ディケンズ…虐げしは何者か?
マイケル・モーガン著の『アナログ・ブレイン 脳は世界をどう表象するか?』(鈴木光太郎 訳、新曜社)を先週来、読み続けている。
題名からも分かるだろうが、実験心理学と認知神経科学の専門家が書いた、最新の脳科学の本である。
この分野の本を読み漁ったというわけではないが、文章の明快さと説の斬新さも相俟って、なかなかの好著だと思う。
→ マイケル・モーガン著『アナログ・ブレイン 脳は世界をどう表象するか?』(鈴木光太郎 訳、新曜社) 脳科学関連の本では久々の快著だ。過日、図書館に行ったら、新規購入本の書架で見つけ(というか、本のほうから目に飛び込んできた!)、慌てて手にしたっけ。
「アナログ・ブレイン 新曜社」を覗いてもらえば、本書の性格が分かってもらえるだろう。小生が下手な紹介や読解を示すのは控えておく(まだ、半分余りしか読んでいないし)。
読了していないのだが、貧乏していなかったら、間違いなく購入していただろう(買いたい!)本である。多少の時間を置いて、再読を試みるかもしれない。
出版社サイドによる以下の紹介が本書の特色を的確に示しているように思える:
世はデジタル時代。脳も、スーパーなデジタルコンピュータだと考えている研究者もいます。しかし、脳スキャンをはじめとする最新の技術や脳傷害の研究、動物研究から明らかになってきたのは、脳は、外界を無数の地図でモデル化していて、そのための特定の仕事に特化した無数のアナログコンピュータをもっている、という事実です。カエルはハエを捕るのに、方向や距離を計算していたら間に合いません。虫を検出し、動きの方向を検出するアナログコンピュータの描く地図によって、瞬時に反応しているのです。
そう、まさに題名の通り、脳のアナログ的特色をこれでもかと明快に論じてくれている(本書では、そのアナログとは何ぞやという話も冒頭付近にあって、なかなか興味深いのである)。
脳をデジタルからアナログ風に捉えるというのは、脳科学の近年の潮流なのだろうか。
それにしても、この「新曜社」は、この数年、意欲的であり刊行する本にも勢いが感じられる。この3年は本を買うことを自制しているが、その前は、近所の小さな書店の棚に並ぶ新曜社の本を立て続けに買ったものだった。
1年か2年のうちに十冊以上は同社の本を買ったのではなかったか。
まあ、書店の主の選び方や趣向が小生に合致していたのだろうが。
その書店も3年前に閉鎖。
コンビニに変わってしまった。
相前後するかのように、ほぼ同時期に小生も本を買うことを……というか、書店へ足を運ぶこと自体を止めた。雑誌にしても(時折、衝動買いするエロ本を覗くと)週刊誌さえ買わない(買えない)!
← 『DVD クリスマス・キャロル ザ・ミュ-ジカル』(アイ・ヴィ-・シ-)
おっとっと、また、余談に走ってしまう。
今日は、本書の紹介ではなく(それは小生の手に余る)、本書から小生の興味を惹いた話題を転記の形で紹介したい。
それは、『デイヴィッド・コパフィールド』や『クリスマス・キャロル』、『オリバー・ツイスト』などで有名な、チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)についての話題。
ディケンズについては、多くの方がご存知だろうし、幾冊かを読まれた方も多いだろう。彼については、ここでは多言しない。「チャールズ・ディケンズ - Wikipedia」を御覧戴こう。
ただ、この頁の中の、「後期の作品と晩年」という項目に、「1865年には鉄道の事故に巻き込まれて九死に一生を得る。この事件も、晩年の作品に目立つ暗い影の一因ではないかと言われている」という一文がある。
(さらには、「1870年6月9日、『エドウィン・ドルードの謎』を未完のまま、ケント州ギャッズ・ヒルの広壮な邸宅で、脳卒中により死去した」という一文もあるのだが、あるいはこの点にも関係する可能性もある。)
そう、「鉄道の事故に巻き込まれて九死に一生を得る」が、「この事件も、晩年の作品に目立つ暗い影の一因ではないかと言われている」点についての話題を上掲の本に見つけたので、あるいはネットでも関連する話題があるのかもしれないが、ディケンズファンの一人として黙っては見過ごせない記述でもあり、一部だけ転記させてもらうわけである:
→ 半側空間無視の症状。「食事場面を例に挙げれば、お盆の左のおかずを見落とすだけでなく、右側にあるおかずもお皿の右半分だけ食べて左半分は食べ残しているということが挙げられます」という(「半側空間無視」より)。
「頭頂葉損傷による空間無視」の症状では、これとは異なる種類の読字障害が見られることがある。作家のチャールズ・ディケンズは、この症状に悩まされていたようだ。ディケンズは医学雑誌『ランセット』の愛読者だったらしいが、もしこの雑誌の2001年12月号に載った「チャールズ・ディケンズ――無視されていた無視の診断」という記事を読んだら、それこそ目を丸くしたに違いない。この記事は、ディケンズが、彼の伝記をのちに著すことになるジョン・フォースターに、店にかかっている看板を見たときの特異な視覚の状態について語ったことを紹介している。すなわち、「彼(ディケンズ)が言うには、オックスフォード通りを歩いてここにくる道すがらずっと、以前に私たちと夕食をともにしたときと同じことが起こって、店の看板の名前の右半分しか読むことができなかったという。」
ディケンズはまた、自分の左脚の変な感じと、左手が「自分のものではないような」感覚に悩まされていた。その症状は、1865年6月9日、ステイプルハーストでの列車脱線の大惨事に遭遇してから悪化し始めた。ブールトの高架橋の上では、保線の作業員たちが線路の枕木の交換作業中だったが、彼らはフォークストンから来る「臨時」列車が通過する時間を見込み違いしていた。列車は臨時列車だったため、時刻表のしかるべき場所に記載されていなかった。その急行列車がやてきたとき、6・5メートル分の2本のレールがはずされており、機関車はそこに突っ込み、後続の客車は脱線した。客車の一輌にはディケンズが乗っていた。彼は、『われらの共通の友』の原稿を推敲中だった。この事故以来、彼は列車で旅行するのがこわくなり、「感覚に反して」客車が左に傾いているというおかしな確信をもつようになった。彼の手足と同様、影響があったのは、客車の左側であり、これは右の脳の障害と一致する。『危険の赤信号』という有名な本のなかで、L・T・C・ロルトは、「ジョン・ベンゲ[訳注 線路の作業責任者]の悲劇的なミスのせいで、イギリス文学がこうむった損失は計り知れない。ベンゲは、『エドウィン・ドルードの謎』[訳注 ディケンズの未完の小説]の結末を私たちから奪ってしまったのだ」と述べている。これは、列車事故の影響と、小説が未完のまま残されてしまったことの両方を過大に評価しすぎているが、この事故の数年後にディケンズが脳出血で亡くなったのは事実である。死後の解剖は行なわれなかったので、脳のどの部分がそれ以前に見られた徴候と関係があったのかはわからない。
ディケンズは、頭頂葉下部(とりわけ右半球)の損傷によって引き起こされる「無視性失読」と呼ばれる症状に悩まされていたのかもしれない。「空間無視」の患者は、左側――通常は、右利きの患者では左側の空間――を無視する傾向がある(ディケンズもそうだった)。彼らは、自分の空間に左側から入ってくる人を無視し、あたかも左側の空間が事実上存在しないかのようにふるまう。「無視性失読」は、文字を読む場合の無視である。ディケンズは、店の看板の左半分を読むことができなかったんか、それとも網膜の右半分を読むことができなかったのかについては述べていない。しかし、私たちは、ほかの患者の症例から、ディケンズに見えない部分は眼を動かしても変わりなかった(一部略=小生)と推測できる。無視の標準的診断テストでは、患者は、紙に書かれた線分を引いて消したり、Aという文字を丸で囲むように求められる(小生注=上掲の「半側空間無視の症状」を表す図を参照)。患者は、ページの右側にあるAは丸で囲むことができるが、左側にあるAいは気づかない。これは、網膜の片側に映っている像を見ることができないのではない。患者は、眼を動かして、ページのあらゆる箇所を見ることができるからである。眼が紙の左側に向けば、すべての文字が視野の右側に入ることになり、すべて見えるようになるはずである。もし患者が身体の正中線よりも左に眼を動かさないのであれば、これは網膜が盲の状態にあるということで説明ができるだろう。しかし、記憶を頼りに花を描くように言われた無視の患者は、葉も花びらも右半分しか描かない。手足と身体の向きが、視線の向きよりも重要であるようだ。これは、患者に、視線を同じ方向に向けたままで頭や身体を動かしてもらうと、よくわかる。患者は、身体の左側にあったため無視されていた対象に気づくようになるのだ。 (p.190-91)
文中、「頭頂葉損傷による空間無視」や「無視性失読」などといった、門外漢の小生には???の専門用語が出没する。
さすがに意図的失読するわけにもいかない。
「半側空間無視」や「脳卒中での一般的な症状」の中の「半側空間失認」なる項目などを参照願いたい。
また、今回はディケンズ本人については何も書けなかったので、忸怩たる思いを堪えつつ、せめて下記のサイトは紹介しておきたい:
「ディケンズ・フェロウシップ日本支部」
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コメント
今晩は!
「つんちゃん・ダイアリー」へのコメント有難うございました。
とても有難くて、何度も読み返して、、、納得しました。
そして、訪問させていただいた、「無精庵徒然草」のなんと高度な内容に驚いています。
私の到底理解しがたい内容なので、コメントの置き方にも躊躇してしまいました。 このような内容のブログには、恥ずかしい「つんちゃん・ダイアリー」ですが、、、
たまに、息抜きにでも、おいで戴けたら光栄です。
因みに、biglobeの「つんちゃん・深夜便」のURLを残しておきますので、お笑いくださいませ.。o○
http://tsunnchan.at.webry.info/
投稿: つんちゃん | 2007/03/13 18:54
少し前にTVでやっていたのですが、病気をして、右の脳を取り除いた少女がこのディケンズと同じような症状になっていました。
・・・・・と言うことは、やっぱりディケンズは、脳の病気だったのでしょうか?
生活、かなり不便だったんじゃないのかなぁ・・・・・。
投稿: RKROOM | 2007/03/14 00:20
つんちゃんさん、来訪、コメント、ありがとう。
内容が高度……。
今日のは特別です。なんたって、引用がメインですから!
「つんちゃん・深夜便」覗かせていただきました。
実に雰囲気がよくて、誰もが癒しを求めて訪ねたくなるようなサイトですね。来訪者やコメントが多いのも納得です。
投稿: やいっち | 2007/03/14 07:36
RKROOMさん、来訪、コメント、ありがとう。
解剖はしていないので、断言は避けないといけないでしょうが、脳の病気の可能性が大ですね。
問題は、列車事故の前から症状が幾分かあったのが、事故で一気に悪化し表面化(自覚)したのかどうかという点で、ちょっと謎です。
RKROOMさんのサイト、相変わらず、素敵な画像と文章とのマッチングがいいですね。
コメントしたくなるような雰囲気に溢れています。
もう、画像だけでも拝借したい!
投稿: やいっち | 2007/03/14 07:41
今日は!
2度目の訪問です。
足跡を残して置きますね。
又、お邪魔致しますぅ.。o○
投稿: つんちゃん | 2007/03/22 11:35
つんちゃんさん、来訪、足あと、ありがとう。
つんちゃんさんの積極性を見習わないといけないね。
小生、どうも、最近はパワーダウンしているみたいだ。
投稿: やいっち | 2007/03/22 13:09