生きるとは今日を限りの回り道
つい先日、小生の知るある方が亡くなられた。直接、会う機会は近年、まるでなかったのだが、逝去の報を昨晩、電話で聞いて、がっくりきている。
そういえば、昨日は、「朝まで待てない」(作詞 阿久悠・作曲 村井邦彦)や「たどり着いたらいつも雨降り」(作詞・作曲 吉田拓郎)などのヒット曲(ボーカル)や役者としても有名だった「鈴木ヒロミツ」氏の訃報を聞いたのだった。
享年60! 若い!
今日は、何も書く気になれない。
なので、以下、ネット上のみではあるが、心情的には深い付き合いのあった(少なくとも小生は勝手にそう思っていた!)、小生にとってはヒロインだったある方の訃報を聞いて書いた追悼文、あるいは、その頃書き綴った葬送、あるいは死を巡る随想といった文章群の中から幾つか転記する。
思えば、小生はこの女流作家さんに刺激を受け、随分と創作意欲を掻き立てられたものだった。彼女と創作の応酬をしたりもしたが、それ以外にも、彼女と交流があった一年前後の間に百を越える掌編を書いたものだった!
誰にも遅かれ早かれ、生きるという回り道などできなくなる日が来る。
だからこそ、その日その日を大事に、とは思うけれど、時にはしんみりしてしまうのも、仕方ないよね。
この17日、ネット上のヒロインが亡くなられた。
才能に満ちた女性だった。何かのキーワードを得ると、すぐに小説のアイデアが浮かぶという着想の豊かな人だった。
初めてお話を書いたのは、小学校の5年のときだったという。読書感想文などで、小学生時代から受賞歴多数。夜、眠りにつく前に布団の中で考えることは、小説の続き、という人だった。死ぬまで小説を書きつづけると言っていた。まさに創作の申し子のような方だった。特に童話や児童文学が得意な方だった。
好きな小説は、カフカの『城』。好きな映画は、『スタンド・バイ・ミー』。好きな漫画は、楳図かずおの『ママが怖い』という人だった。
宗教については、何を信じようと自由と答え、世界平和は実現しないでしょうと答え、超能力やUFOについては、何があっても不思議ではないと答える人だった。
本については、他人の触った本は気持ち悪いからと、新刊で買うという人だった。恋人はいますか、という問いには、キンセンガメのカメ子ちゃんと答える人だった。
何をしているときが一番楽しいですかという問いには、本を読んでいるときと答え、あなたの人生の支えはなんですか、という問いには、自分自身と答える人だった。
どうして小説を書くのですかという問いには、書かずにいられないと答え、小説を書いていて嬉しい・楽しいときはどんな時ですかという問いには、書くこと自体と答える人だった。
多くの懸賞サイトに応募し、その幾つかには入選し、大賞を、佳作や奨励賞を受賞された。あるいは選外となることもあったが、そんなことにめげるような人ではなかった。常に前向きの人だった。明るさを装い、実際、明るい人だったけれど、でも、その一方ではとても繊細で孤独な方だったに違いない。
どこかせっかちなところがあって、その性格が小説作りにも現れていた。何か着想が浮かぶと、とりあえず創作に着手してしまう。彼女の目には、はるか遠くの山が、すぐそこにあるかのように思えてならないのだ。手を差し出せば、簡単に届くかのように思えてならないのだ。そう、感じたら、居ても立ってもいられなくなってしまうのだ。
けれど、創作など、そんなに甘いものじゃない。いざ、書き出してみると、恐らくは、ご自身は、あまり多くは語らなかったけれど、どう表現すればいいのか、どんなふうに話を展開したらいいのか、さんざんに呻吟したに違いない。
その創作の過程において、彼女の繊細の精神が発揮される。妥協を許さない創作魂が熱を帯びる。アイデアという目の前にぶら下がったニンジンを何処までも追いかけるんだという前向きの姿勢が、彼女を駆り立てる。
創作を開始する上での資料を集めようとは考えなかった。とにかく、表現したい、書きたい、ストーリーを考えたい、登場人物を生き生きと動かしたい、読む人をあっと言わせるような意外性のある世界を創出したい、読む人を心底から楽しませたいという、ひたすらにその願望というより渇望で創作の世界に飛び込んでいったのだ。
彼女の中には、何か、いい意味で成熟していないものがあった。だからこそ、童話や児童文学に深く関心を持ち、自身、そうした分野での創作を楽しんだのだろう。
未熟な心。大人になっても、大人になりきれない初心な心。
が、それは、しかし、思慮に欠けるとか、経験が足りないとか、世俗に塗れるのが嫌いだとか、幅広い交流が嫌いだとか、まして、人間が嫌いということでは、決してないのだ。
そうではなく、人間の可能性を、そして物語の可能性を信じたいということをこそ、意味しているのだ。殺伐とした現実の世界に絶望したり、世間って、こんなものだよと決め付けることは、案外と楽なものだ。一旦、決め付けたなら、あとはもう何も考えなくていい。迷わなくていい。白黒がハッキリする。なんて楽なんだろう。
しかし、大人になり成熟し、人間の怖さを知り、多くの大人が安逸に堕して行く中で、敢えて子どもの心を持って世の中を、そして人間を見つめ、そして感じるというのは、とんでもなく勇気のいる所業、覚悟の要る難行なのだ。
心と体の表面にバリヤーを張って、そして外界のどんな刺激も撥ね付けて生きていけたら、どんなに楽なことだろう。
が、凝り固まった成熟を選ばず、どこか未熟な心を心中に秘する人は、表面の勝気や言動の辛辣さにも関わらず、というより、むしろ見かけとは逆に内面に弱いもの、柔らかなものを抱きつづける。その心の可能性を信じたいからこそ、もう、これ以上、心をカラカラに乾かせたくないからこそ、表面は辛辣だったり、世の中に対してニヒルだったりするのだ。
実際、時にニヒルを装う彼女は、そんなふうにして、自分のともすれば砕けやすい心を守っていたのではなかろうか。
二十日には、告別式が営まれ、火葬もされたとか。
棺の中には、彼女が愛用していた香水を含ませたスカーフ、手紙と、掲示板などへ多くのファンの方々の膨大な書き込みをプリントアウトして収められていたとか。
今ごろは、彼女のこと、あの世でせっせと返事を書いていることだろう。
ネットの世界の死は歯痒いものだ。真相が分からない。自分で確かめに行くことも出来ない。情報を待つだけ。本人ではなく、娘さんによる報せを待つしかなかった。最後の最後まで嘘か間違いか、悪戯であって欲しいと願っていた、のに。そして、多くの彼女のファンの方たちは、実際に彼女に会ったことはない。その人の顔、表情、仕草、髪、服装、歩く姿、後ろ姿、手の温み、踵の動き、肌の色、爪の色、身長、体重、正確な年齢、日常の交遊関係、その全てを(間接的にしか)知らない。
でも、長く、ネットを通じてであっても、付き合っていくと、自然と人柄が偲ばれてくる。人格が透けて見えてくる。ちょっとした化粧や見栄など、剥がれ落ちていく。いつしか、心と心が通い合ったり、励ましあったりする、そんな現実の存在していることが、ひしひしと感じられる。
パソコンを通じた、虚の世界ではなくなり、はるか彼方(あるいはすぐ身近なのかもしれない)の相手の存在が気になってならなくなる。自分のことを気にしてくれているか、気になってならなくなる。
最後の最後に残るものは、気持ち。心。
彼女の現実の活動は、もう、この世では展開されることはない。けれど、ネットの空間に残った彼女の文章、彼女の巻き起こした波紋は、幾重にも波が重なって、無数の人々の心に伝わっていく。
そう、一旦、この世に生じたものは、消えないのだ。志しあるものがあとに続く限りは。
合掌。
(03/10/23)
「回り道」
小生はモノを書くのが好きだ。少なくともありとあらゆることを(ちょっと大袈裟)書こうとはする。音楽も絵画も映画もテレビも、写真も、スポーツも好きだし、遊ぶことも好き。女性だって性懲りもなく好き。女性なしじゃいられない(なのに女性のために苦しんでばかり)。
文章を書く時、一番感じることは、書こうとしているテーマに対して、否、もっと言うと、この世のありとあらゆる事柄に対して文章も、そして言葉も決して太刀打ちなどできないという無力感だ。
雨のひと雫さえ描くことは出来ない。せいぜい雫とか水滴とか、一粒の涙だとか、つまりは描いているのではなく、先人が織り成した言葉を持ち出し綴っているだけのこと。真珠のネックレスじゃないけれど、自分にできることは真珠に糸を通すこと、その際、せいぜい真珠を傷つけないようにすること、真珠の輝きを損ねないように気を使うことくらいのもの。
言葉が無力だという感覚は強烈なものがある。音楽を聴いて感動して、どうしてそれが言葉に置き換えられようか。雨上がりの軒先から一滴、また一滴と垂れ落ちる雨の雫をどう表現できよう。女性の肌の輝きを言葉で表現できるはずがあろうか。せいぜい、叙述の妙で読み手の想像力(妄想力)を刺激する技を磨くまでのことだ。
その絶望的な無力感から全ては始まる。そう、何を書きたいとか、書きたいテーマがあるとかではないのだ。書く当てもなく空白の画面に向うほどの快楽があるだろうか。マッサラな、雪の日の未明の原という空間に自分だけが足跡を付ける、この愉悦!
まして、自分の中の書かねば、書きたいという衝動は、空白の空間が怖いから、言葉で埋め尽くすというのとも違う。耳なし芳一のように、万が一にも言葉で塗り込め忘れたアリの一穴のような洩れがあってはならないというのとは、ちょっと違うのである。
ある不可思議極まりない感覚。世界がそこにある。自分のすぐ目の前にある。だけど触れることも見ることも叶わない。あるいは叶っているのかもしれないが、すぐに求めたモノとは違う! と感じてしまう。その不可思議さというのは、女性の魔力や自然の風物の魔的なほどの懐かしさと癒しでさえも及ばない、絶望的な官能の海。真っ赤な海。ほとんど漆黒の闇ほどに深紅の闇の海。
何が不思議といって、何かがあるということ自体の不可思議さほどに凄まじい神秘などない。いや、賢しらな人間なら色即是空などと悟ったようなことをのたまうのに違いない。
そう、確かにこの世の一切は、あってあるものでありながら、なのに風前の灯火よりもっと儚く消えゆく定めの下にある。消えていくために生まれる幻の時の川。
けれど、かの哲人を気取るわけではないけれど、疑っても、どんなに疑い尽くしても、その疑っている自分のその思いそのものの存在までは疑いきることはできない。思い感じ考え嗅ぎ味わい求め懇願し切望し絶望し歓喜し愉悦に嗚咽する。その営みの数々の切なさと空しさを痛感しつつも、その都度の切迫した心の痛みを否定し去ることはできない。
この世は空しいほどに切なく厳しく痛くある。あってあり、消え行くものとして、つまり色即是空として空即是色としてありつづける。
そう、人は幻の存在までは否定できないのだ。
妄想をどう、否定するというのか。
言葉とは何だろうか。空中に幻のように浮かぶ楼閣へ架ける階(きざはし)の、その煉瓦ブロックの一欠けらほどには確かなものなのだろうか。言葉を積み重ねれば積み重ねるほど、足場から、まして大地からは徒に離れ行くばかりだと思い知りながら、でも、その営為を続けてしまう。
言葉は時に人間の心を突き刺す。心の肌を食い破る。血を流させる。相手を刺すだけじゃなく、刃を握るものをも同時に突き刺してしまう。握る柄(つか)の部分に至るまで刃であるような、それほどに危険な諸刃の刃、いや、切っ先しかない刃なのだ。
けれど、気持ちが萎えると、刃は途端に竹の棒、それどころか形だけは刀だが、実は古びた長っ細いだけの風船に過ぎなくなったりする。
自分は一体、何を書いているのだろう。何も書いていないのかもしれない。決して沈黙と空白が怖いわけでもない。孤立に耐えられないわけでもない。
書くとは、より一層の闇夜への誘いのような気がしてならない。
書きながら考える自分には、道の先など見えるはずも無い。目の前に、それとも脳裏に、すぐにも差し出した手に届くかと思われるほどに鮮やかな幻。あの似姿。あの消え行く影。そこに真実はあるという悪魔の囁き。そんな甘い唆しに踊らされて、さて、自分は一体何処へ行こう。
そう、何処へも行きはしないのだ。結局は、めぐりめぐってはるかに遠い、生まれいずることもなかった未出現の海の浜辺に立ち戻ってしまうような予感がする。こんなことなら最初から無為な旅などしなければよかったのだ。どうせ無に還るなら、無のままでどうしていられなかったのだろう。
それともその空しさをトコトン味わうために、自分は回り道をしているのだろうか。言葉を綴れば綴るほどに遠くなる回り道を。
(04/01/13)
正月早々、葬送の話など縁起でもないと思われるかもしれない。
でも、たまたま正月に田舎で見たテレビ番組で、死を間近にしたり、あるいは強烈に意識したり、そうでなければ、死去という悲しい別れを体験したりといった話が扱われていたので、ついつい、では、もし自分が死んだらどうなるのだろうなどと、チラッとだけれど考えてしまったのである。
といっても、死とは何かという重いテーマを扱うつもりなどない。ちょっと小生には荷が重い。まあ、せいぜい死の形、もっと表面的には埋葬の形・方法ということであれこれ見てみたいと思うだけである。
自分が死ぬ時、どんな形式が一番、望ましいか。折に触れて考えたことがあるような気がするが、今一つ、現実的に考えたことはなかったように思う。逆に切羽詰っていて、本当に死に直面した時は、埋葬の形どころではなくて、死に物狂いの苦しみに七転八倒するばかりだった。
結局のところ、埋葬の形は、必ずしも慌しくないしかるべき時に、つらつら思いをめぐらしておくのが、いいのかなと思う。で、正月など、年も改まったことだし、思いを新たにする意味でも、そんなことを考えるには最適ではないにしろ、そんなに見当違いでもないと思ったわけである。
埋葬の形としては、それこそ千差万別とまではいかないにしろ、大まかに分けても数種類のものがある。水葬に、風葬に、火葬に、空葬、土葬である。こう並べていくと、ちょうど、宇宙の根元が列挙されているようである。
つまりは、人間(に限る必要はないのだろうが)が還るべき場所は、土(地)、水、風(火、または空)、以外にはないということなのだろうか。尤も、近い将来は、宇宙葬なんてのも加わりそうだが、まあ、これは、大きな意味での風(火、または空)葬ということになるのかどうか。
さて、別に殊更に説明などする必要もないだろうが、土葬、水葬、風葬、火葬、空葬などについて、簡単に見ておくほうがいいだろうか。
今でこそ葬送の在り方としては日本においては火葬が当たり前になっている(土葬なども行われているが)。というか、都会の人、あるいは若い人にとっては、火葬以外の葬送の方法など目新しいか、不思議な光景に映るかもしれない。特に、土葬というと、何か不気味な印象さえ受けかねない。
小生にしても、火葬が葬送の方法としては当たり前だと思い込んできたので、土葬など、何か時代錯誤のものか、そうでなければ山間僻地か離島での消えつつある野蛮な風習くらいに思っていた。
死骸が土の中で段々に腐って、やがて蛆や細菌どもの餌食となり、ついには土に還るのだとしても、何処かやはり不気味なのだ。この不気味さという感覚は、胸のどこかに死骸など早くこの世から消えてなくなって欲しい、できればそもそも人間の死体など目にしたくないという嫌悪感さえなくはないように思える。悲しいが、正直な感覚なのだ。
けれど、この土葬は、一世代か二世代前までなら、当たり前の葬送だったことも事実である。そもそも火葬に付すなど、ちゃんとした火葬場が整い、かつ、その火葬場に葬送を依頼できる経済的余力も必要で、貧しい時代には、宗教的には既に常識の範疇に入り込んでいたとしても、大方の庶民には縁遠い方法だったのかもしれない。
しかし、その土葬にしても、ただ、死骸を穴を掘って放り込むわけじゃなく、ご遺体はちゃんと棺桶に収まっていて、何処の所定の場所に埋葬するにしろ、その棺桶がきちんと土の下に隠れるほどに掘る必要があり、なかなかの労力が必要だったはずなのである。
恐らくは、棺桶が一般化する前は、死骸が何かに巻かれたりして、そのまま葬られたのではないかと推測される。この辺りは、また別の機会に調べてみたい。 容易に想像が付くように、この棺桶のままに土葬するという方法は、狭い日本においては、用地確保の面からもなかなかに困難が伴っただろうと思われる。早晩、死骸が土に還るまで余り人は近づけないことを考えると、棺桶を収める土地だけではなく、衛生上の問題も含め、一定以上の近付き難い領域を確保しておく必要があるのだし、土葬は現実的な方法ではなくなる宿命にあったのだろう。
さて、昭和のある時期、埋葬法の改正もあって、土葬が火葬に切り替わっていったという:
「海洋散骨・自然葬 やすらか庵 土に還る」
このサイトにもあるように、土葬だと、人が死ぬと土に還るということがつくづくと実感されたことだろう。それが火葬になると、火葬場の煙突から煙が出て、ああ、人が死んだら煙になるんだな、残るのは灰と骨だけなんだなと思うしかなくなってしまった。人が死んだら、煙と灰と骨。土に還るというのは、幾分、遠い感覚になってしまったわけである。
水葬というのは、多くは海での葬送である。といっても、さすがにご遺体がそのまま海に流されるのではなく、火葬に付された遺骨が流されるわけである:
「海洋散骨・自然葬 やすらか庵 海に還る」
空葬に移る前に風葬に触れておこう。風葬というのは、遺骸を山のどこかに置き、鳥などに処理を任せることになる。つまりは鳥葬ということだろう。仏教では鳥葬を風葬と呼び慣らしているのではなかろうか(誰かご教授願いたい)。
鳥葬というと、誰しもチベットを思い浮かべるに違いない。何かの写真集で鳥葬を、つまりは鳥が死骸の腸(はらわた)などを啄ばむ様子を見て、ショックを受けた覚えがある。なんて残酷な風習だろうと思ったものだったが、鳥に死骸を食わせるというのは、つまりは風に還らせるという意味合いらしいのである。
この鳥葬(風葬)の様子を実見した記録を以下で読むことができる:
「チベット旅行記(下)」(河口慧海)
さて、空葬は風葬に近いように聞こえて、実際はまるで違う。ヘリコプターやセスナをチャーターし、空に散骨するわけである:
「海洋散骨・自然葬 やすらか庵 空に還る」
このように見てくると、少なくとも日本に関しては、埋葬(葬送)の場所は、空や海、土といろいろあっても、基本的には火葬が葬送の根本にあることには変わりがないようである。
つまり、まず、ご遺体を荼毘に付す、イコール、火葬にする。その上で、本人の希望で遺骨が海か空か土に散骨されるわけである。
ということは、遺骨にこそ、亡くなられた方の魂なり思い出なり思い入れなりがあるということなのだろう。が、幾度も参照しているサイトを改めて参照すると、「骨には魂は付着してい」ないのであり、「よく考えてみれば、水や火・風・空の要素は完全にお返しして何とも思わないのに、骨だけにこだわるのはおかしなこと」なのである:
「海洋散骨・自然葬 やすらか庵 魂と肉体」
ただ、そうはいっても、肉も血も髪も(遺髪を残せば別儀だが)爪も皮も内臓も全て灰燼に帰してしまい、残るのは遺骨だけという現実からしたら、そしてお墓も小さくなる一方なのだとしたら、僅かな遺骨を大事にするしかないということなのだろう。
遺族がいて、遺骨を多少なりとも大事にしてくれるなら、また、そうされることを望むなら、その慣習の流れに乗るのが心の平安に繋がることでもあるのだろう。
が、宇宙から見たら、海だろうが空だろうが土だろうが、大した違いなどないということも事実に思える。それだったら、どうせ遺骸は火葬されるのだし、遺骨が空葬されようがどうしようが関係ないということでもあるのかもしれない。
それとも、遺骨などではなく、DNAを遺しておこうか。
一体、この世に何が残るのだろうか。そもそも何か残したいのだろうか。この掛け替えのない自分。確かに自分というのは一人しかいないし、段々自分のことを気遣うのは自分しかこの世にないのだと、しみじみと感じてきている。
だから、その意味で世間に迷惑を掛けないよう自分のことは自分で始末をつけたいとは思うけれど、さて、それも生きている間のことで、その後のことは、どう思えばいいのだろう。
ここで思うのは、一頃流行ったカオス理論でのバタフライ効果って奴である。 まあ、正確さなど一切、度外視して説明すると、逐一の些細な差異が、継続して加算・加重されると、後に至っては非常に大きな違いとなる、という理屈である。
で、敢えて卑近にも自分のことを思うなら、ここ、この世の片隅に一個の平凡なる人間がいる、それは極小の小宇宙に過ぎない。そして、その取るに足りない人間のささやかな思いや願いや祈りや期待など、それこそ蝋燭の焔であって、気紛れな風の一吹きで掻き消されるような、存在自体があやうい、あれどもなきが如きものでもある。
けれど、そのちっぽけな存在者の小さな窓からは、その気になれば宇宙だって見えるし感じることもできる。窓の隙間からは、隙間風だって吹き込む。その風は、宇宙の隅々に吹き渡るものであり、無辺大の宇宙のどんな片隅をも吹き渡り撫で来り、その臭いを嗅ぎ、そして運ぶ。
ここにいる<わたし>が思うことは、つまり、決して消えることなどありえないのだ。一滴の血の雫が海に溶ければ、限りなく拡散し、海の青に染まり行くのだとしても、だからといって血の一滴が消え去ったわけでもなければ、まして無くなったわけでは決してないのだ。
形を変え、色を変え、結びつく相手を変えて、永遠に生きる。一旦、この世に生じたものは決して消えない。消すことは叶わないのだ。一旦、為した善事も悪事も無かったことに出来ないように。
だから、自分というちっぽけな人間が、世の片隅に生きて、平平凡凡と生きようと、その心と体の中に何事かを祈念する思いがあるなら、既に永遠の命が約束されたも同然なのだ。なぜなら、一旦、この世に生じたものは、なかったことにすることなど人間には不可能なのだから。
だからこそ、祈り、というのは、奇跡の営みなのであろう。祈りを知る人こそ、人間の究極の業(ごう)を知る人なのだろう。人間とは、つまるところ、祈りなのだと小生は思っている。
この世のどこかに何かが萌す。それは命の賛歌なのか、生への盲目的な意志なのか、その正体など誰にも分からない。
ただ、一旦、萌した命の芽吹きは踏みつけにされ命を断ち切られたとしても、この世からは消えることは無い。消えたように見えても、また、どこかに生まれる。踏み躙られた苦悩と恨みと望みとが、生まれいずることのなかった命への執念を以って、再びどこかに萌す。
そしていつかはどこかで大輪の花を咲かす。萌し、やがては芽吹き、花が咲くというのは、夢物語ではなく、宇宙の摂理なのだと小生は思っているのだ。
(04/01/05 記)
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