺り、「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」も参照のこと。)

 ここで唐突に三島と川端の文学に飛ぶ。二人を同じ枠で括るのは乱暴過ぎるが、ただ、成熟した大人の恋は二人とも描いていないとは言えそうに感じる。どこまでも象徴性の世界を彷徨うばかりである。鏡が割れることも、鏡がウソを吐(つ)くことにも気付かない世界に終始していたように思える。

 そう、化粧と鏡のとの、ひめやかで禍々しい関係への初心さ!
 仮面は被るものであり、顔に貼り付いて剥がれないものではない。あくまで演出の武器であり手段であり方便に過ぎない。ここで勘違いしては、<現実>には永遠に至ることが叶わないわけである。

 小生は、「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」において、以下のように書いている:

 仮面舞踏会ではないが、仮面をかぶることによって素顔の自分、生の自分、覆い隠している欲望と野心とが剥き出しになることもある。違う自分を化粧することによって演出しているようでいて、実は案外と素の自分の一部、化粧しなかったならば可能性の海に漂流したままに終わるかもしれないエゴが露呈されているだけなのかもしれない。
 化粧を日々施すと言う営為を通じて、それこそメビウスの輪を辿るようにして、女性は知らず知らずのうちに表情ということ、表現ということ、演技ということ、装うということの秘密の領域に踏み入れてしまうのでもあろう。
 そこには男には窺い知れない深紅の闇の世界が果てしもなく広く広がっていて、男がうっかり覗き見ようものなら底なしの沼に溺れ行くばかりとなるに違いない。
 いずれにしても、化粧はもう一つの鏡なのだ。見る人の目線と偏見をそのままに映し返すものが鏡というのならば。他人の思惑など跳ね返すものが鏡に他ならないというのなら。
 だからこそ、化粧と鏡は一体なのであろう。

極東ブログ [書評]事故のてんまつ(臼井吉見)」によると、「三島は川端を評するおり、川端のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」の仏界・魔界から魔界入りがたしを引いて魔界の人だとしていた」というが、川端や三島には、女こそが魔界だったということなのかもしれない。

 まあ、この辺りのことは、もっともっと丁寧に探る必要があるだろう。

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コメント

私も「雪国」は好きですね(あれ?――前にも書いたような)。
何度も読み返しましたよ。
川端は三島よりずっと素敵な小説を書くと思います。
三島でいいのはエッセイかな。
ちなみに三島は女には興味がなかったはず。
彼には男こそが魔界だったのでは。

投稿: 加藤思何理 | 2007/04/16 23:17

加藤思何理さん、コメント、ありがとう。

>三島でいいのはエッセイかな

川端は生粋の小説家ですが、同時に辛らつな批評家でもあったようですね:
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2005/09/post_beea.html

日曜日、図書館へ行った際、三島の全集をパソコン検索。残念ながら取り寄せになるとかでやめたけど、彼のエッセイは読みたい。
今、福永武彦集などを読んでいるので、後日、手にする機会を持てると思っています。
福永武彦…。やや期待はずれ。優秀な文学青年という文章。観念的で現実感が薄い。体験が乏しいのは仕方ないけど、頭で作っているという作品と思えてならない。
これから読むことになる美術評論に期待している。

投稿: やいっち | 2007/04/17 09:46

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