夢路にて古筝(こそう)から胡弓へと川下り
姜小青(以下、敬愛の意味を篭め、且つ既に社会的に高名な方だということもあり、敬称を略させてもらう)という名の中国古筝奏者を知っている人は多いのだろうか。
小生は全く知らなかった(少なくとも気付かなかった。気付かなかった、の意味合いはすぐに説明する)。
姜小青(ジャン・シャオチン)のオフィシャルサイト を覗いてみる:
「中国古筝奏者 姜小青」
「古筝(こそう)」
← 「悠 Breathing Spaces ジャン・シャオチン」(パシフィック・ムーン・レコード)
上掲サイトのプロフィールの頁や「ラサ企画ホームページ」などを覗けば、「北京出身。幼少の頃より古筝の英才教育を受け、8歳より著名な古筝演奏家曹正・劉維珊・項斯華・範上娥・張燕等に師事。中国少年民族楽器独奏コンクールで第一位、金賞を受賞し、15歳で、中央音楽学院(大学)に入学。在学中に中国の古筝五大流派である山東、河南、浙江、潮州、客家の伝統演奏を修得。」以下、彼女について詳しく知ることが出来る。
この頁の中に、「来日後、坂本龍一氏と出会い、アカデミー賞音楽賞受賞作品「ラストエンペラー」のサウンド・トラックに参加、同氏のアメリカ公演にも同行し高い評価を得る。」とある。
そう、知っている人は知っている!
小生も、テレビで映画「ラストエンペラー」(監督: ベルナルド・ベルトルッチ)は観たので、ああ、あの曲調だと気付かされた。
しかも、「ラサ企画ホームページ」によると、「「サントリー烏龍茶TV・CM」 の音楽担当」だという!
またもや、ああ、そういえば、だった。しかも、小生、日頃、サントリー烏龍茶を愛飲している。飲み始めて、もう、何年になることやら。
小生が図書館で借り出したのは、下記である:
「悠 Breathing Spaces ジャン・シャオチン」(パシフィック・ムーン・レコード)
収録してある曲:
01. 小夜曲 ノクターン・・・・NOCTURNE
02. 月光 ムーンライト・・・・MOONLIGHT
03. WINTER SKY ウィンター・スカイ
04. LULLABY FROM HOME ララバイ・フロム・ホーム
05. 落葉・・・・LEAVES OF AUTUMN
06. 朝露・・・・MORNING DEW
07. 湖光水面 ウォーターズ・エッジ・・・・WATER'S EDGE
08. TEARS OF THE MOON ティアーズ・オブ・ザ・ムーン
09. 小雨・・・・MIST
10. COSMOS コスモス
11. THEME FROM THE LAST EMPEROR ラスト・エンペラー
最後の 「ラスト・エンペラー」は坂本龍一、「落葉」は「作曲:吉岡一政 編曲:城之内ミサ」である以外は、全て、作曲・編曲ともに城之内ミサとなっている(ピアノでも城之内ミサさんは参加されている):
「城之内ミサ OFFICIAL WEB SITE」
実は、恥ずかしい話ながら、小生は他のCDを探していた。ネット仲間の方がブログの中で勧めておられたことがあるのだ。
が、CDのタイトル名(演奏者名)を覚えていない。
図書館のAVコーナーのラックには、カラのパッケージ(検索・保護・保存用)が並べられてあり、その背に演奏者名だったり、CDの題名が書いてあるだけで、詳しい情報(パンフレット)は、借りるCDのパッケージに添付されている。
→ 「ウォン・ウィンツァン 「たましいのトポス」」(「さとわミュージック」)
小生が借りたいと思っていたのは、下記:
「Wong Wing Tsan Home Page - Discography ウォン・ウィンツァンのCD」(「ウォン・ウィンツァン 「たましいのトポス」」などなど)
CD名もだが、ウォン・ウィンツァンという名前も(ピアニストなのだということも!)忘れている。
ネット仲間の方のブログの記事を読んだ時、メモして図書館で検索したのだが、他の多くのアーティストと一緒に収録されたものは一枚あったが、それでは面白くない。
在庫がない場合、本と違って、CDは購入希望のような形になり、まあ、待てば海路の日和…って具合になる。
ウォン・ウィンツァンと姜小青(ジャン・シャオチン)とでは明らかに違うが、それは並べてみればの話。しかも、図書館のラックにある検索というか物色用のパッケージでは男か女かも分からない。ジャン・シャオチンで女性だと分かるものなのだろうか。
まあ、ウォン・ウィンツァンの「ウォン・ウィンツァン 「たましいのトポス」」などは、人気もあるようだし、追々入荷されるに違いない(と期待する!):
「● さとわミュージック WONG WING TSAN HOME PAGE」
さて、「悠 Breathing Spaces ジャン・シャオチン」(パシフィック・ムーン・レコード)に戻る。
夕方、買い物も済ませて、早速、試聴。
おお、実に心地いい!
和む。
特にこの数年、いろいろあって荒んで心の中を空っ風の吹いている小生には嬉しい遭遇でもあった。
ネットで調べて、探していたCDとは違うとはすぐに分かったのだが、これはこれで発見だった。演奏している方が女性だとは、夜になって寝入る際に四度目になっただろうか、聞きながら、CDパックに添付されているパンフレットを見て初めて気付いた。
まあ、こんなものである。
そのパンフレットには、城之内ミサや坂本龍一(故・岡田有希子が歌ってヒットさせた「くちびるNetwork」(作詞:Seiko)も同氏の作曲だと、今日たった今、知った)らの推奨の言葉が載っている(城之内ミサの言葉を一部だけ示す):
雪の朝、目覚めると静寂が部屋を包んでいます。積もった雪が音を吸収するのでしょうか。そんな時、私には「静寂の中の音」が聴こえます。「しん」とした音というのでしょうか。静けさの音というのが、存在しているような気がします。
彼女のこの文を読んで、ふと、拙稿を連想してしまった(「真冬の明け初めの小さな旅」):
子供だった自分には茫漠すぎるほどの世界が見渡す限り広がっていた。スキー板を履いて、表面が凍り始めている雪面を歩く、滑る、走ってもみる。かすかに畦道らしき起伏があるだけの、眩しいほどに白く輝く世界。夜空が地上世界の強烈な光のシャワーに圧倒されてしまうのではと思えるほどだ。
けれど、冬の空は、何処までも青い闇が深い。星の瞬きが闇の凄さのゆえに目どころか心の中をも射抜くほど強烈に感じられる。淋しい! だけど、まるで我が故郷を捨て去ったかのように、我が家を背にして遠くへ遠くへと滑っていく。
音のない世界。音が生まれようとしても、雪の中に吸い込まれていく。耳が痛いほどの沈黙の世界。そんな中、スキー板が凍て付く雪面を削る音だけが、響いている。生きる証しは、そのガリガリという音だけのようにさえ、錯覚されてしまったり。
パンフレットには、姜小青(ジャン・シャオチン)自身のこのCDに寄せての小文が載っている。
全文を転記したいが、ま、買うなり借りるなりして読んでみて欲しい。
その小文の中に城之内ミサの曲(音楽)を聴いての感想を記した部分がある。そこだけ転記する:
今回、曲を書いて下さった城之内ミサさんと初めてお会いしたのは2年ほど前。とても美しく優しい方だという印象でしたが、彼女が生みだす音楽もまたピュアでエレガントでした。1曲1曲にそれぞれの美しさと華やかさがあり、それはセーヌ川のほとりをゆっくりと散歩した時を思い出させてくれたり、揚子江を船で下っていった時に見た壮大な風景を目の前に蘇らせてくれたりしました。「いつの日か、彼女の魔法の手をお借りしたい…」その時の夢が、今現実となりました。
← 若林美智子『風の盆恋歌』(ビクターエンタテインメント) 画像は、「Yahoo!ショッピング - 風の盆恋歌 - 若林美智子 - 拡大画像」より
セーヌ川はともかく(パリへは行ったことがないので)、「揚子江を船で下っていった時に見た壮大な風景を目の前に蘇らせてくれたりしました」というのは、小生もこの曲を最初に聴いた瞬間から感じたことだった(そうはいいながら、小生、揚子江の川下りは夢の中でしかしたことがない!)。
最初はパンフレットなど見ていないので、曲を演奏者が作っているのかどうかは別にして、とにかく中国の人だろうと感じていた。
曲に時空間的なスケール感を覚えたからである。
せせこましい、慌しい日本人の感性とは懸け離れていると感じていた。
夜中になってパンフレットの説明を縷々読んで、びっくりしたという次第である。
小生、このCDを聴きながら(今も聞きながら書いている。もう二度目となっている)、昨年の夏に買ったCDを曲調で連想していた。
それは、以前、このブログでも話題にしたことのある、若林美智子のCD『風の盆恋歌』(ビクターエンタテインメント)である。
そう、胡弓奏者の若林美智子の奏でる悠久感。これと相通ずるものを感じたのだった。
このCDでは、「若林オリジナル曲『花響』では歌唱を披露」ということなのだが、透明感のある伸びやかな声だった。
若林美智子は「「越中」おわら節の胡弓の名手」と謳われた故・若林久義の孫である(「若林美智子プロフィール」参照)。
→ アベ・プレヴォ作『マノン』(石井洋二郎・石井啓子訳、新書館)
今日は、実は昨日、読了したデュマ・フィスの「椿姫」(鈴木力衛訳、『コレクターズ版 世界文学全集 23』(日本ブック・クラブ)所収)の感想など書こうというのがメインのはずだった。
が、借りてきたCDが気に入ってしまって、ついあれこれ調べてしまい、本題(?)に入れず仕舞い。
ま、いっか。
先月、読了したアベ・プレヴォ作『マノン』(石井洋二郎・石井啓子訳、新書館)もだが、このところ、古典に嵌っている。
ところで、デュマ・フィスの「椿姫」は、実は、この「マノン(・レスコー)」が狂言回しの役目を果たしている。小生は、そんなことなど全く知らないで読んだ。
「夜這いの民俗学!」で書いたように、借り出した本を全部、読了したので、書棚の隅っこに突っ込んであった本書(他に二冊『コレクターズ版 世界文学全集』がある)のことを思い出し、この際だから読んでおこうかと思い立ったのである。
全くの偶然。
それとも、無意識の裡にこの「椿姫」に手が伸びたのだろうか。
いずれにしても、不思議な偶然だ!
あれこれ調べてみると、デュマ・フィスの「椿姫」は、「マノン(・レスコー)」を小道具として使っただけではなく、むしろ、この作品の影響をまともに受けて書いたと看做していいようである。
オペラ(歌劇)のほうの「椿姫」は劇場でもビデオでも見たことがないが(テレビでチラッとは別にして)、小説はさすがに読む手を離させない面白さがある。まあ、要するにメロドラマなのだが、細部を飛ばさないで丁寧に呼んでいくと、さすがと思わせる叙述に出会うのである。
やはり、高名でもうとっくに読んだような気分のままに等閑視するのは勿体無いことだと改めて思わされたのである。
さて、音楽もオペラも文学も苦手な小生、さらに突っ込んだ話は他の方に譲ることにして(hummel_hummelさんの「ドイツ音楽紀行 実在の椿姫。。あるいはノイマイヤー・バレエ」参照)、今日はお開き!
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