« 国芳の多彩な画業猫ゆずり? | トップページ | 箸のこと端までつつき橋架けん »

2007/03/06

今日の日で古今東西くくれども

 この頃は、「3月6日 今日は何の日~毎日が記念日~」を夜半になると覗いてしまう。
 習慣というより、もう、半ば癖のようになっている。
 今日と云う日も古今東西、いろいろなことがあり、いろんな人物が生まれ、あるいは亡くなっている。単なる時系列上の一点に過ぎないのだけれど、そこに縁や何かを感じ取ってしまうのが人間なのだ、なんていうのは大袈裟か。
 例えば、某所で誰かが病気で、それとも事故や事件で亡くなったとする。すると、その某所は、墓所と同じように縁(ゆかり)のある場所として看做され、何らかの思い入れを以て眺められることになる。

Michelangelo_pieta003

→ ミケランジェロ「ピエタ(Pieta)1499年」(「サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画と主題解説~ ミケランジェロ」より)

 小生など、仕事柄、都内を車で走り回っている。
 すると、都内の交差点やガードレール、あるいは緑の分離帯などに花束がポツンと置かれてあるのを目にすることがある。
 それも、日に何度も、ということがある。
 何も同じ場所を通り過ぎたから、ではない。
 そう、交通事故現場なのである。それも、花束がわざわざ手向けられているということは、死亡事故だと思って間違いない。
 都内は人口比率からすると死亡事故の数は北海道や千葉その他に比べると、相対的に少ない。
 それでも年間、数百件の死亡事故がある。

 死亡事故となった全ての場所に花束が手向けられているわけではなかろうが、それでも、走行中、あるいは信号待ちの際に一度ならず目にすると、一瞬、厳粛な気持ちになる。
 あくまで一瞬に過ぎないのが現実だが。
 信号待ちの折など、ふと、目に入った際、カメラで撮ってみようと思ったりもしないではないが、何故か憚られる。撮っても、ブログにアップする際に躊躇い、結局、お蔵入りするのが関の山という気がするから、なのだが……。

 さて、そんな厳粛なる場所だが、その事故があった場所を時空として厳密に割り出すと、話がおかしくなってしまう。
 地球は自転しているし、太陽の周りを公転している。
 しかも、太陽系だって銀河系の端っこ近くに目立つことなく紛れ込んでいるわけで、銀河系という渦巻きの回転で一瞬たりとも止まっているわけではない。
 その銀河系にしてからが、銀河団の中の辺縁にあるのだし、無数の銀河団がまた寄り集まって巨大なアトラクターを形成し、動いている。
 あるいは宇宙自体がビッグバンの延長・途上にあって、時空自体が伸び広がっている。

 要するに、その厳粛なる事件・事故があった時空を一秒ごとに遥かに遠ざかっていく。

 一日どころか一時間も経つと、数百キロどころか数千キロ、あるいはそれ以上に異なる時空をドンドン移動していることになる。
 だけれど、我々の目線では、やはり、何処何処の町のあの交差点が事件・事故のあった現場であることには変わらないのだが。

 、三大宗教の聖地であるエルサレムだって、二千年の昔、聖なることがあった地点など、計算で時空の正確な位置を割り出すのは至難なのではないか。
 あくまで我々人間の目線ではエルサレムが、あの地が関係者には聖地なのだろう。
 なんてことを書くと、不遜極まりないということになる!
 日本人は土地へのこだわりが強いと言われたりするが、他国を見ると、日本人の執念など遥かに越えている!

 あの日、あの場所で、あんなことがあった、あるいはあるはずなのに出来なかった…。
 そんなあの日と同じ風景を求めて、あの場所に立ってみるのだけれど、時間はあの風景を遥かに遠いものに変貌させてしまっている。
 それでも、あの場所にあの日と同じ情景を、似たような面影を追い求めてしまうのは、人の情念や思い入れ以外に何もない(のだろう)。

 せっかくなので、「交通事故発生マップ」など覗いてみるか。
 特に、上掲の頁の中の、「平成18年中の東京都内の交通死亡事故発生状況」マップなど見ると、生々しくて……。

45600240491

← ベルジャーエフ『歴史の意味』(氷上 英広訳、白水社) 「Amazon.co.jp 通販サイト」より

 さて、気を取り直して…。
 今日が誕生日の人物には、かのミケランジェロがいるが偉大すぎて、手に余る。「サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画と主題解説~ ミケランジェロ」を覗くだけに留めておく。
 柳生十兵衛ってのも、縁がなさ過ぎる。
 シラノ・ド・ベルジュラックは小生には(事情があって)生々しい存在であり続けている(この作家については、冷却期間を置いて、後日、書く…かも)。

 ベルジャーエフ…。実存主義が流行ったころ、彼の本は『悲劇の哲学』のレオ・シェストフと共に結構、読まれた(シェストフは随分と読んだものだった。若いセンチなメンタリティに合っていたのかも。今じゃ、ベルジャーエフもシェストフも忘れられてしまった存在のようだけど。尤も、小生がシェストフを読んだのは、三木清の「シェストフ的不安について」の影響だったのかもしれない!「三木清「シェストフ的不安について」」参照)。
 小生は十年近く前、『歴史の意味』(氷上 英広訳、白水社)が刊行された時、思わず懐かしさで買ってしまった。実存主義とは似て非なる世界だと遅まきながら気づいた。
 尤も、ヤスパースだって、キルケゴールだって(カール・バルトも!当時は)実存主義なんだから、彼も実存主義の範疇に入れるのも無理はないのか。
 その『歴史の意味』なる本を今日の夕方、手にしていたっけ。手放すつもりで。
 それが、夜半になって、「3月6日 今日は何の日~毎日が記念日~」をつらつら眺めていたら、ベルジャーエフの誕生日だって! この本、手放しちゃいけないって、天から仰っておられるのだろうか。

 大岡昇平は日本人には珍しい明晰さを感じさせる文章を書く。『野火』は大好きな作品だ。
 ガルシア・マルケスは好きな作家だ。『百年の孤独』……。この本も近々手放すことにするかなって、昼間、手にしながら考えていたっけ。どうも、嫌な偶然が重なる。
 初の女性宇宙飛行士のテレシコワさん……。昔、切手収集していた頃、小生の収集のテーマは宇宙だった。
 ファーブル研究家の奥本大三郎の本は題名は忘れたけど、一冊だけ読んだぞ。
 加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ……。「想い出の渚」(島塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲)は中学の頃の小生の定番ソングだった。
 宮本輝は、富山にちなむからと読んだが、凄い人物なのだと分かった。
 高橋真梨子は大好きな歌手だ。

Goode12

→ 「大地(1・2・3部)」(「グーテンベルク21」より)


 今日が忌日の人物というと……。
 デビー・クロケット! ガキの頃は、テレビでも映画でも西部劇が定番だった。さすがに今は、先住民との関係もあって微妙。ただ、彼を讃える歌は楽しいね。昔、テレビで「アラモ」を見たっけ。
若草物語』のルイーザ・M.オルコットがいる。小生、何故か漫画の本でしか読んだ記憶がない。『風と共に去りぬ』は続編の『スカーレット』も併せ読んだのに。やはり、映画の影響が大きいのか。
 ダイムラー! ベンツには一度しか乗ったことがない。運転はしたことがない。縁がないのかね。同乗するから乗せてくれ!
『星条旗よ永遠なれ』の作曲家ジョン・フィリップ・スーザも今日、亡くなられたのか。この曲は何故か好きである。
 菊池寛……。もしかして、一冊も読んだことがないかも。
 パール・バックの『大地』も、長編小説は嫌いじゃないのだけど、とうとう今日まで手にしていない(はずである)。何故、手が出なかったのかを自分なりに分析してみると、舞台が中国ということで、無意識裡に拒否していたような気がする。
 では、何故、無意識裡であろうと、拒否反応を起こしたのかは、分析しだすと厄介なのでやめておく。
 それにしても、便利な時代だ。ネットで注文することが出来るのだ:
大地(1・2・3部)」(「グーテンベルク21」より)

|

« 国芳の多彩な画業猫ゆずり? | トップページ | 箸のこと端までつつき橋架けん »

思い出話」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書評エッセイ」カテゴリの記事

近代・現代史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/14154897

この記事へのトラックバック一覧です: 今日の日で古今東西くくれども:

« 国芳の多彩な画業猫ゆずり? | トップページ | 箸のこと端までつつき橋架けん »