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2007/03/17

バロックの音の魅力に身を任し

 ほぼ一年前の記事である「夜間飛行を堪能する」にコメントを戴いた。
 古い記事にコメント(やトラックバック)を貰うことは間々あること。
 でも、大概は、何処かの未知の方が情報を求めて、などの理由でネット検索して、小生の記事に遭遇するというパターンである。

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→ 3月15日の夜半過ぎ。都内某運河沿いの公園脇にて仮眠。目覚めて間もない午前4時頃、都内に初雪が降ったとか…。

 でも、今回は違う。
 今日の(16日)の記事である「見逃せし初雪他所に夢の中」の中で、昨年の日比谷大講習会のレポート記事である「今日は日比谷大講習会」なる小文を参照願うとして紹介している。
 その記事の中で、「夜間飛行を堪能する」をタクシー関連記事ということで紹介していたのだった。


今日は日比谷大講習会」もだが、「夜間飛行を堪能する」のほうも、久しぶりに読み返してみた。
 ああ、こんなことも書いたのだな…と、読み直してみて、我ながら懐かしく感じられてしまった。
「真夜中の高速道路を一路、都心を目指してタクシーを巡航させる。ほんの一瞬だけれど、ふと、「夜間飛行」という言葉が脳裏を過(よぎ)ることがある」という一文で始まっているこの小文。
 高速道路での帰路の際の感覚をやや幻想風にデッサンしている。
 やや長いかもしれないが、一部だけ抜き出してみる:
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← 16日の正午過ぎ、バスの車窓越しに皇居のお堀の水鳥たちをパチリ!

 夜半を回った高速道路を都心を目指してひた走る。すると、夜の闇の中を朧に光る黒に近い灰色の幅広い帯がまっすぐに走っている。帯には路肩や車線を示す白いラインが描かれている。防音壁がまた夜の川を土手のように闇にどこまでも続いていく。

 車は未明も近い時間帯となると、疎ら。
 そう、そこには点々と散在する光たちが藍色と灰色との闇の海の帯に沿って走っていく。
 夏も近くなれば、尾っぽを光らせる蛍たちの群れが、遠くの餌場を目掛けて、それとも雌の臭いを嗅ぎつけて、無心になって飛び去っていくようでもある。
 中には百キロ余りで走っている凡百のタクシーをあっという間もなく抜き去ってく個人タクシーもある。きっと、余人に増して欲望が強いのか、それとも仕事に打ち込んでいるのか。
 だから、闇の中の光の群れは、秩序だった光の列ではないのだ。間近に見えた光が、あれよという間に高速のゆったりしたカーブの先へ吸い込まれていく。消え去っていく。置き去りにしていくようでもある。光が消滅していくかのようだ。
 無論、自分の車も、その一台なのである。遠目には自分の車も、黒から藍の海へ、鉛色から底光りする灰色の闇へと変幻する無機の空間に明滅する数知れない虫たちのただの一匹に過ぎない。

 ああ、おれも、夜間飛行する一匹の虫なのに違いない。

 この感覚が襲ってきたときには、スピードを無闇に上げたりしない。遅からず早からずというスピードがいい。エンジンの唸り音より道路に削られるタイヤの悲鳴のほうがやや大きいほどがいい。風の唸り声が脅威に感じられない程度がいい。
 うまくスピードを調整すると、まるで道路の上を走っているのではなく、滑っている。
 否、それどころか、ある種、うまく自分を誤魔化せたならば、空を宙を飛んでいるような感覚さえ、覚えることが不可能ではない。
 闇の宇宙を、闇の空を、闇の海の帯を、闇の海の澪を極めて自然になぞっているだけかのように思えたりする。
 この形而上的感覚!

 あの車、この車のどれにも運転手がいる…はずである。防音壁の下、それとも彼方には住宅街があり、森があり、山があり、海があり、あるいは川がある。そのどこにも、人間の、それとも動物の、植物たちの、微生物たちの、ウイルスたちの生活が、命が、犇めき合い、蠢き合っている。タイヤが削れてまでも走っている今、道路の下では何かの生き物の新たな命が生まれようという瞬間に際会しているかもしれない。末期の時を迎えているのかもしれない。ただただ、生きる苦しみに呻吟している人もいよう。肉体の喜びに嗚咽しているかもしれない。飢え飢えているのかもしれない。
 目に見えるもの、耳に聞こえるもの、匂ってくるもの、味わえるもの、考え感じ思い想像し妄想するその全てを賭けても、人の想像力の遥かに及ばない世界が空に地に宙に広がっている。電波が一点へと収斂せんと幾重もの虚の波を闇の彼方の磯を目掛け打ち寄せ続けている。クォークが飛びぬけ、宇宙線が体を貫き、宇宙塵が漂い、星が煌くことを忘れ直視せんとする者から光を奪おうとしている…。

 夜間飛行の感覚。


「夜間飛行」(サン=テグジュペリ)や「ジェットストリーム」のことなど、詳細は上掲の頁を覗いてみてほしい。

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→ 16日の正午過ぎ、バスの車窓越しに東京タワーを撮ってみた。

 ところで、話はまるで変わるのだが、先週だったかに図書館で借りてきたCDの一つに「バロックの音職人」と題されたアントニオ・ヴィヴァルディのものがある:
ヴィヴァルディ 4 バロックの音職人』(デアゴスティーニ・ジャパン)

 収められているのは、下記:

 フルート協奏曲集 作品10より
 シンフォニア ハ長調RV.116
 ヴァイオリン協奏曲集 作品4《ラ・ストラヴァガンツァ》より
 ヴァイオリン協奏曲集 作品6より
 合奏協奏曲集 作品3《調和の霊感》より

 小生は、「四季」に限らず、ヴィヴァルディが好きである。
 この数日間、自宅では『ヴィヴァルディ 4 バロックの音職人』をずっと聴いている。在宅の日は何回、フルに聴いているだろう。
 ヴィヴァルディが好きなのか、バッハ好きという点を鑑みると、あるいはバロック音楽が好きなのか(ちなみにメンデルスゾーンも好き!)、自分では分からない。クラシックにも造詣の深くない小生、バロック音楽の全貌を知る由もないし。

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← 帰宅直後、門前の植え込み(沈丁花?)を撮る。今を盛りと咲いている。

バロック音楽 - Wikipedia」なる項目を覗いてみると、語源として、「バロック(仏英: baroque)という語はポルトガル語 barocco (いびつな真珠)が由来であるとされ、過剰な装飾を持つ建築を批判するための用語として18世紀に登場した」というのもさることながら、ある人によって「バロック音楽は「彫刻や絵画等と同じように速度や強弱、音色などに対比があり、劇的な感情の表出を特徴とした音楽」と定義され」たことがあるというから、驚きだった。
 小生がバロック音楽を聴いて、「彫刻や絵画等と同じように速度や強弱、音色などに対比があり」という点はともかく、「劇的な感情の表出を特徴とした音楽」だとは到底、思えないからだ。
 別に異論を唱えようという気はない。それほど聴き込んでいるわけでもない小生に意見などありえようはずがない。
 むしろ、「今日では「バロック音楽」の用語は、スタイルへの言及というだけでなく、むしろ音楽史上の年代を指すものとして広く受け入れられている」と書いてあると、安心する。

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→ 『ヴィヴァルディ 4 バロックの音職人』(デアゴスティーニ・ジャパン)

生きるとは今日を限りの回り道」の冒頭で書いたように、つい先日、ある方の訃報に接した。
 まるでそのことを予期でもしていたかのように、『ヴィヴァルディ 4 バロックの音職人』なるCDは今の気分に相応しい。

 このCDに収められた曲集に別に葬送曲的な雰囲気があるという意味ではない。
 そうではなく、ある不思議な、日常的な安堵感のようなものを感じさせてくれる、そんな雰囲気の中に包み込んでくれる。
 滅入りそうな気分をある諧調の世界に溶け込ませてくれる。

 一体、バッハやヴィヴァルディは何を思って作曲したのだろうか。
 愚かな問いと思いつつも、気になってならない。

 あるいは、通奏低音に魅力の秘密があるのか。
(「大塚直彦 - 通奏低音」参照)
 それとも、通奏低音と即興との調和に魅せられている?
 いつも譜面通りでは息が詰まる、かといって楽譜がなくて即興ばかりでは緊張が強いられる。
 安定感と自由感(浮遊感)との絶妙の調和?
 この世への束縛と天上世界との交歓とのバランス?

 とにかく、ヴィヴァルディを(演奏者には申し訳ないが)ただぼんやり聴いていると、妙に生命感をやんわり刺激してくれるような気がする。ヴィヴァルディの当時にあってはどうなのか分からないが、ある種の安定感を覚えるから安心感に繋がってくるのだろうか。
 ある堅固に構築された諧調空間の局所にちゃんとお前の居場所があるよ、とでも言ってくれているような。

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コメント

肝心なことを書き忘れていた。
講習会の中で警察の方の講話があった。主に、交通事故から子供を守りましょうという内容だった。
話を象徴する標語を示すと、今年の(パンフレットなどに記載される)標語には下記が:

「青信号 車はボクを見てるかな」

要は、最近の無謀で陰惨な事故に鑑み、青信号で渡りましょうという悠長な標語では意味を成さないから、というのだ。
子供が大人を信じられない社会!

投稿: やいっち | 2007/03/18 16:03

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