肉体なる自然を解剖しての絵画教室!
布施英利(ふせひでと)著の『自然の中の絵画教室』(紀伊国屋書店)を読んだ。
マニュエル・ロザンタール著の『ラヴェル~その素顔と音楽論』(伊藤 制子訳、春秋社)と一緒に借りてきた本。
→ 布施英利著『自然の中の絵画教室』(紀伊国屋書店) まさに布施氏らしい特色の出ている本である!
図書館では、美術関係の本の棚と音楽(踊り・映画・趣味などなど)の本のコーナーとは並びにあって、どっちかの本を物色していると、その流れで必ずといっていいほど、周辺の棚が視野に入ってしまって、結局、棚を端から端まで眺め渡してしまう。
釣りじゃないけど、当たりのあるときはパッと本の背の題名が目に飛び込んでくる。
ダメな時は、どの題名ももう、見飽きたような気になってしまって、当て所なく目線が彷徨ってしまう。
本との出会いも、バイオリズムのようなものがあるのだろうか。
何か、波か潮の干満のようなものがあるに違いないという気がする。
布施 英利氏の本は、これまで何冊か読んできた。
かの養老孟司さんの高弟だということで、美術は勿論だが、解剖学の研究という経歴もある。
というか、その経歴に惹かれて、そして養老孟司さんつながりで関心を抱いた方なのである。
『脳の中の美術館』(筑摩書房)、『鉄腕アトムは電気羊の夢を見るか』(晶文社)、『はじまりはダ・ヴィンチから 50人の美術家を解剖する』(エクスナレッジ)など。
絵画に限らないが、美術を本格的に勉強するとなると、解剖学は(専門的に研究するかどうかは別にしても)必修。
これは、やはり欧米の、美術(研究)を絵画や彫刻などの表現者として探求する者であっても、解剖学などの一定の素養が不可欠という伝統あるいは常識が明治以来の日本にも伝わった結果なのだろうか。
まあ、西欧については、イタリア・ルネッサンスの巨匠ダ・ヴィンチのあまりに有名な事例もあるし(フロイトの論文で「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼児期の一記憶」がある。秀逸! どんな推理小説より面白い!)
それでも、東京芸術大学・大学院美術研究科・博士課程修了後に東京大学医学部助手、という経歴となると異色の存在となるのではないか。
小生など、養老孟司さんの弟子というだけで尊敬の念というより、ひたすら羨ましくなってしまう。
小生は、中学か高校のときから医学への関心(と言い条、その実、好奇心!)を抱いてきた。
まあ、ガキがませてきた頃に、図鑑や事典の中に女性のヌード写真を捜し求め、写真では飽き足らず、解剖学的知識(というより図像)を物色する、その延長に過ぎないとも言えるかもしれない。
医学、それも解剖を経験するというのは、人間として全く常人には伺え知れない世界へ踏み出す(踏み外す?)ことになる…。少なくとも、そんな偏見めいた感懐を抱いてしまいがちである。
実際、本書『自然の中の絵画教室』の中でも著者は死体を前にしての日々を通じての人間(動物)を我々一般人には経験しえない形で送ってくることで、独特の感覚を深められてきたことが書かれてある。
あまりに死体に日々接するので、逆に階段を上る人の後姿を見て、人間が動くことに驚異の念のようなものを覚えた、などとも書いてあった。
学生時代だったか、死体の丸洗いというアルバイトがあるというまことしやかな噂を幾度となく耳にしたことがある単なる噂ではなく、実際にあるのかもしれないし、全くの風聞に過ぎないのかもしれない。
そもそも、大学だったら学生がいるわけだし、まさか教授が自らそんなことをしないまでも、誰か専門の人がいるに違いない(という気がする)。
死体を丸洗いすると、何日間は体から死体臭が抜けない、なんて、真面目な顔で語る学生が居たり。
← 養老孟司著『身体の文学史』(新潮文庫)
いずれにしろ、人間に限らず動物を日常的に解剖する人間と一般人との間には、偏見かもしれないけれど、何か一線が惹かれてあるような気がしてならないのだが。
医学関係の本というと、読んできた本はあまりに多いのでリストアップは面倒。
解剖学に限っておくと、養老孟司さんの諸著は結構、読み漁ってきた(一番の推奨本は、『身体の文学史』(新潮文庫)である。下手な文芸評論家の本など笑止に思えてくる!)。
ちなみに、布施英利氏は、東京芸大で三木成夫の弟子だったのだが、養老孟司さんのところに弟子入りしたのだった。
養老孟司さんの諸著に相次ぐ形で知ったのが、三木成夫という存在であり、十数年前に読んで感激した三木成夫著の『胎児の世界』(中公新書)は名著である以上に、とにかく小生に学生時代以来の解剖学(本)を巡ってのマイブームを巻き起こした本である。
(「松岡正剛の千夜千冊『胎児の世界』三木成夫」が面白いし、参考になる。実にドラマチックな記述の連続なのである。何が羨ましいって、三木成夫と面識があるってのは、たまらない!)
この本は三度ほど読んだが、三木成夫の本を手当たり次第に読み漁ったものだった。
(三木成夫については、「三木成夫の生涯と業績 後藤仁敏」参照)
小生が読んだ三木成夫の本を『胎児の世界―人類の生命記憶』(中公新書)を筆頭に順不同で示すと、『生命形態の自然誌 第一巻 解剖学論集』(うぶすな書院)、『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』(うぶすな書院)、『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館)、『生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ』(うぶすな書院)、『ヒトのからだ』(うぶすな書院 )、『生命形態学序説』(うぶすな書院 )など。
さすがに専門書(論文)には手が出なかった。『人間生命の誕生』(築地書館)は、未読かも。ちょっと記憶が曖昧。
→ 三木成夫著『胎児の世界―人類の生命記憶』(中公新書) 医学的には疑問符の付せられる点があるとしても、一度は読んで欲しい本である!
解剖学というわけでもないが、ゲーテの色彩論、植物のメタモルフォーゼ(変態論)、動物解剖学!
小生は、『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』より、メタモルフォーゼや色彩論のゲーテに惹かれてきた。どの程度に理解できたかは別だが。
ゲーテにしても、三木成夫にしても、「メタモルフォーゼ」をキーワードとするならR・シュタイナーを絡めて考えないといけないのだろうが、小生の手に余る。下記参照:
「暗合する星位 生命のメタモルフォーゼ」
小生が初めて解剖学(医学)関係の本を読んだのは、小川 鼎三 著の『医学の歴史』(中公新書)だったように記憶する。「三木は、学生時代に解剖学の小川鼎三(3)教授の講義に心酔し」「1952年4月に大学院に進学して、解剖学を専攻する。三年半で中退して、助手になり、解剖学者への道にはい」ったというから、人脈的繋がりがあると同時に、小生も表層的ながら、その流れに沿って著作を追っ駆けていたことになる。
布施英利(ふせひでと)著の『自然の中の絵画教室』(紀伊国屋書店)に話を戻す。
本書において、布施氏は、文字通り、自然に絵画する心・感性を学ぶことを懇切丁寧に教えてくれる。まさにフィールドワークしつつ、自然に絵画する心を養おうとしてくれるわけである。
本書の中で驚いたのは(でも、考えてみると、布施氏の経歴からして当然の流れなのかもしれないと納得するしかないのだが)、最後のところ、森などに入って、動物の死体を拾ってきましょうというくだりだった。
死体を拾ってくる。昆虫なら分かる。植物採集なら何を今更である。
布施氏は、まさに森や道路などに転がっている動物の死骸を拾ってくることを勧めるのだ。
それで何をする。剥製を作る? だったら、話は常識に属する。
← 布施英利著『はじまりはダ・ヴィンチから 50人の美術家を解剖する』(エクスナレッジ)
彼は解剖を試みることを勧める。解剖し、観察することで自然に触れる。
あるいは、動物の死骸を匂いなどに用心や配慮しつつ、腐敗させ、頭蓋骨など骨格標本を作ることを勧めるのである。
ネズミや鳥や魚介類程度ならともかく、家の庭でタヌキほどの動物の解剖や、まして骨格標本を作ることを自分がやるのは分かるとして、人に薦めるものなのだろうか。
あるいは驚く小生が初心なだけ?
なるほど、身体は一番身近な自然という考え方があるのは事実だ。
解剖したり真っ白な骨を表に晒し、観察し、あるいは骨格と居住するというのも、自然との付き合いではある。
うむ。自分でも何に驚いているのか、実はよく分からない。
「自然の中の絵画教室」がこういう方向に向う発想に素朴に驚いているだけなのかもしれない。
その実、布施氏には、解剖学研究者ならではの視点と発想をそもそも期待して彼の著作を読んできたのだから、こうした記述に遭遇して当然の結果と思うべきなのだろうとは、頭では理解できるのだが。
関連する拙稿:
「はじまりはダ・ヴィンチから」
「養老孟司著『毒にも薬にもなる話』余談」
「養老孟司著『毒にも薬にもなる話』」
「西原克成著『内臓が生みだす心』」
「『レオナルド・ ダ・ヴィンチの手記』をめぐって」
(本稿の文中、敬称の使い方で混乱があることをお詫びします。)
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コメント
今日は!いつもお世話になっております。以前『櫻灯路』を書いていた者の跡継ぎでしたが、今回それに一応の区切りをつけ、今度は『硯水亭歳時記』なるものを始め、貴殿のブログを勝手にリンクさせて戴いております。済みません。現在東京から京都に移動し、駅近くのイノダコーヒで、これを書いています。これから奈良へ向いますが、例年この時期には櫻休暇を取ることになっています。又お邪魔させて戴きます。有難う御座いました。
投稿: 硯水亭歳時記 | 2007/03/29 14:30
硯水亭歳時記さん、わざわざ来訪、メッセージ、ありがとう。
「櫻灯路」は20万ヒットも達成したサイトだったのに、閉鎖してしまうのは惜しいことですね。
以前、拙稿「水仙…ナルシスの花の香」の中で貴ブログの「厳冬に 香りたつ」なる記事を参照させていただいたことがあります:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/01/post_4746.html
http://outouro-hananoen.spaces.live.com/Blog/cns!1pelZrVcy2TDIfN7atP8iWpg!4173.entry
雪月花さんとも交流を続けておられる御様子、見習わないといけないと痛感させられます。
硯水亭歳時記さんのサイト、あとでゆっくりお邪魔させてもらいます。
リンク、恐縮です。
投稿: やいっち | 2007/03/29 18:44