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2007/03/30

一杯のコーヒーが紡ぐもの

一杯のコーヒーが紡ぐもの (○月×日)

 学生の頃を含め、喫茶店でも自宅でも日に何杯と飲んできたコーヒー。

 なのに、ある年代を過ぎてからは全く飲まなくなった。
 というか、十年近く前だったか、帰省の折に、ふと、茶の間に瓶入りのインスタントのコーヒーがあることに気付いた…ぼんやりと。

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← Bob Dylan『Desire 』([Original recording remastered]、Columbia) この中に『コーヒーもう一杯(One more cup of coffee)』が収められている。「Amazon.co.jp 通販サイト」より。

 なんと父母が朝の目覚めなどに飲むのだという。
 父はシュガーとミルクを入れる。
 母は体調もあってか、ブラックで飲む。 但し、薄め。

 何年か前の或る日、父母が小生にも飲まないか、と言う。
 小生が知る限り、昔は父母はあまりコーヒーは飲まなかったはず。
 そんな父母が毎日、モーニングコーヒーを飲んでいる!

 あるいは何度となく父母に一緒に飲まないかと勧められていたのだろうが、或る日、何か、バイオリズムでも合ったのか、父母のその一言で、小生、そういえばあれほど毎日欠かさず飲んできたコーヒーを飲まなくなっている自分にはっきりと気付いたのだった。

 しかも、勧められてもなかなか飲む気になれない。それがまた不思議。
 なんとなくコーヒーを飲むのを渋っていた。父母が朝、起き掛けに飲むということなので、帰省の折には瓶からコーヒーの粉を瓶の蓋に少々開けて量を加減し、湯呑み茶碗へ。
 ポットのお湯を注いで父母へ湯呑みを回す。
 父はシュガーとミルクを入れ、母は薄めのブラックで飲む。

 父母が朝や昼間などにコーヒーを飲む習慣になっていることに気づいてから数年は、小生は敬遠していた。煎れてくれたら仕方なく飲むこともあったかもしれない。

 飲まないというのに、父母は郷里からの小包にインスタントのコーヒーを同梱してくる。
 東京に一人在住の小生は、やはり、飲まない。瓶入りのコーヒーをそのまま棚に収めてしまう。

 次第に箪笥に封を切らないコーヒーが溜まる。

 それでも、とうとう、一昨年からは郷里で、そして昨年末からは東京の自宅でもコーヒーを飲むようになった。
 郷里で飲むのは、どうせなら父母と三人、一緒に飲んだほうがいいのかな、という程度の動機。

 東京の自宅では、とにかく、溜まっているインスタントコーヒーを捨てるのも惜しいから、一本でも減らそうと。
 恐らく、郷里で付き合いで飲んでいるうちに、少しずつ習慣付いてきたからなのかもしれない。

 それにしても、どうして、コーヒーを飲む習慣がいつしか消え去ったのだろう。
 体質の変化? 友達とあまり外で外食や喫茶へ行かなくなったから?
 やたらと忙しくて、自宅では碌に買い物にも行けず、インスタントのコーヒーの買い置きをする余裕もなくなったから? 仕事のストレス、友人の勉強会の手伝い、夜半過ぎの骨身を削っての創作…。
 気が付いたら、自宅では仕事の疲労もあって、ベッドで寝たきりの生活が続いていた。
 カーテンも、たまにある休日でさえ、閉め切ったまま。
 開ける気力さえ萎えていた。

 大きく言えば、時代の変化もある。90年をピークとするバブル経済とその不意の破裂・破綻。
 小生も経済的に一気に奈落の底に落っこちてしまった。
 音楽シーンで典型的に且つ象徴的な形で変化が垣間見られるが、それまでの専門の作曲家、専門の作詞家(専門の編曲家)、専門の歌手、老若男女を問わず誰もが知っている歌手名、そして曲名。年末の紅白で揃い踏みとなる歌手も大体、大方の予想通りだったりする。
 それが、バブル経済の破裂と経済破綻以降は、マニアックなアーティストが増えた。ヒット曲も少なからずあっても、誰もが口ずさめる歌は皆無に近くなった。蛸壺的な、個々バラバラのジャンル・年代毎に、その中の内輪だけでのみ知られているようになってしまった。
 煙草を燻らし、一杯のコーヒーを目の前にレコードを回してもらいながら、何時間も粘る、コーヒーだってマスターが拘って煎れる、そんな喫茶店らしい喫茶店などドンドン、潰れていったし、コンビニやゲームセンター、カラオケ店などに変わっていった。
 町の小さな古書店や書店もドンドン潰れていって、気がついたらコンビニになっていることに気づかされたり。


 一杯のコーヒーの紡ぐ時間には不思議な豊かさがある。
 そのことを父母の珈琲を喫する習慣のお陰で改めて再認識させてもらっている。

 まだまだ棚には未開封のコーヒーが残っている。
 それらを飲み干すまでは時間がたっぷり必要だ。
 それらの時間は、きっと濃厚で静かな、心豊かなものとなるだろう。


コーヒールンバ(○月△日)

 小生、学生になった時(高校を卒業した時)、友達の影響もあったし、真似してみたかった…大人ぶりたかったからだろう、煙草と珈琲を始めた。
 お酒も付き合いで少々。
 お酒は今も、付き合いでビールかチュウハイを一杯か二杯だけ。あとは惰性。

 煙草は学生時代ずっと吸っていたけれど、卒業間近の春、思いっきり体を壊した(原因不明)。一ヶ月寝込み、直りきらないうちに無理してバイトへ行って、さらに壊したっけ。
 なんとか卒業間際に快癒はしたのだけれど、まあ、卒業の記念に(全快祝いに?)煙草は止めた(その後の数十年で2本、吸ったかな)。

 珈琲は社会人になってからも飲み続けた。
 小生のは、珈琲というより、シュガー入りのミルク珈琲!
 サラリーマン時代に、気取って(?)ドリップに挑戦したが、すぐに面倒になって止めた。小生には似合わないと痛感。

 小生、ホント、いつから珈琲を飲む習慣がなくなったのか覚えていない。
 郷里の茶の間での父母らとの出来事で、気付いた次第。
 まあ、80年台の終わりか90年代早々には飲まなくなっていたような(外出の際には注文することもあったけど、やはりココアが多かった)。
 体質の変化だったのだろうか。
 90年の初め頃から次第に体に変調をきたし、年に2キロずつ体重が増加。高校三年から35歳まではずっと62㌔だったのが、気が付いたら80㌔を越えてしまった!
 ウエストも76cmから太っても78cmだったのが、気が付いたら100cmに!
 体型が変化したその時間はというと、十年を経過していない。

 その頃に珈琲を準備するのも億劫になってしまった…ような気がする(断言はできない)。
 残業が多く、帰宅が遅く、且つ、友人の仕事の手伝い、創作と寝る時間が日に三時間もない日々が何年も続いたのだ。
 ごくたまに缶コーヒーやパックの牛乳を飲むかどうか。
 お茶も葉っぱを薬缶で煮出して飲んだ時期もあったけど、それもその体質変化の頃に面倒で放棄してしまった。
 もともと、食事は量は摂っても質の面では、かなりの偏食家だった。一人暮らしということもあって、身近に誰も栄養面で(も)注意を喚起する人はいない。栄養バランスは、崩れっ放しで四半世紀以上を過ごしてしまってきたのだ。

 思い返してみると、89年までは仕事は現場仕事だった。一日のうちで椅子などに座る時間は、まさに食事と休憩時のみ。それが、89年の初頭からは書類作成などの事務仕事に変わった。
 会社では体を動かす必要性が皆無に近くなった。仕事が急がしく、付き合いも減って、月に一度か二度のテニスもしなくなった。疲労困憊していて、帰宅しても寝るだけ。
 碌に運動もしないのに、89年までの食習慣が事務仕事に切り替わってからも変わらない。
 夕食(残業で帰宅が遅いので、実質夜食だったが)は、二合焚いて、二合とも一気に食べてしまう(その頃は、食べ残した御飯を冷凍保存するという知恵がなかった。焚いたら、その分を一回の食事で食べつくさないといけないと思い込んでいたのだ)。
 しかも、肉野菜炒めを調理し(このオカズがまた山盛り)、ご丁寧にも具沢山の味噌汁も啜る。
 夕食(夜食)だけで、これだけ食べるのである。
 肉体労働時代の名残もあって、朝食は毎日必ずしっかり食べる。昼食だって仕出し弁当だったがちゃんと食べていた。

 これじゃ、太るはずだ。
 多分、そうした目茶苦茶な生活が(仕事のストレス、会社での窓際族化、友人も遠ざかって行った、食事は不規則且つメチャ喰い、自宅では寝たきりの生活、などなど)続いた数年のうちに、珈琲を飲む習慣を知らず知らずのうちに奪い去ったのではないかと思われるのである(あくまで推測の域を出ない)。

 今はお茶と牛乳がメインだけど、珈琲も毎日、飲んでいる。
 そう、田舎から送ってきた瓶入りのインスタントの珈琲が数本あるから、飲みつくすまでは、飲み続ける(今は、砂糖は入れない。牛乳を少々入れるけど。これはお袋の珈琲の飲み方に影響されているようだ)。

 この呟き風な日記を書く切っ掛けをくれた方は、「1975年のボブ・ディランのアルバム『欲望』に収められている『コーヒーもう一杯(One more cup of coffee)』という曲」を勧めてくれた。
 ボブ・ディランは学生時代、ビートルズと並んで聴き浸ったアーティストだ。

 小生の年代だと、珈琲に絡む歌というと、なんと言っても、西田佐知子が歌ってヒットさせた「コーヒールンバ」!
小生、西田佐知子さんの大ファンなのだ。最初に惚れた女(芸能人)だった(「西田佐知子篇」参照)。
「コーヒールンバ」のことなら、(「Audio-Visual Trivia for Movie & Music コーヒールンバ ♪ Moliendo Cafe」!!)

 コーヒーの歌というと、他に、「一杯のコーヒーから」(藤浦洸作詞・服部良一作曲)ってのもあった。
 ちょっと古過ぎる?
 でも、懐メロではテレビやラジオでもよく架かる!

珈琲を飲む習慣(3月29日)

 珈琲を飲まなくなった数年(十年かも)の間に失ったものは大きかったような気がする。
 あるいは、何かを見失ったからこそ、珈琲を喫する習慣をも忘れ去ってしまう結果になったのかもしれない。
 珈琲の香り。珈琲茶碗とスプーン。一杯の珈琲が醸し出す時間の濃密なこと!

 昨年からかなり意図的に再開した珈琲を喫する習慣だが、なんとなく、もう、二度と手放すことはないという予感がある。意地でも時をゆっくり過ごしたいと思っているのである。
 せめて、珈琲を飲まなかったあの頃に自分が何を失ったのかに気付くまでは、この<習慣>を続けるに違いない。

(以上、某SNSサイトで書いた日記から若干の手直しの上、アップさせました。)

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コメント

私は、毎日朝食の後インスタント珈琲を飲んでいるが、思えば昔、若い頃はハイカラがってあちらこちらの喫茶店巡りをしていたものである。
それが何時のころからか、自宅でのインスタントで済ませるようになった。
歳とともに出無精になった事もあるのであろう^_^;
今となって、昔のそのエネルギーを不思議に思う(=^・^=)

投稿: 吾亦紅 | 2007/03/30 20:37

ボブ・ディランは、かつて私も厭というほど聴きましたね。
十五、六歳の頃はまさにディラン漬け。
家に遊びに来た友人にディランの曲を次から次へと大音量で聞かせたら、
「ボブ・ディランの押し売りやね」と言われましたとさ。。

投稿: 石清水ゲイリー | 2007/03/30 23:03

吾亦紅さん、来訪、コメント、ありがとう!

やはり、昔はいい喫茶店があちこちにあって、ジャズだったりクラシックだったりのLPが架かっていて、煙草なぞ燻らせて、無駄話(当人たちは結構、マジだったけど)に花を咲かせたり。
小生などはそうした世代の最後なのかな。

>歳とともに出無精になった事もあるのであろう^_^;

なるほど、単純にそういうこともあるかもしれないですね。
デブ症…じゃない、出不精。
そういえば、小生、家の事情もあって、最近はネットでも人様のサイトに口を挟む機会が減っている。
ネットでも出不精じゃ、困りますね。
マイペースでいろんな交流をしていきたいですね。

投稿: やいっち | 2007/03/30 23:12

石清水ゲイリーさん、コメント、ありがとう!

ボブ・ディランは、小生は学生になってから。自宅ではラジオのみが友達だったので、クラシックからジャズからロックから歌謡曲まで聴きまくりました。
でも、ポピュラーというと、ビートルズ(これは中学の頃から)とボブ・ディランに止めを刺す。
あまりLPなど買わない人間だったのですが(学生の頃、何年目だったかにやっと中古のプレーヤーを買ったっけ)、ビートルズとボブ・ディランは買った。後にテープも。
何故か無性に聴きたかった!

投稿: やいっち | 2007/03/30 23:17

久々にカキコします(いつもROMですいません)
私もあれよあれよと10キロ太った事があります。
対人の仕事に就いてすぐ元に戻りましたが。
やいっちさんも、お客さんの視線を気にしてみる!?
ま~胃が痛くなりますけどね(笑)

ゆっくりした時間にコーヒー♪
「意図的に」でも「形から入る」のも良いと思います。
良い時間が過ごせる事を祈ってます~♪

投稿: ちゃり | 2007/03/31 00:00

ちゃりさん、来訪、カキコ、ありがとう。
嬉しい。
小生も詳しいことは書けないけど(家庭の事情)、多くのサイトを覗き見るだけになっている。いろんな方が覗きに来てくれていることは分かっているんだけど。

小生、こう見えても、客商売なのです。タクシードライバーだからね。

小生の場合、神経を使うと逆にストレス太りするみたい。
サラリーマン時代も営業で外回りが多くなって神経を使ったし。

そうはいっても、悪足掻きと思いつつ、チャリ通勤して少しは痩せた(と思いたい)。
コーヒー、飲み始めると癖になっちゃうね。ないと寂しくなるかも。
喫茶店でのーんびりできたらいいな。そんな喫茶店、今もどこかにあるんだろうか。

投稿: やいっち | 2007/03/31 01:45

今晩は。
コーヒーは父の想いで。
子供の頃、日曜日になると、父が手動のミルで
ゆっくり、ゆっくり豆を挽いて、パーコレーター
からかもし出されるコーヒーの香りを楽しむことを覚えました。
結婚した頃は貧乏で、豆を挽いてなど、贅沢でしたが、これだけはこだわって、今でも続けています。でもミルは電動、味気なくなりました。
朝のコーヒーは私には一日の始まり。
ゆっくり、音楽を聴きながらコーヒーを楽しめる喫茶店がなくなりましたね。
昔は、目白、池袋の喫茶店毎日のように通いましたが。寂しいですよ。
私はミルクも砂糖たっぷりの甘いコーヒーが本当は好きですが、砂糖を入れる人は見かけなくなりましたね。

投稿: さと | 2007/03/31 20:35

さとさん、来訪、カキコ、ありがとう。
ブログ、始められて一年を越えられたのですね。
毎日ではなくとも、折々、パソコン(机)に向ってあれこれ綴ることで、普通なら見逃したり、聞き漏らすようなことにも注意を払うようになりますね。

コーヒーにまつわる思い出、いろいろな光景が浮んでくるのでしょう。

小生も、一時はコーヒーサイフォンなど買ってきて、手間ヒマかけてみたのですが、どうやら性に合わないようで、インスタントに戻ってしまいました。
美味しいコーヒーは外出の際の楽しみ。
だったはずが、この十数年で一気に喫茶店がコンビニやゲーセンなどに改業。味気ないし、寂しい。
スタバなどは、どうも敷居が高い。

小生は今はコーヒーにはミルクを少々入れるだけ。慣れると、砂糖を入れるのが逆に億劫になってしまうから面白いものです。
実際は砂糖は疲れを取ったりして、頭や神経を使う人には大切な栄養分だと、いつだったかテレビでやっていたっけ。

投稿: やいっち | 2007/04/01 00:03

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