今年も沈丁花が咲きました
このところ、沈丁花の話題をあちこちのブログで目にする。
そういえば、小生の居住している邸宅(集合住宅と呼称する輩もいるが)の門前に沈丁花が咲いていることに、徹夜仕事を終え早朝に帰宅した際、気づいた。
まだ薄暗い時間帯だったが、エントランスの明かりや街灯の明かりに、沈丁花のその小さな花々が白く清楚に浮かび上がっていた。
恐らくは、前日の朝、出かけるときにも咲いていたはずなのだが、まるで記憶にない。
→ 石川さゆり「沈丁花」(作詩:東海林良 作曲:大野克夫)
沈丁花というと、その可憐な白い花の健気さもさることながら、その香りに特徴がある。
……というか、そんな特色が挙げられることが多い。
小生には、「「匂い」のこと…原始への渇望」なる雑文がある。
その中に、下記のような部分がある:
季語随筆などを書き綴っていて、季語や俳句に纏わる様々な植物を扱うと、素敵な香りを放つという話に往々にしてなる。街中を散歩していて、ふと、金木犀の香りが漂ってきたので…とか、沈丁花の香りがする、一体、何処から香ってくるのか、香りを辿っていくと、そこに沈丁花が咲いていた、なんて記述に出会ったりすると、そうなのか、羨ましいな、そんなことがあるのかと感動してしまう。
健常な人は、そうなのか、自分にはそんな経験はまず、ない。
何故に、「香りを辿っていくと、そこに沈丁花が咲いていた、なんて記述に出会ったりする…と、羨ましい」のかは、上掲の記事を覗いてみて欲しい。
沈丁花については、悩ましい思い出がある。
そのことは、「沈丁花の思い出…」の中の、旧稿を転記した「紫陽花ばなし?」の項でやや詳しく書いてある。
石川さゆりの歌「沈丁花」(作詩:東海林良 作曲:大野克夫)に事寄せる形で書いているが、彼女の歌は単なる挿入歌的に使っているわけではない。
念のために(?)、歌詞の一部を転記しておく(歌詞を間違えないよう、気をつけないと、改作だと訴えられる!):
降りしきる 雨の吐息に
濡れて傾く 沈丁花
許されぬ あの人と二人
忍びあるく 坂道
思い切れない 人だから
思い切れない 恋だから
ひたむきに 燃える心
二人でいても何故か淋しい
夜明けの裏通り
その石川さゆりには、「紫陽花ばなし」という歌があったりする(CMソングだったろうか、「ウイスキーがお好きでしょ」なんて曲も好きだが)。
小生には、「沈 丁 花」という題名の掌編が二つある。
というか、二つ目を書いた時、以前(といっても、ほんの数ヶ月前に!)「沈 丁 花」と題した掌編を書いていたのをすっかり忘れていたのだ。
記憶力の悪さには慣れているが、即興とはいえ、それなりに苦労して(?)書いた、それも半年も経たない前に書いた掌編の題名を忘れているなんて、あんまりだと我ながら思う。
念のために(?)、最初のはこれ:
「沈 丁 花」(03/04/30)
で、二度目に書いたのは、これ:
「沈 丁 花」(03/09/30)
この後者の作品については、ある人に酷評を戴いている。健全な常識をもたれる方なら当然、抱かれるに違いない感想。
その評は、同じ頁の末尾に載せてある。
ことごとく妥当する。でも、創作者たる書き手は分かっていながら、そのように看做されるのは重々承知しつつ、書いている……のである(小生の創作は基本的にそうなのだが、この掌編も実話ではないのは、このブログを冒頭部分から読まれた方は特に、一読したら分かるはず!)。
(ついでながら、「沈 丁 花」の、ある意味での裏ヴァージョンが、「雨音はショパンの」や「有峰慕情」、特に、「あの場所から」である、なんて云っても、信じてもらえないだろうなー。)
さて、これだけ書いても、「沈 丁 花」の頁に飛んでもらえそうにないので、ここに創作部分を転記しておく。批評文は、当該頁でどうぞ:
「沈 丁 花」あれはいつのことだったろう。オレがまだ大学生になりたての頃だったと思う。
いや、嘘だ。オレははっきりと、いつのことだったかを覚えている。ただ、曖昧にしてしまいたいだけなのだ。
オレは、高校時代に付き合っていた彼女のことが忘れられなかった。遠い田舎の町で別れたままの彼女。卒業式の翌日だったか、オレの家の近くのお寺で待ち合わせ、一緒に田舎の町を歩き回った。彼女とは、ただバカみたいに歩き回るしか能のないオレたちだった。
というか、そうさせていたのは、オレなんだけど。
オレも彼女も、迫る別れを意識していた。オレなどは、意識しすぎて、何も喋れなくなっていた。彼女は、オレを促すように、時折、切ない目でオレを見る。 が、その時に限ってオレは、目を逸らし、芽吹く草や花の香りの漂う春の空を眺めやったり、何処かのビルの看板を意味もなく仰ぐのだった。
いつしか駅前の噴水の傍にオレたちはいた。ベンチに二人腰掛けて、やっぱり無言のまま、間歇的に噴き上げる噴水の水を呆然と見ていた。すると、突然、彼女が話し出した。
「ねえ、手紙、書いてもいいでしょ。住所、教えて。」オレは、不意を喰らったような気分だった。付き合っていると言っても、オレがただ彼女を引っ張りまわしているだけで、彼女の気持ちを確かめたことは一度もなかったのである。オレは彼女が好き。でも、彼女は…、オレを…思っている …とは、思えないのだった。
オレは嬉しかった。なんだか飛び上がりたい思いだった。ベンチの上から噴水を巡るオレの下半身ほどの深さの池に飛び込んでもいいくらいだった。
なのに、オレときたら、相変わらず無表情なままだったのだ。どうして嬉しいなら嬉しいと言えないのだろう。いえないとしても、せめて住所くらい教えてやってもいいはずじゃなかったか。
そう、オレは彼女に何も教えなかったのだ。何故? オレにも分からない。オレは、同じ大学に行く友人と一緒に列車に乗り、陸奥(みちのく)へと旅立った。列車の中で友人と他愛もないお喋りをしながらも、心は虚ろだった。悔恨の念で一杯だった。
オレはあの時、どうして彼女を拒否した? しかも、オレの住む町に遊びに行ってもいい? とまで彼女は聞いていたじゃないか!
列車は北へ北へと走った。心も闇の奥の奥へと沈み込んでいくようだった。
そして、そう、入学して一年も経った或る日の夜、オレは、下宿を抜け出した。悶々とする鬱屈した熱気に我慢がならなかったのだ。杜の都の街は、春も終わりの頃とはいえ、夜ともなると冷たい風が吹いたりする。
その夜もそうだった。どこをどう歩いたのだったろうか。無闇に歩き回ったから、自分でもどこを歩いているのか分からなかった。
不意に何かの花の香りがオレの華を擽(くすぐ)った。
臭いの元を辿ってみた。苦労することなく見つかった。そこには、何だかやたらと地味な花があった。生垣を覆わんばかりの枝や葉っぱ。月夜にもかかわらず、緑の濃さが際立っていた。その緑の海にともすれば埋もれそうに、あるいは健気に浮き上がるようにして、薬玉のような小花の塊たちが咲き誇っているのだった。オレには何の花だか分からなかった。オレなどに分かるはずもない。
が、何処か懐かしい臭いに包まれているうちに、ふと、沈丁花という花の名が脳裏に浮かんだ。もしかしたら、これが沈丁花なのかも。
そして、オレの胸をかき乱すように、彼女の話が鮮烈に思い出されてきた。そうだ、まだ別れには日にちがあったあの時、オレたちは沈丁花の前にいたんだった。「わたし、沈丁花って、好き」
そう言って、オレの元を離れて、花の香のするほうへと駆けていった。彼女の後ろ姿。
しばらく彼女は、花を眺めて佇んでいた。オレは彼女の傍に寄り添いたくて、近付いて行った。オレの気配を感じたのだろうか、彼女は独り言のような口ぶりで続けた。
「沈丁花って、地味な花でしょう。ね、こんな傍で見ても、咲き誇っているような、でも、何処か恥らっているような、不思議な表情なのよね。」「あのね、沈丁花って、香りが強烈なの。もう、知らない人が見たら、紫陽花のなりそこないみたいな花なのに、臭いだけは、もう、凄いの。まるで花の地味さを自覚しているから、それを匂いで補っているみたいね。わたしね、お茶、してるでしょ。沈丁花はお茶の席じゃ、禁物なのよ。そうよね、これだけ、香りが強烈だと、いくら気品があるっていっても、お茶の香ばしい香りを楽しむわけにはいかないわよね。」
「そうそう、昔ね、そんなこと知らないから、沈丁花の花の傍に近づいて、思いっきり、臭いを嗅いだことがあるの。そしたら胸が詰まったというか、鳩尾(みぞおち)の辺りが痛くなったというか、ひどい目に遭ったわよ。」
オレは、彼女のエピソードを聞いて、彼女に一層、親しみを感じていた。花の香に目を回す彼女! こんな秘話を知っているのは、オレだけのはずだ。そして彼女はオレだけの彼女なのだ…。オレは、あの時の彼女に近づきたいと思った。訳の分からない別れをしてしまった彼女を取り戻したいと思った。彼女が無理なら、せめて、沈丁花に触れたい。馥郁たる花の香に埋もれたいと思った。
近づいた瞬間、彼女の話の続きを思い出した。そうだ、沈丁花の花の話をした時、彼女はとても気落ちしていたのだった。あれは、そう、彼女のおじいちゃんのことと関係があった…。「…そしたらね、その年は沈丁花が急に衰えだしたの。おじいちゃんの話だと、花にも寿命があるんだって。でね、おじいちゃん、あれこれ面倒を見てやったんだけど、でも、花はどんどん萎れていくばかりだった。そう、その年だった。おじいちゃんが死んじゃった。ガンだったのよね。おじいちゃんが丹精込めて世話した沈丁花も、うちの庭じゃ咲かなくなっちゃった。そう、ただね、葬式の日も、花は咲いてなかったけど、でも、沈丁花の花の香が庭に満ちてたな…。わたし、おじいちゃん子だったの。もう、悲しかった…。」
そうだ、その時も、オレはただ、木偶の坊になって突っ立っているだけだった。彼女の肩を抱いてやるとか、そんな芸当など、思いつくはずもなかった。
オレってどうしてこんななんだろう。オレは、沈丁花の小花の束に顔を埋めてみた。彼女が噎せたようにオレも花の強烈な芳香に息を詰まらせたいと思った。なんなら沈丁花の花であれ蕾であれ、オレの喉にも鼻にも突っ込んで、息絶えてしまえばいいと思った。
が、オレは、ただ、そう思うだけだった。
ただ、沈丁花の咲き誇る垣根の前を行き過ぎるだけだったのだ。(03/09/30)
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コメント
沈丁花、花の香り、成分について色々書かれているのを読ませていただきました。
なかなか面白く、プルースト効果の記述の紹介面白かったです。
「パヒューム」という映画が上映されていますが、sexしたくなる香水を苦労して作り出し、それを750人に振りかけると皆sexを始めるとか。
週刊誌の情報ですが、その香りが沈丁花の匂いのようだとのこと。
なんだか、げんなり、そそとした甘い香りの春を感じさせる花の匂いを冒涜されたような感じがしました。
投稿: さと | 2007/03/12 13:09
さとさん、コメント、ありがとう。
「パフューム」という映画が上映されたり、「パフューム」というグループが出現したり、今はパフュームが流行っているようですね。
小生は、随分と昔、原作の「香水―ある人殺しの物語」を刊行当時に読んだことがあります。
それが、今頃になって映画化されるということに驚いています。
何か特別な理由があったのでしょうか。
映画は観ていないのですが、ただ物語の舞台である18世紀のフランス(それもパリ)は、当時のドイツもそうですが(モーツァルトの手紙を読めば分かるように)、街中は宮廷の庭も含め、汚物塗れだったといいます。
急激な都会化に伴う人口増加に下水道を含めた生活基盤作りが間に合わなかったのですね。地下道は「レ・ミゼラブル」が書かれた頃には出来ていたようですが。
ジャコウとかは、濃度によって随分と印象が変わって、香水風になったり、濃いと不快な匂いになったり。
投稿: やいっち | 2007/03/12 15:42