自分の体で実験したい!
レスリー・デンディ/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)を読み始めた。実に面白いし、感動的ですらある。
感想を書く前に早速、余談。
← レスリー・デンディ/メル・ボーリング著『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)
著者は小生には全く馴染みのない方々だが、訳者の梶山 あゆみ氏という名前は、何処かで見たことがあるような。
奥付けで訳者紹介を見てみると、ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』(紀伊國屋書店)も同氏の訳した本で、この本も科学に(も)素人の小生だが、肩に力の入ることなく、気軽に楽しく読ませてもらったのだった。
以前、簡単な感想文を綴ったこともある。
さて、本書だが実に読みやすいし、読んでいて引き込まれていく。
それもそのはずで、著者は一人は長年、教鞭をとって来られた方だし、もう一人は編集者。
本書に付いては小生の下手な解説など不要だろう。
出版社の謳い文句を一部(?)転記しておく:
本書は、科学と医学の分野で、動物実験などをやった後で、最後に自分を「実験台」とした、過去2、3世紀の世界各地での事例の中から興味深いものを集め、原論文や様々な資料にあたりつつ再現を試みる。
多くの人命を救った実験もあれば、ノーベル賞級の実験もある。
自らの命をこの実験に捧げることになった実験もある。
なぜそうした実験をすることになったか、実験者の心と行動に光を当てることで、大変ユニークな読み物となっている。
小生の愛著にオリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房)がある(既に二度読んだ。小生はオリヴァー・サックスファンの一人なのである。数年以内に再々読するつもり!)。
この本も読みやすいし、下手の横好きで科学は嫌いではなかった小生も化学だけは苦手だったが(化学式にめげた!)、その小生に化学の楽しさを堪能させるのだから凄い!
化学の研究に生涯を捧げた人は、ヨーロッパに限っても、古来より実に多くの人がいる。それこそ、錬金術というとんでもなく分厚い研究の歴史のあるヨーロッパなのである。ニュートンも晩年まで錬金術の研究に没頭したが、現代と言っていいはずのオリヴァー・サックスの幼少時代も、そんな分厚い化学(科学)研究の土壌と雰囲気が濃厚に残っている。
そして、化学というと、フラスコであり、ビーカーであり、試験管であり、いろんな化合物の調合である。そして、容易に予想されるように有害な気体の取り扱いや発生。
そして実験の失敗による爆発!
化学の研究の歴史は死屍累々たるものでもある。
それでも、研究者たちは、それとも、化学のマニアたちはめげない。
思い返すと、小生が化学が嫌いだったのは、もしかすると何よりも無知なる者として、実験が怖かったのかもしれない。あの、奇妙なモクモクと立ち上がる禍々しい煙、そして匂い。
→ オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房)
さて、本書レスリー・デンディ,/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』である。
まだ、半分も読んではいないのだが、それでも、感想を書きたくてならない。
よく、役者バカという呼称があったりするが、それは溜め息と尊敬…畏敬の念を篭めての呼称なのだろうが、まさに本書に登場する人物たちは研究バカ、好奇心バカなのである。
本書のタイトルの「自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝」というのは、文字通りだと受けとめていい。
目次を以下に示させてもらう。「勇気か、科学への愛か。危険も顧みず、自分の体で試すことを決意した科学者たちの涙ぐましい物語」という紹介に偽りなし、である:
第1章 あぶり焼きになった英国紳士たち
第2章 袋も骨も筒も飲みこんだ男
第3章 笑うガスの悲しい物語
第4章 死に至る病に名を残した男
第5章 世界中で蚊を退治させた男たち
第6章 青い死の光が輝いた夜
第7章 危険な空気を吸いつづけた親子
第8章 心臓のなかに入りこんだ男
第9章 地上最速の男
第10章 ひとりきりで洞窟にこもった女
動物実験はいけない。人体実験だっていけない。自分の体を使って実験するのだって許されるはずがない。
でも、「自分の体で試すことを決意し」、実際に生涯に渡って(その中には二十歳台そこそこで自らの体を使っての人体実験で命を亡くした、夭逝の研究者もいる)研究した尊敬を超えて呆れてしまうしかないような研究者が何人もいる。
「第1章 あぶり焼きになった英国紳士たち」は、人間はどれだけの熱に耐えられるか、そもそも暑い最中にあって何故、体温が変わらないかを研究したジョージ・フォーダイスの研究ぶりを紹介している。
ジョージ・フォーダイスについては、(日本語の)ネットでも小生には情報を見つけることができなかった。
18世紀の70年代に研究活動の盛期を向かえる人物。ちなみに、国は違うが、同時代にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日)がいる。
スコットランド生まれの医師なのだが、治療より科学を教えたり研究するほうが好きだったとか。
研究好きが昂じて、人間はどれだけの熱に耐えられるかに興味を抱き、ドンドン高音の部屋で自分たちがどこまで耐えられるかを実験し、とうとう摂氏127度(!)まで実験したという。
そもそも体温が生じるメカニズムも分かっていなかった。血液の中の「熱」が体内のあちこちでぶつかることによって生じると考えられていた。
だから、体温計などないし、必要性も理解は皆無の時代。
体温が一定に保たれることの重要性を認識させ、体温の変化を観察することで病気の進行や治療法を考える材料にもできることが認識されるようになったのである。
「第2章 袋も骨も筒も飲みこんだ男」がまた凄まじい。自らの体で消化実験を繰り返した、イタリア人科学者、ラザロ・スパランツァーニの話である。
彼に付いては幸いネットでもすぐに情報が見つかった。
「イタリア 科学とテクノロジーの世界 ラザロ・スパランツァーニの石膏製デスマスク」なる頁など参照。
この頁には、「ラザロ・スパランツァーニ(1729年~1799年)は、実験生理学の父とよばれました。彼は、毛細血管の発見により血液循環の全体像を明らかにしたほか、胃液の作用を究明し、人工授精をも手がけました」とあるが、これだと、へぇー、偉い人なんだね、で終わってしまう。
「自然発生説 - Wikipedia」を覗くと、「有機物溶液中における微生物の自然発生の否定はイタリアの動物学者ラザロ・スパランツァーニによって実験された」云々という形で登場している。「スパランツァニのこれらの実験は『滅菌』と言う概念を生じ、自然発生説の否定はおろか、食品の保存に関する方法について重大な影響を与えた」という。
スパランツァーニの関心を一番引いたのは、消化のメカニズムだった。消化とは、食べ物を体内で擂り潰すことなのか、体内で発酵したり、あるいは腐ることなのか。
まず、動物実験で試せるだけ試した上で、今度は自分の体で実験した。
つまり、「食べ物を袋や木の筒に入れて飲みこ」んだのである。
木の筒(筒には小さな穴が開けてある)に食べ物を入れて飲み込んだのは、体内で食べ物を砕くという説を確認するためで、我々には容易に想像できるように、それは否定された。
筒は無事(!)飲み込んで二十二時間近く経って、外に出てきたのである。
無論、筒の中の食べ物は消化されている。
骨も柔らかい骨、硬い骨と飲み込んでみた。硬い骨は原型どおりに出てきたという。
彼は胃液の重要性を嗅ぎ取った。
となると、胃液が欲しい。
彼はどうやったか。あれこれ試した挙句、「飲み食いすると胃のなかが汚れると思い、朝起きて空腹のまま喉の奥深くに指を入れた。何度か試すうちに、かなりの量の塩辛い液体が吐きだせた」!
当時は胃液は燃えるという説があったとかで、彼は試したが燃えなかった!
しかし、胃液が食べ物を消化しているのか自体は、分からない。
胃液に食べ物(牛肉)を浸して、初めて胃液が消化に役割を果たしていると証明できたのだった。
彼の研究のおかげで、消化は体内の神秘的な作用ではなく、化学作用なのだということが分かったのである。
彼は晩年、火山研究に勤しみ、火山に上って溶岩の流れの速さを測ったりしている。エトナ火山では有毒ガスを吸って一時意識不明になったりもしている。
「第3章 笑うガスの悲しい物語」も笑うに笑えない悲劇の話である。
歯の痛み。昔の人はどうしていたか。歯を抜く。麻酔もなしで? とんでもない。麻酔ナシでの抜歯は歯の痛みよりも耐え難い。
というか、我々だって歯のズキズキする痛みは知っている。
が、ヤットコか何かで力づくで抜く体験をした人は皆無に近いのではなかろうか。
ただ、我々より昔の人のほうが何事につけ、我慢強かったろうことは容易に想像が付くだろう。
そうでなかったら、幼少時代を生き延びることもできなかったろう。
そして、歯痛!
昔は、どんなに痛くでも我慢していたというのだ。
『風と共に去りぬ 』という小説がある。映画のほうがはるかに有名かもしれない。小生も学生時代には映画館へ足を運んだ。テレビでも見た。小説も全て(続編の『スカーレット』も全部!)読んだ。
この作品の中に戦争で脚を負傷し、麻酔もないなか(時代的には麻酔は普及し始めていたが、戦争中なので物資がない)、脚を切断する場面がある。看護するものとしてスカーレットは立ち会うのだが、その悲鳴に耐え切れず現場を逃げてしまう。
初めてこの場面を見たときは、小生もショックを受けた。
麻酔なしで、体を押さえつけられて脚を切断?!
でも、南部戦争の少し前までの時代は、それが当たり前の光景だったのである。
昔が美しいとか懐かしい、江戸の世が麗しいなどという人には、それでもいいのかって訊きたくなる。
これは、確認したことがないのだが、昔、ある医薬品を含めて物資も何もない状況下で、ある女性を手術する必要に迫られた。麻酔などない。そこでどうしたか(これ以下は、かなりおぞましく、書くのを躊躇われるので……止めておく)。
← ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』(紀伊國屋書店)
が、一八四〇年代にアメリカ人の二人の歯科医師が状況を変えてくれた。
ホレス・ウェルズとウィリアム・トマス・グリーン・モートンの二人である。
(日本の華岡青洲のことも触れたいが、まあ、後日ということで。)
ホレス・ウェルズについては、ネットでも情報が見つかった:
「雑学解剖研究所-LABORATORY-科学の研究1 麻酔の考案者の皮肉な最後」
「現在、手術や治療において欠かすことの出来ない技術のひとつが麻酔術である。麻酔がなかった時代は、簡単な手術でも患者に多大な負担とストレスを与えるものだった」以下、ホレス・ウェルズの業績と末期を簡潔に紹介してくれている。
「麻酔 - Wikipedia」の頁も非常に参考になる。
この頁の中に、「1844年12月、アメリカ合衆国の歯科医師であるホーレス・ウェルズは抜歯を無痛で行うために亜酸化窒素を使用した。翌1845年、彼はマサチューセッツ総合病院で公開デモを行い、失敗を犯し、患者に大きな痛みを感じさせた。この失敗のために彼はすべての支援を失った」とある。
やがてウェルズはクロロホルム中毒になり、歯科医の仕事も放棄してしまった。ついには奇行に走り獄中自殺を遂げている。
失意も預かっていた…のかもしれない。
モートンについてもネットで情報が見つかった:
「モートン」(「WBOX Homepage」)
「1846年10月16日、モートンはマサチュセッツ総合病院で、患者にエーテル麻酔をかけた。患者は3分間ほどで意識を失った。ウオレンは患者の左顎下の腫瘍を摘出した。患者はやがて麻酔から覚めたが、手術の間全く痛みを感じなかったといった。患者は、最初の切開の後に、訳の分からないことをしゃべりだし、この興奮状態は、手術の終わるまでつづいた」など、詳細は上掲の頁で。
問題はここに至るまでのドラマである。
ウェルズが獄中でクロロホルムを使っての自殺を遂げた際、モートンが非難された。
何故なら、失敗に終わったマサチューセッツ総合病院で公開デモの機会を作ったのは、ほかならぬモートンだったのである。しかも、モートンは公開実験に成功した!
まあ、こうしたドラマが満載の、でも、二百頁ほどの本なのである。多分、中学生なら読めるような気がする。
科学が苦手、嫌いという人にも推奨!
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コメント
初めまして。こんばんは。
トラックバック&コメントをどうもありがとうございました。
ネットで色々と情報を探されたんですね。参考にさせて頂きました。ありがとうございます。
この本は本当に読みやすいので、ぜひ多くの子どもたちに読んで貰いたいですね!
投稿: ぴろり | 2007/03/22 20:10
ぴろりさん、来訪、コメント、ありがとう。
いい本を見つけたら、出会いの歓びを分かち合いたくなる。
なので、同じ感動を持たれたぴろりさんのところに、つい、カキコしてしまいました。
この本、子供たちにも、もっと読まれるといいですね。
投稿: やいっち | 2007/03/22 22:13
やいっちさん、久しぶりの書き込みです(^^)。本当にたくさん本を読まれているし、話題も多岐に渡っていていつもすごいなあと感心しています。この本は私も読んでみたいです。新しい発見は勇気なしには成し遂げられないのだと思います。「新しさ」とは奇をてらうことではなく、その人が必死で生きているうちに従来の常識を自分が気がつかないうちに思わずはみ出してしまうことがら生まれるのではないかと思うのです。
投稿: magnoria | 2007/03/31 10:10
magnoria さん、来訪、コメント、ありがとう。
いつもながら真摯な姿勢に敬服します。
>「新しさ」とは、奇をてらうことでもなく、その人が必死に生きているうちに思わず従来の枠からはみ出してしまうことによってもたらされるものではないか
この考えに共感します。
『自分の体で実験したい』もオリヴァー・サックス著の『タングステンおじさん』も、その思いを痛感させてくれます。
子供の頃に抱いた夢を追い続ける、その結果が実るかどうかは分からないとしても。
magnoria さんの日記にもひたむきな姿勢を感じます。
ひるがえって自分は…というと、ちょっと揺れている。
時々でも覗いて、叱咤してくださいね。
常葉菊川が大阪桐蔭を破ってベスト4! これ、食事時に見ていました。おめでとう。今年は静岡の常葉菊川旋風が巻き起こっている?!
投稿: やいっち | 2007/03/31 16:24
やいっちさん、いつも温かい言葉をかけていただき嬉しいです(^^)。常葉菊川戦見てらしたんですね!仙台育英、大阪桐蔭と強豪を撃破、このまま行って欲しいです!
投稿: magnoria | 2007/03/31 20:59
たまたま帰省中なので、ちゃんとしたテレビで高校野球や水泳などを観戦。東京のテレビはモバイルなので、映りが悪くてスポーツを見るのは苦しい。
さて、常葉菊川旋風、何処まで行くか。
ああ、でも、富山が居ないのは寂しい!
投稿: やいっち | 2007/03/31 23:53