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2007/03/19

愛本のちまき…ラジオで聴いた話あれこれ

 土曜日も仕事だった。人の出は結構、多く、営業の回数も多かった。近場ばかりで売り上げは寂しいものだったが、ラジオではたっぷりの音楽はもとより、あれこれ話を聴くことができて、実り豊かだった!

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← 池田(渓斎)英泉『花魁』(「浮世絵春画(枕絵、艶本)の展示室」より)

 聴くつもりはなかったのだが、夜中になって、国会での何かの委員会でのNHK予算案審議の模様を断片的に伺ってしまった。
 ちょっと驚いたのは、NHKの受信料の強制化の検討に関連して、受信料を漏れなく徴収するため、住民基本台帳を使うことも視野に(検討の材料に)入れていると、NHKの方が答弁して言っていたこと。
 なるほど、住民基本台帳は税金の徴収だけではなく、公的な利用料の徴収に活用できると一部では目論んでいるわけだ。
 賢い?! 怖い?

 赤ちゃんポストの特集も某FM局でやっていて、なかなか興味深かった。
 今日はこの問題は採り上げるつもりはない。下記サイトを参照願いたい:
[解説]赤ちゃんポスト設置へ ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
赤ちゃんポスト - Wikipedia

「赤ちゃんポスト」という呼称に難を感じる人も多いようだが、これはあくまで俗称(通称)であって、実際には「慈恵病院の計画する赤ちゃんポストは「こうのとりのゆりかご」という名称である」という。
 計画としては、「人目に付きにくい病院の外壁に開閉できる扉(縦45センチ、横65センチ)を設け、36度に温度管理された特製の保育器を置く。新生児の重さをセンサーが感知し院内にブザーで知らせ、医師らが駆け付ける仕組み。監視カメラは付けず、「もう一度、赤ちゃんを引き取りたいときは、信頼して、いつでも連絡してください」といった内容の手紙を置く予定」とのこと。
 夕べは、置く予定の手紙の内容も披露されていた。読み聞かされて、小生、感動してしまった。内容を紹介できないのが残念。
 
 番組では弁護士の堀田力氏がコメンテーターを務められていた。
 同氏の話も紹介したいが後日を期す。とにかく、何よりこの世にせっかく生まれた命を大事にすることが先決という考えに共感した。
 赤ちゃんポストについては、作家の井上ひさし氏の話も興味深かった。
 この制度は、ヨーロッパ、それもかのメディチ家が始めたものがルーツだという。これも追々、機会を見つけて調べてみたい。
 小生の(今の所、憶測の段階に留まる)予想では、ローマの建国の物語に淵源する思想があるのではないかと思うのだが。「レムス - Wikipedia」など参照。

 ここでは、下記頁を紹介しておく:
Europedia の インターネット・トラベルNEWS -  「赤ちゃんポスト」のルーツ
 なお、「NPO法人 円ブリオ基金センター」があることは知られているのかどうか。
 理由を書く余裕がないが、赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)については、小生は基本的に賛成である。

 土曜日の深夜には、富山の民話を、これまた断片的にだが聴くことができた。
 ラジオでは、話の類いは(営業中でもあり、どうせ聞きかじりにしかならないので)原則、聞かないのだが、富山の話題となると話は別。
 NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」で、下記の内容だった:

民話を語ろう~富山県
  「愛本のちまき」
  「あとかくしの雪」
  「ニカ福長者」
         【語り・解説】日本民話の会会員…高木 栄子

 このうち、今日は「愛本のちまき」にスポットを当てる。
 この民話は、「愛本姫社」(あいもとひめしゃ)によると、以下のようである:

昔、愛本橋のたもとで茶屋を営んでいた夫婦の娘お光が、突然行方不明になり、3 年経ったある日、笹の粽(ちまき:笹の皮でつつんだ団子)を土産にひょっこり帰ってきました。お光は、「赤子を産むが絶対に見ないで」と言い残し納戸に入っていきました。が、つい中を覗いてしまった母の目に映ったのは湯につかる大蛇でした。「私は大蛇のもとに嫁いだのです。知られずにいたなら時おり帰ってこられたのですが。土産の粽は長持ちするのでそれを売って生活して下さい」とお光は言い、粽の作り方を伝えると、黒部川の水底に沈んでいきました。

 より詳しくは、若干、違う話になっているが、下記などを参照のこと(以下の両者の典拠(引用元)は「愛本伝説・お光姫物語絵図」(原作:柴垣光郎)であるようだ):
黒部川伝説・大蛇とお光
ゴッホと浮世絵 花魁-shieさんのブログ

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→ ゴッホが模写した池田(渓斎)英泉の『花魁』(「浮世絵春画(枕絵、艶本)の展示室」より)

 ちょっと驚くべきは、「愛本姫社のご神体は江戸時代の浮世絵師、池田英泉(いけだえいせん)が描いた「花魁(おいらん)」の版画で、この版画はゴッホが模写したことで有名になりました」という点(「黒部川」より)。
 英泉及びそれを模したゴッホのの版画の両方を「ゴッホと浮世絵 花魁-shieさんのブログ」にて見ることができる。

 さて、上掲の「「赤子を産むが絶対に見ないで」と言い残し納戸に入っていきました。が、つい中を覗いてしまった母の目に映ったのは湯につかる大蛇でした」といった民話(伝説)を一読すると、古事記の須佐之男命(スサノオノミコト)や八俣の大蛇(オロチ)伝説を連想する。
 あるいは、「トヨタマヒメ - Wikipedia」伝説を連想しないわけには行かない。
 つまり、「天孫・邇々芸命が大山津見神の娘木花佐久夜毘売との間にもうけた火遠理命(=山幸彦)と結婚し、鵜茅不合葺命を生む。出産の際に古事記や日本書紀一書では八尋和邇(やひろわに)の姿、日本書紀本文では龍の姿となったのを、火遠理命が約を違えて伺い見たため、綿津見神の国へ帰った」という有名な話である。

 こうした伝説・民話(神話)の背景には(その一つとして)古代の人を苦しめた暴れ川との戦いがあるものと思われる。
[ あとで思い出したのだが、昔は蛇がやたらと多かった。町とはいいながら実質農村だった地域に生まれ育った小生だが、小生がガキの頃など、庭だろうが、家の土間だろうが、ちょっと掘ったり、敷いてある板を捲ると蛇がウニョーと姿を現すのはしばしばだった。まあ、今は農道も舗装されているが、当時は土の道が当たり前だったし、まだそれほど農薬も使われていなかったから、なのだろう、か。いずれにしても、蛇に限らず、ほんの数十年前までは蛇やミミズやカエルやヒルやカタツムリ、ネズミ、天道虫……と、生き物が民家の近くでも随分と多かった。人間以外の動植物との、望ましい、あるいは必ずしも望まない共生が自明だったことも、物語を育んだ土壌として理解しておいていいのだろう。 (07/03/20 追記)]
愛本のちまき」なる民話(伝説)も、富山に神通川など数ある暴れ川の一つである黒部川にちなむものなのである。
(富山は近代になっても、地震などの結果、新たな暴れ川・常願寺川を抱え込むことになる。「治水事業が県予算の8割を占める年もあ」ったりするほどの!)

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